↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】ご報告いたします。妃殿下が現場で神がかっております  作者: 楽歩


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/35

8.育児は戦場でした

「初めまして。ティナと申します。よろしくお願いいたします」


「あなたが乳母の代わりなの? ずいぶん若いのね。確か、王妃陛下のご親戚で、この国で働くために職業体験をしていると伺ったのだけれど」


「はい、その通りです。ちゃんお乳もでます! どうぞお任せください」



「若いのにお乳も出て……それなのに異国で働くなんて……苦労したのね」


「はい?」


 どうやら何か勘違いをされているらしい。乳母の補助を務めている女性は、なぜか目を潤ませながら微笑んだ。


「私は乳母様の補助を担当していたの。まずは一日の流れから説明するわね」


 そう言って部屋へ案内される。すると、揺りかごの中の王子が私を見るなり、小さな手をこちらへ伸ばした。


「あら」


「抱き上げてもよろしいでしょうか?」


「もちろんですわ」


 そっと抱き上げると、王子はきゃっきゃっと嬉しそうに笑った。



「まあ、王子様。人見知りをなさる日もあるのだけれど今日はとてもご機嫌だわ」


「仲良くなれそうで安心しました」


 腕の中の小さな我が子を見つめながら、私は心の中でそっと呟く。


 ――お母様ですよ。



 もちろん、今は秘密だけれど。




「王子様のお世話係として、洗濯や身の回りのお世話を担当していただきます。まだお乳も必要な時期ですが離乳食も始まっております」


「乳母は、他に何をするのかしら?」


「王子様の身に直接触れることができるのは、乳母様と筆頭の世話係のみです。お着替えやお食事の介助などもお願いいたします」


「そうなのね」


「大丈夫ですか?」


「もちろんです」


 乳母の仕事ぶりは何度も見てきた。本も読んだし、イメージトレーニングだってしてきたのだ。


 ――きっと大丈夫。


 そう思っていた。




「ふぇぇぇぇん!」


「ま、また泣いたわ……」


 抱き上げても駄目。揺らしても駄目。どうして泣いているのかしら。途方に暮れていると、世話係が声をかけてくれた。


「王子様は背中を優しくトントンして差し上げると落ち着きますよ」


「こうかしら?」


 ぽん、ぽん、と小さな背中を叩く。


 すると――。


「……あう」


 ぴたりと泣き止んだ。


「本当だわ!」


 思わず感動の声が漏れる。




「王子様は、その抱き方がお好きなのですよ」


「そうだったのね」


 腕の中の王子は、何事もなかったかのように機嫌よく私の指を握っている。


 赤ちゃんのお世話というのは、思っていた以上に奥が深いらしい。そうしてしばらく遊んでいるうちに、次の仕事の時間がやってきた。




「では、そろそろお食事にいたしましょう」


 世話係が離乳食の入った器を運んでくる。王子を椅子に座らせ、私はスプーンを手に取った。


「はい、あーん」


 けれど王子は、きゅっと口を結んだまま離乳食を見つめている。



「あら? 食べないわ」


「その場合は、美味しそうに食べるふりをしてみてください」


「食べるふり?」


 言われた通りに、スプーンを自分の口元へ運ぶ真似をする。



「まあ、美味いしいわ!」


 すると王子の目がぱっと輝いた。



「あー!」


「食べたわ!」


 思わず拍手してしまう。一口食べると勢いがついたのか、その後はぱくぱくと機嫌よく食べ進めてくれた。



「偉いわね、王子様」


 食事を終えた王子は満足そうに笑っている。――これなら案外うまくやれそうかもしれないわ。そんなことを考えたのも束の間だった。



「では次は、おしめ替えです」


 世話係の言葉に、私は自信満々に頷く。


「任せてちょうだい」


 だが――。


「きゃっ、動かないで!」


 おしめを替えようとした途端、王子が元気よく寝返りを打った。


「そちらへ行っては駄目です!」


 今度は反対側へころり。小さな体なのに驚くほど素早い。私は王子を追いかけるようにして手を伸ばした。


「こちらで気を引きますので、その間にどうぞ」


