第101話 授業は退屈で、アメリカ人は拳がうるさい
国立ダンジョン学園の生活が本格的に始まって、最初に俺が抱いた感想は、実に単純だった。
――授業が、退屈すぎる。
もちろん、全部が全部まるで無意味というわけじゃない。
法律。
装備管理。
配信時の規約。
各国ダンジョンの基礎傾向。
スタンピード発生時の初動。
救助優先順位。
そういう“知らないと後で面倒なことになる座学”には、意味があるのは分かる。
分かるが、それと退屈かどうかは別だ。
教壇の前で教師が話している内容の大半は、俺にとって既に知っていることだった。
しかも、ただ知っているだけじゃない。
実際に見た。
実際に使った。
実際に国を跨いでその差まで見てきた。
だから、例えば「低層ダンジョンでは焦って深く入りすぎないこと」なんて説明を聞かされても、正直反応に困る。
それはそうだろう、としか言えない。
教室の窓際の席で、俺は頬杖をつきながら板書を眺めていた。
前の方では、優奈がかなり真面目にノートを取っている。
そのさらに斜め前では、唯も静かに書いていた。
こいつらにとっては、ちゃんと勉強になることも多いらしい。
休み時間に優奈が振り向いて言った。
「今日の授業、結構面白かったです」
「何がだよ」
「海外の低層ダンジョンの基礎傾向です」
優奈は目を少し輝かせながら言う。
「イギリスとルクセンブルクとカナダで、同じ低層でも“危ないポイント”が違うって、改めて整理されると分かりやすいです」
「お前、現地行ってただろ」
「行ってましたけど、戦うのと教科書に整理されるのは違うんです」
それは、まあ、そうかもしれない。
唯も小さく頷いた。
「私は、法規の授業が意外と役に立った」
「どの装備がどこまで持ち込み申請いるかとか、配信してなくても知っとかないと危ないんだなって思った」
「そっちは確かにな」
唯は俺や優奈みたいに、既に半分仕事で動いていたわけじゃない。
知識の抜けがあっても不思議ではない。
だから結局、学園そのものが無意味というわけじゃないのだ。
ただ、俺にとってだけ、既知情報が多すぎる。
その退屈さをさらに加速させたのが、学園の実地カリキュラムだった。
教師が説明した時点で、俺は内心かなり嫌な顔をした。
「今後の実技訓練では、実際にダンジョンへ入り、学生同士で互いにアドバイスし合いながら改善点を見つけてもらいます」
聞こえはいい。
建前としても正しい。
だが、本音は分かる。
――明らかに教師が楽するためのカリキュラムだろ、これ。
教師一人が全員を細かく見るのは無理。
だから実力者を混ぜて、学生同士で知見を回させる。
学園設立の時点で薄々そうなるとは思っていたが、想像以上にそのままだった。
しかも案の定というか何というか、その授業が始まった瞬間、俺と優奈のところにはめちゃくちゃ誘いが来た。
「相川さん、今度の実地、一緒にどうですか」
「結城先輩、ペアってもう決まってますか」
「もし空いてたら相談したいんですけど」
優奈は優奈で、配信者として有名すぎる。
ソロなのに強すぎることで知られている。
だから声をかける側も、半分は憧れ、半分は恐る恐るだ。
俺の方へ来るやつはもっと露骨だった。
「低層で一番効率いい立ち回りって」
「探知のコツってありますか」
「ボス戦前の魔力管理ってどうしてますか」
雑談ではない。
最初からアドバイスを求められている。
必要な答えを引き出しに来ている。
対等な会話じゃないのは相変わらずだった。
しかも最近は、それに加えて別の妙な空気まである。
優奈と常に一緒にいて、実技試験でも圧倒的一位。
その上、配信はしていないのに動きが異常すぎる。
結果として、俺があの“yuma”なんじゃないかという噂まで、学園内で薄く広がっているらしい。
断定されない。
でも、みんなちょっと思っている。
そういう一番面倒な状態だ。
だから話しかけに来るやつは来る。
だが、その大半は距離がある。
近いところまで来て、最後に一歩引く感じがある。
優奈が昼休みに、少し困ったように笑って言った。
「なんだか、みんな来るんですけど、気軽な感じじゃないですね」
「だろうな」
俺は答えた。
