第11話 第二階層・五十体と、《発射(自身)》
第二階層の空気は、第一階層より“乾いて”いた。
湿気が減ったわけじゃない。匂いが変わった。土と苔の匂いに混じって、鉄っぽい、古い血みたいな臭いがする。通路の幅も微妙に広いのに、逆に圧迫感が増している。壁の影が濃くて、ライトの輪郭がはっきりしすぎるせいだ。
――ここから先は、初心者用の散歩道じゃない。
優奈のヘルメットカメラ越しにそう感じた俺は、インカムに向けて短く言った。
「深呼吸。歩幅は小さく」
『はい!』
返事は元気だ。元気なだけで、少し安心する。
ダンジョンの中で一番危ないのは、声じゃない。呼吸だ。呼吸が乱れた瞬間に判断が荒れる。
クランの監修が入ってから、俺たちは毎回“台本”を持っている。配信の言葉を管理するための台本だが、実質は優奈の精神安定剤でもあった。「次に何を言えばいいか」が決まっていると、人間は余計なパニックを起こしにくい。
とはいえ、今日は配信の見せ場を作る日じゃない。
今日の目的は、単純で、地味で、でも必要なやつだ。
「優奈。今日の目標を言え」
『……えっと!』
優奈は台本を思い出すみたいに一拍置いてから、声を張った。
『一日、極力ダメージを受けずに! ゴブリンを五十体倒します!』
インカム越しに聞いているだけで、優奈の胃が痛くなっているのが伝わる。
『ご、五十体って……無理じゃないですか!? いきなり数字が怖いんですけど!?』
配信には乗せない。これは作戦会議用の声だ。敬語に「!?」が混ざり、完全に素が出ている。
「無理じゃない」
『いや無理です! だって!』
優奈がむきになって言い返す。
『《延長(斬撃)》はコスパ悪いから、そんなに打てないし……! 無理ですよ!』
その通りだ。
《延長(斬撃)》は刀を変える魔法だけど、燃費がいいわけじゃない。魔力を注ぐほど斬撃が伸びる。伸びるほど便利になる。その分、魔力が削れる。
だから俺は言った。
「だから、一撃で数体をまとめて倒せるようにする」
『まとめて……?』
「一体ずつ相手してたら、五十体は“作業”のまま終わる。無意識にできるように習慣づける」
『でも、五十体……届きますかね……?』
弱気。けど、それでいい。
弱気なうちに積み上げるのが訓練だ。
「届かせる」
『なんでそんな断言できるんですか!?』
「後々必要になるからだ」
『えっ』
優奈が息を呑む。
「ボス戦の準備」
『……ボス』
「第二階層以降のボスは、“一発避けて終わり”じゃない。雑魚処理、距離管理、集中維持、全部が必要になる。五十体はその下地だ」
優奈は黙った。
数字が怖いんじゃない。必要だと分かった瞬間の方が怖い。
――やるしかない、になるから。
『……わかりました!』
優奈の返事に「!」が戻る。
『やります! やりますけど! 結城くん! 魔法のコスパ問題、どうするんですか!?』
俺は迷わず答えた。
「魔法ガチャ飴で、コスパ重視の魔法を狙う」
『え! そんなのあるんですか⁉』
ある。
刀と噛み合って、雑魚一掃に向くやつ。
ただし、その名前を表で言うわけにはいかない。
言葉は刃だ。
だから俺はインカムの回線を切り替え、クランの監修チャンネルにだけ言った。
「狙いは《発射(自身)》」
相良の声が即座に返ってくる。
『名称は配信で出さないでください。台本上は“移動補助系”です』
「了解」
優奈には、配信外で説明する。
「自分を飛ばすタイプの魔法だ。刀と相性がいい」
『自分を!?飛ばす!?』
「雑魚の群れをまとめて斬る。距離を詰める。離脱する。全部が速くなる」
『速くなるって……止まれますか!?』
「そこを練習する」
優奈が呻いた。
『……こわいです!でも、ほしいです!』
欲しい、と言えるのは強い。
怖い、と言えるのも強い。
第二階層のゴブリンは、第一階層のコボルトより“人間っぽい”。
石の棍棒を持ち、集団で動き、こっちの動きを見てから詰めてくる。
突っ込んでくるだけの獣じゃない。嫌な感じの賢さがある。
優奈は刀を構え、いつも通り“踏み込みすぎない距離”を作る。
そして、ゴブリンが二体並んだ瞬間に、斬る。
刀が届く前に、二体が倒れた。
《延長(斬撃)》の動作。
ただし、魔力は最小。短い距離で、二体まとめて。
それを“当たり前”にするのが、今日の目的だ。
『……いけます!いけますけど!魔力、減ってる感あります!』
「減ってる。だから無駄撃ちするな」
『無駄撃ちしてないです!してないですけど!』
「息」
『はいっ!』
数体。十体。
ここまでは順調。
でも二十体を越えたあたりから、優奈の動きが僅かに荒くなっていく。
疲労じゃない。集中の摩耗だ。
“倒せる”が積み重なると、人は雑になる。雑になった瞬間に噛まれる。
だから今日は配信の表側では、あえて地味な“安全回”にしてある。
視聴者に見せたいのは派手さじゃない。安定だ。
……と言っても、魔法ガチャ飴集めは画面映えしない。
毎回それをやっていたら、視聴者は飽きる。飽きた視聴者は、より刺激を求めて危険な噂に飛びつく。
だから、飴の“開封”だけは配信企画としてやる。
クラン監修のライブ配信。ディレイあり。モデレーター複数。
相良が緊急停止のボタンに指を置いている状態で。
――安全な綱渡り。
「みなさん!こんにちは!本日は“成長アイテム”の検証回です!」
優奈は台本通りに笑って、透明な飴を一つ手に取った。
