13.小さな守護者の怒り
「陛下。少し、エリスと話をしてもよろしいでしょうか?」
「ああ。構わない」
陛下から許可をもらい、私は椅子から立ち上がった。ギルバートが、こちらへ視線を向ける。その瞳には、わずかな心配が浮かんでいた。けれど、私は微笑んでみせる。
私は、ゆっくりとエリスへ向かって歩き出した。エリスは、呆然としたまま私を見つめている。その瞳の奥には、消えない怒りがあった。
自分が悪いとは、少しも思っていない。すべては誰かのせい。
王太子殿下が自分を選ばなかったから。私が王太子殿下のそばにいるから。運命が間違ったから。
私は、エリスのすぐそばまで近づく。そして、周囲には聞こえないほどの小さな声で囁いた。
「エリス。私の顔をよくご覧なさい」
「は?……顔?」
エリスが、戸惑ったように眉を寄せる。
「ええ。よく見て。私の髪の色が茶色で、そばかすがある。そう思えば……誰かに似ていると思わない?」
「……え?」
エリスの表情が、少しずつ変わっていく。私の顔を見つめていた彼女の目が、大きく見開かれた。
「まさか、あの乳母……? は……はは……結局、あなたなのね! あなたが、いつも私の邪魔を……!!」
エリスの口から、乾いた笑いが漏れた。その笑い声に、謁見の間にいた者たちがこちらを振り返る。私は、黙って彼女を見下ろした。
「あなたが私の運命を奪った!」
「奪った?」
叫ぶエリスに向かって私は、わずかに首を傾けた。
「あなたの運命を? ――では、あなたは、私から何を奪おうとしたのかしら? 私の夫を? 私の子供を? それとも、私の運命かしら」
私は、にっこりと微笑んだ。エリスの顔が、歪んだ。そして、ついに我慢できなくなったのだろう。
「悪いのはあなたよ! あなたが全部悪いのよ!」
エリスが、突然、私へ掴みかかろうとした。
「……フェニ」
どこからか現れたフェニが、ゆっくりと翼を広げた。いつもなら、愛らしく羽ばたき、私の肩に乗って甘える小さな召喚獣。けれど今のフェニは、いつもの姿とはまるで違っていた。
その身体から、凄まじい魔力が膨れ上がる。空気が震えた。謁見の間にいた者たちが、何事かと息を呑む。フェニの小さな身体を中心に、風が渦を巻き始めた。
フェニが、翼を一度だけ小さく揺らした。
「きゃあああああっ!」
エリスの身体が、風に煽られて大きくよろめく。伸ばしかけた手は私に届くどころか、押し戻された。そのまま、エリスは床へ尻もちをつく。
「な、何よ、何なのよ……!」
彼女は恐怖に顔を歪めながら、必死に立ち上がろうとした。けれど、風がさらに強くなる。王家に仕える近衛兵でさえ、剣の柄に手をかけたまま、迂闊に動こうとはしない。
フェニはもちろん手加減をしている。もしフェニが本気で力を振るえば、この謁見の間そのものがどうなるか分からない。
再びフェニは、私を守るように翼を広げた。
「ひっ……!」
エリスが、ずるずると後ずさる。フェニは、ゆっくりと首を傾けた。そして、翼をほんの少しだけ動かす。
――ゴウッ!
