27.始まる騎士の職業体験
「お父様。世界樹周辺の警備体制を整えた結果、ご報告がございます」
「何だ」
「人員が不足しております」
「……やはりか」
私は机の上に広げられた王宮の見取り図へ視線を落とした。
世界樹ともなれば、昼夜を問わず警備を続けなければならない。調査のために出入りする調薬師や庭師、研究者の誘導も必要になる。
騎士団だけで警備を続けようとすれば、交代要員まで含めて相当な人数が必要だ。これまでの警備計画では、とても賄いきれない。
「貴族たちから私兵を借りるか」
苦肉の策として口にすると、アリシアはすぐに首を横へ振った。
「それは感心いたしませんわ。各家の私兵では指揮系統が統一できません。それぞれ訓練方法も異なりますし、いざという時に命令系統が混乱いたします。重要な警備を任せるには不安が残ります」
「……確かにな」
統率の取れない部隊ほど扱いに困るものはない。まして相手は、神話にしか存在しないと言われてきた世界樹だ。
興味本位で近づく者、葉を持ち帰ろうとする者、他国の間者が紛れ込む可能性すらある。少しの混乱が、大事件へ発展しかねない。
「お父様、私の部下たちが、世界樹を守るための防御魔法陣を完成させるべく取り組んでおりますが、一週間ほど必要です」
「その間を、どうにか凌がねばならんか……」
私は腕を組み、深く考え込む。
近衛騎士団、王宮警備隊、魔法師団。さらには他部署で戦える者まで思い浮かべてみるが、どれも人手不足を解決する決定打にはならない。どの部署も人手不足だ。
アリシアが、わずかに口元を緩める。
「そこで、お父様におすすめしたい人物がおります」
「誰だ?」
その笑みを見た瞬間、嫌な予感が胸をよぎる。
「王太子妃殿下です」
……やはり、そう来たか。私は思わず額を押さえた。
「妃殿下は……騎士になりたかったのだったな」
「ええ」
アリシアは嬉しそうに頷く。
「よく覚えていらっしゃいましたね、お父様」
「あれだけ何度も聞かされれば、嫌でも覚える。しかし、妃殿下お一人が加わったところで、人員不足は解消せんだろう」
私が現実的な問題を口にすると、アリシアは迷いなく言い切った。
「妃殿下は、十人……いえ、百人力です」
「……そこまでなのか?」
「はい。私が保証いたします」
きっぱりと頷くその姿に、一切の迷いはない。
「妃殿下は剣を握ると、人が変わります」
「人が変わる?」
「普段はお優しく穏やかな方ですが、剣を手にした瞬間、その目つきまで変わります。騎士団でも引けを取らないほどの実力をお持ちです」
「なんと……」
私は思わず言葉を失った。あの誰にでも笑顔を向け、困っている者を放っておけない妃殿下からは、とても想像がつかない。
だが、アリシアがここまで断言する以上、誇張ではないのだろう。……どうやら私は、妃殿下のことをまだ何も知らないらしい。
「それでも、人手不足が解消されるわけではありません」
アリシアは冷静に話を続けた。
「ですので、思い切って私も職業体験へ参加いたします」
「……っ!」
その一言で、すべてを悟った。そういうことか。
あの時、「後は私にお任せください」と言ったのは、私の仕事を引き受け、負担を減らそうとしてくれたからだと思っていた。
娘も随分と成長したものだ――。そんな感慨に浸っていた私が愚かだった。最初から、この計画だったのか。
「アリシア……」
「はい、お父様」
「お前、最初からそのつもりだったな?」
問いかけると、アリシアは悪びれる様子もなく、にっこりと微笑んだ。
……あの時の感動を返してほしい。
そもそも、お前は、魔法陣の完成に参加しなくていいのか、そう言おうと思ったが、無駄であろうと飲み込んだ。
「妃殿下は王太子妃だ。かすり傷一つ負わせるだけでも一大事になる。どうするつもりだ?」
するとアリシアは、その質問を待っていたかのように微笑んだ。
「お父様、お忘れですか? 妃殿下は治癒魔法をお使いになれます」
「……聞いていないぞ」
「以前、話しませんでしたか?」
絶対に聞いていない自信がある。しかし、アリシアは不思議そうに首を傾げる。
「王太子殿下との出会いも、お怪我をされた殿下を妃殿下が治癒魔法で助けられたことがきっかけで」
「その話は長くなるのか?」
「ご希望とあれば、一時間ほどに短縮できます」
「長い。今はいい」
世界樹という国家始まって以来の大事件を抱えているのだ。恋物語を聞いている余裕はない。
だが、人手不足が深刻なのも事実だった。
それに、いずれ妃殿下は「騎士の職業体験をしたい」と言い出すだろうとは思っていた。
避けては通れない話ならば、世界樹という最重要警備の下で、騎士団総出の護衛を付けられる今が、むしろ最も安全なのかもしれない。
訓練場で少人数の護衛を付けるより、よほど安心だろうか。いや、妃殿下が大人しくしているとも思えない。
私はしばらく考え込んだ末、小さく息を吐いた。
「……分かった。許可しよう」
腹を括るしかない。そして、アリシアへ厳しい視線を向ける。
「いいか。妃殿下に危険が及ぶようなことがあれば、私はお前を許さん」
「承知しております」
アリシアは表情を引き締め、深々と頭を下げた。
「必ず、この私がお守りいたします」
アリシアは胸に手を当て、自信満々に答えた。しかし、アリシアはまだ話が終わっていなかった。
「それと、お父様。今後の報告のことなのですが」
「……まだあるのか」
ようやく話が終わると思っていたのだが。
「はい。今後は口頭ではなく、報告書という形ではいかがでしょう?」
「報告書?」
「ええ。お父様はこれからお忙しくなるでしょうし、毎回お父様を探して王宮中を歩き回るのも面ど……いえ、時間がもったいないですわ。その日の出来事は簡潔にまとめてお渡ししますわ」
……今、本音が漏れたな。まあ、確かに、その方が互いの時間を無駄にせずに済むか。
「それに、私も職業体験へ参加いたしますので、体力を使います。早く終わらせ、帰宅後は十分な休養を取りたいと思っております」
アリシアは何事もないような顔で続ける。……結局、それが一番言いたかったのだな。私だって家に帰りたいが、この状況では難しい。
「翌日に疲れを残したままでは、妃殿下のお役にも立てませんわ」
もっともらしい理由まで添えてくるあたり、抜け目がない。私は苦笑し、小さく肩をすくめた。
「分かった。報告書で構わん」
そう答えると、アリシアは満足そうに微笑んだ。
「ありがとうございます、お父様。話が早くて助かりますわ」
……褒められているようで、少し馬鹿にされている気もする。私は咳払いを一つして、表情を引き締めた。
「ただし、騎士団長の指示には必ず従え。決して自己判断で動くな」
「承知しております」
アリシアは優雅に一礼する。
「ご心配には及びません。妃殿下と二人で、しっかり務めを果たしてまいります」
……どうやら私が心配する日々は、まだまだ終わりそうにないようだ。




