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第114話 崩れ落ちるデーモン

 十階層ボスの対策ミーティングが始まった時点で、優奈の表情はすでに半分うんざりしていた。


「名前からして嫌な予感しかしないんですけど」


 資料の表紙を見た瞬間の第一声がそれだった。


 机の上に置かれたボス資料には、黒ずんだ肉塊のような悪魔が描かれている。翼はある。角もある。爪も牙もある。だが問題は、そこではない。最大の異常は、その肉体の輪郭そのものだった。


 肩口が崩れ落ちている。

 腹部が溶けるみたいに垂れている。

 片腕に至っては骨のようなものが一瞬見えたかと思うと、その上からまた肉が盛り上がっている。


 まるで壊れながら生きているような見た目だった。


「崩れ落ちるデーモン」

 俺がその名前を口にすると、優奈は露骨に顔をしかめた。


「やっぱり嫌な名前でした」


「見た目も性質も、そのままだよ」

 俺は資料をめくりながら言う。

「こいつは肉体が崩れ落ちるのと同時に、再生し続けている」


 優奈の眉がぴくりと動く。


「同時に?」


「ああ。壊れる。落ちる。けど、その場でまた盛り上がる。肉が欠けても、短時間で埋まる。斬っても、削っても、普通のダメージはすぐ回復する」


「うわあ……最悪です」


 率直な感想だった。

 そして、まったくその通りだった。


 十階層で初めて本格的に飛行型のリトルデーモンが出てきて、ようやく空中戦の入口に立ったと思ったら、そのボスは今度は超再生持ちだ。しかもただ再生するだけじゃない。


 俺は資料の別ページを指で叩いた。


「さらに厄介なのが、こいつの攻撃を武器や盾で受けると、受けた側が腐り落ちる」


「……はい?」


 優奈が目を丸くする。


「正確には、腐食だな。触れた金属や素材が一気に劣化する。盾で受ければ盾が駄目になる。剣で受ければ剣が削られる。まともに打ち合う相手じゃない」


 優奈は自分の刀へ視線を落とした。

 こいつの武器は普通の量産品じゃない。特殊性が高い。魔力との馴染みもいい。だから、完全破壊までは行かない可能性が高い。


「優奈の武器なら、時間が経てば再生する可能性は高い」


「可能性、なんですね……」


「戦闘中に戻るとは思うな」

 俺ははっきり言った。

「弱体化は免れない。刃こぼれするか、刀身の一部が腐食するか、どっちにしても無傷では済まない」


「じゃあ近接はダメってことですか?」


「まともな近接はな」

 俺は頷く。

「ここで役に立つのが《延長(斬撃)》だ」


 優奈の顔が少しだけ真面目に切り替わる。


「安全な位置から、ですね」


「そういうことだ」

 俺は続けた。

「《延長(斬撃)》の利点は、接近せずに攻撃できることだけじゃない。武器を直接敵へ触れさせずに済む。つまり、腐食のリスクをかなり減らせる」


「なるほど……」


「それに、お前は《発射(自身)》がある」

「思考強化の速度寄りも取ってる。敵の攻撃を武器で受けず、回避しながら位置をずらして攻める、って意味では、このボス相手でも相性はそこまで悪くない」


 優奈はそこで少しだけ考え込み、それから苦い顔で言った。


「……でも再生するんですよね?」


「する」


「しかもすぐに」


「すぐだな」


「じゃあ、結局きりがなくないですか?」


 その問いに対して、俺も最初から明確な答えを持っていたわけじゃない。

 だが、理屈の上では一つだけ筋が通る仮説がある。


「再生には、当然だが魔力が要る」


 俺がそう言うと、優奈ははっとした顔になった。


「じゃあ……」


「こいつの体内には、再生し続けるための魔力を生み出すか、循環させる器官があるはずだ」

「心臓みたいなものか、核みたいなものか、そこまでは断定できない。けど、何かしら“再生の中心”があると考えるのが自然だ」


「それを壊せば」


「勝てる可能性は高い」


 問題は、その器官がどこにあるか分からないことだった。


 崩れ落ちるデーモンは、常に肉が崩れ、盛り上がり、形を変えている。表面の輪郭が一定じゃない。しかも空を飛ぶ。再生しながら動く相手の中枢を、戦闘中に正確に見抜くのは簡単じゃない。


