奇小井 紬希 と デプレッション⑤
日が沈みきった頃、俺と紬希は幽墨堂へとたどり着いた。
ツルなどの植物で緑に染まったいつ崩れてもおかしくなさそうな建物で、そこで古本が売られていた。幽墨堂の周りには建物がない。道もない。ここは森の中なのだ。大海高校の裏門の先の森ではなく、学校から約2時間ほど歩いた場所にある。
幽墨堂を目の前にして30分が経過しただろうか。
紬希が幽墨堂に全く入ろうとしない。紬希からジィーンと『心の音』がずっと聞こえる。
「なあ、入らないか?」
俺は『心の音』に耐え切れず、ついに口に出した。
「……」
紬希は下を向いたまま黙っていた。
この幽墨堂とかいう古本屋に何か嫌な思い出でもあるのだろうか。もしそうだったとしたら、入りたくない理由とかを聞くのはよくない。俺だって嫌な思い出について聞かれたくないから、気持ちはわかる。
でもそれだったら、なんで紬希は俺を連れてここに来たかったのだ?
例えば、けじめをつけたかったとか。
そうでも、そうじゃなくてもここに来るのだけでも相当きつかったはずだ。
なら、今俺のするべきことは……。
俺はずっと下を向きっぱなしの紬希を抱きしめた。
「大丈夫。俺が一緒にいるから」
杉函さんだったら言うだろうセリフを口にした。
紬希から『心の音』は聞こえないが、別の何かが聞こえてきた。
顔を覗き込むと、紬希は顔を赤くしながら泣いていた。
俺は慌てて紬希から離れた。
紬希は俺がアタフタしているのを見ると、涙を手で拭いてクスッと笑った。
「ありがとね」
彼女の笑顔はとてもかわいかった。
「じゃあ行くか」
「ちょっと待って。あんたの身体能力を上げるとかいう『チカラ』を発動させといたほうがいいよ」
俺は首を傾げた。
紬希は続けた。
「どうせ昨日のあたしたちみたいにバトルすると思うから」
「なるほど。昨日の紬希みたいな全裸ウーマンがいっぱいいるってことか」
「へへへ変なこと言うな! ……そうじゃなくて、いきなり殺し合いが始まるってこと!」
紬希は胸倉を掴んできて、今にも殴ってきそうな雰囲気を漂わせた。
「『解放』」
体が軽くなったような感覚になった。
紬希の腕を無理やり離させた。紬希はものすごく力が強い。『チカラ』が発動していないと手に負えない。
俺と紬希は幽墨堂へと歩き出した。
中に入ると、あたり前のことだが古本がたくさん並んでいた。橙色のライトに照らされているのが、さらにザ・古本屋という雰囲気を漂わせる。積まれている古本たちは現代の印刷ではない技術が利用されていた。
俺はこういう雰囲気は好きであり苦手である。誰もこの店に入らせないという威圧感があって『心の音』があまり聞こえないとても素晴らしい場所であるが、読書というものが苦手で本を見るだけで眠気に襲われ、そしてその総本山でもある。複雑な気持ちだ。
紬希はレジのほうへと歩いていた。俺も紬希について行った。
レジにはおばあさんがいて、両手で新聞を持って読んでいるのかと思いきや寝ていたみたいだった。
「サカバンバスピス検定4級の参考書を探してます」
おばあさんは目をゆっくりと開けた。
「サイズは?」
「自由の女神くらいの大きさが好ましいです」
「著者は?」
紬希は1度深呼吸をすると、覚悟を決めたような目をして口を開いた。
「ミス・T」
おばあさんは一瞬目を丸くしたが、また目を閉じた。
奥のほうからガコンというような音がした。
「奥にあるから。……気をつけな」
おばあさんはまた寝始めた。
紬希は奥のほうへと歩き出したため、俺はついて行った。
江戸時代と明治時代の境目みたいな雰囲気のある店で、唯一近未来のようなエレベーターがあった。
紬希はエレベーターのドアの横にあるボタンを押した。
「この先からはものすごく危険だから、引き返すならもう今しかないよ」
「そんなの今さらだ。……それより俺たちはこれから襲われるんだろ? そいつらを殺さなきゃダメなのか?」
