第4小節目:傘クラゲ
「あー今日は雨だー」
今日の秘密基地は湿度が高い。
レコードリストをぱらぱらとめくり、こんなレコードもあんのか……とわくわくしていると、窓の桟に体重をかけて外を見ていた東条が、物憂げな目をしてこちらを振り返る。
前髪をつまんで上目遣いで見ながら、
「雨だなー」
と、もう一度わかりきったことを言った。
「ねえ、小泉。雨だよ」
「……おれに言ってたの?」
「ここには小泉とあたししかいないんだから、そりゃそうでしょ」
「独り言って可能性があるだろ。……まあ、6月後半で、梅雨だからな」
「『梅雨だからな』」
東条は口をへの字に曲げて低い声で皮肉っぽくおうむ返ししてくる。真似されてる?
「別に雨が降ってる理由が分かったって気分が晴れたりはしないじゃん。雨だけに」
「そうなあ……」
「それなら『雨が降るとお気に入りの傘が使えるじゃないか』とか言ってよ。慰めるの下手?」
「別に慰めてないし」
雨が降ったくらいで慰めないといけないのか、この場所は。
「雨が降ったくらいで慰めないといけないならもう金輪際来ないぞ、って思った?」
「そこまでは思ってない」
「あはは、その手前くらいまでは思ったんだ」
ていうか、『金輪際』って、また文語っぽい言葉を。
「まー、今後、毎日のように会うわけだしね。そんな慰めを無理強いするような面倒な女じゃないよ、あたしは。はいはいあたしが折れればいいんでしょ分かった分かった」
「今、だいぶ面倒な女だよ……」
ていうかヒステリックだよ。
東条は「ごめんごめん、冗談」と笑ってから、こちらに一歩近づく。
「ま、あたし、雨って嫌いじゃないんだけどね」
「嘘だろ……!?」
じゃあ今の会話全部なんだったんだよ……!
「『じゃあ今の会話全部なんだったんだよ……!』の手前くらいまで思った?」
「いや、そっくりそのまま思った」
「だって、雨ってなんか文学的じゃん? 降るたびに詩を書きたくなるってか」
「そんなもんか」
今の会話全部何だったのかの答えにはなってない気がするけど。
「あ! そ、そうだ!」
「ん?」
「晴耕雨読って四字熟語があるでしょ? 雨の今日は出歩かずに文化的活動をしよう!」
「うん……?」
「ってことで! 今日はこれを曲にしたいです!」
彼女はいつの間にか手元に持っていた『私詩』のページを開く。
一発で、初めからそこを開こうと思っていたとしか思えないスムーズさで。
「……なるほど。今までの会話は全部これを開くための前振りであり助走であり照れ隠しだったってことか」
だったらこの意味不明さにも意味が通る。
「あんまりウラを読まないでくれない!?」
したがってノートのオモテ面を見ると、そこには『雨と雫』という詩が書かれていた。
* * *
『雨と雫』
透明の傘を粒が叩く
校門まで行って忘れ物をしたフリ
本当に忘れ物の多い彼も
今日の部活は中止
透明の傘を粒が叩く
下駄箱 昇降口に見えて立ち止まる
本当に勘違いの多いあたし
紫陽花の柄が綺麗な傘
安物の傘はやっぱりダメだ
顔を隠せない
すれ違う相合傘
雨粒にしのばせた
あたたかい雫 ぽつりぽつり
* * *
「おお……これはなかなかどうして甘酸っぱいじゃないか……」
「『なかなかどうして』……。なんかグルメなおじさんみたい」
「へえ、そっか、東条は恋してるんだな……」
「ちょっと待って」
東条がこちらに手のひらを向ける。
「その微笑ましそうな感じやめて! あと、まじで恋とかしてないから」
「え? でもこれ片思いの彼が相合傘をしたのにすれ違ったって——」
「無粋! 詩の内容を説明しないで!」
「無粋」
初めて口にした日本語。
「ていうか、これ、あくまでも詩だから! 体験談だけじゃないでしょ、詩って」
「えーそうなの?」
「何その反応。そりゃそうだよ。その証拠に、まずうちの高校に下駄箱も昇降口もないでしょ」
「まあ、たしかに」
うちの高校は校舎の中も土足なのだ。
「あ、でも東条の通ってた中学は? 中学時代の経験談なんじゃないの?」
