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灰の傭兵と光の園 〈ロボットイラストあり〉  作者: 青羽 イオ
第一章 白帯を歩く子どもたち

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第3話 灰のスープ

 白帯への侵入はない。列は維持されている。避難列の歩調も崩れていない。


 背後の回線から、そんな報告が入った。


 アキヒトは送話キーに触れたまま、モニター表示を切り替えた。戦闘映像が縮小され、画面の一角に白帯の様子が映る。杭灯とパルスラインの点滅は一本に戻り、乱れていた灰の流れも、少しずつ前へ揃いはじめていた。


 真ん中には、見慣れない服を着た子どもたちがいた。外側を大人たちが挟み込むようにして歩いている。先頭にいる若い女が、何度も列を振り返り、指先で数えていた。


「はち、きゅう、じゅう。よし、全員いるね」


 声に震えはなかった。少なくとも、モニター越しにはそう見えた。


 女は子どもたちを確認すると、また前を向いて歩き出した。子どもたちは隣の手を握り、白い道の上に小さな足を並べている。


 その中に一人だけ、誰とも手を繋がずに歩く子どもがいた。両腕を胸の前で抱え、前だけを見ている。横では別の子どもが、隣の手を両手で握って離さないように歩いていた。


 アキヒトはモニター越しにその列を追い、すぐに機体表示へ戻した。


 主電七パーセント。冷却余裕七十八パーセント。マイクロミサイル残弾ゼロ。予備マガジン二本。


 ぎりぎりだった。


 あと一分長引けば、弾が尽きていた。跳躍個体が二・四メートル内側に落ちていれば、白帯を越えられていた。運の要素は否定できない。だが現場では、それも含めて結果でしかない。


 アキヒトは周囲の反応をもう一度確認し、回線を開いた。


「周囲を二十分巡視する。異常がなければ帰投する」


 すぐにノルンの声が返った。感情のない、機体管制用の合成音声だった。


「現状の主電と冷却では、二十分の巡視は推奨範囲外です」


「分かってる。それでも二十分だ」


 操縦桿をわずかに倒し、ストレイ・カスタムの脚を灰の上へ踏み出す。


 白い道はまだ光っていた。


 その外側を、アキヒトは歩き続けた。


 コクピットの中に、苦味が残っている。舌に張りついて、なかなか消えなかった。


 *


 同じころ、白帯の避難列の脇で、サキは遠ざかっていく機影を見送っていた。


 夕方の灰の空を切って、護衛に残ったRFが三機、白い道の縁を回り込み、それぞれの持ち場へ戻っていく。足音が遠くなるたびに、胸の奥で張っていた糸が少しずつ緩んでいくような気がした。


 けれど、完全には緩まなかった。


 その外縁を、別の音が追い越していく。


 低いエンジン音だった。テクニカルが数台、白帯の外を並んで走り抜ける。荷台には兵士たちが数名、灰をかぶったまま座っていた。銃口は横へ寝かされている。誰も大声を出さない。車列が通ったあと、灰が薄く舞い上がり、白帯の灯りが一瞬だけ曇った。


 灯りはすぐに戻った。


 サキは、それを見てからようやく息を吐いた。


 灰が落ち着く前に、さらに端のほうで重い影が動いた。白帯の縁に寄せるようにして、旧式のRFが二機、瓦礫を掻き寄せて道の肩を作り直している。装甲のあちこちに古い傷があり、関節の動きも最新機ほど滑らかではない。それでも巨大な腕がゆっくりと動くたび、崩れた路肩が少しずつ形を取り戻していった。


 少し離れた場所では、骨組みの一部が露出した作業用RFが体を低くし、土嚢と割れた板を押さえていた。作業灯の白が灰に散り、油圧の音だけが規則正しく続いている。


 戦闘が終わっても、終わりではないのだと思った。


 道を直す人がいる。外を見張る人がいる。子どもの数を数える人がいる。そういう小さな作業がいくつも重なって、ようやく列は前に進める。


 サキは視線を戻し、子どもたちの歩幅を崩さない位置へ、もう一度だけ並びを寄せた。


 歩き続けて、どれくらい経ったのか。時計は見られない。見たところで、たぶん意味はなかった。


 前も後ろも、灰の中に消えている。ただ、足音が少しずつ重くなり、列の間隔がじりじり広がってきたのはわかった。小さい子が歩幅を縮める。後ろの子が黙ってふくらはぎをさする。靴底の薄い子は、足を出すたびに、路面をこする乾いた音を混ぜた。


