26.大きな世界樹になりました
「大変です、妃殿下。お父様がこちらへ向かっております。もう知られてしまったようです」
慌てた様子でアリシアが駆け寄ってくる。
「仕方ないわ。これだけ大きな騒ぎになっているもの」
私は空を見上げた。王宮のどこからでも見えるほど巨大に成長した木。これを隠し通すなんて、どう考えても無理だ。
すでに試験区画の周囲には、多くの人が集まっていた。調薬師たちは目を輝かせながら、世界樹を観察している。
その葉や樹液には膨大な魔力が宿ると言われ、過去の文献には「どんな病にも効果がある」と記されたものもある。
ただし、詳しい効能については未だ解明されていない。研究を生きがいとする調薬師たちにとって、これほど興味を惹かれる存在はないだろう。
もちろん、調薬師だけではない。
庭師たちも、魔法研究をしている者たちも、他部署から派遣された研究者たちも、皆が我先にと集まっている。未知なる奇跡を前に、誰もが興奮を隠せないようだった。
「妃殿下、よろしいですか。古文書の件は内緒にいたしましょう」
アリシアが声を潜める。
「え?」
「世界樹の種ですもの。植えた瞬間に大きく成長したとしても、不思議ではありません」
アリシアは周囲を確認しながら続ける。
「そもそも、誰も世界樹の種など見たことがないのです。これが本来の成長速度なのだと言われれば、否定できる者はいません」
「でも……大丈夫かしら」
「いいですか、妃殿下」
アリシアは真剣な顔で私を見る。
「植物の成長を早める魔法陣を使ったと知られたら、今度こそ職業体験は強制終了です」
「そんな……! まだ騎士の職業体験をしていないわ」
私は思わず声を上げる。
「そうでしょう? 当初の目的は、騎士だったはずです。ですから、秘密にしましょう」
アリシアは小さく笑った。
「……分かったわ」
「後のことは、私にお任せください」
そう言った直後だった。人の波が割れる。こちらへ向かってくるのは宰相。オスカーは周囲の状況を見るなり、すぐに指示を出し始める。
「騎士団は周囲を警戒。近づく者がいないように」
「はい!」
「研究者たちは一度下がりなさい」
連れてきた騎士たちが配置につく。そして宰相は、集まった者たちへ向かって声を張った。
「ここは許可があるまで立ち入り禁止とする。各自、持ち場へ戻りなさい」
「なぜです!」
「世界樹を調べたいのです!」
不満の声が上がる。しかし宰相は一歩も引かなかった。
「落ち着きなさい。調査の許可は必ず出す」
「ですが――」
「今、皆が一斉に押し寄せれば混乱する。もし誤って傷をつけたり、何かあって枯れるようなことがあれば、それこそ取り返しがつかない」
その言葉に、皆が黙る。
「まずは各部署の責任者が確認し、本当に世界樹であると判断してから調査を行う。それまでは待ちなさい」
宰相の言葉に、渋々ながら人々は散っていく。最後まで名残惜しそうに世界樹を見上げながら、それぞれの持ち場へ戻っていった。
残った騎士たちが警備につく。ようやく騒ぎが落ち着いたところで、宰相は大きく息を吐いた。そして、こちらへ歩いてくる。
「……妃殿下。国王陛下の元へ参りましょう。報告をしなくてはいけません」
その声には、すでに疲労が滲んでいた。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「なんで、こんな……」
宰相がため息交じりに言う。
「許可を出したのはお父様ですわ」
アリシアがすまし顔で告げた。
「……そうだな。はは、私が許可を出した……」
宰相は遠い目をする。その一言で、さらに疲れが増したように見えた。
重ね重ね申し訳ない。
国王陛下の執務室へ到着する。扉を開けると、国王陛下だけでなく、王太子ギルバートもすでに待っていた。
「世界樹が現れたと聞いた。本当なのか?」
既に報告を受けていたのか国王陛下が信じられないという表情で問いかける。
「はい。現在、確認を進めておりますが、おそらく間違いありません」
宰相が冷静に報告する。私は一歩前へ出て、頭を下げた。
「申し訳ありません、陛下。フェリから受け取った種を、私が植えました」
すると、宰相も隣に並び、深々と頭を下げる。
「王太子妃殿下から植樹の許可を求められ、それを認めたのは私です。今回の騒動の責任は、すべて私にございます」
二人で頭を下げる。
「ピピッ!」
フェリがふわりと飛び立ち、国王陛下の肩へ舞い降りた。
「ピピッ、ピッ!」
羽を動かしながら、一生懸命何かを伝えている。国王陛下はその様子を見つめ、ふっと笑みを浮かべた。
「なるほど。フェリ様は、『二人とも悪くない』と仰っているようだ。だから二人とも、頭を上げなさい」
「ありがとうございます」
恐る恐る顔を上げる。陛下はフェリの言葉が分かるのかしら。いいえ、正確に言葉を理解しているわけではないのかもしれない。仕草や鳴き声だけで気持ちを感じ取れるのだろう。
「ピピッ!」
フェリも満足そうに頷いている。国王陛下は表情を引き締めた。
「問題は、ここからだ。世界樹の管理方法は誰も知らぬ。他国へどう伝えるか、警備体制をどうするか、考えねばならぬことは山ほどある」
確かに、その通りだ。世界樹は神話の中の存在。育て方も、扱い方も、誰も知らない。
「管理方法については、私が調べます。文献も探しますし、フェリにも聞いてみます。お任せください」
私は一歩前へ出る。決して、この世界樹を枯らすわけにはいかない。
「他国への連絡は、私が引き受けましょう。各国とも混乱するでしょうから、こちらで状況を整理した上で通達いたします」
ギルバートが穏やかに微笑みながら名乗り出る。
「では私は、試験区画の警備体制を早急に整えます」
オスカーが続ける。すると、アリシアが一歩前へ出た。
「お父様。その件は私にお任せください。各部署の責任者から報告書が届いている頃でしょう。お父様は、そちらの対応をお願いいたします」
宰相は一瞬驚いたように娘を見つめ、それから静かに頷いた。
「……すまない、アリシア。頼む」
「お任せください」
堂々と答えるアリシアの姿に、宰相はどこか感慨深そうな表情を浮かべていた。その横顔を見ていると、胸が少し痛んだ。
ごめんなさい、オスカー。必ずいつか償うから。