「あたし中学、女子校。この詩には相手の人は『彼』って書いてあるでしょ」
「ええ、じゃあ捏造じゃん……」
「捏造じゃない、フィクション! 椎名林檎は『歌舞伎町の女王』を歌舞伎町に行ったことないのに書いたんだよ?」
「それはしらんけど……」
「別にいいんだよ、詩自体がフィクションだって。それを想像したり、読んだ時に浮かんでくる感情はまぎれもなく本物なんだから」
「……たしかに」
おれがさっき感じた甘酸っぱい気持ちはたしかに本物だからな。
「良いこというな、東条」
「いきなり褒めないで、嬉しくなるから……!」
東条は手のひらで顔をあおぐ。
「で、どう? 曲、つけられそう?」
紅潮した頬を誤魔化すみたいに、こちらになんだかつっけんどんに聞いてくる。
「『透明の傘を粒が叩く』」
「ちょっと、音読しないでよ。今褒めてくれたところじゃん! あたしそういうのされると泣くからね!」
「泣かないでくれ……。違うんだ、別にからかってるとかじゃなくて……意識して聞いたことないかも。そんなに音するかなって思って」
「うそ、小泉って傘ささないの? 英国紳士?」
「日本男子高校生」
「あ、じゃあ良い傘しか使わないんだ。ビニール傘とか使わない? あーそれだ、使わなそう! あたし、名推理!」
「盛り上がってるところ悪いけどビニール傘使うよ。全然今日もビニール傘だから」
「じゃあなんで? ……あっ」
「なんでだろう」
「あたし、今度こそ分かったかも。いつもヘッドホンしてるでしょ、あれノイズキャンセリング出来るやつだよね。だからじゃない?」
「あー……!」
今度こそたしかにあてられた。きっとそれだ。
「どうよ! 名探偵トウジョウ!」
「そこはリオンじゃないんだ」
「あたし、一人称『莉音』じゃないから」
「『東条』でもないだろ」
「いーいーの。登場!ともかかってるんだから」
「そうですか……」
詩人だからか、隙あればダジャレを挟み込んでくるな、この人は。
ふと、窓に印字された店の名前『Secret Bass』が目に入ってくる。
「ダジャレ好きはおじいちゃんゆずりなんだな……」
「ダジャレじゃないっての! 言葉遊び!」
「まあどっちでもいいけど」
貶してるわけじゃないし。
「よし、じゃ、雨粒の音、聞きに行こう!」
そういいながら東条はビニール傘を取り出す。
「イヤホンつけないでそこの公園で傘させば聴けるよ」
「え、この雨の中?」
「いや、雨じゃなかったら行かないよね。話聞いてた?」
「さっき晴耕雨読だから出歩かない的なこと言ってなかった?」
「状況が変わったから。文脈読めてる?」
「別にわざわざそんなことしなくてもいいだろ。そこまでしなくても曲くらい作れるよ」
「小泉、曲作りを舐めすぎだよ!」
「それ、作る方が作らない方に言われるパターンあんの? フィクションでもいいって言ってたじゃん」
「全部フィクションじゃダメでしょ! 本物っぽいところがあるからフィクションにも意味があるんじゃん! 雨粒がビニール傘を叩く音も、濡れて不快な靴下も、滲んだ肩口も、湿気でうねる癖っ毛も。その時の匂いとか感触とか温度とか……そういうのを曲にするんだよ!」
「わかったよ……」
一理あるので諦めて立ち上がる。
「うん、ありがと!」
ニコッと笑う東条。素直にお礼を言われるとなんだかなあ。
「ていうか来た時よりも雨強くなってるんだけど」
おれたちは秘密基地から歩いて30秒もかからない小さな公園に立っていた。東条的に、道路の上は危ないとのことだ。まあ、たしかに。
ビニール傘を、雨が打つ。
時折、大きな粒が当たるのだろう、粒だった打撃音が太鼓のように弾けた。
「どう?」
「どうって……まあ、分かったよ」
「良い音?」
「良い音っていうか……まあ、悪くはない」
「素直じゃないなー」
素直とかそういうことなのか? これ。
「よし、じゃあついでに……よっと!」
「えっ……!?」
制止する間もなく、東条はローファーのまま、そこにあった水たまりにつっこむ。
「あはは、タイツびしょびしょ!」
