25.小さな種を植えました
試験区画へ向かい、私は小さな布に包んでいた種を取り出した。
青と緑が溶け合うように輝く、不思議な種。陽の光を受けるたび、宝石のような光沢を放っている。
「ここにしましょう」
小さく掘った穴へそっと種を置き、優しく土をかぶせる。最後にたっぷりと水を注ぐと、乾いた土がゆっくりと潤っていった。
そのとき、空から羽ばたく音が聞こえた。
フェニだわ。一直線に私のもとへ飛んできたフェニは、いつものように私の肩へちょこんと止まる。
「ピピッ!」
どこか嬉しそうに鳴くフェニだが、すぐに首をかしげる。私は思わず笑みを浮かべた。
「フェニったら。植えたばかりなのに、もう芽が出てくるわけないでしょう?」
フェニは肩から飛び立つと、植えたばかりの場所の上を何度も旋回した。
「ピピッ! ピッ!」
早く、早く。そう言っているように聞こえる。
けれど、何度旋回しても土に変化はない。やがてフェニは羽を落とし、私の肩に戻ってきた。そんな姿を見ていると、なんだか可哀想になってくる。
そうだわ。
「アリシア、近くにいる?」
「おります、妃殿下。何かご用ですか?」
「確か図書室の奥の部屋に、植物の成長を早める魔法陣が記された古文書があったと思うの。あれを使っても大丈夫かしら。オスカーの許可は必要?」
アリシアは少し考えてから答えた。
「以前、お父様から『あの部屋の鍵は王族しか触れん、お前は触れるな』というような内容を言われ、釘を刺されました。ですが、妃殿下ご自身がご自分でお持ちになり使うのでしたら問題ないと思います。妃殿下は王族ですから」
「そうよね。じゃあ、行ってくるわ」
私は急いで図書室へ向かった。中へ入ると、エレナ先輩がすぐに私に気付く。
「あら、ティナじゃない。また職業体験に来たのかしら?」
「今日は調べ物をしに来ました」
「あら、そうなの。残念だわ。もし国へ帰らなくてもよくなったら、ここで働くのはいつでも大歓迎よ」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げ、私は奥の部屋へ向かう。鍵を開け、書庫へ足を踏み入れた。
「ええと……植物、植物……」
古い本がぎっしりと並ぶ棚を見渡し、一冊ずつ題名を追っていく。
「あっ、これだわ」
『植物の成長促進陣』目的の古文書を見つけ、素早くページをめくる。
私は本を抱えたまま試験区画へ戻った。
フェニはもう旋回するのを諦めたのか、近くの木陰で小さく丸くなっている。どことなく、しょんぼりして見える。
「フェニ、少し待っていてね」
私は古文書をそっと開き、種を植えた場所の前へしゃがみ込む。
指先に魔力を集め、書かれていた通りの順番で空中へ線を描いていく。最後の一線を描き終えると、陣全体が淡い翡翠色の光を放ち始めた。
私は古文書に視線を戻し、古代語で記された呪文をゆっくりと読み上げる。
「――ディア・ルガ・クム・ノズ・ガジュア……」
一節唱えるごとに魔法陣の光は強さを増し、地面へ幾重もの光の輪が吸い込まれていく。さらさらと風が吹き抜け、試験区画の草花が一斉に揺れた。
ドクン――。
まるで大地そのものが鼓動したような感覚が足元から伝わってきた。土が細かく震え始め、ゆっくりと盛り上がり、小さな亀裂が一本、また一本と走っていく。
「来たわ……!」
思わず身を乗り出す。亀裂の隙間から、小さな黄緑色の芽が顔をのぞかせた。まだ指先ほどしかない、本当に小さな芽。それでも太陽の光を受けると、きらりと輝いた。
「ピピッ!」
フェニが弾かれたように飛び立つ。待ちきれなかったと言わんばかりに芽の周りを何度も旋回し、私の肩と芽の間を忙しく行き来する。
「ふふっ。そんなに嬉しいの?」
フェニは返事をするように高く鳴き、芽のすぐ近くへ降り立った。すると、小さな芽がフェニへ応えるように、わずかに葉を揺らした。
「えっ……?」
体から何かが勢いよく引き抜かれる感覚が走る。
体中の魔力が、芽へ向かって激流のように流れ始めた。大変だわ、ものすごい勢いで魔力が失われていく。
足元がふらつく。このままでは、まずい。私は声を張り上げた。
「アリシア! 魔力が足りないわ!」
「お手伝いします、妃殿下!」
駆け寄ってきたアリシアが私の手を握ると魔力が私へと流れ込んできた。
「っ……!」
それでも足りない。私もアリシアも、人よりずっと魔力量は多いはず。それなのに、二人分の魔力があっという間に吸い上げられ、枯渇寸前まで追い込まれていく。その時だった。
「ピィィィッ!」
フェニが高く鳴き、空へ舞い上がる。
翼を大きく広げると、魔法陣へ向かって眩い光を放った。
神々しい魔力が滝のように魔法陣へ流れ込む。土が大きく盛り顔を出したばかりの小さな芽は、一瞬で若木へと姿を変える。
さらに幹は太くなり、枝は次々と空へ向かって伸び、青々とした葉が音を立てるように生い茂っていく。木はなおも成長を続ける。
私たちの背丈を越え、建物を越え、まるで天を支える柱のようにどこまでも伸びていった。その圧倒的な生命力に、私はただ呆然と見上げることしかできない。やがて成長が止まり、辺りは静寂に包まれた。
目の前にそびえ立っていたのは――。
「……アリシア。これは、さすがにまずいわね」
私は乾いた笑みを浮かべる。アリシアも苦笑しながら頷いた。
「ええ……ごまかしは利きませんわね」
二人の視線の先には、王宮のどこからでも見えるほど巨大に育った一本の木。伝承でしか語られないはずの存在。
「ピピッ!」
フェニは満足そうに鳴くと、大きく枝を旋回し、一番高い枝へ嬉しそうに舞い降りた。
◇
バンッ! 執務室の扉が勢いよく開かれる。
「宰相様! 大変です!」
補佐官が、ノックをすることすら忘れて駆け込んできた。
「何事だ!」
思わず声を荒らげる。この男は冷静沈着で知られ、多少のことでは表情一つ変えない。その補佐官が顔面蒼白になっている。嫌な予感しかしない。
「ご報告いたします! 王宮に世界樹が出現しました!」
肩で息をしながら、補佐官は叫ぶように言った。
「…………は?」
世界樹? あの神話にしか登場しない世界樹のことか?
「……もう一度言え」
「王宮に世界樹が出現しました!」
聞き間違いではないらしい。
世界中の誰もが伝説としてしか知らない、生命の象徴。そんなものが、王宮に? あり得るはずがない。だが――。
私の脳裏に、一つだけ思い当たる出来事が浮かぶ。
神獣フェニ様が持ってきたという不思議な種。許可したばかりの……。嫌な汗が背中を伝う。
「……試験区画、か?」
補佐官は力強く頷いた。
「その通りです!」
……やはりか。妃殿下……。いや、違う。なんということだ。私が植える許可を出したのだった。私は静かに額へ手を当てた。
「すぐに行く。案内を頼む」
椅子から立ち上がる。執務などしている場合ではない。世界樹が本当に現れたのなら、国中、いや、世界中を揺るがす大事件なのだから。




