4.少しだけ、お手伝いを
残されたのは、静寂と積み上げられた古書たちと私。
一冊を手に取り、背の状態を確かめる。
背の修繕はどうするのかしら? 糊付けだけでいいわけないわよね。修繕の手引書を開く。なるほど、縫い直し、圧着、乾燥、ね。
手順をおさらいし道具の準備をする。
糸を通し、背を整え、ずれを一切許さずに縫い上げる。圧着は均等に。空気の逃げ道まで計算して板で挟む。
ふふ、楽しいわ。気がつけば、積み上がっていた古書の修繕は全て終わっていた。
「夢中になりすぎちゃったわ……」
ふと時計に目をやる。
「まだ、あと二時間もあるのね」
手持ち無沙汰に、視線を巡らせる。
窓際の席のリアム先輩は、相変わらず本に没頭している。挨拶もまだしていないし、思い切って声をかけてみようかしら。
「……あの、リアム先輩」
控えめに声をかける。ぴたり、と指が止まり、小さく、舌打ちが落ちる。
あからさまな不機嫌だわ。
ゆっくりと視線だけがこちらに向けられた。
「忙しいんだ。話しかけないでもらえるかな」
それだけ言うと、もう完全に視線は本へ戻っていた。会話は終わりだとでも言うように。
また、手持ち無沙汰になってしまったわ。でも、エレナ先輩も、仕事は“探せばいくらでもある”とおっしゃっていた。
「他にも修繕できる本、ないかしら」
そうだわ。
「アリシア、いる?」
「はい、ここに。何かご用ですか?」
すぐ近くから返事がして、私は思わず振り返った。そこには、何事もなかったかのようにアリシアが立っている。
ふふ、今まで、どこで見ていたのかしら。
「申し訳ないのだけれど、ギルバートから、あそこの部屋の鍵を借りてきてほしいの」
図書室の、さらに奥。
「王太子殿下にですね。承知いたしました。行ってまいりますから、いい子で待っていてくださいね」
「まあ、アリシアったら」
くすりと微笑んだアリシアは、本棚の影に紛れ、気づけばもう、どこにもその姿はなかった。
頼まれてもいない本を勝手に修繕して、迷惑をかけるわけにはいかないけど、あの部屋の本なら大丈夫なはず。
ほどなくして戻ってきたアリシアから鍵を受け取り、奥の部屋へと入る。
さあ、あと二時間。時間まで、しっかり働かないと。
◇
結局、エレナ先輩は本の受け取りのため、遠出することになったそうで、すぐには戻れなかった。
次に顔を合わせたのは、五日目のことだった。
「ずっと一人にしてごめんなさい。大丈夫だった?」
「はい。一通り、修繕は終えましたのですが、確認をお願いしてもよろしいでしょうか」
「もちろんよ」
修繕を終えた本を差し出す。エレナ先輩はそれを手に取り、ぱらりと頁をめくり、背表紙へ視線を落とした。
「……え? これ、本当にティナがやったの?」
小さく声を漏らす。
「はい、本に書かれていた通りにいたしましたが……合っておりましたか?」
「合ってるどころじゃないわよ! この背表紙、まったくズレがないし、こっちは、あんなに濃かった染みがほとんど分からなくなってる……」
信じられないものを見るような目。
「すごいわ。何年も修繕をやっている人みたい。私より上手かもしれないわ」
まあ、先輩は、褒め上手だわ!
後輩のやる気を引き出すために、少し大げさに褒める、とても大切なことだわ。
「ありがとうございます!」
素直に頭を下げる。
「今日は、他に修繕する本はございますか?」
「ええと、とりあえず急ぎはこれだけよ」
「そうですか」
良かったわ。やっぱり勝手に他の本へ手を出さなくて正解だったわね。
「それでね、ティナ。今日は、図書室を臨時で閉めるわ。翻訳が立て込んでいるから、私たちも手伝うことになったの」
「分かりました。頑張ります」
二階へ上がり、部屋の扉を開けると、そこには、眉間に皺を寄せた職員たちが、机いっぱいに紙を広げ、議論を交わしていた。
静かな図書室とは打って変わって、張り詰めた空気の中で言葉が飛ぶ。
「この一文がどうしても確定できないんだ。“光を喰らう器”とあるが、そんなものは存在しない」
「比喩ではないのか?」
「だとしても、前後の記述も比喩のようで分からない……」
——光を喰らう器?
「あの」
思わず口を開いていた。数人の視線が、一斉にこちらへ向く。
「それは恐らく、“魔力蓄積器”の古い呼び方ですわ」
「魔力……蓄積器?」
「はい。強い光属性の魔力を吸収・蓄積する装置のことを、古い文献では“光を喰らう器”と表現することがあります」
机の上の紙へ歩み寄り、該当箇所を指でなぞる。
「この後に“満ちれば雷を落とす”という記述が続いておりますでしょう? 過剰に蓄積された魔力が放出される現象と一致いたします」
「……そんなものが、存在するのか?」
「ええ。確か、第三書架の奥から二番目の列、右から四冊目の古文書に、類似の記述がございました」
部屋の空気が、また一段階静かになる。
「……誰か、確認してきてくれ」
室長の指示で半信半疑のまま、一人が部屋を出ていく。
その間に、私は机の上の書類を整え始めていた。
乱れている順序を揃え、似た内容ごとにまとめていく。こうした方が、見やすいわよね。
「君は……誰だい?」
今日初めてお会いした職員の方の低い声がかかる。
「ティナ・アストレアと申します。本日は、お手伝いをさせていただきます」
軽く頭を下げる。ちょうどそのとき、先ほどの人物が戻ってきた。
「……あった。本当に書いてある。“魔力蓄積器”」
ざわり、と空気が揺れる。
「一致している、だと?」
先ほどまで議論していた者たちが、今度は一斉に私を見る。
「あの、他にも不明な箇所がございましたら、お手伝いできるかと思います。こちらの言葉、自国の学院で、少々学びましたので、意味も発音も大抵は分かります」
控えめに申し出ると、一斉に声が上がった。
「こっちも頼む!」
「この語句の解釈は分かるか?」
「この資料と関連する文献は——」
紙束が、次々とこちらへ差し出される。
「はい、順番に拝見いたしますね」
にこりと微笑みながら、一つ目の書類を受け取る。
あら? 手伝いって、こういうことでよかったのかしら?




