第9小節目:『おとなり』
「おはよ、小泉!」
翌日の朝、廊下を歩いていると、東条に肩を叩かれる。
「おはよう、東条」
「お、今日はちゃんと返事してくれた。ありがとね」
「『ありがとね』ってことはないだろ」
おれをなんだと思ってるんだ。……昨日までちゃんと返事をしなかった人間ってことですね。すみませんでした。
「てか、なんか小泉、楽しそうだね?」
「楽しそう?」
「うん、新しいゲームを買ってもらって寝る間も惜しんでやったあとみたいな顔してる」
「ああ……!」
「お、言い得て妙だった?」
それなら心当たりがある。
昨日の夜はMPCを触りまくって、何が出来るかを一通り試していたのだ。
最初は音を鳴らす方法すら分からなくてチンプンカンプンだったが、一つずつ調べて習得してみると、想像以上におれ好みの素晴らしいハコだった。
数千の音の鳴る楽器であり、作曲マシンであり、サンプラーであり……やりたいことがなんでも出来ると言っても過言ではない。
機械とは呼ばない。愛を持ってハコと呼ぼう。
ボディの色は青。アオのハコだ。
……というのをつらつら説明すると迷惑だろうから、万感の思いをこめて一言だけ。
「MPCが楽しかったんだ」
「あはは、全部口に出てたけど」
「え? どこから?」
「『それなら心当たりがある』から『万感の思いをこめて一言だけ』まで」
「全部じゃん」
「そう言ってる」
ニマニマしている。この人は、また姉みたいに笑ってからに……。
しかし、次の瞬間、
「……あれ?」
その声に、しくじったことを知る。
会話に熱中していたのと、眠かったのと、MPCの面白さに興奮していたのと、色々な要因があったのだろう。
「うっ……」
おれは普段重々注意して回避している彼女とすれ違うのを見落としていた。
「四季人くん?」
すれ違いざまに声をかけられて、肩が跳ね、固まってしまう。
「『四季人くん』……?」
隣では東条が首を傾げる。幻聴かと思ったのだろう。
しかし、残念ながらそれは幻聴でもなんでもなかった。
おそるおそる振り向くとそこにいたのは——
「……天瀬」
去年の学園祭のミスコンで学年1位だった天瀬唯乃だった。
いや、そんな肩書で天瀬を紹介するのは彼女のステータスからしたら不釣り合いかもしれない。
なんせ、彼女はオリコン周りを賑わす現役女子高生シンガーソングライター・アマセユイノなのだ。
中2の時、シングル『ふたりのうた』でデビュー。その曲がヒットし、今やシングルを出す度にSNSのトレンドに入るようになった。
セミロングの黒髪、くりっとした大きな目、薄い唇と、どこか天使じみた清楚な微笑み。
ありていにいって美少女だ。
天が二物も三物もを与えたとしか言いようのない新進気鋭の女子高生。
……そんな彼女が、真っ黒な目でおれをみていた。
「ねえ、四季人くん? それ、何かな?」
そして、おれの提げていたカバン……学生カバンの方じゃなくて、MPC用に買ったカバンを指さす。
「……MPC」
「うん、それは分かるよ。四季人くんが中学の時ずっと興味があるって言ってたやつだよね」
「中学の時……?」
横で丁寧に東条が復唱する。
「私はどうして四季人くんが楽器を持ってるのかって聞いてるんだけど」
「……買ったから、だけど」
「ん、ロック部入る気になったってこと? だったら私に言わないと入れないよ?」
彼女はプロの活動のかたわら、ロック部(うちの高校の軽音部)の部長すらやっている。この高校にも、ロック部に入りたくて入ったくらいだ。
「いや、ロック部じゃなくて……ただ、音楽をやりたいんだよ」
「誰と? 一人で?」
天瀬が諌めるように目を細める。
その視線に痛みを感じてしまい、
「……別におれがどこで何をしようと天瀬に関係ないだろ」
かばうようにそう言い放った。
「関係……」
天瀬は下唇を噛むと、
「……はいはい、そうだね、私には関係ないよね。どうも失礼しました」
と言う。
「……ばいばい、四季人くん」
歩き出そうとした天瀬と東条の目が合い、天瀬の足が止まる。
「えーっと……。あははー……どーもー……?」
東条はさすがの(?)コミュニケーション力で作り笑いで応じた。
「こんにちは、東条莉音ちゃん」
「あー……、あたしの名前知ってくれてるんだー、うれしー……」
天瀬には言葉では答えず、にこりと極上の微笑みを浮かべて立ち去った。
それを合図に、おれは彼女とは反対方向にそのまま歩き続ける。
「ちょっとちょっとちょっとちょっとちょっと!!」
大声のこそこそ声で、東条が駆け寄って詰め寄ってくる。
「何あれ、なんなのあれは!! あたし、なんかフルネーム呼ばれたし! ロックオンされた感じしたけど!?」
「おれに聞かれても。おれがフルネーム呼んだわけじゃないし」
「いやいやいやいや、他に聞く相手いないから! 唯乃ちゃんとなんか親しくなさそうっていうか、逆に過去によほど親しかったんだろうなーというのだけ感じ取ったんだけど、二人って何なの……!?」
「幼馴染」
「その事実にもびっくりだけど、おそらくそれで済ませられる関係ではきっとないよね!?」
と、その時。
キーンコーンカーンコーン……
予鈴が鳴る。
「放課後、秘密基地で聞かせてね!」
そう言っておれたちの教室に入っていく東条。
……と思ったら、振り返って2、3歩戻ってきて、おれの耳元に唇を寄せる。
「……話せる範囲でいいけど! 嫌だったらいいから!」
……どこまでも気遣いの人だな、東条は。
そして放課後、秘密基地にて。
