第8小節目:夜を使いはたして
「え、美味い……!」
翌日。
淹れてくれたコーヒーを一口飲んだおれが目を見開くと、東条は誇らしそうに胸を張る。
「でしょでしょ? ま、あたしはミルで豆を挽いてコーヒーメーカーに挽いた豆と水を入れてスイッチ押しただけだけど」
「そっか。だとしたらメーカーと豆がいいんだな……!」
「小泉さ、『謙遜』って知ってる? あたしが今したことね。ちょっとくらい『東条の手際がいいから美味しいんだろ』とか言ってもらいたかった」
一転してジト目の東条。相変わらず表情筋の忙しい人だ。
「そのカップもいいね」
「ああ。スナフキンがいると美味しく感じるな」
「だから、『東条の手際がいいから美味しいんだろ』って言えし」
「感謝してるよ、美味しいコーヒー飲ましてくれて。ありがとう」
「いきなり感謝しないで、嬉しくなるから」
「じゃあどうすればいいんだよ……」
さっきからこの人、無理を言っている。
「よし。おれの番だな。伴奏、昨日作ってみたよ」
「え、また夜中までやってくれたの……?」
「だから、別にやってあげてないって……」
「また、『おれがやりたかったからやっただけだよ』とか言っちゃう?」
「だってそうだし」
「はあ、この人はまた……あたしが自己肯定感低めだから『自分がそんな風に思われてるわけない』って思えるけど、自己肯定感が高かったら落ちてるところだよ」
「なんか反応しづらいな……とりあえず合わせてみてもいいか?」
「あ、ちょっと待ってね。あたしも準備する」
そういって東条はカバンからスマホを取り出して、両手でお守りみたいに握った。
「よし、ちゃんとBluetooth接続済み! いつでもいけるよ」
「……おう、わかった」
おれは昨日の夜に作ったメロディを弾き始める。
目配せで合図をすると、東条が頷いて、朗読を始める。
「『革靴 革靴』」
と同時、東条がスマホをタップする。少しだけ遅れて革靴が二つ並んで歩く音がスピーカーから鳴る。
「『歩く速度と同じテンポのキーホルダー』……あれ? あ、これだ」
少し遅れてキーホルダーが擦り当たる音がするが、
「『踏切 遮断機』……あれ、どこだっけ」
など言っているうちに、おれは次のフレーズ『ファミリーマートに入る時の自動ドア』にあたる場所を弾いていた。
カンカンカンカン……とやっと音がしたかと思うと、
「『ファミリーマートに入る時の自動ドア』……あーもう無理かも、ごめん!」
「……だな」
おれは演奏を止める。
「ごめん小泉、あたし、これそれぞれの音源に名前つけてたんだけど、それだけじゃダメだったね……」
「いや、よくやった方だと思うよ」
昨日かなりの数の音源を録った。一つの音を複数回試したりもした。
それぞれの音源を探して再生するのはどうしても手間取ってしまうだろう。ましてや、彼女は詩を詠まないといけない。
「ごめん、せっかく小泉が曲作ってくれたのに準備不足で……悔しい」
「全然。準備っていうなら十分してくれたんだろうし。詩を暗記したんだろ?」
スマホの操作をしながら東条は、詩を何も見ずに詠んでいた。
「……何でこういう時だけ察しがいいかな」
ぼそっと東条は呟いて(全然聞こえてるけど)、「はぁ〜」と大きなため息をつく。
「詠みながらスマホ操作するの難しいし、やってみてわかったけど、それぞれの音源の何秒のところから再生したいみたいなのもある。録る時、録音ボタン押してから音鳴らしたから、ちょっと空白があるっていうか。そもそも、再生ボタン押してから再生始まるまでにも微妙にラグあるし……」
「だな」
このやり方にはどうやらたくさん課題があるっぽかった。
「なんか、こう……ボタンがいくつかあって、そのボタンを押したらその音が流れる! みたいな機械があればいいのに……。そんな都合のいい機械があるわけないけど」
「いや、あるよ」
「あるんかい!?」
なんで関西弁?