「うわ、何してんの……?」
「小泉もやんなよ、靴下が濡れて気持ち悪いから!」
「気持ち悪いならやらないし、靴下が濡れたことはあるから知ってるよ……」
「そりゃそうか!」
あはは、と東条は爆笑している。
「楽しそうだな……」
「うん! 卒業した後、絶対今日を思い出すもん」
「卒業? なんでいきなり?」
「いきなりじゃないよ、あたし、そのためにここにいるんだもん!」
晴れているのかと錯覚するほど眩しい笑顔でこちらを見る東条。
「あたし、青春したくてうちの高校来たから! 卒業した後に思い出すことやりたいの。それが良いことでも、悪いことでも」
「へえ……」
「でも、ま、いつもは水たまりなんか絶対避けて歩くのに、わざわざ気持ち悪いのを体験しにきてるのはやっぱ奇行だよね! それこそ思い出の捏造かも。黒歴史になっちゃうか?」
「別にいいんじゃないか」
「え?」
「何も思い出せないよりは、黒歴史の方がいいんじゃないか」
「そう思う……?」
「うん。だって、それがここにいる意味なんだろ?」
「小泉……!」
東条は傘で顔を隠そうとするが、安物の傘じゃダメだ。
「なにニマニマしてんの?」
「ちょっと、また無粋なんだけど!」
傘の中から勢いよく怒った顔が飛び出てきた。表情を変えるのが上手だな、とまた思う。
「あ、そうだ。ねえ、この雨音って曲に入れられないかな?」
「曲に入れるって……SEみたいなこと?」
「えすいーがなんの略か知らないけど、歌ってる後ろで雨の音を流す的なことを言ってる」
「それなら、まあ……雨の音なら、綺麗に録音されてる音源がフリー音源とかであるだろうから、あとで探してみるか」
「フリー音源とかじゃなくて! この雨音がいい」
東条は頑固な眼差しでおれを見つめてくる。
「だって、今日を思い出せるもん」
「……わかったよ」
今日を、ね。
「スマホかなんかで録っておけば何かに使えるかもしれないけど、ただ、音質は——」
「よし、録ろう」
おれの話を途中で勝手に切り上げて、東条は傘を畳んでおれの傘に入ってくる。
そして、スマホを取り出して、マイクを傘の肌に向ける。
「いや、だから……」
と言いかけると、東条はおれの唇を手でふさぐ。
——今録ってるから、ね
口パクでそう言って微笑む。
ふと、傘の下だけ世界から切り取られたような、不思議な感覚が走る。
公園にも、公園の前の道路にも誰一人立っていない。
この街にはもうおれたち二人しかいないんじゃないかと錯覚するような、静寂の響く騒音の中、時が過ぎていくのをただ眺めていた。
触れ合っていないのに、ほのかに感じる東条の体温。
息を潜めて敏感になった五感を誤魔化そうと目を閉じると、もっとダメだ。
薄目を開けると、東条の額。
その先に楽しそうな微笑みをたたえた、それでいて真剣な表情。
おれの目は吸い寄せられるように——
「よし」
東条がそう言って、おれを見上げて笑う。
催眠術か魔法か呪いか。--かかりかけていた、その類の何かからすんでのところで目が醒める。
「ね、これ、曲に入れられるの?」
「……いや、それより……」
おれは何か生まれそうになる変な感情に必死に抵抗するように、どうにか茶化そうと、やっと口にする。
「……相合傘になってるから」
「んにゃっ!?」
東条が身をのけぞらせると、
「つめたっ!」
彼女の髪が濡れた。
「あーあー……」
東条はまたおれの傘の下に戻ってきて、
「で、曲に入れられるの?」
と怒ったように言う。
「演奏しながらスマホで再生すれば、まあとりあえずは。タイミングとか難しいかもだけど」
「じゃあ、戻ってやってみよ——」
東条はそこまで言ってから悪戯な笑顔を浮かべて、
「やってみるわよっ!」
おれの手から傘をひったくって、秘密基地に戻っていく。
「ちょっと待て、濡れる!」
「文句言うなら入れてあげないわよっ!」
「文句っていうか普通にクレームものだから!」
多分そういうシーンに憧れたんだと思うけど、東条の青春病のせいでおれまで風邪引くのは勘弁だ。