「……核探し、ですか」


 優奈が呟く。

 その声音には、難しそうだという感覚がかなりはっきり混ざっていた。


「理屈としてはそうだ」

 俺は答えた。

「ただ、核探しに意識を取られすぎると、多分向こうのペースになる」


 そこまで言った時、優奈が小さく目を細めた。

 あれは、何かを考えている時の顔だ。


「どうした」


「まだ、ちゃんと形になってないんですけど」

 優奈は前置きしてから、少しずつ言葉を選んだ。

「再生が追いつかないなら、再生する前に肉体を全部外側に吹き飛ばせばいいんじゃないですか?」


 俺は一瞬、言葉を返さなかった。


 優奈は続ける。


「核がどこにあるか分からないなら、探すんじゃなくて、全部まとめて処理するんです」

「崩れながら再生してるなら、その途中を何度も何度も切って、最後に全部バラバラに吹き飛ばす。そうしたら、再生する前提そのものが崩れるんじゃないかなって」


 力技だ。


 だが、こいつらしい。


 俺が再生器官の位置や魔力循環の理屈を考えている間に、優奈は“だったら処理速度で押し切ればいい”という方向へ飛んでいる。


 無茶かと言われれば、無茶だ。

 けれど、できるとしたら、それは間違いなく優奈みたいな機動力特化の戦い方をしているやつだ。


「……悪くない」


 そう言うと、優奈が少しだけ身を乗り出した。


「本当ですか?」


「ああ」

 俺は頷く。

「再生器官探しより現実的かもしれない。少なくとも、お前の得意分野には噛み合ってる」


「やっぱり!」


「ただし条件がある」

 俺はすぐに釘を刺した。

「ただ斬るだけじゃ足りない。表面を削ってるだけなら再生が追いつく。やるなら同じ箇所へ短時間に連打して、結合を崩す必要がある」


「なるほど……」


「それに最後の一押しが要る」

「吹き飛ばすって言ったけど、ただ切断するんじゃなくて、肉体を繋いでる流れそのものを壊す感じだ」


 優奈は真剣な顔で資料を見つめ、それからにやっと笑った。


「じゃあ、やってみます」


「試すしかないな」


 結局、このボスに関してはそれしかなかった。

 きれいな攻略法はまだない。

 あるのは仮説と、そこへ優奈の機動力をどう乗せるかだけだ。


 俺は最後にもう一度だけ確認した。


「攻撃は受けるな。武器で受けるな。盾も使うな。斬られるくらいなら避けろ」


「はい」


「腐食を甘く見るな」


「はい」


「それと配信中に思いつきだけで突っ走るな」


「そこは努力します」


「努力じゃなくて守れ」


 そう返したところで、優奈はえへへ、と妙に軽い笑い方をした。

 こういう時だけ妙に気楽そうなのが、こいつの良いところでもあり、胃に悪いところでもある。


 配信が始まる。


 十階層ボス部屋のゲート前。

 優奈は深呼吸を一つしてから、いつものように刀へ手をかけた。


「行ってきます」


「行け」


 短く返す。


 ゲートをくぐった直後から、空気が変わった。


 ボス部屋は広い。

 だが広いだけではない。床のあちこちに、黒ずんだ液体みたいなものが染みついている。天井からも、何かが垂れていた跡がある。古い腐敗臭に似た匂いまで、配信越しに錯覚しそうになるほどだった。


 そして中央上空。

 崩れ落ちるデーモンが、そこにいた。


 人型に近いのに、人型とは言い難い。

 腕はある。脚もある。翼もある。だが、その全部が今にも崩れそうに見える。肩が落ちる。脇腹が崩れる。頬が剥がれる。そうして落ちた肉が床へ着く前に、また本体側で盛り上がる。