「ああ。サンプラーっていう楽器なんだけど……」
「魚醤のこと……?」
「それはナンプラーだな」
「かぼちゃとか白身魚とかの日本料理の揚げ物?」
「それは天ぷら……って、おれがダジャレ連発してるみたいだからやめて?」
「ダジャレじゃなくて言葉遊びね、ていうか何そのサンプラーって!」
『サンプラー』をググって東条に見せてあげる。(スマホって便利だね)
ほとんど、さっき東条が言った通りのものだ。
見た目はボタンが16個ついているただの箱だ。
そのボタン(パッドとも言う)一つ一つに録音した音を割り当てられる。押すとその瞬間にあらかじめ入れておいた音が鳴る。
ドラムの音を一つずつ入れておいて指でドラムを叩くとか、そういうことに使われる。
「へえ……! なんかレトロゲームみたいで可愛いかも」
「よし。買いに行くか。吉祥寺に行けばあるだろ」
おれは脱いでいたブレザーを着る。
「え、買いに!? 今から!?」
「うん。だってどうせ買うなら早い方が良くないか? 死ぬまでの日割りが安くなるっていうか」
「それあたしが昨日言ったんだけどね!?」
「そうだよ」
だからこそ行くしかないだろ。
……ということになって、おれたちは中央線に乗って吉祥寺にやってきた。
駅から少し歩いたところにある大きな楽器屋。そのDJ機材のコーナーに立つ。
「楽器屋さんにあるんだね。ヨドバシに行くのかと思った」
「見た目の割にちゃんと楽器だからな」
まあ、コントとかで効果音を鳴らす時にも使われるらしいけど。
「ていうかこれってDJのやつじゃない? チュクチュクチュクーンみたいな」
「なんかDJの人に怒られそうだな。サンプラーは……これか」
「14000円……! やっぱり高いね……! あれ、あっちにもっと強そうなのもある」
14000円のサンプラーの横に、MPCという機材が売っていた。
青い箱で、サンプラー同様16個のボタン(パッド)とツマミとか画面とかがついている。
「これがMPCか……」
「サンプラーとどう違うの?」
「知らない……けど、ずっと興味があったんだ」
「そうなんだ?」
「店員さんに聞いてみる」
「今日行動はやっ」
詳しそうな店員さんに色々質問して、だいたい理解した。
「要するに、サンプラーがあれば、サンプリング……つまり、今日東条がやろうとしていたことは出来る」
「うんうん、じゃあそれでいいね」
「でもMPCなら、その他の楽器も数千種類以上入ってるし、それを重ねて鳴らすことができる」
「数千……ってのがすごいのはわかったけど、それは何か良いの?」
「秘密基地の中で、かなり本格的な作曲が出来る。もっといろんな音を入れて」
「うん……ピアノだけでも十分すごいけどね」
もちろん、ピアノと朗読だけで突き詰めるところまで突き詰めるというのもきっと大事なアプローチだろうけど。
「まあ、それはいいけど……おいくらなの? お高いんでしょう?」
「14万」
「まじでお高いじゃんっ!?」
東条の目玉が飛び出しそうになる。
「……だな」
「いやー、そうだよねえ、楽器だもんね……! 器楽部の友達、みんな何十万の楽器を親に出世払いでお金借りて買ったとか言ってたもん……」
「そうなんだよ、楽器だからこれくらいしてもおかしくはない」
「あははー、あたしたちにはちょっと早いね。プロの人が使う奴なんでしょ? こっちのサンプラーにしよう。14000円。これもかなり高いけど、割り勘なら7000円でしょ? スタバを10回ちょっと我慢すれば……」
「いや、MPCを買う」
おれが言うと、
「ええっ!?」
と東条が大声をあげる。
「ごめんだけど、あたし割り勘だとしても7万円も払えないよ……?」
「おれが全額払うよ」
「どっからそのお金が出てくんの!? ていうか目がキマっちゃってるし……」
「貯金があるんだ」
「そんなにあるの……!? これを即決できちゃうほど……? あたしと同じ高校生だよね?」
「そうだけど……まあ、使う頻度が低いんだろ。スタバ行かないし」
「そんな理屈で通るかあ……?」
東条は顔をしかめてまた体ごと90度横に曲げて首を傾げる。
「これがあれば、もっと幅広い曲が出来るんだ。ピアノで表現できる詩だけじゃないだろうし」
「そう、かもしれないけど……!」
「そしたら、きっと、もっと面白くなるよ。毎日が」
「っ……!」
おれの言葉にたじろぐように、息を止める東条。
ややあって、
「わ、分かったよ……」
諦めたみたいに額をおさえて、顔をガバッとあげる。
「でも! お金、半分払うから! すぐは払えないけど、その、月割りとかで……絶対返すから! だから……」
その瞳には決意みたいなものが滲んでいて。
「だから、二人のにしよう?」
「え? いや、完全におれのにしたいからやだよ」
何言ってんだ、冗談じゃない。
「まじ、今の流れでそんなことありえんの……!?」
「逆に割り勘にする話、おれ一回もしてないんだけど」
「相変わらず小泉は……」
「じゃ、買ってくるから」
何やら呆れているらしい東条をおいて、おれはMPCを買いにレジに行く。
先ほどの店員さんが対応してくれる。
「お支払い方法は?」
「デビットで」
「なにそれ、なんかオトナって感じでいけすかない」
横から聞こえる文句がうるさい。
「それじゃ、今日はこれで帰るわ」
吉祥寺駅の改札前で手を振る。ここからだと、おれは井の頭線、東条は中央線ということになる。
「うん、今日帰ったらそれやんの?」
「当たり前じゃん。何ニコニコしてんの? あ、東条も早く触りたいか?」
「いや、小泉がうずうずしてるのが、その、なんかいいなって思って」
「なんだそれ」
その弟を見るような目で見るのをやめてくれ。
「じゃ、また明日、色々ためそう」
「お」
「ん?」
「ううん、ただ——」
東条は嬉しそうに笑った。
「小泉から、『またあした』って言ってくれたなって思って」




