第8話 余白の千人
アキヒトはストレイ・カスタムのコクピットで、幹線側の回線に残った言葉を頭の中でなぞった。
「幹線は一本だ」
支線には回らない。人はいるのに、手は足りていない。その上を、千人が歩いている。
艦の子どもと、この千人。どちらかを選べと言われたら、答えは決まっている。だが、それで良いのか。問いだけが残り、次の操作がそれを押し流す。
〈外気灰濃度、上昇。視界、低下傾向〉
表示された数値を受け、機体の姿勢を一段締める。
そのとき、幹線側の回線へ別の声が割り込んだ。カルディア管制だ。
『コード23。幹線E-7前方、キーテラ数千体を確認。第八警備RF大隊各機は迎撃行動に移れ』
カルディアの各部隊から了解が重なる。
『ラファエル隊へ通達。前衛に展開、キーテラの進行を遅滞せよ』」
その直後、回線が重なった。
『前方、変な反応だ。来るぞ。幹線側、接触。識別コードの頭にRAFが付いている』
リュウが北高台から、淡々と告げた。声が乾いている。遠距離の観測は、感情を落とさないと持たない。
画面の端に四機の味方識別が並び、隊長機の欄にラファエルの名が表示される。
次の瞬間、灰の霧が裂け、蜘蛛のような影が路面から湧いたように抜ける。キーテラだ。数が多い。外殻が硬く、脚が折れても止まらない。白帯護衛では一番警戒する相手だ。倒れた個体を踏み越え、後ろが次々と前へ出てくる。
『幹線、やばいぞ。数が違う』
ポチの声が掠れた。
回線が一気に重なる。リュウが数を読み上げ、ガンモが火線を叫び、ポチが次々と動きを拾う。情報が雪崩のように流れ込む。処理が追いつかない。
そのとき、手が動きかけて——止まった。
マップの端に、光が一つ、生まれた。
動かない。
味方識別でも、敵識別でもない。黒一色。所属表示は完全な空白。群れの只中で、ただそこに在る。
キーテラが、寄らない。
触れるほどの間合いで機体を通り過ぎる。牙を剥かない。向きを変えない。まるでその黒が空間に穴を穿ったかのように、群れは自然と左右に割れていく。
……おかしい。
言葉にならない違和感が、喉の奥で粘る。
回線の声が、唐突に絶えた。戦場のノイズすら、薄れていく。世界が息を潜めていた。
『……なんだ、あれは』
ガンモが、かすれた声で漏らす。誰も続かなかった。
黒いRFは戦場の外縁を流れる。撃ちやすい位置にも、危ない角度にも入らない。細い。ヴァローナ系に近い軽い輪郭だが、塗装も背の形も見慣れない。背部ラックのレドームだけがやけに張り出して見えた。
『脚線と肩の形状から見るに、ヴァローナ系だな』
リュウが言った。
『ただし通常型じゃない。ラックを足しただけの改造機でもなさそうだ』
『改修型か』
『近いが、それだけじゃない。あれは機材を載せただけの現用機じゃない。特殊任務用に改修された専用機だ』
そのすぐ脇を、キーテラの群れが抜ける。触れそうな距離で脚先が擦れ、外殻の粉が舞う。だが群れは黒のRFへ向き直らない。噛みつかない。黒い機体はそのまま歩き、何も起きない。
『人を無視するのか』
口にしてから、自分で異常の形が固まった。今までのキーテラは白帯へ寄り、その途中にいる人間も巻き込んで壊してきた。今日は違う。護衛RFから先に潰しに来ている。
『対象の偏り。黒は回避。護衛RFへ集中』リュウが観測だけを置いた。
その乾いた声の向こうで、幹線側の回線が一段騒がしくなった。ラファエル隊の声が、混線の隙間から飛び込んでくる。
『ルイス、前で受けろ。白帯は踏むな。マルコ、右へ回って削れ。ディエゴ、敵は見えるか』
『了解』
『数が増えているな。右に回る』
『え、えっと……灰、濃い……でも、来る方向、見えます。二列、いや三列……』
ディエゴの報告は詰まる。だが情報は正確だ。ラファエルは急かさない。待って、拾って、必要な判断だけ返す。
『いい。分かった。車列は動かす。止めるな。白帯の上に乗せるな』
四機が散る。隊長機が中心に残って前を受け、ルイスのエクイテスがその外で厚みを支える。マルコのヴァローナが側面を削り、ディエゴは死角を見て外から回り込む個体を先に落とす。互いの背中を守る順番が、最初から決まっていた。
合流点の映像は荒れていた。灰と距離で輪郭が潰れ、見えるのは機影の位置と火線の向きくらいだ。ラファエル隊の四機が散っていること、黒いRFが群れの中にいること、その程度しか取れない。だが無線は違った。
『おい、あの黒いRFが撃ってきてるぞ。キーテラの中からだ』
ポチの声だった。
『発砲を確認。ラファエル隊方向。合流点側、押されてる』
リュウが続ける。
『あいつ……喰われねえのかよ!』
ガンモが吐き出すように言った。
