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灰の傭兵と光の園~人型兵器が、泥と血と油の中で唸る。装甲が砕け、信念だけが削れていく~  作者: 青羽 イオ
第十四章 曇りの輪郭

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第75話 止まった1秒

《グレイランス》の格納庫に帰投スラスターの残響がまだ薄く残っていた。


 各RFは持ち場で停止し、ヴァルケンストームの膝下には整備足場が組まれている。メカニックがケーブルを外し、冷却ホースを繋ぐたび白い蒸気が立ち鉄とオイルと灰の匂いが低い天井にこもった。


 コクピットハッチが開きヒロが身を乗り出す。リンクハーネスを外して梯子を降り、床に足を着けた瞬間膝が痛んだ。


 セーブルの時の怪我は「戦闘に支障はない」と言われている。だが実感が追いつかない。問題ないと線を引くのは医務室で、動かすのは自分だ。


「お疲れさまー!」


 遠くで誰かが声を上げる。いつもなら軽く返すが今日は返事が出ない。


 視界の端でストレイ・カスタムから降りてくるアキヒトが見えた。階段を降り終えたところで視線がぶつかり、彼が短く呼ぶ。


「隊長」


 その一言だけで格納庫の温度が変わる。


 アキヒトが数歩寄って真正面で止まる。いつものだるさの奥に今日は硬いものがあった。


「さっきの判断。何秒止まってたか分かってるか」


 ヒロは言葉を探し、探した分だけ周囲の視線が集まる。ゴーシュが工具箱に腰かけたまま見ていてガンモは盾の点検を止め、ポチは整備端末を抱えたまま柱にもたれている。近づかないが逃げもしない距離だ。


「結果としては全員生きて戻ってきた」


 自分でも薄い返しだと分かる。


「そうだな。全員生きて戻った」


 アキヒトは頷いて続けた。


「だがあの一瞬隊長の反応が遅れたせいで死にかけたやつがいた」


 遅れてきたトラック。側道で段差に取られ灰の陰に入った車体。運転席の顔が短い時間だったのに残っている。


「分かってる」


「分かってないだろ」


 声が低くなる。


「分かってたらあそこで黙らない。橋のときと同じ顔してたろ」


 ヒロの肩がわずかに反応する。B3区画、導光ライン、セーブル。戻らなかった機体。あの場の音が格納庫の蒸気に重なった。


「お前が止まった一拍であのトラックは灰に沈むところだった。今回は俺が勝手に前に出なかったら間に合ってない」


「だから——」


 言い返そうとして言葉が続かない。


「だからもう誰も失いたくないから慎重になってる。そう言いたいんだろ」


 口調は淡々としているのに言葉の縁だけが尖る。


「それ自体を責めるつもりはない。俺だって無駄死にを見せられるのは御免だ。だがな」


 アキヒトの拳がゆっくり握られる。


「隊長の迷いは現場の時間を奪う。奪われたぶん死ぬのは前に出てるやつだ」


 格納庫が静かになった。


「お前が"失いたくない"って握りしめてる間に前にいる俺たちは判断が落ちてくるのを待ちながら晒される」


「分かってると言ってる!」


 声が荒くなり近くのメカニックが反射で肩をすくめる。


「橋のことも、セーブルのことも分かってる。だからこそ簡単に切り捨てたくない。軽い言葉で誰かの命を並べたくない」


「軽く言えとは言ってない」


「ならなんだ!」


 感情が先に出た。


「お前だって見ただろ。導光が途切れたあとで何人が死んだか。セーブルがどんな顔で残ったか。あれをもう一回やれって言うのか!」


 アキヒトの目が細まる。


「やれなんて言ってない」


 一歩詰める。


「ただ隊長が怖がって固まるならその瞬間からこっちが先に死ぬって話だ」


「勘違いするな!」


 自分でも驚くほど大きな声が出た。積み上げた部品がわずかに揺れ誰かが息を止める。


「じゃあ何だよ」


 アキヒトの拳が胸ぐらを掴む。


「橋の時は外だけ見てた。今は内も外も抱えて結局足が止まってる」


「っ」


「俺たちはな、隊長。 "全部は守れなかった"より"ここは守った"って即答してくれるほうがまだ信用できる」


 掴む手が少し強くなる。


「お前が迷ってるあいだ誰が前に立ってたと思ってる」


「それでも」


 ヒロもその手首を掴んだ。


「それでもこれ以上——」


「誰も死なせたくないか」


 アキヒトが確かめるように繰り返す。


「だったらまずお前が決めろ。隊長が腹を括らない判断を前にいるやつにだけ押しつけるな」


 その一言がヒロの中で何かを切った。


「——っ!」


 気づいたときには拳が動いていた。乾いた音が格納庫に響き場が止まる。


「おい……」


 誰かが漏らして言葉を飲み込む。ゴーシュが工具箱から降り半歩だけ距離を取る。ガンモは腕を組んだまま目を細めポチは小さく呟く。


「また報告書が増えるな」


 アキヒトは殴られた頬に手を当て息を整える。


「やっと出たな」


 次の瞬間アキヒトの拳がヒロの腹へ入った。息が抜けヒロは鉄板に背を当てかけて踏ん張る。


「分かってるって言うだけで何も変わらないなら」


 もう一発が来る。ヒロは肩をずらして受け流しそのまま組み付いた。


「口より先に動けよ! 隊長!」


 二人はもつれて床に転がる。周囲のメカニックは慣れた動きで作業域から離れ、「工具、片付けろ」「ホース踏むな」と危険だけを避けさせる。止めに入らない。


 誰も笑わず誰も本気で「やめろ」とも言わない。ただ全員が見ていた。ヒロの拳の重さとアキヒトの怒りの向きとその奥の焦りを。



 どれくらい殴り合ったのか自分でもはっきりしない。


 息が上がり拳と頬が痛んだ。いつの間にか二人とも仰向けに転がり並んで天井の鉄骨を見上げている。


「隊長が迷うと前が死ぬ」


 アキヒトがもう一度だけ言う。刺す調子ではなく言い切るだけの声だった。


「それでも前に出るなら俺はついてく。だが怖くて立てないなら座れ。どっちかにしろ」


 横目に見るとアキヒトの口元にも血がにじんでいた。


「分かってる」


 今度は逃げ道の言葉じゃない。


「俺が止まったら誰が晒されるか。今日お前が動かなかったらどうなってたか」


 ヒロは手を開いてまた握る。


「怖くなくなるわけじゃない。でも止まらない」


「怖いままでいいだろ」


 アキヒトは天井を見たまま言う。


「怖いままでちゃんと決めろ。"失いたくない"って言いながら何も決めないのが一番きつい」


 格納庫のざわめきが戻りはじめる。ゴーシュが手を叩いて見物を作業に散らした。


「はいはい、終わり終わり。戻れ」


 それでも視線は完全には切れない。いつものVOLKの喧嘩と呼ぶには笑いきれない重さが残っている。


「次俺が止まったら」


 ヒロがかすれた声で言う。


「その時はお前が先に来い。殴ってでも動かせ。俺が立ってる限り隊長の席は譲らない」


「最初からそのつもりだ」


 アキヒトが少しだけ笑った。


「前に出るのも殴りに行くのも俺の役目だ」


 格納庫の高い天井の向こうで灰を弾く雨音がかすかに続く。巨大構造物も白帯もまだどこにも行っていない。


 そのど真ん中でふたりは床に転がったまま息を整えた。


――次回、第76話「灰をさらう風」へ続く

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