【19話】本気の怒り
「大丈夫かバネッサ?」
「はい。レオネル様のおかげで、平気になりました」
足に力が戻り、視界の歪みが治る。
レオネル様が来てくれたことによる安心感によるものだろうか。体に起きていた異常はすべて治った。
なんだか今日は助けられてばかりだ。
後でもう一度、ちゃんとお礼を言わなくちゃ。
「よかった」
優しく呟いたレオネル様は私の体からそっと手を離した。
そして、リリエットを睨みつける。
「貴様、今なんと言った?」
――っ!?
私はとっさに自分の両肩を抱いた。
レオネル様の全身からは、激しい怒りの感情がほとばしっている。
それがあまりにも恐ろしかった。
レオネル様のこんな姿は始めてだ。
怖すぎて私が怒られている訳でもないのに、勝手に体が震えてしまう。
私の両親もそのことを察知してか、ひきつった顔をしている。
しかし、リリエットだけは笑顔。
なんにも動じていない。
レオネル様の超特大の怒りにも、まったく気づいていないのだろう。
察しが悪いにもほどがある。
「出来損ないのお姉様に、立場をわきまえろ、とそう言っただけですわ。なにか問題でも?」
私はなんにも悪くない! と言わんばかりに言い切ったリリエットは髪に手櫛を通すと、最後にドヤ顔を決めた。
怒れる獅子状態のレオネル様を前にしてこんなことをできるのは、たぶん世界でこの女だけだろう。
ここまでくると、もはやなにかの才能に思えてくる。
「ほう……つまり貴様は今俺の目の前で、ドルムント公爵家の名に唾を吐いた訳だな」
「……へ?」
「バネッサは俺の妻であり、ドルムント公爵家の人間。彼女に対する誹謗中傷はドルムント公爵家への敵対行為とみなす。当然、それ相応の覚悟はできているのだろうな?」
「敵対行為って……! いやいやいや、大げさな! そんなつもりありませんって!」
リリエットが慌てふためく。
ここでようやく事の重大さに気が付いたらしい。
けれど、もう遅い。
レオネル様を怒らせてしまった時点で、既に手遅れだ。
「ミルディ伯爵家との縁を、この場で切らせてもらう。今後はいっさいの関係を持たない」
「そ、そんなっ!? お待ちください!!」
身を乗り出した父が、必死になって声を上げる。
ドルムント公爵家はセレディム王国内で圧倒的な力を持つ名家。
縁を切られたとなれば、ミルディ伯爵家の信用は一気に地の底まで落ちる。
そしてそれは、隣国のエスタ王国でも同じこと。
今後の関係はもちろん、現在親密な関係の貴族も離れていくに違いない。
この会場にはエスタ王国の貴族も多くいる。
ドルムント公爵家に絶縁されたという話は、あっという間に国内に広がるだろう。
ミルディ伯爵家はもう終わりだ。
待っているのは一つ。没落貴族としての末路のみだ。
「なにとぞお許しを!!」
「お願いです公爵様! どうかお考え直しを!!」
父と母が揃って頭を下げる。
けれどレオネル様はなにも言わない。
冷えきった視線を三人へ向けるだけだ。
「おいリリエット! なに突っ立っているんだ! 早くお前も頭を下げないか!!」
「い、痛いよパパ! やめてってば!!」
父はリリエットの髪を掴むと、乱暴に頭を下げさせた。
母は見て見ぬふりだ。止めようとはしない。
両親はいつもリリエットに甘々だった。
怒っているところなんて一度だって見たことがない。
それが、今はどうだ。
髪を乱暴に掴むわ、それを見ても無視するわ。
これまでの両親の溺愛ぶりを見れば、ありえない異常なことだった。
きっともう、なりふり構っていられないのね。
しかしそんな必死の訴えにも、レオネル様は耳を傾けない。
黙って背を向ける。言葉を聞く気はない、という無言の意思表示だ。
「お、お前からも公爵様に便宜を図ってくれ!」
レオネル様の意思に気付いたのか、父は私にターゲットを変えてくる。
「頼むバネッサ! 家族を助けてくれ!!」
「なんて虫のいい」
ダラダラと滝のような汗を流す父に、私は深いため息を吐く。
「家族? 笑わせないでください。私のことを一度だってそう思ったことなんか無いくせに。都合がいいときだけ家族扱いですか。……申し訳ございませんが、あなた方を助けたいとはこれっぽっちも思いません。そうしたいと思うだけの愛情を、私は与えられてきませんでしたから」
「おいっ! ふざけるなよこの出来損ないが! 育ててやった恩を忘れたのか!!」
顔を真っ赤にした父が声を荒げるが、
「失礼します」
私は気にすることなく、小さく一礼。
背を向ける。
許す気なんてさらさらない。因果応報だ。
愚かな妹の愚かな行為を、きっちり償うといい。




