34.知らぬは騎士団長ばかりなり
「宰相様! ご報告いたします」
執務室で書類に目を通していた私のもとへ、補佐官が慌ただしく駆け込んできた。
「世界樹を狙った侵入者が捕まりました!」
「何? 侵入者だと!」
私は思わず顔を上げた。
「はい。先ほど騎士団から連絡が入りました。侵入者は現在、騎士団の拘束室へ移送されております」
「分かった。すぐに行く」
私は立ち上がり、手にしていた書類を机へ置いた。ついに来たか。他国の間者が入り込む可能性は最初から想定していた。私は補佐官を伴い、足早に廊下を進む。
「それで、侵入者はどのような者だ?」
「詳しいことはまだ分かっておりません。ただ、世界樹のある区画へ近づこうとしていたところを、感知魔法に捉えられたようです」
「感知魔法に?」
「はい。アリシア様が侵入者の存在を察知し、騎士団長とティナ殿が現場へ向かったとのことです」
思わず足を止める。妃殿下とアリシアもか……。二人で事件を引き寄せるのか、それとも事件の方が二人へ吸い寄せられているのか。
「被害は?」
「ありません。世界樹にも異常はないとのことです」
「それは何よりだ」
世界樹そのものに何かあれば、世界を揺るがす大事件になる。私は歩みを再び進め、さらに尋ねた。
「どこの国の者だ? 尋問には私も立ち会う」
「それが、尋問はもう終わったとの報告が……」
「お、終わった?」
「侵入者から、すでに必要な情報を聞き出したそうです」
世界樹を狙って侵入した者だ。簡単に口を割るとは思えない。まして、どこの国から送り込まれたのかという重要な情報なら、そう簡単に吐くはずがない。嫌な予感しかしない。
「……まさか」
「何か?」
「いや、いい」
私は再び歩き始めた。騎士団本部の入口が見えてくる。そこにはすでに数人の騎士が待機していた。私の姿を確認すると、一斉に敬礼する。
「騎士団長の元へ案内しなさい」
「はっ!」
騎士が踵を返す。私はその後に続きながら、静かに覚悟を決めた。尋問はティナ、妃殿下が行ったかもしれない。
「……頼むから、今回は穏便に済ませていてくれ」
誰にも聞こえないよう、小さく呟く。
◇
騎士団本部の奥へ通されると、私はまず周囲を見回した。
「宰相様、お待ちしておりました」
騎士団長が立ち上がる。
「……アリシアとティナは?」
「先ほど別の場所へ向かいましたが、用事でもありましたか?」
「いや、大丈夫だ……」
逃げたか?
「では、侵入者について詳しく聞かせてもらおう」
「承知しました」
騎士団長は私に席を勧めると、自らも向かいへ腰を下ろした。
「まず、侵入者は三名です。世界樹のある区画へ近づいていたところを、アリシア様の感知魔法が捉えました」
「そこまでは聞いている。問題は、その後だ」
「はい」
騎士団長は頷いた。
「私とティナが手合わせ中でしたので、観戦をしていた者たち、それぞれに指示を出した後、アリシア様を含めて三人で現場へ向かいました。侵入者はそれなりに腕の立つ者でしたが……」
そうだった。衝撃が多すぎてすっかり忘れていた。手合わせをしていたのだったな。
「捕縛した、と」
「ええ。三人しかおりませんでしたので、私たちで造作もなく」
やはりか。私は心の中でため息をついた。
「それで、尋問は? 騎士団長がしたのだろうな」
騎士団長は、眉を寄せ、答えない。
「何か問題でも、あったのか?」
「いえ。問題というより……見事だった、と申し上げるべきでしょうな」
騎士団長の顔に、感心の色が浮かんだ。
「最初は私が取り仕切ったのです。ところが、侵入者たちは一切口を割らなかった」
当然だな。世界樹を狙って送り込まれた者なら、そう簡単に情報を吐くはずがない。
「そんな中、ティナが前へ出ましてな。……それまでのティナとは、まるで別人でした。冷たい目をしていたのです。それはもう、ぞっとするほどに」