 世話係が音の鳴るおもちゃを鳴らす。からから、しゃらしゃら。王子の注意がそちらへ向いた隙に、なんとか交換を終えた。


「で、できたわ……」


 達成感より疲労感の方が大きい。やれると思っていた。見ていただけだから、簡単そうに思えていた。けれど実際にやってみると、次から次へとやることがある。


 泣けばあやし、食べさせ、おしめを替え、着替えさせる。少しも目が離せない。



「世の中のお母様方は、乳母も世話係もいないのよね……」


 思わず呟く。


「本当に尊敬だわ」


 心からそう思った。気が付けば、窓の外の陽は、傾き始めていた。王子はたくさん遊び、たくさん泣いて、たくさん食べた。


 今は小さな寝台の上で、すやすやと気持ちよさそうに眠っている。長いまつ毛、ふっくらした頬、小さな手。



「ふふ……」


 思わず笑みがこぼれる。私は今まで、眠っている時や機嫌の良い時のあなたしか知らなかったのね。


 今日一日で、泣き顔も怒った顔も困った顔も見た。大変だった。本当に大変だった。それでも――。



「とっても可愛かったわ」


 そう呟いて、そっと頬にかかった髪を払う。眠る王子は何も知らず、幸せそうに小さな寝息を立てていた。




 ――バタン!


 大きな扉が勢いよく開かれた。


「ふぇっ……うぇぇぇん!」


 気持ちよさそうに寝ていた王子が驚いて泣き出してしまう。何事かしら。


 振り返ると、豪華なドレスをまとった若い令嬢が立っていた。



「あら。あなたが臨時の乳母?」


「そうですが……」


 思わず言葉に詰まる。この方は――公爵令嬢エリスだったかしら? どうしてここに? エリスは王子を見るなり目を輝かせた。



「まあ、王子。可愛いわね。さあ、今日もこちらにいらっしゃい」


 そう言って当然のように手を伸ばしてくる。


 今日も?


 周囲の世話係たちが顔を曇らせているところを見ると、常習犯らしい。



「失礼ですが」



 私は一歩前へ出た。



「王子様には、決められた方しかお触れになることはできないと伺っております。その中に公爵令嬢様のお名前はなかったかと思います」


 エリスは鼻で笑った。



「ああ、あなた知らないのね。公爵家は、王家に近い血筋なの。だから問題ないの」


 扇子を広げながら胸を張る。――問題おおありよ。



 そもそも、どうやってここまで入ってきたのかしら。




「大変申し訳ございません。確認のため上の者を呼んで参りますので、少々お待ちください」


「たかが乳母風情が、この私を待たせる気? 失礼ですわ!」


 そう言うなり、私の腕の中から王子を奪い取った。




「きゃっ!」


「うぇぇぇぇん!」


 王子は激しく泣き叫ぶ。エリス様は慌ててあやし始めた。




「王子、頑固な乳母でびっくりしたわね。ほら、お母様ですよ。安心して?」


 ――お母様? 一瞬、頭が真っ白になる。




「公爵令嬢様……王子様の母君は、王太子妃殿下でございます」


 できるだけ冷静な声で告げた。




「そんなこと分かっているわよ。いずれそうなる、という意味よ。ねえ、王子?」


 エリスは呆れたように肩をすくめる。当然ながら王子は泣き止まない。むしろ先ほどより激しく泣いている。





「王子様をこちらに」


 私は手を差し出した。


「嫌よ」


「こちらに! 泣いているではありませんか!」


 今度ははっきりと言う。王子は顔を真っ赤にして泣いていた。これ以上は見過ごせない。


 私はエリス様の腕から王子を抱き上げた。すると王子は私の胸にしがみつきながら泣き続ける。




「なっ……! なんて失礼なの!」


 エリスの顔が怒りに染まった。彼女は足を踏み鳴らす。



「今日は帰りますけれど、明日ここにいないのはあなたの方ですからね!」


 そう言い捨てると、ドレスを翻して部屋を出て行った。再び扉が大きな音を立てて閉まる。部屋に静寂が戻った。




 私は王子の背中を優しく叩く。


 ぽん、ぽん。


 すると少しずつ泣き声が小さくなっていった。




「まったく……」


 腕の中の王子を見つめる。この子に、こんなにも簡単に近づけてしまうなんて。


――警備体制について確認が必要ね。


 涙をいっぱいに溜めた王子の小さな手が、ぎゅっと私の服を掴んだ。



 大丈夫よ、お母様に任せてね。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。