「……簡単に説明するとね、ここは殺し屋のアジトなの。だから、あたしたちを問答無用で殺そうとしてくるの。殺し屋に狙われたとき自分の身を守るには、逆にその殺し屋を殺すしかない。だからそれは無理じゃないかな」
胸がすごくズキズキしてきて、蹲った。
心臓が痛い。
握り潰されているような感覚で、辛い以外言葉が思いつかない。
「銃とかの武器を切って、使えないようにするとかすればいいんじゃないのか? それに、俺たちは別に殺し屋に用があるわけじゃない。 あくまで黒杵 柚音に会うのが目的だ。だから殺さなくちゃダメ?」
「殺したほうが楽なのに、あんたは自分から死にやすい道を選ぶんだね」
「それでもいいから、俺はもう人を殺したくない。誰かが死ぬところを見たくない。……だから頼む! お前も殺さないでくれ!」
紬希は一瞬悩んで頷いてくれた。
「わかった。ただし、あんたがもし殺されそうになったらあたしがそいつを殺すから。それでいい?」
「それでいいよ」
ちょうどエレベーターのドアが開かれた。
「『解放』」
俺は腕が刃になる『チカラ』を発動させた。
俺たちはエレベーターに乗り込むと、ドアが閉まり下がり始めた。
紬希は俺の刃を見つめた。
しばらく間があって紬希は口を開いた。
「あんたの『チカラ』って身体能力を上げるやつじゃなかったっけ?」
「あぁ。俺は2つ持ってるから」
「でも1つしか願えないって記憶されてるんだけど」
「俺の場合はちょっと特殊というか……」
「それってどういう……」
エレベーターは止まりドアが開かれた。
目の前にはスーツ姿のたくましい男がいた。男はいきなり俺の顔面を狙って殴りかかろうとしてきた。
その瞬間、紬希は男の股間に思い切り蹴りを入れた。
「ぐぁっ……!」
男は股間を抑えて蹲った。
「行くよ!」
紬希は合図して、ジャンプして男を踏みつけてエレベーターを出た。俺は男を踏むのに抵抗があり、隙間をスルリと抜けて外へ出た。
先ほどいた古本屋と違い、壁、天井、床、照明、左右にあるドアすべてが全部白。白すぎて気持ち悪くなってきた。
俺たちは真っ白な廊下を駆けていると、前から4人ほどスーツ姿の銃を持った男たちが現れた。銃口をこちらに向けて撃ってきた。
身体能力が上がる『チカラ』を使っていたおかげで弾の動きがよくわかる。このまま直進すれば、左腕に1つ、腹に1つ当たってしまう。
俺は右腕の刃で2つの弾を切って攻撃を食らわずに済んだ。
紬希は弾を華麗に避けながら直進して、4人の男に顔面や腹を思い切り殴って倒していったのだった。
「大丈夫?」
紬希は俺のほうを向いて言った。
「うん。どこもケガしてねえし」
「さらに殺し屋たちが来るだろうから一旦どこかの部屋に隠れてやり過ごさない? さすがのあたしでも、ここにいる全員を何とかするのは無理があるし」
紬希は近くにあったドアを開けて中へと入っていったので、俺もその部屋へ入りドアを閉めた。
俺たちが入った部屋は本で埋め尽くされていた。
1つ本を手に取り本を開くと、俺の年齢ではまだ見ることができないとされる写真でいっぱいだった。
「これ、お持ち帰りしてもいい?」
「ダメ。殺し屋は盗られたものに結構敏感だし。それにあたしに、そんなことを言うな!」
外から走っていく音が聞こえる。俺たちを探しているのだろう。
「隠れたほうがいいんじゃないか?」
「確かにそうだね」
俺たちは部屋の中を探索し出した。
いい隠れ場所を探していると、赤いボタンを見つけた。その横に『絶対に絶対にぜーったいに押すなよ!』と書かれていた。
これはもしや押すと隠し通路が出てくるのではないだろうか。
俺は即行でボタンを押した。
俺の真下にあったはずの床がなく、人がちょうど1人通れる空洞になっていた。つまりこれは落とし穴だ。
「そうそう、この部屋に確か押すなって書かれたボタンがあると思うけど、押さないでね。押したら下の牢屋まで一直線だから。まあ、さすがにそんなふざけた罠に引っかからいと思うけど」
俺は何も言えずに落ちたのだった。