エリスの身体が再び吹き飛ばされ、床の上を転がった。今度こそ、彼女は立ち上がることすらできず泣き声が響き渡る。
「フェニもういいわ」
フェニはようやく翼を畳んだ。風が止む。今までのすべてが幻だったかのように、謁見の間に静寂が戻った。フェニは何事もなかったように私の肩にとまる。
「ありがとう、フェニ」
するとフェニは、満足そうに小さく鳴いた。さっきまで謁見の間全体を震わせていた存在とは思えない、いつもの愛らしい姿だった。私は、泣き崩れるエリスを見下ろした。
「エリス」
彼女が、涙で濡れた顔を上げる。私は、静かに告げた。
「私を傷つけるために、王子を利用したことは、決して許さないわ。さようなら」
エリスが、息を呑む。
「連れて行け」
陛下の声が、謁見の間に響いた。陛下の命令に、近衛兵が進み出る。
「嫌! 嫌よ! 私は王太子妃になるはずだったの……これは間違いよ!」
叫び声が遠ざかっていく。私は、二人の背中を見送った。
◇
「お母様ですよ。王子」
そう声をかけると、腕の中の王子は小さな唇をもごもごと動かした。
「だ、まっ、あ」
何かを一生懸命に話しているような声に、思わず頬を緩める。まだ意味のある言葉にはなっていない。それでも、こうして声を聞かせてくれるだけで、成長を感じる。
「あら、何をお話ししているのかしら。これからは、もう安心して過ごせるわね」
「あ、だあ!」
王子は私の顔をじっと見つめながら、また小さな声をこぼした。その姿があまりにも愛らしく、抱きしめる腕にそっと力を込める。
「セレスティーナ、私にも抱かせてくれ」
声をかけてきたギルバートが、王子へ向かって両手を差し出した。
「ほら、王子。お父様だよ」
「ぶうーー」
王子はギルバートの顔を見た途端、ぷいっと顔を背けるようにして、盛大に声を上げた。
「ぶう? それは、駄目ということかい?」
ギルバートは少し困ったように眉を下げたが、次の瞬間には王子の顔を覗き込み、ふっと苦笑を浮かべた。
「しかし、眉間にしわを寄せるところは、父上によく似ているな」
「なに? 愛する孫が私に似ているだと?」
すかさず反応したのは、近くで様子を見ていた国王陛下だった。嬉しそうに目を輝かせると、王子へ向かって両手を伸ばす。
「さあ、私のそばに」
国王陛下がそっと抱き上げる。
「あ、うえ……うえーん!」
王子の顔が、みるみるうちに歪んだ。
「ああっ、泣いてしまった! どうした、王子。困ったな。私の顔が怖かったのか?」
国王陛下は、見るからに狼狽した様子で王子を見つめた。先ほどまでの威厳などどこへやら、愛する孫に泣かれた祖父の顔になっている。
「ああ、困ったな。オスカー、頼む!」
「え? 私ですか?」
突然名を呼ばれたオスカーが、驚いたように目を見開く。
「お、王子殿下。宰相のオスカーですよ?」
恐る恐る声をかけながら、オスカーが王子の視界に入る。すると――。
「きゃきゃっ!」
先ほどまで泣いていた王子が、ぱっと顔を輝かせた。その場にいた全員が、呆気にとられて王子とオスカーを見つめる。
王子は、オスカーの顔を見た途端、先ほどまでの涙が嘘のように消え、声を上げて楽しそうに笑っていた。
「きゃきゃっ、あうー!」
「ええと……王子殿下?」
オスカーは困惑しきった顔で、恐る恐る王子に手を伸ばす。すると王子は、ますます嬉しそうに笑った。
「……なぜだ。なぜ、私では泣いて、オスカーではそんなに笑うのだ……?」
国王陛下が、呆然と呟く。ただ、オスカーだけが、何とも言えない表情で笑い続ける王子を見つめていた。
「お、王妃殿下。娘から、次は厨房で働きたいと聞きました」
焦った様子のオスカーは話を逸らした。
「ええ、許可してくれてありがとう」
「はい、娘から毎日報告が来ることになっております。ですので、何かあったらーー」
「わかっているわ。十分気を付けるわ」
まさか、許可が簡単に下りるとは思っていなかった。もう少し厳しく止められるか、あるいは条件をいくつも提示されるものだと思っていたのだ。
けれど、オスカーは許可を出してくれたとアリシアが言っていた。きっと、私が王子の口に入るものを自分の目で確かめたいと思っていることを、きちんと理解してくれたのね。
ふふ、調理をするのも、ずいぶん久しぶりだわ。楽しみ。