「うわ……本当に気持ち悪いです」


 優奈のその感想は、まったくもって正しかった。


 崩れ落ちるデーモンは、優奈を見つけるとすぐに急降下してきた。

 速い。

 だが、優奈もすぐに《発射(自身)》で横へ流れる。


 爪が床を抉る。

 そのまま優奈は着地せず、半歩分だけ空中で位置を残し、《延長(斬撃)》を斜めから打ち込んだ。


 黒い肉片が飛ぶ。


 だが、次の瞬間にはそこがまた盛り上がる。


「……うわあ、ほんとにすぐ戻る」


 優奈が思わず声を漏らす。


「だから言っただろ」

 俺は画面を見たまま返す。

「表面だけ削っても意味が薄い」


 崩れ落ちるデーモンが今度は翼を大きく広げた。

 その動きに嫌な予感がして、俺はすぐに声を飛ばす。


「来るぞ、上!」


 優奈が視線を上げる。

 次の瞬間、ボスの肉片が雨みたいに降ってきた。

 ただ落ちるだけじゃない。腐食を含んだ飛沫だ。


「最悪ですって!」


 優奈は《発射》で一気に横へ抜け、肉片の範囲から逃れる。

 床に落ちた黒い塊が、じゅ、と嫌な音を立てて石床を溶かした。


 あれを武器で受ければ、刀が無事で済まないのは明白だった。


「触るな」


「分かってます!」


 優奈は一度距離を取る。

 だが、崩れ落ちるデーモンはその隙にも再生を続ける。削れた胸元も、斬り落としたはずの肩も、もうほとんど元通りだ。


「ユウマくん」

 優奈が短く呼ぶ。


「何だ」


「やっぱり核っぽいもの、見えません」


「こっちからも分からん」

 俺は率直に答えた。

「表面の崩れ方が一定じゃない。今は探すな。さっきの案で行け」


 それを聞いた優奈の目つきが変わった。


 迷いが消える。

 核探しという別ルートを切り捨てた顔だ。


「分かりました」


 次の瞬間、優奈の動きが変わる。


 今までは斬って離れて、再生を見て、間合いを測っていた。

 だがそこからは、明らかに“同じ場所へ集中させる”動きになる。


 《発射(自身)》で右へ。

 《延長(斬撃)》を胸元へ。

 すぐ左へ。

 また同じ胸元へ。

 さらに上へ流れて、肩口から胸へ斜めにもう一撃。


 結合を崩す。

 表面を切るんじゃない。

 盛り上がろうとする肉の流れを、同じ箇所へ連打して乱す。


「そうだ」

 俺は思わず前のめりになる。

「そこを崩せ」


 ボスも黙ってはいない。

 腕を振るう。

 翼で打つ。

 腐食の肉片をばら撒く。

 だが優奈は一切受けない。刀で防がない。発射で軌道を変え、身体ごと逃がしながら、また同じ位置へ《延長(斬撃)》を叩き込む。


 胸。

 肩。

 首元。

 いや、違う。


 優奈は実際には一点へ絞っているわけじゃない。

 “上半身の中心線”に沿って、再生しやすい流れを壊し続けている。


 崩れ落ちるデーモンの再生速度は異常だ。

 だが、その再生がどこからでも同じ速さで生まれているわけじゃない。

 肉の盛り上がり方を見る限り、中心線を軸に外側へ戻している。


 そこへ連打を叩き込めば、再生の形そのものが崩れる。


「いける……!」


 優奈が息を弾ませながら言う。


 実際、効いていた。


 最初は斬ってもすぐに戻っていた。

 だが今は違う。

 胸の崩れが、再生よりわずかに先行している。

 肩から肘へ繋がる部分も、一瞬だけ空洞が見えた。


 そこだ。


「優奈、最後は外側に弾けさせろ!」

 俺は叫ぶ。

「切断じゃなく、つながりを壊せ!」


「やります!」


 優奈が一気に距離を取る。

 ボスもそれを追ってくる。

 そこへ、逆に優奈は真正面から踏み込んだ。


 発射。

 加速。

 すれ違うような軌道。

 《延長(斬撃)》を胸へ一閃。


 次の瞬間には、背後へ抜けている。


 崩れ落ちるデーモンの上半身がぐらりと傾く。

 それでもまだ戻ろうとする。

 黒い肉が中心へ集まろうと蠢く。


「もう一回!」


 優奈が自分で叫び、今度は斜め上からもう一撃。

 同じ線をなぞるように叩き込む。


 肉の流れが乱れた。

 中心へ戻ろうとした塊が、途中で弾ける。


「あと一押しだ!」


 俺がそう言った時、優奈の目が一瞬きらりと光った。

 もう答えを掴んだ顔だった。


「再生が追いつかないなら――」


 優奈が空中で身体をひねる。


