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灰の傭兵と光の園 〈ロボットイラストあり〉  作者: 青羽 イオ
第二期 ハロー・グッドバイ 灰の傭兵と光の園/第一章 灰霧の縁

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第6話 煙草の火

※縦読み推奨


 任務と任務の隙間は短い。整備班に機体を預けて報告を終えたら休めと言われるのに、ヒロは基地の外へ出た。目的地を決めたわけではない。足が勝手に向かう先があっただけだ。


 ハブはいつも人がいる。物資が流れ、情報が流れ、金が流れる。屋根の下は灰避けの幕が半端に張られていて、風が抜ける。灯りは弱い。急ぐ足と、暇を持て余す足が混ざる。


 外縁の小さな広場に出ると、余計な音が減った。話し声が薄くなり、靴底が灰を踏む音だけが残る。ここには用事がない。用事がないまま立っていられる場所だった。


 ベンチの位置は変わっていない。


 目がそこへ行く。前に来た時も、たしかここだった。先に着いたアンが座らずに立っていて、こちらを見つける前にホイッスルを指で押さえていた。思い出したくて来たわけではないのに、形だけ残った景色は勝手にそこまで連れていく。


 ヒロは視線を外し、人の流れを見た。

 資材の箱を抱えた企業の作業員が、搬入口と倉庫を行き来している。通路脇では自治体職員が名簿と端末を見比べ、炊き出しの列の先では警備役が人の間隔を見て立っていた。壁際には、名目だけでも駐留を続けているUDF兵が小銃を下げている。肩の力は抜けているのに、誰も周囲への目配りだけは切らさない。ここは休憩所に見えて、実際には気を抜くための場所ではなかった。


 そのまま人の流れを目で追っていると、切れ目の向こうに立つ一人の男が目に入った。武器商人らしい、どこにでもいそうな格好だ。

 男が煙草をくわえた。

 ポケットへ手を戻し、火をつける前に、左手の中指でフィルターを軽く弾く。見たことがある癖だった。

 その動きで、ヒロの足が止まる。

 まさかと思った次の瞬間、男は端末を耳元へ寄せ、声をひそめるように短く何かを言った。


「――了解。予定通りだ」


 低い声だった。聞き間違えるはずがない。

 ヒロは人の肩越しにその横顔を追った。


「ユルゲン」


 男が振り返った。目が細くなり、次の瞬間に形が戻る。口元だけがわずかに動き、笑いかけた形だけを残して消えた。


「ヒロか。ここで会うとはな」


 軍服ではない。襟元と袖口が市民向けの仕立てだ。なのに、立ち方だけで所属が透ける。表向きの顔は武器商人。


「東に来たってのは、どうやら本当だったんだな」

「噂が回るのが早い」

「売り物になる話はな」


 ユルゲンは広場を一度見回した。周りに人がいる。話す内容が耳に落ちる。ヒロは頷いて歩き出し、近くのバーへ入った。


 扉を閉めると、外の冷えが切れる。酒と油と煙草の匂いが混じり、照明が低い。カウンターの奥でグラスが当たる音がする。二人は壁際の席に落ち着いた。


「飲むか」

「ああ」


 仕事の前には飲まない。仕事のあとなら飲む。今はその時間だった。

 ユルゲンはすぐに本題へ踏み込まない。踏み込まずに、分かっていることだけを確かめるように言う。


「傭兵で食ってるのも、あのベヒモスを沈めたのも、聞いてる」


 グラスを受け取り、氷が溶ける音を聞いた。


「聞いてる、で済む話じゃないだろ」

「だから、ここでは言わない。俺も言わない。お互いに得がない」


 ユルゲンの口調は軽い。軽いまま線を引く。その線が雑に見えないのが厄介だった。


「商売人の耳は広い」

「広いだけで、口は閉まる」

「都合のいいときだけな」

「都合が悪けりゃ誰も口を開かない」


 一言だけ投げた。


「どう出てる」


 ユルゲンはグラスを持ったまま、さらりと続けた。


「公表は一行で済む。ベヒモスは企業連合軍の迎撃で撃破された、と。それで終わりだ。現場で誰が何をやったかは細部に沈む。報告書は整えられ、手柄は企業側に集まる。UDFは前に出られないし、前に出たことにもできない。上が嫌がっているのはそこだ。残っている権威まで削れる」