画面の端で、識別枠のひとつが前へ出る。
マズルフラッシュが連続し、火線が群れの先頭を削る。崩れた隙間に次の列が流れ込み、埋め直す。削り切る前に距離が詰まる。
脚を踏み替えた瞬間、前列のキーテラが跳んだ。
右腕がライフルから離れた。
左腕は片手でそのまま銃を構え、連射を止めない。右腕はそのまま外装を滑るように後方へ引き抜き、刃の柄を掴む。
一連の動作に無駄はなかった。振り抜いた刃が、飛びかかってきた個体を真っ二つに断ち切る。
破片が散るより早く、機体はスラスターを咆哮させ、後方へ鋭く抜けた。
いくら削ってもキリがない。詰められる。もう一度、距離を切り直す余裕があるかどうか、その判断だけが残る。
前列の一機が弾幕を張って群れを止めにかかるが、数は減らない。
弾かれた個体が左右へ散り、脚部に次々と絡みついてくる。機体は右脚を大きく振り上げ、踏み潰した。
乾いた破砕音とともに、キーテラの外殻が粉々に砕け、体液が黒く飛び散る。
さらに脚を振り抜き、残った二体をまとめて蹴り飛ばす。
地面に叩きつけられた個体が、内臓のような粘液を大量に噴き出して痙攣した。踏みつけるたびに、湿った肉を潰す音と乾いた殻の破砕音が混じり合う。
発砲。短い連射。
側面から射撃が入る。弾は群れの縁を削るだけで止まらない。灰が跳ね、破片が低く走る。着弾の煙がすぐに飲まれ、次の群れがそこを埋める。
一機が高所へ移動し、上から撃ち込む。群れの奥で一部が動きを止める。それでも前列は止まらない。
黒の周りを、キーテラが走り抜ける。粉塵が舞うだけで、噛みつかない。異常が、異常のまま続く。
ストレイの腕を上げかけて止めた。ここから撃っても届かない。支線白帯のすぐ脇には人がいる。離れれば、この列が薄くなる。
『このままだと、合流点が持たない』
『VOLKの任務はここだ。この支線からは離れない』ヒロの声は硬い。
責任の置き方が違う。ヒロは今目の前の列を見ている。自分は、その列が向かう先を見ていた。
モニター映像の中で、火線がまたひとつ増えた。カルディアの復唱が崩れ、ラファエル隊の返答がさらに短くなる。
『まずいな……。カルディア部隊の被害が大きい』
リュウの声だった。
『くそ! また一部隊食われた』
硬い音が混じった。金属か、樹脂か。回線越しでも、何かが当たった音だと分かる。
『このままじゃ押し切られる』
判断が固まった。
『支援に回る。合流点が潰れたら、こっちもただじゃすまない』
『分かってる。分かってるが――』ヒロの言葉が途切れる。
幹線側で爆発が一つ。ラファエル隊は前を受け続けているが、キーテラの数が増していく。黒いRFはまだ、群れの中を漂っていた。
『俺とヒロで行く。他は支線は残った方がいい。こっちは合流点側の護衛に加勢して、崩れそうな所だけ塞ぐ。長居はしない。すぐに戻る』
『おい。前が二人抜けたら、こっちの戦力が薄くなるぞ』ゴーシュが言った。
『分かってる。だからお前らを残す』
戦術表示を拡大し、支線と合流点が同じ縮尺で見えるように揃える。指先で支線側の警戒範囲を指定してゴーシュたち三機へ共有し、次に自分とヒロの移動先を合流点手前に登録する。幹線側は、もう崩れ始めている。
『ゴーシュ、ポチ、ガンモ。支線白帯を守れ』
『了解。こっちは俺が列を見る』ポチが返す。
『火力は俺だな。近寄るやつから蹴散らしてやる』ガンモが続けた。
ゴーシュは一拍だけ黙った。悔しさの混じる黙り方だったが、返事は遅れない。
『了解。死ぬなよ、前衛』
『死ぬかよ』
『俺は北高台。支線と幹線、両方を見る。合流点の状況は随時伝える』
リュウが言った。
『リュウ、頼む』
この返答で、ヒロが折れたのが分かった。
『アキヒト。行くなら、戻るまでの時間を決めろ。長居はするな』
『わかってる。合流点まで押し込んだら引く』
『よし』
ヒロのバッファローが白帯の外側へ重心を移し、支線白帯から距離を取る。列のすぐ脇に残るのはゴーシュたちで、動きに迷いがない。
支線の白帯の上で、避難者の列が小さく波打った。二機のRFが線の脇を離れていくのが見えたのだろう。
ストレイ・カスタムが腰を落とした瞬間、そのまま前へ抜けた。足裏が灰を裂き、スラスターが短く噴いて、機体が一段前へ滑る。
半拍遅れて、隣のバッファローが動く。重い脚が地面を叩き、遅れてスラスターが唸る。灰の層が持ち上がり、押し出されるように機体が加速する。
二機の針路だけが揃う。
軽い軌道と、重い軌道。
同じ方向へ伸びながら、わずかに間が開く。その差を保ったまま、白帯の外縁を切り、幹線側の火花へ踏み込んだ。
嫌な匂いがした。誰かが条件を変えた匂いだ。




