第12話 冷めたコーヒー
格納庫でストレイの応急点検が始まった。パイルの反動が残っていて、通常の整備ではないが、戻すための手順がある。
ディエゴは工具を並べていて、その並べ方は一定で整然としていた。
俺は横で見て、必要な時だけ短く指示した。
「そこ、結線を先に確認。次に固定」
「……了解」
返事と同時に動くディエゴの動作は、無駄がなく正確で速い。
ふいに現れた、ナロアが覗き込み、その手元を見た。
「手がいい。うちの整備に欲しいな」
冗談の言い方だったが、評価は本物だ。
ディエゴはどう返事していいかわからずに、視線を下げたまま作業だけを続けた。
そこへラファエルが入ってきた。
「おいおい。口説くな」
ナロアは肩をすくめ、笑いを引っ込めない。
「冗談だよ。けど本気で手がいい。うちの連中、こういう手順の固さは見習うべきだ」
「ディエゴはうちの要だ。整備ができて、乗れて、目がいい。こういうのは数がいない」
ディエゴの返事が早くなる。
「了解」
次の工程へ移る手が速くなる。
「ほら、そういうとこだ。任務でも整備でも、手順を崩さない。——勝手に引き抜かれたら困る」
ナロアは笑いを返した。
「はいはい。作業の請求書は団へ、だね」
俺は工具を受け取りながら、口元だけがわずかに緩むのを感じた。
仕事の手は止めないまま、肩の奥に残っていた硬さが一段落ちる。
補給が回り、格納庫の騒がしさが少し落ち着くと、ラファエルは俺を食堂へ誘った。
通路でまた子ども区画の前を通ると、ディエゴが扉のそばにいて、子どもと同じ高さに屈んで何かを渡していた。
子どもの笑い声の中で、ディエゴの肩の力が抜けている。俺とラファエルは声をかけず、そのまま通り過ぎた。
食堂のコーヒーは薄い。だが、温度があるだけで助かる。ラファエルは椅子に座る前から話し始めた。
「聞いたよ。ベヒモスを落とした部隊がいるってな。いい噂は足が速い。灰の上でも、ちゃんと走るらしい」
「噂は勝手に増える」
「それも悪くない。守る側の名前が外に届くのは、必要なことだ。クレイブアクトの名も、最近はよく聞く。団の格が上がれば、面倒も一緒に増えるだろうが……まあ、お前たちなら捌くだろう」
ラファエルの饒舌さが、場の空気を動かしていく。
俺は短く返していたのに、返す間がずれる。話の角度が次々変わるせいだ。ラファエルはそれを気にせず進める。
「今日の件も、ただの遭遇戦じゃない。企業の匂いがする。アストレイア……いや、やめておこう。確証のない名を出すのは、あまり品がない」
言いかけて切った。切ったこと自体が、何かを知っているように見える。
俺はそこで、話題を戻した。
「ディエゴは、整備が上手い」
ラファエルが一瞬だけ口を止めてから、笑いを入れずに答えた。
「そうだな。読み書きは得意じゃない。計算も速くはない。人との距離も、ときどき測り損ねる。だが、手順を間違えない。灰の中でそれがどれだけ強いか、お前なら分かるだろう」
カップを置く音が小さく鳴った。
「最初は整備で入った。工具の位置、部品の向き、締める順番。いつ見ても同じだった。あれは才能だ。派手じゃないが、命を預けられる」
ラファエルの目が、一瞬だけ遠くを見る。
「ただ……本人はずっと乗りたがっていた。RFにね。憧れというやつだ。だが周りは見なかった。整備ができるなら、それで十分だと決めつけた」
俺は返さなかった。
「そこにつけ込む連中がいた。乗せてやる、と言った。いい言葉だ。使い捨てにするには、あまりにも都合がいい」
説明は増えない。どんな任務かは言わない。言わないほうが重かった。
「帰ってきた時は、ぼろぼろだった。……だが戻ってきた。敵のRFを動かしてな」
ラファエルの指がカップの縁を一度なぞり、離れる。
「操縦なんて、誰も教えていなかった。なのに動かした。帰る方向も間違えなかった。その時にようやく分かった。俺たちが見落としていただけだ。あいつは、整備士で終わる人間じゃない」
「俺の隊に入れた。今度は、使い捨てにさせないために」
「資質があるなら、乗せる。合理的だ」
「ああ。合理的だ。……そう言ってくれると助かる。俺はどうも、身内のことになると少し喋りすぎる」
「自覚があるなら、まだましだ」
ラファエルが小さく息を吐いた。
笑いにならない笑いが、空気を少しだけ軽くする。
俺はカップの縁を見たまま、短く言った。
「操縦は崩れてない。今日も上を維持した。生き残れる」
評価はそれだけだ。慰めも条件もつけない。ラファエルは返事を急がず、コーヒーを一口飲んだ。
「お前がそう言うなら、あいつには届く。俺の言葉より、外から来た戦友の評価のほうが効くこともある」
「で、さっきの偏りだ。キーテラが黒のRFを襲わない。護衛のRFへ向く。おかしいと思わないか。偶然にしては、狙いが澄みすぎている」
「匂いだけなら、捨てろ。確定が出てから撃て」
ラファエルが笑う代わりに、頷いた。
「その通りだ。撃つなら、証拠ごと撃たないとな。……企業の試験機が増える。新型が現場へ落ちてくる。灰の中へ、平気な顔でな」
「新型機? どんなのだ」
通路側の気配が変わった。ディエゴが、いつの間にか食堂の入口近くに立っている。
同時に、ノルンの淡い通知が、俺の端末に一行だけ落ちた。
〔対象選別に偏り。白帯およびRFを優先〕
画面はそれ以上を語らず、すぐ暗くなった。
ラファエルはディエゴの存在に気づき、カップを置いた。何かを言いかけて、そのまま口を閉ざした。ディエゴは視線を落としたまま、何も言わず通路へ戻っていく。
その背中を、ラファエルは追わず、ただ見送っている。
カップの底に、冷めたコーヒーだけが残った。




