表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰の傭兵と光の園~人型兵器が、泥と血と油の中で唸る。装甲が砕け、信念だけが削れていく~  作者: 青羽 イオ
第十五章 コンラート・ヴェルナー

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

92/97

第79話 白帯が裂ける

 コンラートの前方モニタに映る市内は、もう「街」ではなかった。

 砲撃の穴、倒れた街灯、崩れた壁。白帯の光だけが、まだ「ここが道だ」と主張している。


 白帯の上には避難車列が詰まり、ラインガードが押し広げ、そこへキーテラが滑り込む。


 白帯の外へ逃げようとした者もいた。

 男が子どもの手を引いて線を跨いだ瞬間、足が止まる。


 見えていたはずの路面が、半歩ぶんだけずれている。


 次の一歩が空を踏んだ。

 縁石だと思った場所は、崩れた側溝の口だった。


 子どもが引かれ、男が腕で抱え直そうとしたところへ、キーテラの鉤爪が伸びる。


 白帯の外は、助けを呼ぶ声すら、灰に飲まれて届かなかった。


 白帯は地獄だ。

 それでも、線を外れた瞬間に終わる場所よりは、まだ生き残る余地がある。



 コンラート機を先頭に、灰風中隊のバッファローが白帯へ踏み込む。

 半身盾が車列の前に立つ。倒させないための壁になる。


〈セルゲイ、左車線押し出す! 止まるな! 詰まりを解け!〉


 セルゲイ機が民間車両の横腹へ肩を当て、路肩へ押し流す。乱暴に見えるが角度は正確だ。横転させないぎりぎりで擦り、進路だけを作る。


 だがその隙間へ、キーテラがねじ込んでくる。

 ラインガードの若い兵が盾を上げた瞬間、盾ごと腕が引き裂かれた。


 若い兵は膝を折り、転がった拳銃を掴んだ。

 握れたのは偶然みたいに、指が引っかかっただけだった。

 銃口を頭に当てる。震えは止まらない。呼吸だけが浅く速い。


 それなのに、口角だけが持ち上がった。歯がかすかに見える。

 笑いとも泣きともつかない歪みが一瞬だけ浮かぶ。目は笑っていない。

 白帯の光が、濡れた睫毛を照らした。


 乾いた音がひとつ鳴り、頭が後ろへ跳ねる。


 白帯の上では、間に合わなかったものから崩れる。


 車列の隙間で、母親が倒れて動かないラインガードの腰から拳銃を引き抜いた。金具が擦れる音が、妙に大きい。

 子どもを抱き寄せる腕が強く、肩が小さくすくむ。


「……ごめんね」


 銃口を子どもの頭に当てる。

 母親の手が止まり、すぐに外れる。力が抜けて、膝が崩れた。


「やだ……やだ……」


 声にならない嗚咽が漏れ、息が詰まって、肩だけが小刻みに揺れる。口を押さえても止まらない。涙が落ちる。子どもを抱く腕がほどけそうになり、必死にもう一度締め直した。


 顔を上げる。

 目の焦点が戻っていくのが分かる。濡れた瞳の奥に、硬い光が差した。


 母親は袖口で涙を乱暴に拭い、子どもの後頭部を抱え直した。

 指を震えごと銃の握りに押しつけ、外れない位置に据える。


 もう一度、銃口を当てる。今度は外さない。

 引き金。


 次の瞬間、母親は間を置かなかった。

 銃口を自分へ向け、顎の下へ押し当て、迷わず撃った。


 白帯の光は、それも照らした。

 助けに行ける距離にいて、助けに行けない者たちの目の前で。


 救助の手が伸びるより先に、別の民間人が転ぶ。

 転んだ者の上に、また転ぶ。

 詰まりが“動けない死”を作り始める。


 そこでリフローが来た。


 風が一度戻り、煙と灰が白帯へ押し返される。

 交差点の輪郭が二重に滲み、停止と前進の判断が遅れる。

 無線も短く乱れた。返事が二重に聞こえ、同じ言葉がわずかに遅れて重なる。


 詰まりが増える。

 詰まりが増えるほど、裂かれる人数が増える。



〈セーブル、前方の付着個体を剥がす。白帯から離せ〉


 セーブル機の盾が白帯の上に壁を作り、腕でキーテラを叩き落とす。

 叩き落としても、蜘蛛型は白へ戻ろうとする。白帯の光に執着している。


 白帯に脚を突き立て、腹を押しつける個体がいた。

 その瞬間、白帯の光が一段落ちる。誘導灯が沈み、信号が消え、ライトが鈍る。


 白帯そのものが“弱る”。


〈ヴァイス、中央に到達。ラインガードと合流。避難列の切れ目を確保〉

〈白帯は通します〉


 ヴァイスの声は若い。だが言い切った。

 ここで曖昧な言葉は役に立たない。



 リフローの戻り灰の中を、黒い影が滑るように降りた。