「再生する前に、全部吹き飛ばします!」


 発射。

 今度は真正面ではない。

 崩れかけた上半身の真横を取る。

 そこから、これまでとは違う軌道で《延長(斬撃)》を放った。


 斬る、というより、押し壊す一撃だった。


 中心線を断つのではなく、そこへ集まろうとしている肉と魔力の流れごと、外側へはじけさせる。


 黒い肉片が、爆ぜるように四方へ飛び散った。


 腕が飛ぶ。

 肩が千切れる。

 胸の中心が崩れる。

 翼の付け根から外側へ裂けるように壊れていく。


 床へ落ちた肉片が、今度は中心へ戻れなかった。

 再生しようとして、どこへ集まるべきか分からなくなったみたいに、あちこちでただ蠢く。


 そして、本体だったものは、形を維持できずに空中で崩れ落ちた。


「……あ」


 優奈が着地して、目を見開く。


 数秒遅れて、肉片の蠢きが止まった。

 最後に中心だったはずの黒い塊が、乾いた泥みたいに砕けて消える。


 十階層ボス、討伐。


 優奈はその場で大きく息を吐いた。

 肩が上下する。

 だが、武器はまだ手にある。

 腐食も最小限で済んでいる。


「終わった……?」


「ああ」

 俺はようやく呼吸を緩めた。

「終わったな」


 優奈は数秒その場で固まってから、じわじわと実感したらしい。

 顔が少しずつ明るくなる。


「やりました!」


「やったな」


「すごく気持ち悪かったですけど!」


「それは最初から分かってた」


 優奈が笑う。

 戦闘直後の、妙に力の抜けた笑い方だった。


「核、結局探さなくてよかったですね」


「探してたら多分もっと長引いてた」

 俺は正直に答える。

「今回は、お前の案の方が正解だった」


 優奈が少しだけ目を丸くする。


「珍しいですね。ユウマくんがそう言うの」


「理屈通ってたからな」


 俺は配信画面越しに、さっきの戦いをもう一度頭の中で組み直す。


 再生器官を探して一点を壊す。

 それは確かに攻略としては綺麗だ。

 でも、今回の優奈には“見つけて正確に刺す”より、“機動力と処理速度で再生そのものを崩す”方が噛み合っていた。


 主人公側が理屈。

 優奈側が自分の得意分野で押し切る答え。


 その差が、結果としてきれいにはまった。


「ユウマくん」


「何だ」


「十階層、嫌ですけど」


「嫌だろうな」


「でも、ちょっとだけ楽しくなってきました」


 その一言に、俺は小さく息を吐いた。


 十階層は、優奈にとって明らかに優しい階層じゃない。

 飛行型。

 消耗。

 武器腐食。

 再生持ち。


 それでも、超えられた。

 しかも、自分の戦い方をちゃんと伸ばした上で。


「だったらその感覚、忘れるな」

 俺は言う。

「嫌でも、きつくても、答えはある。それを見つけられるなら、まだ伸びる」


 優奈は真っすぐ頷いた。


「はい」


 十階層ボス。

 崩れ落ちるデーモン。

 再生し続ける肉体と、触れた武器を腐らせる最悪の相手。


 そいつを、優奈は“再生する前に全部外側へ吹き飛ばす”という、かなり無茶な力技で突破した。


 でも、力技と言っても、ただ雑に押したわけじゃない。

 発射の機動力。

 延長斬撃の安全性。

 受けずに避ける判断。

 同じ箇所へ連打する処理速度。


 全部、今まで積んできたものの上にある。


 そう思うと、少しだけ誇らしかった。


 もっとも、その感傷を優奈へそのまま伝える気はない。

 伝えたら多分、こいつはまた妙に真っ赤になって挙動不審になる。


「帰ったら武器の状態確認だな」


 だから、代わりにそう言った。


「はい。あ、でも」

 優奈は刀を見て少し笑う。

「思ったより無事です」


「受けなかったからな」


「受けなくて正解でしたね」


「だから最初からそう言ってる」


 その軽口を交わしながら、優奈はゲートの方へ歩き出す。


 十階層の攻略は、まだ始まったばかりだ。

 でも少なくとも、ボスまで含めて“無理”ではないと分かった。


 飛ぶ敵。

 再生する敵。

 腐食する敵。


 面倒は増える。

 それでも優奈は、ちゃんとその一つ一つに答えを作り始めていた。


 それが、今日一番の収穫だった。


(つづく)

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