 グラスを置く。


「その代わり、主導した三社の発言力は増す。ベヒモスを倒した側として名前が残るからだ。撃破後の治安維持も、物資配分も、復旧の主導権も、そちらへ寄る。世間は『倒した側が仕切る』形を受け入れる。……そういう筋書きだ」


 ヒロはうなずくだけで、言葉を足さなかった。


 この世界の酒は、だいたい薬の匂いがする。飲めるように磨いてあるだけで、出自は医務か工場だ。

 グラスを置かず、氷の音が落ち着くのを待った。言い返したところで何も変わらないと分かっているのに、名が消える段取りの速さだけが苛立つ。ベヒモスの上で見たものが、一枚の発表文に圧縮されていく。その手触りが口の中に残る匂いと同じで、消えない。


「今は何を売ってる」

「売れるものなら何でも。弾も、部品も。あとは安心、かな」

「最後は高そうだな」

「高い。しかも返品不可だ」


 くだらない冗談に短く笑った。

 しばらくして、カウンターの方から店員が来た。余計な言葉はなく、グラスが一つ増える。次にもう一つ。


「向こうからだ」と店員。


 視線を辿ると、二人組の女がいた。若い。健康そうな肌の色で、背筋が通っている。こちらを見て、目だけで乾杯を作る。

 ユルゲンが口の端を上げた。


「断る理由はあるか」

「ない」


 グラスを軽く上げ、女たちへ向けた。向こうも上げる。

 一息で飲み干し、空になったグラスを置いた。


「返すか」

「礼は返す」


 今度はユルゲンが店員を呼び、同じ銘柄を向こうへ送った。女たちは笑って受け取る。

 ユルゲンはグラスを持ったまま目を合わせずに言う。


「お前といると昔から、こういうのは寄ってくるな」

「寄ってくる、の定義が曖昧だ」

「自覚がないだけだ。お前のほうが曖昧にしてる」

「曖昧にしておいた方が面倒が減る」

「減ってない。増えてるぞ。わかってやってるな」


 ユルゲンは楽しそうに言う。ヒロは否定せず、氷が鳴るのを聞いた。


 しばらくして、二人が席を立った。歩き方に迷いがない。人混みを縫うのに肩を入れない。香水はない。洗剤の甘さもない。布地に染みついているのは、作業服の匂いだった。


「せっかくだし、一緒にどう」


 先に声をかけたのは、短い髪の女だった。

 肌はよく日に当たる人間の色で、額から頬にかけて血色がある。髪は耳の下で切りそろえてあるが、毛先だけが跳ねていた。笑うと頬から先に崩れて、口が大きくほどける。白い歯が気持ちよく見える笑い方だった。首から腕にかけて無駄がない。健康な明るさが、そのまま立っているような女だ。


 隣の女は、笑っても余裕が残っていた。

 頬骨が高く、顔に影がはっきり出る。鼻筋は細く通り、顎は締まっていた。明るい色の髪を後ろへ流していて、乱れても形が崩れない。目は冷えて見えるくらい澄んでいて、視線だけが先に動く。出口と店員の位置を素早く押さえ、それからこちらを見た。

 整った顔だった。だが、男を安心させる種類の整い方ではない。触れれば切れそうな薄さと、そのまま踏み込んできそうな強さが同じ顔に乗っていた。


 ユルゲンがヒロの脇腹を小突いた。小さい動きで、逃げ道を潰す。


「どうぞ」


 礼儀として席を詰めた。


 女たちは向かいに座った。最初に目に入ったのは手袋だ。指先だけが出るタイプで、爪の根元に薄い汚れが残っている。落とせる汚れを落とさないのは、それが日常だからだ。


 短い髪の女は膝を軽く開いて座り、肘の置き方に遠慮がない。隣の女は背中を椅子に預けず、片脚をわずかに引いていた。どちらも、足がすぐ動く角度にある。


 軍人か、準じる人間だ。


 店員が四人分の酒を運び、乾杯が一度増えた。会話は取りとめがない。旅の話。天気の話。ハブの物価の話。どれも浅い。浅い話に慣れている人間は、言葉を選ぶ速度が揃っている。