魔法名は言わない。条件も言わない。
言うのは「検証」「練習」「安全」の三つだけ。
『また飴w』
『今日は何出る?』
『昨日の音の件は?』
『銃じゃね?』
危ないコメントはすぐ流される。
モデレーターがテンプレで壁を作る。
『※推測の断定は禁止です』
『※危険情報につながる質問には回答しません』
優奈が飴を噛む。
「……あっ、ライト系っぽいです!」
優奈は嬉しそうに言いかけて、すぐ言い直す。
「えっと!前にも出た感じがします!なので、経験値になった“気がします”!」
コメントが笑う。
『気がします助かる』
『台本w』
外れ。小当たり。外れ。
地味。
優奈は台本のテンションで必死に盛り上げる。
「便利です!たぶん!」
「外れじゃないです!外れじゃないはずです!」
そして、二十七回目。
優奈が飴を噛んだ瞬間、目が変わった。
嬉しい目じゃない。怖い目だ。
「……えっ」
声が小さい。
息が止まりかける。
優奈の体が、ふっと軽くなったように見えた。
椅子に座っているのに、足が床から浮きそうな感覚。
『何それ?』
『今の反応ガチじゃん』
優奈が口を開きかける。
危ない。
俺はインカムで即座に言った。
「名前、言うな」
『……はいっ!』
相良が待機画面に切り替える準備をする気配。
でも優奈は、踏みとどまった。
「えっと……!“移動補助系”っぽいです!すごいです!たぶん!!」
台本の逃げ道。
視聴者は「たぶん」に笑い、でも“何か出た”とは分かる。
配信が終わった瞬間、優奈は俺に泣きそうな顔で言った。
「結城くん!これ!これですよね!?《発射(自身)》って!!」
「声、でかい」
「すみません!!でも!でも!嬉しいです!!」
嬉しさと怖さが同居している顔。
それが正しい。
練習はクランの訓練室でやった。
ダンジョンの中でいきなり試すのは、危険が大きすぎる。
優奈は刀を持ち、スタート地点に立つ。
目の前には簡易標的――人型じゃない。木の板だ。
クランはこういうところが徹底している。変な連想をさせない。
「じゃあ、やります!」
優奈が言って、すぐ不安になる。
「……これ、どうやって止まるんですか⁉」
「まず、飛ぶ。次に切る。最後に斬る」
俺は短く言った。
説明を伸ばすほど、優奈の頭が混乱する。
「飛ぶって……!」
「魔力で加速する。切れば、残るのは慣性だ」
「慣性……」
「慣性になったら、体は勝手に止まらない。だから“斬る位置”を先に決める」
優奈は目を丸くした。
「……敵めがけて発射して、慣性に任せて、敵めがけて攻撃……?」
「そう」
「……こわいです!」
「だから練習だ」
優奈は深呼吸して、魔力を込める。
目が真剣になる。
次の瞬間、優奈の体が前に跳んだ。
「うわっ!」
声が漏れる。
早すぎる。怖い。
でも――優奈は刀を振った。
木の板が、すっと切れた。
優奈が止まりきれず、数歩よろけて壁に手をついた。
「……っ、いま、止まれないです!!」
「止まらなくていい。止まろうとするな。切れ」
「切る……!」
二回目。
三回目。
優奈は少しずつ“切るタイミング”を掴んでいく。
魔力で飛び、魔力を切り、慣性だけにして、斬る。
危険なのは、迷うことだ。迷うと壁にぶつかる。
優奈が汗を拭いながら言った。
「……感覚、掴めてきました!」
そして、次の瞬間に顔が青くなる。
「あれ?これ外したら壁に直撃しません⁉」
「だから外さないための練習なんだよ」
俺は淡々と答える。
「魔力を多く注ぐほど、速度も上がる。速度が上がるほど、外した時の代償も上がる」
優奈が「ひぃ……!」と声を上げた。
怖がっている。
でも、逃げない。
「……じゃあ、最初は少なく……」
「そう。少なく、確実に。成功率を上げてから、必要な時だけ上げる」
「必要な時……」
「後々のボス戦だ」
優奈が頷いた。
ここでまた「!」を付けない。
優奈は、ちゃんと怖いまま理解している。
練習の終わり、優奈は息を整えながら言った。
「結城くん……これ、雑魚戦にめっちゃ向いてます!」
「向いてる。刀と相性がいい」
「でも……」
優奈が一瞬だけ言い淀む。
「これ、台本で説明できないやつですよね?」
「できない」
俺は即答した。
「説明した瞬間、真似する奴が出る。真似して死ぬ奴が出る。死んだら、お前が潰される」
優奈が唇を噛む。
そして、小さく言った。
「……わかりました。言いません」
敬語が消えそうで消えない声。
「言わないです。だから……上手くなります」
俺は頷いた。
「上手くなれ。五十体は、そのためだ」
次のダンジョン日。
第二階層のゴブリンが、また現れる。
優奈は刀を構え、以前より少しだけ前に出た。
《発射(自身)》はまだ見せない。使うのは必要な時だけ。
でも、体の中に“逃げ道”があるだけで、動きが変わる。
十体。
二十体。
優奈の呼吸が、前より乱れない。
『……いけます!』
インカム越しに、優奈が言う。
『今日は……いける気がします!』
「気がする、じゃない。数えろ」
『はい!いま二十三体です!』
数字が積み上がる。
積み上がるほど、優奈の背中が少しずつ頼もしくなる。
――五十体。
まだ遠い。
でも、遠くなくなった。
俺は思った。
ダンジョンで強くなるっていうのは、魔法を増やすことじゃない。
“怖いまま正しい動作をする回数”を増やすことだ。
そしてその回数は、ボス戦の前に必ず、必要になる。
(つづく)




