20.調薬院での再会と新たな出会い
「あれ? 君、もしかして王宮図書室にいた人かな?」
調薬院へ足を踏み入れた瞬間、自己紹介をするより先に、声をかけられた。
振り向くと、以前王宮図書室で会ったことのある男性が立っている。あ、図鑑を借りに来られた方だわ。
「そうです! 私も覚えています。薬に使える植物を調べていらっしゃいましたよね。火傷に効く塗り薬の研究は、その後どうなりましたか?」
私が尋ねると、彼は嬉しそうに頷いた。
「まだ改良の余地はあるけれどね。君が見つけてくれた論文が、本当に役に立ったんだ」
「それはよかったです」
思わず笑みがこぼれる。役に立てたのなら嬉しい。
「本当はまた、お礼を言いたかったんだ。でも、職業体験で来ていただけだと聞いてね。もういないと言われていたから会えてよかった」
「本日から一週間、今度はこちらでお世話になります。ティナ・アストレアと申します。どうぞよろしくお願いいたします。ティナとお呼びください」
頭を下げると、彼は穏やかに笑った。
「ティナだね。よろしく。僕のことはキリルと呼んでくれ。では、まずは調薬院の中を案内するよ」
「はい、お願いいたします」
こうして私は、調薬院での職業体験を始めることになった。
「ここが作業室だよ」
案内された部屋に入ると、そこには何人もの調薬師たちがいた。
しかし、不思議なほど静かだった。誰も雑談をすることなく、それぞれが目の前の作業に集中している。
薬草を刻む音、器具を扱う小さな音だけが、室内に響いていた。
「凄く静かですね」
邪魔しないように小さく言うと、案内してくれている彼は苦笑した。
「そうだね。みんな自分の世界に入り込んでしまう人たちばかりだから」
なるほど……。仕事や研究に没頭するタイプの方が多いのかもしれない。
でも、一週間お世話になるのだから、挨拶は必要よね。
「皆様、少しよろしいでしょうか。ティナ・アストレアと申します。本日から一週間、こちらでお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします」
声をかけると、何人かがこちらを見る。
けれど、返事の代わりに軽く会釈をしただけで、すぐにまた自分の作業へと戻っていく。
「悪いね。みんな悪気はないんだ。ただ、人見知りも多くてね。だから、他の部署とのやり取りや説明なんかは、だいたい僕が担当しているんだ」
隣にいた彼が申し訳なさそうに言う。
「そうだったのですね。大丈夫です。気にしていません」
私は作業室を見渡しながら微笑んだ。
むしろ、目の前の仕事にこれほど真剣に向き合っている姿は、とても好ましく感じた。
この場所では、言葉よりも研究の成果で信頼を築いていくのかもしれない。
「あと、こっちも案内するよ」
作業室を出ると、廊下の先にはいくつもの温室が連なっていた。
ガラス越しに見える中には、様々な種類の薬草が丁寧に育てられている。王宮の庭園とはまた違った、管理された美しさがあった。
「ここでは薬草を育てているんだ。調薬に使うものだから、種類ごとに環境を変えて管理しているんだよ」
説明を聞きながら歩いていると、彼がふと足を止めた。
「あ、いた。マーカスさん」
温室の奥で植物の手入れをしていた男性が、こちらへ顔を上げる。
土のついた手袋を外しながら、ゆっくりと近づいてきた。
「なんだ?」
この方は見覚えがある。
以前、ギルバート様と庭を散歩していた時に何度かお会いしたことがあった。
王宮の庭園を管理する庭師。その中でも、植物への知識と管理能力を高く評価されている方だ。
「ティナ、こちらはマーカスさん。王宮庭園の監督者でもあり、この温室の管理も任されている優秀な方なんだ」
「急に褒めるとは珍しいな」
マーカスさんは少し照れたように笑った。
「それで、こちらのお嬢さんは新しい調薬師か?」
「いや、職業体験なんだって。王太子妃殿下の国から社会勉強に来られたと聞いたけれど、合っているかな?」
「ええ、そのようなものです。一週間という短い期間ですが、こちらで多くを学ばせていただく予定です。どうぞよろしくお願いいたします」
頭を下げると、マーカスさんはじっと私を見る。
「王太子妃殿下の……親戚か何かか? どこか似ているような気もするが……」
やはり気づく方はいるのね。完全に隠すことは難しい。
「そうなのです。遠い親戚ではありますが、私は末席の者です。立場も高くありませんので、どうぞお気軽にお話しいただけると嬉しいです」
そう伝えると、マーカスさんは納得したように頷いた。
「そうか。よろしくな」
「はい。よろしくお願いいたします」
私は微笑みながら、改めて温室を見渡した。
薬草たちは、どれも生き生きとしている。葉の色、茎の張り、土の湿り具合まで細かく管理されていることが分かった。
「とても素晴らしい温室ですね」
思わず声に出すと、マーカスさんがこちらを見る。
「そうか?」
「はい。薬草は種類によって好む環境が違うと聞いています。ですが、こちらの温室ではそれぞれの場所で最も良い状態になるように配置されていますね」
素晴らしい管理力だわ。
「こちらの葉も、とても綺麗です。色が濃くて艶があります。きっと毎日の水やりだけではなく、日当たりや風の流れまで考えて管理されているのですね」
そう言うと、マーカスさんの表情が少し変わった。先ほどまでの警戒するような雰囲気が、少しだけ和らぐ。
「……ほう。分かるのか?」
「詳しい専門家ではありませんが、植物を見るのは好きです。それに、これだけ丁寧に育てられているものなら、誰でも気づくと思います」
私が答えると、マーカスさんは小さく笑った。
「調薬師たちは、必要な薬草を採るとさっさといなくなってしまう。管理の大変さなど分かっているんだかいないんだか。君は見る目があるようだ」
嬉しそうに頷いて、近くにあった薬草を摘む。
「この薬草はな、普通ならもう少し日陰で育てるんだが、この温室では魔石の光を少し調整して――」
そこから始まった説明は、想像以上に長かった。
けれど、マーカスさんがどれほど植物を大切にしているのかが伝わってきて、私は楽しく耳を傾けた。
「マーカスさん、本当に植物がお好きなのですね」
「当然だ。何十年も育ててきた相手だからな」
そう言って笑う彼の顔には、職人としての誇りが浮かんでいた。
「……マーカスさんが、こんなに話しているのは珍しいよ」
「そうなのですか?」
「ああ。普段は必要なことしか話さない人だから」
「余計なことを言うな。お前ら調薬師だってそうだろう」
マーカスさんはそう言いながらも、どこか機嫌が良さそうだった。
どうやら私は、無事にこの温室の主とも仲良くなれたようだった。




