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灰の傭兵と光の園 〈ロボットイラストあり〉  作者: 青羽 イオ
第三章 陽動

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第13話 暗い搬入口

 サキは、決まった時間にヒロの執務室へ向かう。


 扉の前で一度足を止めると、紙をめくる音と、ペン先が机を擦る音が聞こえてくる。


 ヒロはいつも、書類を睨んでいる。

 肘をつき、片手で頭を押さえ、もう片方の手だけが動く。


 コーヒーを入れる。


 カップを置く場所は、いつも同じだ。机の端から指二本ぶん内側。ヒロが手を伸ばしても紙の束に触れない位置。

 持ち手の角度も決めてある。取り上げた瞬間に、指がそのまま掛かる向き。


 こういう小さな整え方は、仕事の邪魔をしないためのものだと自分に言い聞かせていた。


 最初は。


   *


 今日も、執務室に通う。仕事のためだと言っておけば、自分が落ち着く。


 扉の前で足が止まった。いつもなら聞こえるはずの、ペン先の音がない。紙の擦れる音もない。代わりに、規則正しい小さな寝息が落ちている。


 サキはノブに触れたまま、動けなくなった。室内灯は最小で、机の上だけが明るい。書類が広がり、端末の画面が開いたまま止まっている。椅子にもたれたヒロが、腕を組んだまま目を閉じていた。


 最近少し伸びた髪が、目にかかりそうになっている。切る時間がなかったのだろう。艦内のどこでも見たことのない、無防備な角度だった。


 サキは息を整え、足音を殺したまま机へ近づく。


 いつもの場所にコーヒーを置く。音が出ないように底を滑らせ、最後だけそっと下ろす。持ち手の角度を変えた。起き上がるとき、腕を組んだままでも掴める向き。


 そして、口に出してしまった。


「いつも、ありがとうございます」


 声は小さい。けれど、この部屋では逃げない。


 ヒロの眉がわずかに動いた。片目が薄く開き、焦点が揺れる。次の瞬間、サキの姿を見つけた目が醒める。身体が前へ起きようとして、腕を組んだまま重心がずれた。


 椅子が鳴り、ヒロが床へ落ちた。硬い音が一度。書類が散る。


 サキは駆け寄った。手を伸ばしかけて、触れていい場所が分からず止まる。ヒロは自分で起き上がろうとして、膝をついた姿勢で固まっていた。


「すみません。起こすつもりじゃ」


「いや、こっちが……今のは俺が」


 ヒロは言い終える前に、散った書類を押さえた。床に落ちたペンを拾い、机の縁に並べ直す。乱れた資料の角を揃え、端末の画面を一度だけ確認する。その動作が整うほど、今の出来事だけが浮いてしまう。