「……」
騎士団長の言葉に、私は思わず姿勢を正した。あの妃殿下が? 普段の姿からは想像もつかない。
「そして?」
「『誰に命じられた』と、一言尋ねました」
「それだけか」
「はい、侵入者たちは答えませんでしたが、明らかに動揺していました。するとティナは、ほんの少し目を細めて『あなたたちが黙っていると、私が困るわ』と微笑みました」
そこで騎士団長が、妙に感慨深い顔をした。
「その後は、こちらが聞く前に次々と話し始めました。所属している組織。侵入経路。王宮へ入るために使った手段。世界樹についてどこまで情報を得ていたのか。そして、誰から命令を受けたのかまで……侵入者はラミカ国の者でした」
いや、おかしい。命じただけで人が口を割るはずがない。まして相手は、何らかの訓練を受けている間者だ。
脅迫されたわけでもない。拷問を受けたわけでもない。静かに見つめられ、問いかけられただけ。
「……無意識に放った威圧? ……いや、言成魔法の可能性が高いか」
「はい?」
思わず口から漏れた言葉に、騎士団長が首を傾げる。
言葉に魔力を乗せ、その声を聞いた者の精神へ直接作用させる――それが言成魔法だ。使い方を誤れば、人の意思を容易に縛りかねない危険な力でもある。
もっとも、あの妃殿下がその力を悪意をもって使うとは、到底思えないが……。私が考え込んでいると、騎士団長が突然、目を輝かせた。
「しかし、ティナは素晴らしいですな! 剣技だけではない。指揮能力もある。魔法も使える。そして尋問までできるとは! ぜひ騎士団に欲しい人材です!」
「…………」
私は黙って騎士団長を見つめた。知らないというのは、幸せなことなのかもしれない。
目の前の男は、自分が絶賛している人物が誰なのか、まだ知らない。
「もし騎士団に正式に所属する気があれば、私は喜んで正式に中隊長へ推薦しますぞ!」
「……そうか」
私は乾いた笑みを浮かべた。そして心の中で、そっと付け加える。――騎士団長よ。その『ティナ』は、本来、お守りしなくてはいけない側の人物だ。
私は席を立った。
「ああ、そうでした」
何かを思い出したように、騎士団長が懐から一通の封筒を取り出した。
「こちらをアリシア様から預かっておりました」
「……そうか」
私は封筒を受け取った。おそらく報告書だろう。しかし、報告の内容なら今、騎士団長から聞いた。
「では、私は戻る。ご苦労だった」
私は執務室へ戻るため廊下へ出た。歩きながら、受け取った封筒を眺める。一応、読んでおくか。
『本日の騎士団長と妃殿下の手合わせは、侵入者が現れたため中断となりました。勝負は引き分けです』
私は無言で紙を見つめた。結果などどうでもいい。心底どうでもいい。
侵入者の方を詳しく書くべきだろう。
私が侵入者について、騎士団長に聞くであろうことを見越しての、これか?
深いため息を吐き、紙を裏返す。
――やはり、あった。また、小さく『追伸』と書かれている。なぜいつも裏に書くのだ。
『追伸。お母様は特にほしいものはないそうです。それより、家族旅行に行きたいとおっしゃっていました』
足が止まった。私はしばらく、その一文を凝視した。
妻が欲しいもの? そういえば、何か欲しいものはないかと聞こうとは思っていた。
……しかし、アリシアに聞いてはいない。そもそも会ってもいない。昨日、心の中で少し考えただけだのはずだ。
それなのに、なぜアリシアが知っている? まさか、とうとう娘は、遠く離れた私の心の中まで読めるようになったのか?
「いや……そんなわけがない」
私は首を横に振った。私の言動を先回りして読めるようになった、そう考えるのが妥当。しかし、それはそれで恐ろしい。
「なんだか、疲れたな。少し、仮眠でも取るか」
私はそう呟き、再び歩き始めた。




