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灰の傭兵と光の園~人型兵器が、泥と血と油の中で唸る。装甲が砕け、信念だけが削れていく~  作者: 青羽 イオ
第十五章 コンラート・ヴェルナー

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第78話 白帯の判断線

 市街地の中心を、一本の白い光が貫いていた。

 避難誘導ライン《白帯》。灰の世界で、あれだけが「迷わずに進める道」だった。


 白帯の両側には、店、住宅、役所、病院が立ち並んでいる。

 平時なら、ただの街の風景だ。


 だが最近、この白帯沿いだけは空気が落ち着かなかった。

 風が一度、戻る。灰が逆向きに流れて、景色が薄く二重に滲む。遠近が信用できなくなる瞬間がある。


 現場はそれを短く呼ぶ。リフロー。


 経験の浅い者は、気のせいだと言った。

 古参は知っていた。「気のせい」で済ませた者から死ぬ。


 ――このときコンラートには、まだ幼い息子がいた。名はヒロだ。



 会議室は明るすぎた。

 スクリーンに映るのは、北側から接近するキーテラの反応と、市街地の区画図。避難車列の流路シミュレーションが、淡々と上書きされていく。


 コンラート・ヴェルナーは席を立ち、机に手を置いた。


「指揮を一本にしないと、現場が持ちません。綻んだ瞬間に潰れるのは、白帯の上の民間人と、最前線の兵です」


 言葉を選んだ。怒鳴れば、議論は終わり、感情だけが残る。


「市街地防衛を企業が担うのは理解しています。ですが、白帯と病院の動線はUDFが握る。そこを“現場調整”に投げると、判断がぶつかります」


 UDF上層の男が椅子に深く沈み、薄い笑みを浮かべた。


「君は現場を心配しすぎる」


 カルディアの席から声が上がる。


「工業区を落とすわけにはいきません」


 すぐに、アストレイアが被せた。


「試験施設には重要データがあります」


 コンラートは会議室を見回した。


 誰も、病院の話をしない。

 患者の数も、歩けない者の比率も、搬送に必要な人手も。


 白帯の上にいるのが「数字」ではなく「人」であることが、この部屋では一段遠い。


 会議の端で通信士が資料を回し、控えめに口を挟んだ。


「白帯沿い、リフローの報告が増えています。距離がずれて見える、と。射線管理に影響が――」


 上層は視線だけを流し、その話を終わらせた。


「優先順位が違う」


 コンラートの指が机の縁を強く押した。

 誰も気づかない。

 その一言で、白帯の上の不穏が、紙の外へ押し出される。


「結論だ。UDFは白帯護衛と避難誘導を実施する。企業は市街地防衛。各所の衝突は現場で調整しろ。灰風中隊は外周待機、必要に応じて投入」


 コンラートは敬礼を返し、会議室を出た。



「隊長、戻ってきましたね」


 コンラートがテントに入るなり、セーブルが立ち上がって一礼した。

 淡々とした声だが、わずかな警戒が混じっている。


「上はなんて?」


 セルゲイが先に投げる。軽さの裏で、目だけが笑っていない。


「読めば、話の半分は分かるだろう」


 コンラートは答えず、手に持った命令書を机の上に放った。


 そこには「灰風中隊 外周待機」とだけ記されている。


 セルゲイが紙をひったくって目を通し、鼻で笑った。


「はは。さすが“現場を知らない立派な頭”だな。白帯が燃えたら、外で拍手でもしてろってか」


「やめておけ、セルゲイ」


 セーブルが軽く制する。


「命令書は命令書です」


「分かってるよ。分かってるけどさ」


 セルゲイは頭をかきながら、コンラートを見た。


「隊長は、どう思ってるんです?」


 ヴァイスは黙っていた。

 ただ、机の端に指を添えたまま、命令書とコンラートの顔を交互に見ている。


 コンラートは、3人の視線をまとめて受け止めた。


「……上は、市街地防衛をカルディアとアストレイアに任せると言った。UDFは白帯護衛。灰風は、その“予備”だ」


「予備、ねぇ」


 セルゲイが苦笑する。


「白帯の近くで綻びが出るたび、うちに“都合よく”出てこいってことですか」


「綻びが見えたころには、もう遅い」


 ヴァイスが小さく口を開いた。若い声だが、言葉自体は淡々としている。


「白帯に流れ込んだキーテラを、外周から叩いても間に合わない。中に入るなら、最初から指揮を一本にするべきです」


 その意見は、先ほど会議室でコンラートが言ったこととほとんど同じだった。


 コンラートは若い士官の顔をまっすぐ見た。


「……そうだな」


 それだけ言って、司令部への回線を開きにテントを出た。



 指揮車へ戻ると、コンラートは端末を開いた。

 宛先は市街地中央病院。受信者の名を選ぶのに迷いはない。


『数日中に北から大きな群れが来る。すぐ避難しろ』


 指が一度止まる。

 短く、間違いなく伝えるために、言葉を削る。


『西のUDF駐屯地へ。手配済み。ヒロを連れて、車に乗れ』


 そして追記した。


『白帯沿いは今日は風が信用できない。景色がずれる。迷わず西へ出ろ』


 送信直後、端末が震えた。発信者名はナオミ。


「……俺だ」


『さっきの、どういう意味? 避難って……病棟の搬送、まだ終わってないのよ』


 彼女の声に焦りがある。

 焦りの奥に、医師としての固さがあるのも分かる。


「北が崩れたら、市街地まで降りてくる。企業とUDFの指揮は割れている。どこが抜けるか、誰にも読めない」