 笑いが重なり、酒が回り始めた頃、短い髪の女が手を挙げた。


「自己紹介しとく。アン」


 その二文字で、手が止まりかけた。グラスを途中で持ち直す。顔は変えない。変えないまま、息だけが一拍遅れた。


「ヒロだ」


 声は平らに出た。隣でユルゲンが横目にこちらを見る。何も言わない。言わないが、全部拾っている。


「こっちはジェーン」


 ジェーンは軽く手を振り、そのままユルゲンの腕に絡みついた。酔いの勢いがある。ユルゲンも嫌がらない。嫌がらないことで場を保つ顔をしている。


「ジェーン。飲みすぎ」


 アンが静かに言う。声が低い。怒っていない。線だけを引く言い方だ。


「だって楽しい」


「楽しいなら、水も飲む」


 アンはテーブルの端にあった水のグラスを指先で寄せた。動きが早く、迷いがない。椅子をわずかに回して、立ちやすい角度にする。どの動きも、誰にも気づかれない程度に小さかった。


 見てしまう。気づいて視線を外しても、アンの手の動きだけは視界の端に残っている。


 ジェーンが笑い、ユルゲンがそれに合わせる。ヒロも適当に相槌を打った。笑いが続く中で、アンだけが酔わない――酔わないのではなく、崩さない。


 *


 店を出る頃には、空気が冷たくなっていた。ジェーンが息を吸い込んで、愉快そうに笑う。


「冷たいの、気持ちいい」

「それは酒のせいだ。寒い。コート着ろ」


 ユルゲンがジェーンの肩にコートをかけ、前を留める。ジェーンは素直に腕を通す。口では抵抗しながら、力が入っていない。


 アンと広場のベンチに座った。酔いを落とすために座ると、理由を付けているだけの感じがして黙った。向こうでユルゲンとジェーンが言い合っている。それが妙に可笑しい。


「仲いいのね」


 アンが言う。少し間を置いてから答えた。


「昔からだ」

「幼馴染?」

「ああ」


 アンは頷いて、こちらを見た。


「軍人だよね。それか傭兵でしょ」

「ああ。そっちもだろ」


 アンは笑った。笑い方は軽いが、目の動きは軽くない。街灯の白が横から当たり、唇の端が上がった瞬間、八重歯が短くのぞいた。

 ヒロは息を止めた。

 八重歯はすぐに引っ込む。指先がベンチの板を押していることに、ヒロは遅れて気づいた。言葉は探さない。探せない。


「私はどうかな」

「否定されても困る」

「軍人とか傭兵が、戦場にいる人間って意味なら、どっちも当たり。どっちも外れ」


 煙草を一本取り出し、火をつけた。火が小さく揺れる。アンが手を伸ばした。


「私も」

「吸うのか」

「吸ったことない。一度だけ」


 渡すより早く、アンは火のついた煙草を取った。構えが慣れていない。勢いよく吸い込み、次の瞬間に咳き込む。咳を抑えないから、余計に目立つ。


「大丈夫か」

「平気。痛いだけ」

「俺の煙草で試すな」

「いいじゃない。おいしそうに吸ってたから」


 アンは笑って、煙草を返した。指先に灰が付いている。払わない。軍人なら戦場で灰を払わない。小さな所作にそういった癖が滲んでいる。

 ジェーンのほうで笑い声が上がり、次に小さくよろける気配がする。アンが立ち上がった。


「帰る。ジェーン連れて」

「危ない。途中まで――」


 言葉の途中で、アンの目がこちらを押さえた。押さえるだけで、答えになる。必要ない。だから口を閉じた。

 アンはジェーンの肩を支え、ユルゲンに短く言う。


「今日はここまで。明日、ジェーンを引きずってでも起こさなくちゃ」

「大仕事だな」


 ユルゲンが笑う。ジェーンは笑いながらアンに引かれていく。

 去り際、アンが一度だけ振り向いた。


「また会えるかしら」

「さあな」


 いつもの調子で返した。余計な言葉が出る前に切る。


「会えるでしょう」


 ――胸のホイッスルが震えた気がした。


 アンは当たり前のように言い、そのまま広場を横切って消えた。

 ユルゲンが小さく息を吐き、肩の力を落とす。


「やれやれ。いい夜だったな」

「お前がな」

「俺も、だ。お前もだろ」


 返さないまま、ベンチの背もたれに肘を乗せた。さっきまでそこにいた気配が、もうない。


「帰るか」ユルゲンが言う。

「ああ」


 二人で歩き出し、広場を抜ける。灯りの弱い場所を離れると、話し声と足音が戻ってくる。


「死ぬなよ」

「お前もな」


 それ以上は言わず、振り返らないまま歩いた。風が抜け、灰が軽く舞う。

 名前が一つ、喉の奥に引っかかったまま消えない。


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