22.妃殿下の小さな研究
「さあ、やりますか」
薬草の補充も終わり、腕まくりをする。院長の許可も、オスカーからの許可も得ることができた。
私は空いている調合台の前に立つ。
まず作るのは、前使ってから気になっていた食器洗い用の洗剤。
そしてもう一つは、王子の世話係が困っていると言っていた、おむつや布類の洗浄に使える洗剤。
薬とは違うけれど、毎日の生活を支えるものもまた、人を助ける大切なものよね。
「まずは、食器用洗剤からね」
私は、現在王宮で使われている洗浄液を小瓶に移し、じっと観察する。
魔力の流れを見る。魔力がある植物がいくつか使われているのね。
なるほど、それが絡み合い、一つの効果を生み出している。
「汚れを、水に従わせる魔力を強めるといいかしら」
この洗浄液に込められた魔力は、汚れと水の間にある境界へ干渉している。
そっと小瓶を置く。
「一度、魔力を外して考えてみましょう」
魔力は確かに便利だが正しく理解して使用しないと効果は半減する。
もっと簡単に使えることことができれば、多くの人が使えるものになる。
私は材料を並べながら考える。油汚れに有効なのは、油を包み込み、水へ流す性質を持つ成分。
「必要なのは、これかしら?」
いくつかの薬草を手に取る。
まず選んだのは、泡花草。水に入れると細かな泡を作り、汚れを浮かせる性質を持つ薬草だ。
次に、月雫葉。葉に含まれる成分が油を細かく分け、器から離れやすくする。
「それは、うまく混ざらないよ」
突然、背後から声がかかった。
「……え?」
振り返ると、そこには先ほどから調薬院で作業をしていた先輩調薬師が立っていた。
いつから見ていたのだろう。私は慌てて姿勢を正す。
「もしかして、使ったことがおありなのですか?」
「ああ」
彼は試作品の材料へ視線を向けながら頷いた。
「その洗浄液を作ったのは、僕だからね」
「……え?」
思わず目を瞬かせる。今、私が改良しようとしていたものを作った本人だったとは。
もしかして、勝手に改良しようとして、気分を悪くさせてしまったかしら。
私は慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません。作った方に相談もせず改良しようとしてしまって……」
「え?」
彼は一瞬驚いた顔をした後、すぐに穏やかに笑った。
「何も謝ることはないよ」
「ですが……」
「より良いものを作る。それが私たち調薬師の使命だからね」
彼は調合台に並べられた薬草を見る。
「僕だって、一から新しい薬を作ることよりも、既存の薬をどう改良するかを考えることの方が多いんだ。今あるものを、もっと安全に。もっと効果的に。もっと多くの人が使えるようにする。それも立派な研究だよ」
その言葉に、気が楽になる。志が立派だわ。
「それより、君がどう改良するのか、ぜひ見てみたいな」
彼は興味深そうに私の試作品へ目を向ける。
「ありがとうございます」
私は改めて材料へ視線を落とした。
「ひとつ知りたいのですが、うまく混ざらなかった理由はなんですか?」
「ああ、泡花草だよ」
「やはり……」
泡花草は洗浄効果が高いが、扱いが難しい。
水との相性は良いのに、他の成分と合わせると分離してしまう。私は手に取った薬草を見る。
「だから、私も使うのは諦めたんだ」
彼は苦笑する。私はもう一度、泡花草を見つめる。
「それならば――」
私は別の薬草棚へ視線を向けた。
泡花草の力を生かすためには、混ぜる相手を変えるのではなく。その性質を受け入れ、仲介するものが必要なのかもしれない。
「泡花草と他の成分の間を取り持つものを使ってみます」
「そんなものが?」
先輩調薬師が興味深そうに尋ねる。
「あります。水守葉です」
私は棚の奥から、一枚の葉を取り出した。
「これが……?」
「水の性質を安定させる薬草です。単体では薬効は弱いですが、他の薬草の力を馴染ませる働きがあります」
学院で習った時には、薬を作る際の補助薬草として扱われていた。主役になることは少ない。
「もしかすると、泡花草に相性がいいかもしれません」
私は少量ずつ混ぜ合わせる。
