17.報告:明日、副料理長と妃殿下が対決いたします
六日目の朝。
私は料理長のお手伝いをしながら、ソースの改良について意見を出していた。
香辛料の種類を変え、香りの立ち方を調整する。
料理長は長年この厨房に立っているだけあって、素材の扱い方も味の組み立ても素晴らしい。ただ、香辛料は、詳しくないようだ。
そんな話をしていた時だった。厨房の奥から、少し緊張感のない声が響いた。
「おいおい、何の騒ぎだ?」
振り返る。そこには、見慣れない男性が立っていた。
料理人の服を着ているものの、その雰囲気はどこか自由人だった。
長旅から戻ったばかりなのか、少し乱れた髪と、どこか楽しそうな表情。
「ん? 何だ、ソースか」
男性は周囲の視線など気にも留めず、鍋の横に置かれていた小皿へ手を伸ばした。
「少し失礼するぞ」
厨房にいた料理人たちが、固唾を飲んで見守る中、男性はゆっくりと顔を上げた。
「ふん……まあまあだな」
その言葉に、何人かの料理人が眉をひそめる。だが、男性は気にする様子もなく腕を組み、得意げに笑った。
「私の秘伝のスープに比べれば、まだまだ足元にも及ばんがな。ははは!」
……なるほど。この方が、副料理長なのね。
副料理長は懐から小さな袋を取り出した。
「良質な香辛料が手に入った。やはりグレシア王国は良いものが揃っている」
わざわざ行ったのかしら? 私は思わず瞬きをした。近くにいた料理人が困ったように答えた。
「……副料理長は、珍しい香辛料を探すために隣国へ買い付けに行かれていたのです」
「職務を放り出して、ですか?」
「ええ……まあ……」
料理人は曖昧に笑う。
なるほど。この方は、新しい味を探し続ける探究者なのだろう。ただ……。それは出張という扱いでよいのかしら。
「それで?」
副料理長は小皿を持ったまま、料理長へ視線を向けた。
「これは料理長のソースかな?」
そして、口元を上げる。
「次の料理長の座を狙っている私に、まだ無駄なあがきを見せるつもりか?」
「……これは、純粋に改良しているだけだ」
料理長は呆れたように息を吐いた。
「それに、これはティナさんが協力してくれているものだ」
「ティナ?」
副料理長の視線がこちらへ向く。
「料理長のお料理に、少しだけ提案をさせていただきました。ティナです」
「どこを変えた?」
「少し香辛料を加えて、最後に香味油を数滴。それだけです」
副料理長は再び小皿へ視線を落とした。鼻を近づけ、香りを確かめる。
先ほどまで浮かべていた軽い笑みが、ほんの少しだけ消えた。
「……なるほど。まあ、それでも私の秘伝のスープにはまだ及ばんな」
厨房の空気が、わずかに固まる。その時、後ろにいた料理人が小声で呟いた。
「……秘伝のスープ、秘伝のスープと言いますけどね。元々は料理長が途中まで完成させていたスープなんですよ」
「副料理長は、香辛料や配合を変えるのが得意なだけで……」
私は副料理長を見る。
「アレンジの才能があるですね」
思わず呟いた。すると、副料理長が振り返る。
「……何?」
あら、聞こえてしまったようだわ。
「君、面白いことを言うね」
副料理長は笑う。
「料理の基礎がないくせに、小賢しい手が得意、とでも言いたいのかな?」
「そんなつもりではありません」
私は慌てて首を振った。
「むしろ、最後の一手で料理を変えるというのは、とても難しいことだと思います」
「ほう?」
「副料理長様には、料理の完成形を読む力がおありなのだと思います」
私は続ける。
「ですが、それは料理を作る方々が積み重ねてきた土台があるからこそ、最大限に発揮されるものなのではないでしょうか」
厨房が静まり返った。料理人たちが顔を見合わせる。副料理長の笑顔が、ゆっくりと消えた。
「……君。今、私を否定したのか?」
私は首を振った。
「才能を否定したわけではありません。ただ、料理長様が何時間もかけて作られたスープがあり、その味を理解した上で最後の調整をされているのであれば、その功績はお二人のものだと思っただけです」
副料理長の表情が険しくなる。
「随分と偉そうなことを言うじゃないか」
声が低くなる。
「少し味が分かるからといって、料理人を評価する立場になったつもりか?」
周囲の料理人たちが息を呑む。
「私は何十年も香りを追い求めてきた。世界中を回り、誰も知らない香辛料を探し、誰にも真似できない組み合わせを見つけてきた」
副料理長は胸を張った。
「その私に向かって、『土台が』だと?」
副料理長の眉がぴくりと動く。
「私に説教をするつもりか?」