『止めるんじゃないの? あなたたちが』


「だが、カルディアとアストレイアとUDFが、別々の指揮で動く。必ずどこかで綻ぶ。場所は、机の上からは見えない。」


 言い方が冷たくなった。自分で分かる。

 それでも、甘い言葉は危険だ。


「……分かった。遅れるな。ヒロを先に車に乗せろ。搬送は必ず誰かに引き継げ」


『……分かったわ』


 少し間が空き、彼女は声を落とした。


『あなた、たまには帰ってきて。ヒロが、あなたの古い制服を出して着てた。真似してたわよ』


 コンラートは上衣の内側に指を滑らせた。

 写真の角が触れる。小さな硬さが、現実にだけ残る。


「……次の休暇でな」


 約束にならないと分かっていながら、そう言った。


「すぐ出ろ。いいな」


『待ってる』


 ナオミの声が、一瞬だけ柔らかくなった。


『ヒロと一緒に、待ってる』


 通話が切れる。

 画面が暗くなり、上衣の内側の写真の角だけが、そこにあると告げていた。


 白帯の光を思い浮かべると、そこにいるのがヒロではないことだけが、救いになりそうだった。



 上層との通信を開く前、コンラートはもう一度、写真に指を触れた。


(もう一度だけ、試す)


「この配分では、白帯に抜けてきたキーテラを食い止められません。

 企業は自分たちの施設を最優先する。

 白帯に流れた個体を誰が止めるのか、明確になっていない。

 加えて、白帯沿いでリフローの報告が増えている。

 距離が信用できない状況で、重火器を市街地に落とすのは危険です」


『現場で調整しろ、とさっき言ったはずだ』


 返ってきた声は、会議で彼を押し切った男のものだ。


『灰風中隊は貴重な戦力だ。むやみに突っ込ませるわけにはいかん。外周で待機し、必要に応じて投入する』


「必要に応じて、では遅いんです」


 コンラートは声を抑えたまま、言葉だけを強くした。


「白帯が破られてから出ても、もう間に合わない。中に入るなら、最初から指揮権を――」


『君は命令に従えばいい』


 通信は、一方的に切られた。


 コンラートはヘッドセットを外し、しばらく何も言わなかった。

 上衣の内側にある写真の角が硬く、黙れない現実だけを残している。


 軍人として命令に従うか。

「白を守る」と息子に言い切った自分を守るか。


 どちらも「正しい」と信じてきたものだった。



 戦闘は、予告どおりに始まった。


 北の灰の縁からキーテラの群れがにじむ。

 カルディアの重装部隊が工業区の前へ展開し、アストレイアの砲台が高台から火を吹く。


 最初のうちは、計画どおりに見えた。

 だが、群れの一部が白帯のほうへ流れた瞬間、綻びが見えた。


 企業は施設を守る。

 白帯へ向かったものは「UDFの領分」として処理が遅れる。

 遅れた分だけ、白帯の上の人間が裂かれる。


 白帯沿いの遠景が、薄く二重に揺れた。

 リフローだ。


 距離が信用できない日。射線の整理が難しい日。

 なのに、カルディアの重砲の砲塔が、ゆっくりと向きを変える。


 照準の先には、白帯と、その手前で暴れるキーテラの塊。

 そして、その間に避難車列とラインガードがいる。


「……射線に人がいる」


 コンラートは声にならないほど低く呟いた。


 次の瞬間、砲口が閃いた。


 砲弾は白帯へ落ちた。

 狙点など、もう関係ない。

 射線に民間人がいると分かった状態で撃った――その事実だけが残る。


 爆炎が白帯をかすめ、車列が跳ね上がる。

 リフローで戻された灰と煙が、逃げ道をさらに潰す。


 続いてアストレイアの砲撃が入る。名目は掃討。

 だが、火線は工業区にもかすり、現場の空気が一段冷える。

 狙いがキーテラだけではない。互いの施設に傷がつく位置へ、わざと寄せている。


 調整ではない。ぶつかり始めた。



 コンラートの端末には、命令が表示されていた。


《灰風中隊 外周待機》


 白い文字が、あまりに綺麗だった。


 彼は一度だけ目を閉じ、画面を閉じた。

 受領も、返信も、しない。


 切り替える。開くのは中隊回線だけだ。


「灰風中隊、聞け」


 自分の声が、自分の耳に乾いて聞こえる。


「上の命令ではない。俺の命令だ」


 軍人としての自分が、そこで終わるのを感じた。

 回線の向こうで息が揃う。


「市内へ入る。白帯の上の避難列を通す。キーテラの排除はその次だ。盾になる覚悟がある者だけ、ついてこい」


〈最初からそのつもりだ、隊長〉


 セーブルの低い声。


〈外周で突っ立って終わるくらいなら、白の上でやる〉


 セルゲイの声は荒いが、震えていない。


〈ヴァイス、追随します。白帯は通します〉


 若い声が、言い切った。


「よし。行く」


 コンラートの指が、スイッチの上で一瞬だけ止まった。

 上衣の内側に、写真の角が触れる。


 指が動いた。


 スイッチが倒れ、機体が白帯へ向けて走り出す。


 フロントモニタの向こうに、白帯の光が見える。


 焼けていない、まだ守られている白帯。

 その上を、人の列が歩いている。


 回線の向こうで、3機の駆動系がうなりを重ねた。

 セーブル、セルゲイ、ヴァイス。


 沈黙だけが続く。

 ただ、同じ方向へ走る音だけが、回線を満たしていた。



――次回、

第十五章 コンラート・ヴェルナー(オリジン)

第79話「白帯が裂ける」へ続く

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