「中学が一緒で、その時おれも天瀬も吹奏楽部だったんだ」
東条が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、おれは説明する。相変わらず美味しい。
「うんうん、それで?」
「それで……天瀬が歌ってみたいって言ってて。おれがちょうどMTR……まあ、曲を録音する機械を持っていたから、その活動を手伝ったりしてたことがあるってだけ」
「え、じゃあ小泉がいなかったら今のアマセユイノはないってこと?」
すごくない?とばかりに目を見開く東条。
「そんなことないよ、遅かれ早かれデビューはしてただろ」
「えー、そうかなあ……」
彼女の才能も、野心も、そんな出会い一つで吹き飛ぶようなやわなものではない。
「で、なんであんなにその仲良さそう……もしくはあんなに仲悪そうだったの?」
「その二つって共存するのか……?」
「共存しちゃうんだなーって二人を見て思った」
「仲が良いとか悪いとかっていうか……まあ、色々あったっていうか何もなかったっていうか……」
「……そっか。まあ分かった。わかんないけど、大丈夫。色々教えてくれてありがとね」
んー、と東条は伸びをする。おれの気が乗らないのを察してくれたのだろう。
「ありがとう」
「ありがとうはこっちのセリフなんだが?」
詮索しないでくれて、というつもりで言ったのだが、そんな風に返されてしまう。
「それにしても、そっか。なんか、人に歴史ありっていうか……あたしの知らない小泉を見ちゃったなあ……。なんか変な感じ」
「ああ、うん……」
話が一区切りついたと分かると、だんだん落ち着かなくなってきた。
「なあ、それより、そろそろ……いいか?」
「いや、うずうずしすぎでしょ。こっち的には結構大事件だったんだけど?」
おれは東条の声を背に、カバンからMPCを取り出し、テーブルの上に置く。
諸々ケーブルを繋いで、
「よし、やってみよう。ちゃんと音を入れてきたんだ。叩いてみて」
と促す。
「あはは、分かったよ。うん……ほいっ」
東条がMPCのパッドを一つ叩くと。
『……みし』
「おおー……!! 鳴った!」
東条が嬉しそうにこちらを向いた。
「これが『靴音』で、これが『踏切』で……」
とパッドを順に鳴らしてやると、
「おーおーおーおー!!」
とどんどん東条のテンションが上がっていく。良い反応だ。
「じゃあ、合わせてみようか」
そして、やっとのことで、おれたちは『おとなり』を合わせることになる。
* * *
『おとなり』
革靴 革靴
歩く速度と同じテンポのキーホルダー
* * *
東条の声を追いかけるように、一つずつ音が鳴っていく。
東条自身がコントロールしているその間が、妙に心地良い。
* * *
踏切 遮断機
ファミリーマートに入る時の自動ドア
冷蔵棚 冷凍棚
小銭がこすれて 買い食いのコロッケ
佐川 ヤマト
校庭に石灰で引いたみたいな飛行機雲
カラス コウモリ
二人分重くなって軋んだ公園の古いベンチ
あたしの声 あなたの声
あなたの声 あたしの声
夕焼け チャイム
二人分軽くなって軋んだ公園の古いベンチ
革靴 ……
* * *
そこまで詠むと、東条はMPCから手を離した。
同時に、おれもピアノを弾くのを止める。
無音の中。
* * *
あなたのせいで実感させられてる長い静寂
あなたのおかげで知ることの出来た長い静寂
* * *
東条はしっとり、しっかりそこを詠みあげる。
おれは余韻のB♭を一音だけ鳴らし。
その音が鳴り終わったころ。
「…………んー…………良いね!!!!!」
予想通り、東条が地団駄を踏んだ。
おれはスマホを取り出し、東条の足元に向ける。
「最後、良い感じだね! 静かになるの!」
おれはスマホを1度タップし、MPCに繋ぎながら答える。
「いやあ、よくおれが音を止めてもそのまま詠むって分かってくれたよ。思いつきだったけど」
「たしかに、あたしたち阿吽の呼吸だね! すごい高揚感!」
高揚感。久しぶりに文語っぽい言葉。
おれはこっそりMPCの画面を確認して、
「こんな感じ?」
パッドを叩いてみる。
『バタバタッバタッバタッ!』
「え、何これ?」
東条が期待通り驚いた顔をしてくれる。
「東条の地団駄の音」
「地団駄? あたしが?」
「そうだよ。いつもやってるじゃん」
「いつも!? こんな音鳴らしてたの? 恥ずかしくない?」
「恥ずかしくないだろ、良い音じゃん」
おれは何回もパッドを叩いて地団駄をスピーカーから流す。
「それ、褒められてるの!?」
「おれが褒めてるっていうか……」
おれはこの音を聞くと、自分が褒められてるような気がして嬉しい。……とはなぜか口に出せなかった。
「それにしても、スーパーマシンだね。あ、ハコだっけ。スーパーハコだ」
「ハイパーハコだな」
「あはは、ハイパーハコでもマスターハコでもいいんだけどさ。こんなのやったら面白くてもっといろんな音録りたくなっちゃうね」
「そうなんだよ、話がわかるな東条は」
「お、意外と素直。じゃあね、えーっと……」
東条は『私詩』をぱらぱらめくる。
「お、これとかいろんな音使えそう! 次の詩は、これにしよう!」
東条が開いたページには、
「ほお……」
『七夕祭り』というタイトルの詩が書いてあった。
「明日、そこの商店街であるんだよね。小泉は去年行った?」
「いや、行ってない。え、もしかして……」
予感がして東条をみると、
「またまた、とぼけちゃって」
そこには満面の笑みが。
「だったら一緒にいくしかないでしょ!」