泡花草の抽出液、月雫葉の粉末、そして水守葉の煎液。先ほどまで分離していた液体が、今度はゆっくりと馴染んでいく。
先輩調薬師が黙って見つめる。
私は慎重に混ぜ続けた。水守葉が間に入ることで、泡花草の力が暴れることなく安定している。
「……驚いたな。泡花草の力を残したまま、完全に安定させている。完成かい?」
「いいえ、ここで終わりではありません。油汚れを落とす力が強すぎます。手が荒れないことも大切ですので、対策をします」
私は新しく白露花の花びらを少量取り出した。
「白露花は、刺激を和らげる薬草です」
細かくすり潰し、液体へ加える。
小瓶の中には、淡く白みを帯びた液体ができていた。けれど、しばらく置いても分離しない。
先輩調薬師が瓶を受け取り、光に透かして確認する。
彼は楽しそうに笑った。
「僕が作った洗浄液は、魔力で成分を安定させていたんだ。でも君は、薬草同士の性質を利用して同じことを成し遂げた」
先輩調薬師は小瓶を眺めながら、楽しそうに目を細めた。
「試してみよう」
「はい」
私は頷き、調薬院の隅に置かれていた使用済みの食器を用意する。
そこには、料理で使われた油がこびりついていた。
王宮の厨房で毎日大量に出る汚れに似たもので試してみることが大事だわ。
「まずは、少量で試します」
先輩調薬師が黙って見つめる。
液体はすぐに細かな泡へ変わった。柔らかく、きめ細かな泡だった。
私は布を使い、油のついた皿を軽く撫でる。
「え……?」
先輩調薬師の思わず声が漏れる。
汚れが、少し力を入れるだけで綺麗に流れていった。水ですすぐ。すると皿の表面には、油の膜が一切残っていなかった。
「すごいな。泡花草の洗浄力を失わず、ここまで安定させるとは。王宮の厨房が喜ぶだろうね。ティナ、だったかな? よくやった」
「はい」
思わず頬が緩む。認めてもらえたことが嬉しい。けれど、まだ、終わりではない。
「次は、布の洗剤を改良したいのですが……」
先輩調薬師はすぐに理解したように頷いた。
「ああ。それなら、おすすめの薬草がある。香雪葉だ」
「香雪葉……?」
初めて聞く名前だった。
「これは最近発見された薬草でね。まだ研究段階のものだけど、抽出液には強い消臭効果がある」
先輩調薬師は薬草棚から、小さな束を取り出した。白銀色の細かな葉。
雪のような粉をまとっているように見える、不思議な薬草だった。
「乾燥させた状態では効能は弱いけれど、水に浸すと葉の中にある成分が溶け出して、嫌な匂いを消す性質がある」
私は香雪葉を受け取り、じっと観察する。
「泡花草で汚れを浮かせ、水守葉で成分を安定させ、白露花で刺激を抑える。そして香雪葉で匂いを取り除く。その組み合わせなら、かなり期待できると思うよ」
先輩の言葉を聞き、私はすぐに調合台へ向かった。まず、香雪葉を細かく刻む。
葉の表面を傷つけることで、中に含まれる成分が抽出しやすくなる。
「香雪葉の消臭成分は熱に弱く、高温にすると効果が失われてしまうから気を付けて」
「はい」
ぬるめの水へ浸し、ゆっくりと煮出していく。透明だった水が、少しずつ淡い雪色へ変化していく。
先ほど作った洗浄液の基礎となる泡花草の抽出液を加える。けれど、食器用とは少し配合を変える。
「布の場合、洗浄力だけを高くすると繊維を傷めてしまいます。だから、泡花草を少し減らして、香雪葉を増やそうと思います」
「いいね」
私は少しずつ材料を加えていく。
最後に、水守葉の煎液を混ぜる。先ほどは成分を馴染ませるために使ったものだが、今回は布に薬液が残りすぎないよう、さらに薄めに調整する。
私は洗浄液を水に溶かし、布を浸す。
しばらく置いた後、優しく揉み洗いする。布から、嫌な匂いが消えていく。汚れも落ち、繊維は柔らかいまま。
すすいだ後の布を手に取ると、ほのかに清らかな香りが残っていた。
「汚れを落とすだけではなく、使う人の負担も減らせるね」
先輩調薬師が驚いたように目を見開く。そして、ゆっくり笑う。
私は完成した二つの小瓶を見る。
ふふ、オスカーにできた洗剤を各部署に届けてもいいか、また許可をもらわなくてはいけないわね。