 蜘蛛ではない。地面を這わない。

 低空で、白帯の光へ寄る。翅が布のように波打ち、粉が降る。


「……骸蛾ガイガ


 誰かが名を吐いた。

 声はかすれ、言葉にならなかった。名を呼ぶだけで、周りの動きが止まる種類の存在だ。


 粉が目を刺す。吸気フィルターが急に重くなる。

 咳が連鎖し、立っていた者が膝をつき、そこへ次が倒れる。


 ガイガは「裂く」のではない。

 白帯の上の“詰まり”を増やして、避難そのものを止める。


 動きが妙に整いすぎていた。

 虫のはずなのに、逃げ道の少ないところへ人を追い込み、いちばん詰まる場所を選んで寄ってくる。

 偶然にしては、判断が冷たい。


 腹の下に、何か硬いものが食い込んでいた。

 金属か、焼けた骨か。煤と灰で輪郭は定かでない。


 ――今は白帯を通す。


「全機、蜘蛛型は押さえろ。ガイガは――俺が行く」


 返事が返る前に、白帯の上で銃声がいくつも鳴った。

 だが、粉と戻り灰で視界が割れ、弾道がどこへ抜けたのか分からない。

 避難列の背中へ飛び込んだ弾があった。誰かが短く叫び、すぐ沈黙した。


 白帯の上で撃つほど、白帯が詰まる。

 詰まれば、ガイガが喜ぶ。


 コンラートは照準器を覗かず、盾を上げた。


「撃つな。白の上では、外す。――外へ出す」


 セーブルが息だけで返す。

〈了解。蜘蛛型は押さえる〉


 セルゲイが荒く応じた。

〈隊長、派手にやるなよ。白帯が割れる〉


「割らない。通す」



 コンラートは白帯の縁で機体を止め、盾を“道”に対して斜めに立てた。

 白帯の上に壁を作るのではない。白帯の外へ“滑らせる面”を作る。


 ガイガが光に寄って低空で滑り、盾へ粉を叩きつける。

 粉が弾け、視界が白く曇る。


 コンラートは盾をほんのわずかだけ寝かせた。

 ガイガが爪を掛けた瞬間、盾の角度を戻す。

 ――噛み合った。


「来い」


 バッファローが踏み込み、盾ごとガイガを白帯の外へ“送る”。

 引きずるのではない。白帯の上に滞在させない速度で、外へ押し流す。


 ガイガが暴れる。翅が盾を打ち、乾いた金属音が続く。

 その拍子に腹の内側が一瞬ひらき、硬いものが覗いた。


 金属にも、骨にも見える輪郭。


 ――人の、形だ。


 コンラートの指が、一瞬だけ止まる。


 背後で、白帯の上から悲鳴が上がった。


 指が動いた。


 コンラートは腕で胴を掴み、白帯の外側――瓦礫のくぼみに押し込んだ。

 撃つための“背面”を作る。弾が白帯へ抜けない位置だ。


 一度叩きつけ、翅の根元が折れる音がした。

 二度目で粉の降り方が変わり、咳の連鎖が途切れた。


 ここなら撃てる。

 コンラートは短く、中心だけを撃った。

 反動も煙も、白帯のほうへは流さない。


 ガイガは翅を広げたまま硬直し、沈んだ。


 その瞬間、腹の内側から何かがこぼれた。

 焼けた金属。折れた骨。認識票の欠片。


 ――人だったものを、撃った。


 白帯の上で、止まっていた車輪がひとつ回る。

 次が回る。

 詰まりが数メートルだけ前へ動いた。

 その数メートルが、生き残る余地だった。


〈……隊長、やったな〉


 セルゲイの声が一瞬だけ軽くなる。


「油断するな。蜘蛛型が残っている。白帯を通せ」


 コンラートは視線を戻した。

 勝利の気分など、ここには置けない。



 ラインガードの隊員たちは、最後まで白帯の上から退かなかった。

 灰風も同じだった。


 転倒したバスの前にしゃがみ込み、その身体ごと盾になって砲撃を受けた機体があった。

 脚を吹き飛ばされながらも、最後まで白帯から動かなかった機体もあった。


 その日、灰風中隊とラインガードの隊員の多くが、白帯の上で倒れた。

 民間人の死者は、後の調査で300人を超えることになる。


 数字にすると、一行で終わる話だった。



 戦闘が収束しても、白帯の上に残るのは焼け跡と瓦礫と、動かないものだ。

 救助の声は飛ぶ。だが、声は足りない。手も足りない。


 そこへ白いスーツの一団が来た。

 アストレイアの回収班だった。

 足元の焼けた白帯も、動かないものも、見ていない。見る必要がない、という歩き方をしていた。


 先頭の一人が、腕を小さく上げる。合図だけ。声は出ない。

 その瞬間、数人が一斉に動いた。

 白い手袋が器具を組み、切り分け、袋へ入れる。

 粉が舞うたびに、フィルターの音だけが規則正しく鳴る。


 コンラートが一歩前に出る。


(何をしている)