「強すぎるやつには、普通そうなる」
「ユウマくんが言うと嫌味みたいです」
「事実だろ」
実際、その通りだ。
学園側が俺たちに期待している“周囲との差を見せる役割”は、たぶんこういう空気ごと含んでいるのだろう。
その代わり、俺自身の成長に繋がる相手はそう多くない。
それが、誘いを受けきれずにいた理由でもあった。
単純に人数が多い、というのもある。
だがもっと大きいのは、誰と組んでも俺が一方的に答えを渡すだけで終わりそうだったことだ。
そんな中で、そいつは妙に自然な顔で近づいてきた。
「よお」
低くて、よく通る声だった。
顔を上げると、そこには明らかに日本人離れした体格の男が立っていた。
金髪ではない。
短く刈った茶色の髪。
肩幅が広い。
制服の上からでも分かるくらい、上半身が厚い。
ただデカいだけじゃなく、ちゃんと鍛えられている肉の付き方だ。
アメリカ人だろうな、と一目で分かった。
そいつは俺を見るなり、口元だけで笑った。
「リアムから話は聞いてるよ」
そこで、少しだけ嫌な予感がした。
「……何の話だ」
「お前がユウマだろ?」
俺は無言になった。
隣にいた優奈が、小さく「うわ」と言ったのが聞こえる。
男は気にせず続ける。
「カナダの件で、リアムがうるさくてな」
「“あいつは近接の化け物だ”“安居楽業一式を実質一人で倒したのはあいつだ”って、めちゃくちゃ言いふらしてた」
「リアムあいつ……」
思わず額を押さえたくなる。
あの男、やっぱりろくでもない。
いや、分かっていたけど、余計なところで余計なことをする。
アメリカ人は肩をすくめた。
「最初は盛ってると思ったんだよ。けど、機密扱いの映像を見せられたら、ガチだった」
「そりゃ興味持つだろ」
その言い方は、妙に嫌味がなかった。
ただ本当にそう思っただけ、という顔だ。
「で?」
俺は少し警戒を残したまま聞く。
「その興味で何だ」
「俺とペア組まないか?」
あまりにもまっすぐだった。
「こういうのは、同じ系統のやつと組むより、系統が違うやつと組んだ方が互いの成長に繋がるだろ?」
その一言で、俺は少しだけ考え込んだ。
たしかに、その通りだった。
これまで誘いを受けきれなかった理由は、ほとんどがそこにある。
誰かへアドバイスするだけならできる。
でも、それで俺自身が伸びるかと言われれば怪しい。
けれど、目の前のこいつは違いそうだった。
少なくとも見た目からして、俺とも優奈とも唯とも違う。
もっと分かりやすく“殴る側”の人間だ。
「名前は?」
俺が聞くと、男は少しだけ笑みを深くした。
「ジョン・ウィリアム」
「アメリカ枠か」
「そういうこと」
ジョン・ウィリアム。
名前だけ聞いても、いかにもアメリカだ。
優奈が横から小さく俺の袖をつつく。
「ユウマくん、いいんじゃないですか」
「系統、めちゃくちゃ違いそうです」
「お前、面白がってるだろ」
「少しだけ」
否定しない辺りが正直だ。
俺はジョンを改めて見た。
体格。
立ち方。
重心。
雑に見えるが、崩れてはいない。
真正面から押すタイプに見えて、たぶん雑ではない。
「……分かった」
そう言うと、ジョンは満足そうに頷いた。
「決まりだな」
「ただし、変なことしたらすぐ切るぞ」
「お互い様だ」
その返しが妙に自然で、少しだけ笑いそうになった。
実地訓練の相手は、学園側が用意した低〜中層用の訓練ダンジョンだった。
教師たちは外から監視しているだけで、細かい指示はほとんどしない。
学生同士で組んで入り、互いに見て、帰ってきてから口頭でフィードバックする。
教師が楽するためのカリキュラム、と言ったのはやっぱり正しかったと思う。
ジョンと二人でゲートをくぐった瞬間、俺はまず相手の歩き方を観察した。
重い。
だが鈍くない。
普通、この体格のやつは一歩ごとの音がもっと大きい。
でもジョンは違った。
必要な時だけ床を踏み抜くみたいに体重を乗せて、それ以外は意外なほど軽い。
「見るなよ」
ジョンが前を向いたまま言う。
「見られるの嫌なら誘うな」
「嫌とは言ってない」
ジョンは肩を回した。
「むしろ見ろ。俺もお前を見る」
嫌いじゃない言い方だった。
最初の魔物が現れる。
中型寄り。
