19.今日も宰相はため息をつく
ギルバートとお茶を楽しんでいると、どこか疲れ切った表情の宰相のオスカーが部屋へ入ってきた。
「王太子妃殿下。少々目立ち過ぎましたので、職業体験はここで終了といたしましょう」
オスカーは、大きくため息をついてからそう告げる。
えっ……嘘でしょう? まだ三週間しかたっていないわ。
「待ってオスカー、考え直して。約束どおり、大きな問題は起きていないと思うわ。……たぶん」
最後だけ自信がなくなり、小さく付け加える。
「そうですね。妃殿下は、どの部署でも大変役に立ってくださいました」
「だったら――」
期待を込めて言葉を続けようとした私を、オスカーは静かに遮った。
「役に立ち過ぎたのです。各部署から『職業体験終了後は、ぜひ我が部署へ配属してほしい』という要望が次々と届いております」
「まあ!」
そんなことになっていたなんて。嬉しいわ。
「ですので、『ティナ』は職業体験終了後に帰国する予定であると、すべてお断りしておきました」
それは、そうよね。仕方ないわ。でも……。
「今度は目立たないようにするから」
「本当にお約束いただけますか?」
真っすぐ見つめられ、私は何も言い返せなかった。その沈黙を破ったのは、隣で紅茶を飲んでいたギルバートだった。
「オスカー。調薬院はどうだ?」
オスカーが視線を向ける。
「あそこの調薬師や研究者は、研究一筋の者ばかりだ。基本的に他人へ興味を示さず、自分の仕事や研究に没頭している。目立ったとしても気にしなさそうではないか?」
「ですが、調薬院には薬に使われるものだけでなく、扱いを誤れば危険な薬草や毒草もあります。十分な知識がありませんと――」
「その点なら心配ないよ」
ギルバートは穏やかに笑った。
「セレスティーナは薬草に詳しい。それどころか、調剤もできる」
オスカーが驚いたように私を見る。ここは、アピールするべきよね!
「そうなの、オスカー。自分の身は自分で守れるよう、小さい頃から教育を受けてきたの。薬草や毒草についても学んできたから、危険はないわ」
それでもオスカーの表情は晴れない。私は両手を胸の前で組み、祈るような気持ちで彼を見つめた。
「……分かりました」
長い沈黙の末、オスカーは諦めたように息をつく。
「ですが、くれぐれも無理はなさらないでください。何か新しいことを始める際は、必ずアリシアを通して私に相談していただけますか?」
「もちろんよ」
私が勢いよくうなずくと、オスカーは苦笑を浮かべた。
「承知しました。それでは、調薬院への手配を進めます」
「ありがとう、オスカー」
やったわ! 勢いよくギルバートを見ると、嬉しそうに微笑んでいた。
◇
「調薬院か……アリシア、いるか?」
部屋を出て廊下で声を出すと、聞き慣れた返事とともに、娘がどこからともなく姿を現した。
「ここにおります、お父様」
いるような気がして声はかけているものの……本当にいると結構驚く。もちろん宰相として、また、父として態度には出さないが。
隠蔽魔法、本当に怖いな。いつもどこかで見られているような気がして、家でも落ち着かない。
「聞いていただろう。次の職業体験は調薬院だ。本当に王太子妃殿下は、薬学に詳しいのか?」
廊下を並んで歩きながら告げると、アリシアはあっさりとうなずいた。
「はい。学者レベルです。それより、ご相談があるのですが」
アリシアは、さらりととんでもないことを言ってすぐ話題を変えた。
「……何だ」
「毎日の報告は本当に必要でしょうか?」
思わず、額に手を当てた。何を言っているんだ?
そもそも、厨房での妃殿下の皿洗いは、熟練の使用人すら舌を巻く手際だったという。
皮むきも常人とは思えぬ速さでこなし、料理対決では、アリシア自身が妃殿下の助手として参加していた。
『アリシア様もお手伝いなさっていましたよ。宰相閣下はご存じなかったのですか?』
料理対決が終わったあと、厨房の者たちから話を聞かされ、私は思わず言葉を失った。
私は、一言も聞いていない。面白がって黙っていたに決まっている。
あれだけ毎日報告しておきながら、肝心なことは何一つ報告していなかったのに、毎日の報告は本当に必要か、だと?
「必要に決まっているだろう。毎日報告したくないということか?」
そう尋ねると、アリシアは呆れたようにため息をついた。
「そういう嫌味な言い方は、人に嫌われますわ、お父様。陰でお父様の悪口を耳にするのは、娘としてあまり気分の良いものではありませんのよ。どうかお気を付けください」
嘘だろ。陰口を言われているのか私は……。一体、どこのどいつだ。
「今までだって、職業体験を始めたばかりの頃は特に問題などありませんでした。それに妃殿下は、何かあれば必ずお父様へ相談するとさっき約束なさったではありませんか。それに、私も暇ではありませんのよ」
「暇ではない……?」
思わず眉をひそめる。
「私は娘に会いたくて呼び出しているわけではない。これは職務だ!」
そう言った途端、アリシアはわざとらしく目を丸くし、胸に手を当てて大げさに肩を震わせた。
「まあ、お父様ったら。私には会いたくない、と」
話が飛躍し過ぎだ。今にも泣き出しそうな声音だが、その口元はわずかに緩んでいる。
やはり完全に面白がっているだけだ。
「違う、そういう意味ではなく……」
どう説明しても墓穴を掘りそうだ。私は諦めて一つ息を吐いた。
「ああ、もう分かった。毎日の報告は不要だ」
アリシアの表情が少しだけ明るくなる。
「ただし、お前の常識ではなく、一般的に見て報告が必要だと思われる事態が起きた場合は別だ。その時は、私が何をしていようと必ず報告に来るように」
「承知いたしましたわ」
娘は優雅に一礼する。
返事だけは実に素直だ。
……あとは、娘の「一般的」という基準が、世間一般のものと一致していてくれと願うだけだ。