 口を開きかけて、閉じた。

 質問する権利が自分にあるのか、分からない。


 こちらを見ないまま、作業は続く。

 名札も階級章もない。あるのは、手順だけだ。


 ガイガの開いた内部に、硬いものが一瞬覗いた。

 金属にも見える。骨にも見える。

 判別する前に、白いケースの蓋が閉じる。

 封がされ、番号札が結束され、輸送車へ積まれていく。


 現場の“止めた”が、企業の“持ち帰る”に変わる。

 その変換は、戦闘より静かで、戦闘より速かった。



 カルディアとアストレイアの主要施設は、最低限の機能を残していた。

 代わりに、白帯を中心とした市街地の一角が、黒い穴のように焼けていた。


 煙の向こうで、白かったラインが真っ黒に焦げている。

 その上に、避難車両の残骸が幾重にも重なり、どれが道でどれが車体だったのか、もう見分けがつかない。


 白帯は、線ではなく焼け跡になっていた。


 コンラートの端末が震えた。


〈西の駐屯地。ご子息、保護〉


 短い文字列が、指の感覚を奪うほど重い。

 ヒロは生きている。部下が任務を果たした。


 続けてもう一通。


〈奥様、病院に残留〉

〈「ここが危険なら、なおさら離れられない。医者は一人でも多く残る」〉

〈ご子息のみ輸送〉


 ナオミの言葉が、報告の文面越しに伝わってくる。


 ここが危険なら、なおさら離れられない。


 それが、彼女の「役目」だった。


 コンラートは、崩れ落ちた病院棟を見上げた。


 白帯に近すぎたその建物は、砲撃と侵入で半分以上が崩れている。

 瓦礫の隙間から、白いコートの裾らしき布切れが見えた気がした。

 目を凝らしたが、次の瞬間、煙に飲まれて見えなくなる。


 胸ポケットの中の写真だけが無傷で残っていることが、残酷なお守りのようだった。



 数日後、この街の名前は、ニュース番組のテロップに繰り返し流れた。


『UDF、避難任務に失敗』

『市街地で民間人被害多数』

『特殊部隊“灰風中隊”が関与か』


 スタジオでは、結論だけが先に置かれる。


「市街地で重火器を使う以上、判断ミスは否めませんね」

「企業は施設を守った。UDFだけが混乱したようにも見えます」


 画面には、黒焦げになった白帯と、泣き崩れる遺族の姿。

 “誰が撃ったか”は薄れ、“誰が失敗したか”だけが太くなる。


 報告書は読まれない。

 戦死者の名簿は映らない。


 結果だけが、飾りつけられて流れていく。



 コンラートは医務室のベンチに座って、それを見ていた。


 包帯の下で、肋骨がまだ軋む。

 生き残ったのは運に過ぎない。

 盾になった部下のうち、何人の顔と名前を、いま即座に思い出せるか――自分に問い直す。


 セーブル。

 ベッドの上でも落ち着いていて、「状況は?」とだけ聞いてきた男。


 セルゲイ。

 全身ぼろぼろのくせに、「ほら見ろ、外周待機よりマシだっただろ」と看護師に噛みつき、怒鳴り返されていた男。


 ヴァイス。

 ぎこちない敬礼のまま、車椅子で運ばれながらも、「白帯は通せました」とだけ報告した一番若い士官。


 あの地獄をくぐり抜けて、かろうじて生きて戻った顔は残っている。

 逆に、二度と呼名に返事のない名前も、同じだけ胸の中に貼りついて離れなかった。


 胸ポケットの写真は、まだそこにあった。

 ヒロを肩車した自分と、「白を守るぞ」と笑っている息子。


 あの日、会議室で自分が言った言葉が、頭の中で反芻される。


 指揮を一本にしないと、現場は崩れる。

 結果として死ぬのは現場の兵と、白帯の上の民間人だ――。


 そのとおりになった。

 止められなかった。

 ヒロの母一人すら、守り切れなかった。


 人は、結果しか見ない。


 スクリーンに流れる「結果」を見ながら、コンラートはゆっくりと目を閉じた。


 守ろうとした白帯が焦土になり、

 守りたいと思った街が数字に変わり、

 守るために踏み越えたものが、別の言葉にすり替えられていく。


 この日から、彼の中で線の引き方は変わった。

 守るべきものを「白帯」と呼ぶたび、焦げて黒くなった光景が先に浮かぶ。

 救った人数より、救えなかった数が、命令より先に脈を打つ。


 どこまでを守り、どこから先を切り捨てるか――白も、街も、人も、地図の上の記号みたいに並べて考える瞬間が、確かに増えていった。


 コンラートはテレビを消し、窓の外を見た。


 遠くに、白帯の光が見える。

 焼けて、黒く、それでもまだ光っている。


 上衣の内側に、写真の角が触れた。

 小さな重みが、まだそこにある。


 あの光を消さないために――何を捨てればいい。


 窓の外を、彼は見続けた。



――次回、

第十六章 大艦巨砲の葬式

第80話「鋼鉄の誇り、爆沈」へ続く

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