普通の学生なら、一歩引いて武器を構える距離だ。
だがジョンは止まらない。
「《肉体強化ー極》」
魔力の圧が一瞬で全身へ走る。
同時に、さらに低い声で続ける。
「《拡張付与ー頑丈》」
「《魔力強化ー拳》」
そこで、ようやく分かった。
こいつ、完全に拳で行くつもりだ。
次の瞬間、ジョンは真正面から魔物へ踏み込んだ。
回避ではなく突破。
相手の攻撃線を半ば無視して、拳を振り抜く。
鈍い音。
中型の頭部が横へ弾けた。
「……なるほど」
思わず声が出る。
ザ・アメリカン。
雑な力押し。
そう見える。
だが、実際には違った。
肉体強化を全身へ均等に回していない。
俺はそこでようやく、ジョンの魔力の偏りに気づいた。
両腕だ。
肩から先。
特に肘から拳にかけての密度が異常に高い。
逆に言えば、下半身や胴は最低限に抑えている。
「使い方を限定してるのか」
俺が言うと、ジョンは次の魔物を殴り飛ばしながら笑った。
「気づくの早いな」
「全身均等じゃない」
「両腕重点だろ」
「そうだ」
ジョンは短く答える。
「魔法の応用技術みたいなもんだ。用途を絞れば、その分出力を上げられる。今日は拳だけでいいからな」
なるほど。
つまり、通常なら全身へ薄く回る強化を、両腕へ重点配分することで、瞬間火力を爆発的に上げているのだ。
雑に見えるのに、実際にはかなり緻密だ。
ただの脳筋じゃない。
脳筋っぽく見せているだけで、出力配分はかなり計算されている。
ジョンはそのまま前へ出る。
近づく。
殴る。
潰す。
しかも、《拡張付与ー頑丈》が効いているせいで、腕そのものが壊れにくい。
普通なら拳で殴るには無茶な相手でも、相手の頭の方が先に潰れる。
「アメリカだな」
俺が呟くと、ジョンが笑った。
「褒め言葉として受け取っとく」
「好き勝手やるなよ」
「好き勝手やるから強いんだよ」
それも、まあ、そうかもしれない。
ただし、弱点も見える。
両腕へ寄せている分、強化中は下半身の繊細な制御が少し甘い。
瞬間火力は高いが、持久戦でこの出力を維持したら消耗は重いだろう。
それに見えない相手や、飛行型の相手には、たぶん一気に面倒になる。
だからこそ、ジョンは俺と組みたかったのだろう。
自分にない部分を見たいから。
そして俺もまた、こいつから学べるものがある。
例えば、用途を限定して出力を上げる発想。
俺はどちらかと言えば、汎用性を残したまま最短効率へ寄せるタイプだ。
でもジョンは違う。
今回は拳だけ。
殴るだけ。
その一点へ魔力運用を極端に振っている。
そういう割り切りは、たぶん俺より上手い。
「ユウマ!」
ジョンが不意に声を飛ばした。
前方に、大型寄りの個体。
ジョンは笑っている。
「次、お前の番だ」
「何だそれ」
「見せろよ」
ジョンは拳を鳴らした。
「リアムがそこまで騒ぐやつの“普通の戦い方”をまだ見てない」
普通の戦い方、という言い方が少し引っかかった。
たぶん安居楽業一式の映像は、普通じゃなかったのだろう。
俺は小さく息を吐く。
「分かったよ」
前へ出る。
大型相手。
視界、距離、位置取り。
いつも通り、と思ったその時、後ろからジョンが言った。
「ただ速いだけじゃつまらないぞ」
「注文が多いな」
「系統が違うやつと組むって、そういうことだろ?」
その返しで、少しだけ笑ってしまった。
たしかに、その通りだった。
こいつはただ俺から学ぶだけじゃない。
同じだけ、俺にも“見せろ”と要求している。
対等だ。
少なくとも、ただ答えだけを求めてくる相手ではない。
それだけで、かなり気が楽だった。
俺は大型へ向けて踏み込む。
高速移動。
死角。
そして一撃。
後ろでジョンが「おい、やっぱりおかしいだろそれ」と笑っているのが聞こえた。
学園の授業自体は退屈だ。
だが、こういう相手と組む実地訓練なら、話は少し変わってくる。
ジョン・ウィリアム。
拳で押し潰すザ・アメリカン。
雑に見えて配分は緻密。
両腕特化の爆発力。
そして、自分にないものを素直に見に来るタイプ。
悪くない。
少なくとも、最初のペアとしては当たりだった。
そう思った時点で、たぶん俺も少しだけ、この学園生活に慣れ始めているのかもしれなかった。
(つづく)