「もう少しだけ。ね? ほら、あそこまで行ったら一回休めるって、さっき言われたでしょ」


 言いながら、サキ自身も「あそこ」がどこなのか、本当には掴めていなかった。


 地図はない。距離も時間も曖昧だ。白い帯だけが先へ伸びていて、その先に何があるのか、言葉で説明できるほど確かなものは何もない。


 前の子がつまずきかけるたび、サキは背中にそっと手を添えた。


 ここで止めてあげたい、と思う。


 でも、止まったら動けなくなるかもしれない、とも思う。


 そのふたつが胸の中でぶつかって、結局、口から出てくるのはいつも同じ言葉だった。


「ゆっくりでいいよ。前だけ見て」


 子どもたちは頷く。頷く力も残っていない子は、ただ目だけを動かす。それでも歩いた。


 しばらくして、灰の向こうに小さな灯りが揺れているのが見えた。


 最初は見間違いかと思った。けれど次の瞬間、風に混じってスープとパンの匂いが届いた。途端に、口の中が乾いているのを思い出す。


 白帯が少し広くなった場所に、炊き出しのテントがいくつも張られていた。簡易灯が吊るされ、布の屋根が灰でくすんでいる。通路脇の兵士が手を上げ、短く言った。


「休憩だ。寄れ」


 素っ気ない声だった。


 それなのに、その一言で足元が少し軽くなった。子どもたちの列にも、小さなざわめきが広がる。声というより、張り詰めていた息が少しだけほどける音だった。


 配食係の若者が、紙の器を並べながら手を振った。


「子ども、先!」


 列の大人たちが、反射のように道を空けた。小さい背中が前へ押し出され、紙椀が次々に渡されていく。


 横に立っていた係は、ほとんど何も言わなかった。ただ、頷いて、指先で顎紐を示す。


 ひとりが口元の布を上げかけた瞬間、すぐに手が伸びて、布が戻された。怒るでも叱るでもない。そうするのが当たり前の手つきだった。飲む子は顔を伏せ、器の縁を避けるようにしてスプーンを沈める。


 湯気の白の中を、灰の粒が落ちてくる。


 灯りがにじんで見えた。紙椀の表面に、点々と黒い粒が乗る。子どもたちはパンとスープを受け取り、熱で指先を震わせながらも、両手でしっかり椀を抱え込んだ。


「こぼさないようにね。顔、近づけすぎないで」


 サキは一人ひとりの手元を見て、椀の縁を軽く押さえてやった。


 そのとき、小さい子の手が震え、スープが縁からこぼれた。


「あ……」


 落ちたスープは灰に吸われて、黒く広がった。


 子どもの目が赤くなりかける。サキは反射的に自分の椀を差し出そうとした。


 その前に、配食係の若者が動いた。


「大丈夫、大丈夫。ほら、もう一杯」


 新しい椀が差し出された。


 何でもないことのような声だった。けれど、その何でもなさがありがたかった。子どもは小さく頭を下げ、今度はこぼさないように、両手でゆっくりと受け取った。


 スプーンを入れると、灰の粒が浮いた。サキは自分の紙椀を少しだけ傾け、粒を端へ寄せた。きれいに取り除けるわけではない。それでも、そのまま飲むよりはいい気がした。


「こっち、端に寄ろうか」


 空きスペースへ子どもたちを移し、通路の端に座らせる。毛布を掛け直しながら、声を落として言った。


「熱いから気をつけて。ゆっくり食べようね」


 ばらばらの「いただきます」が重なった。


 小さなスプーンの音が、あちこちで鳴り始める。金属ではない、紙と樹脂の軽い音。それでも、その音は妙に人間らしかった。さっきまでの銃声や油圧の音とはまるで違う。誰かが何かを食べている音だった。


 サキも自分の椀を両手で持ち上げた。


 手のひらに熱がしみる。


「……いただきます」


 スープを一口飲む。


 塩気と温かさが広がった瞬間、目の奥が危うくなった。泣くほどのことではない。そう思ったのに、体の方が勝手にほどけようとする。慌てて顔を上げると、子どもたちは誰もこちらを見ていなかった。みんな、自分の椀に集中している。


 二口目を飲み込む。


 温かい。


 その当たり前のことが、今は少し怖いくらいだった。


 灰の向こうに、巨大な陸上戦艦の影がうっすら見えた。輪郭は曖昧で、ただ一部だけ、灯りが点いている。


 あれがグレイランスなのだろう。


 紙椀を持ったまま、サキはその影を見上げた。


(あそこに……今夜は入れるんだろうか)


 入れたとして、眠れるのだろうか。子どもたちは泣くだろうか。泣いたら、ちゃんと泣かせてあげられるだろうか。


 そんなことを考えながら、サキはもう一口、スープを飲んだ。


 灰が混じっていた。


 それでも、温かかった。


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