そして、挑むように笑った。
「偉そうに。なら、証明してみろ」
「証明?」
「君が、そこまで言うほどの実力があり、味を理解しているというなら勝負だ」
副料理長は小皿を置いた。厨房がざわつく。
「君には、私の秘伝のスープの材料を全て当ててもらおう。その上で、同じソースを再現してもらう。もし一つでも外し、無様なものを作ったなら――君には、この厨房を辞めてもらう」
「副料理長!」
料理長が声を上げる。しかし、副料理長は止まらない。
「もし君が再現できたなら、私が、この厨房を去ろう」
口角を上げる。料理人たちが息を呑む。
「どうだ、自分に絶対の自信があるなら、受けられるだろう?」
自信はありますけど。
「副料理長がお辞めになることはないのでは……?」
「ふん、なんだ。もう勝った気でいるのか?」
副料理長は鼻で笑う。
「話にならんな」
そう言い残し、厨房を出ていった。残された私は、小さく息を吐いた。
「……困ったことになったな」
料理長が頭を抱える。
「すまない、ティナさん」
「いえ、大丈夫です」
私は苦笑した。
「ただ……私は数日後には職業体験を終える予定なのですが。副料理長様は、ご自分の人生をかけてもよかったのでしょうか」
その言葉に、料理長と料理人たちは顔を見合わせた。
◇
「というわけで、明日、副料理長と妃殿下が対決なさることになりました。秘伝のスープの再現です。報告は以上です」
娘から告げられた言葉に、私はしばし沈黙した。
妃殿下が厨房で働かれる職業体験も、明日で最後だった。
皿洗いから始まり、野菜の皮むき、食材の下処理、切り分け、味見。
王宮の厨房という場所で、妃殿下が自ら手を動かされるという異例の出来事に、最初は戸惑っていた。
だが、蓋を開けてみれば、大きな問題が起きることもなく、むしろ厨房内には良い変化すら起きていた。
私は密かに胸を撫で下ろしていたのだ。
……このまま、最後まで何事もなく終わるのではないか、と。
「秘伝のスープ……国王陛下がお気に召しているという、あのスープを作る副料理長か?」
「はい」
娘は迷いなく頷いた。
「得意げに『秘伝』や『門外不出』と口にされている、あの方です。しかし、秘伝のスープ。何でも基礎の部分はほぼ料理長が作っていたことが判明しました」
「なんと、それは……だが、秘伝の部分はあるのだろう? それを、暴けと?」
私が尋ねると、娘は楽しそうに微笑んだ。
「お父様、忘れてはいけません。妃殿下は神の舌をお持ちです」
娘は当然のことのように続ける。
「妃殿下も、あのスープを口にされています。すでに味の構成は理解されているのでしょう」
「……何?」
私は思わず黙り込んだ。
「さらに、副料理長の秘伝の部分はもうすでにわかっているようで、材料をフェリ様に頼んで集めてもらっています」
フェリ様、と言うことは、この国には無いものなのか?
「副料理長は、ご自身のスープに絶対の自信を持っておられるようです。負けた相手は、厨房を辞めるという条件まで出されました。ふふ、妃殿下の厨房での職業体験は明日で終わりだというのに勇み足ですわね」
娘が可笑しそうに笑う。確かに、どちらに転んでも、妃殿下にはダメージがない。
「副料理長は、国王陛下がスープをお気に召されたことで、少々、自由に振る舞っているようです」
「自由?」
「ええ。商会を通せば手に入る香辛料であっても、自分の目で確かめたいと仰って、突然他国へ向かわ、一週間ほど厨房をあけることもあるとか」
「それは……職務に問題はないのか?」
私は思わず額を押さえた。
いったい、どこの管轄が許可を出しているのだ。料理への情熱という言葉で済ませてよいものではないだろう。
「職務放棄をしての、ご旅行ですね」
「……」
娘の言葉に、私は返す言葉を失った。
「あいにく明日は、大事な視察があるから見に行くわけにもいかない。心配だが、報告は頼んだぞ」
私は深いため息を吐く。
「お任せください。そう言えば、王太子殿下が、勝負の審査員を買って出られたそうです」
「いつの間に……ただ単に、王太子妃殿下の料理を食べたいだけではないのか?」
「それも理由の一つではあると思います。ですが、王太子殿下は公正な方です。妃殿下が負けるという心配は全くありませんけど、贔屓をするという考えはないでしょう」
「そういうことを心配しているのではないのだが……」
副料理長は、職を失うことになるのだろうが、処分はそれだけでは足りないだろう。
いっそ、王太子殿下にお任せしても良いかもしれないな。