「怪我、ないですか」


「ない。大丈夫だ。そっちこそ、びっくりしただろ」


「はい。寝てるの、初めて見ました」


「寝てない。目を閉じてただけだ」


「寝てました」


「寝てない」


 言い合いになって、どちらも次の言葉が続かなくなる。否定の仕方が、二人とも仕事の調子のままだった。


 沈黙が落ちた。


 ヒロは椅子へ座り直し、コーヒーに手を伸ばした。持ち手が、サキが変えた角度のまま指に掛かる。気づいた様子はない。


「助かる。いつも」


 ヒロはカップを持ち上げて、香りだけを確かめた。


「こっちも、助かってます。タクトの勉強、見てくれて」


 ヒロの目が一瞬だけ止まった。思い出した顔だ。


「あれは見てるだけだ。お前が、ちゃんとやってる」


「見てくれるだけで違います」


 ヒロはコーヒーをひと口飲み、視線を落としたまま言った。


「俺も、助かってる」


 扉が開き、ジルがノックも短く入ってきた。入室の速さが、平時ではない。


「ヒロ。いるね」


「何だ」


「次のハブで、大量の避難民を受け入れることになった。現状の段取りじゃ回らない。詳細を詰める。ブリーフィングルームへ来て」


 ヒロは立ち上がった。コーヒーは半分残っている。

 サキは扉へ向かうヒロの背中を見て、カップを片づけるために手を伸ばした。


 まだ温かい。


 *


 ヒロは、ブリーフィングルームを出たあとも、しばらく数字のことを考えていた。


 次の任務は、カルディア管理下の大型ハブでの受け入れ支援だった。


 そのハブは前線に近い。戦闘が多く、避難民も負傷者も絶えない。ベヒモス以降、住める場所を失った人間が幹線へ流れ込み、行き場のない者たちがハブに溜まっている。


 避難民、病人、子ども。


 そこまでは、グレイランスが拾う相手として珍しくない。


 問題は、カルディアの負傷兵も乗せることだった。


 前線で負傷した兵士を、避難民と合わせて後方のカルディア企業都市へ送る。その輸送が回り出すまで、グレイランスが一時的な受け皿になる。


 武装は預かる。区画は分ける。子ども区画には近づけない。


 そこまでは決まった。


 だが、負傷していても兵士は兵士だ。


 子どもたちのいる艦に、戦場から下げたカルディア兵を入れる。その事実だけで、十分に危険だった。


 アキヒト、ゴーシュ、リュウの三機が、敵性勢力が最初に来るであろう外縁を押さえ、ヒロ、ポチ、ガンモは艦内に残り、受け入れと警戒を握る。ジルはカルディア側との調整を押さえる。


 危険はあるが、それでも、報酬は破格だった。


 燃料。糧食。医療品。子どもたちの飯。足りないものの名前が、数字の後ろに並んで見えた。


 断る理由はあった。だが、今の艦にはこの依頼を断れる余裕はなかった。


 *


 ヒロは通路の端で立ち止まり、ラックの表示を一度だけ確かめた。補給の箱。消耗品の箱。どれも「まだ足りる」とは言えない量だ。さっき見た金額が、頭のどこかで静かに残っている。


「ヒロ」


 呼ばれて振り向くと、ポチがいた。作業服の袖を肘まで上げ、手袋を片方だけ外している。


「反対だ」


「もう決めた」


「避難民を乗せることに反対してるんじゃない。兵士だ」


 ポチの声が低くなる。


「子どもがいる艦に、カルディアの兵士を入れるな。負傷してようが関係ない。兵士は兵士だ」


「武装は預かる。区画も分ける」


「それでも入るだろ」


 ポチが一歩出た。


「昨日まで戦ってた連中だ。誰を撃って、何を命令されて、何を見てきたかも分からない。そんな奴らを、こどもたちと同じ艦に乗せるのか」


 ヒロは返さなかった。


「避難民は守る相手だ。病人も子どもも同じだ。でも兵士は違う。怪我をしてるからって、急に安全な人間になるわけじゃない」


「カルディアの条件だ」


「その条件が危ないって言ってる」


 ポチの視線が、通路の奥へ向いた。


「負傷兵の中に何が混じってるか、こっちには分からない」


「他にも仕事はあるはずだ。いつもみたいにただの白帯の護衛でいい」


 最後の言い方が、ヒロの足を止めさせた。


「金が出る」


 言った瞬間、ポチの顔が固まった。怒りが消えるわけではない。ただ、別の現実が入り込む。


「……金で、子どもたちを危険にさらすのか」


「違う。守るために必要だ」


 ポチが口を開きかけたところで、別の足音が入った。


「ポチ」


 ガンモの声だった。


「言いたいことは分かった。兵隊は危ない。そこは間違ってねぇ」


「なら断れ」


「断ったら、任務ごと流れる。あのハブで弱いやつから潰れる。金も入らねぇ。燃料も飯も増えねぇ」


 ポチが歯を噛む。


「終わるのは、今も同じだ。食わせられなくなったら、子どもは先に減る。ポチ、お前が一番分かってるはずだろ。艦内で一番、子どもの飯の量を見てるのは誰だ」


 ポチの視線が、床へ落ちた。整備庫の白線の上で止まる。言い返さない。

 ヒロは言葉を足さない。ここで重ねると、ただの口論になる。

 ガンモが最後にだけ、ヒロへ視線を向けた。


「決めたなら、完璧にやれ」


 ヒロが頷く。


 ポチが小さく息を吐き、手袋をつけ直した。指先の動きが、いつもの速度に戻っていく。


「分かった」


 言葉は小さい。それでも、終わらせ方を間違えていない。ポチは一歩引いたあと、ヒロを見た。


「子ども区画は、絶対に守れ。誰も近寄らせるな」


「ああ、必ず守る」


 ポチはそれ以上言わずに背を向け、整備台のほうへ戻った。

 ガンモはヒロの横を通り過ぎるとき、声を落として言った。


「ポチの言う危険は本物だ。だから余計に、抜け目なくやれ」


 ヒロは返事をしない。整備庫の音の中で、資料を掴み直して歩き出した。


 *


 任務を前日に控えた夜、艦内は落ち着かなかった。

 明日の任務の準備で通路に人が増え、整備庫の音が夜まで続く。子ども区画では、三人が続けて熱を出した。


 医務区画の灯りは落とせず、サキは寝具を運び、冷却材と水を回し、呼吸の音と脈の間を往復した。記録端末の画面だけが白く、時計の針が進んでいく。


 三人とも症状が似ている。軽い発熱、喉の乾き、倦怠感。流行性の何かかと疑ったが、他の子には兆候がない。イズミが途中で様子を見に来た。端末の記録を確認し、首を傾げる。


「……偶然、かな」


「偶然ですね」


 そう言い合っても、引っかかりは消えない。普段なら寝ている時間に子どもが起きてしまい、廊下に出ようとする子を部屋へ戻す作業が増える。サキは廊下を何度も往復し、区画の境界を確認し、扉の施錠を一つずつ確かめた。それでも、全部を見切れているとは思えない。


 夜が明けるころ、三人の熱が引いた。廊下の空気が少し冷えている。サキは壁にもたれ、目を閉じたまま端末を握り直す。休めていないことを、自分で認めないまま立ち上がった。


 そのまま任務の日が来た。


 *


 同じ夜。ハブ外縁の搬入口は、正面ゲートほど明るくなかった。


 廃棄物の搬出と補給資材の受け入れに使われる小さな出入口だ。灰を避けるための庇が低く張り出し、壁際には空のコンテナと、壊れた搬送パレットが積まれている。


 そこに、カルディアの士官が一人立っていた。


 正面ゲートのほうを気にし、次に端末を見て、また暗い搬入口の外へ目を戻す。


 やがて、灰の向こうから一台のトラックが現れた。


 カルディアの補給車両だった。車体には正規の識別番号が入り、荷台には防水シートがかけられている。検問灯が一度だけ車体をなぞり、士官の端末に通行許可の表示が出た。


 士官は手を上げた。


 トラックが止まる。


 運転席の扉が開き、最初に降りてきたのは、片目を黒い眼帯で覆った男だった。


 荷台から、数人が続いて降りる。


 カルディア士官が姿勢を正した。


「お待ちしておりました、少佐殿」


 眼帯の男は搬入口の奥を一度見てから、士官へ視線を戻した。


「ご苦労。首尾は?」


「IDカードと軍服はこちらで用意しました。あいにく下士官の軍服しかありませんが」


「問題はない。例の艦は予定通り入港しているか」


「すでに入港して二番ドッグに停泊しています」


 眼帯の男の表情は動かなかった。


「駐屯しているカルディア部隊の規模は」


「一個RF大隊と陸上巡洋艦一隻、あとは補給艦が数隻です」


「ならば予定通り作戦を実行する」


 士官は小さく頷き、搬入口脇の認証盤にカードを通した。


 扉のロックが外れ、ハブの内側へ続く細い通路が開いた。



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