11.宰相の苦悩は終わらない
side宰相
「つまり、王太子妃殿下は……毒が入っているかもしれないと知りながら、食べたということか?」
報告を聞き終え私は、思わず頭を抱えた。いったい、何を考えているのだ。
王太子妃は、毒が混入している可能性を把握したうえで、自らそれを食べた。あまりにも無謀な行動である。
「お父様。本来は、私が毒の有無を調べる予定でした。ただ、世話役が席を外しませんでしたので、予定を変更せざるを得ないと判断したのだと思います。可哀想に、しばらく大事をとって王子様に乳を与えられないと嘆いておられましたわ」
「だから、なぜ自分で食べる必要がある!」
思わず声が荒くなった。
「心配いりませんわ。王太子妃は隣国の王族ですもの。幼い頃から少しずつ毒に慣らされておりますし、微量であれば身体に大きな影響はありません」
「致死性のある毒だったら、どうする! 実際に二人は苦しみ、倒れたのだろう。もし毒の量が少しでも違っていたら? もし想定していたものとは別の毒だったら? その可能性を考えれば、自分から口にするなど、到底許容できる行動ではない」
王太子妃殿下は隣国の第三王女だっただ。幼い頃から毒に対する耐性をつけているという話は聞いている。だが、それはあくまで微量の毒であれば、という話にすぎないだろう。
「お父様、私の話を聞いておりましたか?」
娘は、私の理解力に欠けているとでも言いたげに、呆れたような顔をした。
「エリス様は、乳母を辞めさせるのが目的だったのですから、王子殿下を殺すわけがないでしょう。エリス様は、王子殿下の母になりたかったのですもの。そんな方が、後遺症の残るような毒を使うとは思えませんわ」
「……それは、あくまでお前の仮説だ」
私はこめかみを押さえながら、深く息を吐いた。
「妃殿下の話では、一時的に気道を収縮させる物。数分で薬効が切れ、呼吸も元に戻ると分かった上で飲み込んだとのことですわ。医師の見立ても全く同じでした」
だとしても、やはり危険なものだろう。
「エリス様たちは別室へ運ばれましたが、ほどなくしてお二人とも回復しております。おそらくは、乳母代理のティナの食べさせ方が悪く、王子殿下ののどに食事を詰まらせ呼吸困難にさせた、そう仕向けたかったのかと」
考えが浅いな。公爵家の教育は、どうなっている。
「しかし、何かが起きる可能性があると知った時点で、お前は王太子妃を止める立場だったはずだ」
「部屋には暗部を仕込んでおりましたし、あらゆる解毒剤も、もちろん用意しておりましたわ。万が一に備えた準備を怠ってはいません」
「そういうことではない!」
思わず机を叩きそうになり、かろうじて拳を握りしめるだけに留めた。
「それに、なぜ、その情報を掴んだ時点で私に報告しなかった!」
「お父様……」
娘は、ひどく穏やかな声で私を呼んだ。
「この前も思いましたが、お父様は、まだ物忘れをするような年齢ではありませんのに、少し心配ですわ」
「……何?」
「私、次の報告まで、『お父様とは口をききません』と申し上げたはずです」
娘は、当然のことを確認するように、しれっと言い放った。
確かに、宣言通りだった。あれから娘は、私と一言も口をきいていない。仕事場はもちろん、屋敷でも、確かにいるはずなのに、その姿を一度も見かけることがなかった。
朝食の席にもいなければ、夕食の席にもいない。執務室へ顔を出すこともなかった。
そして、もちろん妻もだ……。娘が私と口をきかないと決めたことを聞き、妻までが見事なほど娘の側についたのである。
アリシアが、魔法を使えるのは、隣国出身の妻の血だ。きっと、二人で隠蔽魔法でも使っていたのだろう。
「時と場合によるだろう……私は宰相だぞ」
思わず、そんな言葉が口から漏れた。これは、親子の些細な意地の張り合いで済ませていい話ではない。
私は国政を預かる宰相であり、王族を守る責任がある。だが、娘はそんな私を見ても少しも動じなかった。
むしろ、「だから何ですか?」とでも言いたげに、わずかに首を傾げる。
「嫌ですわ、お父様。宰相は王族ではありません。私は、王族である王太子妃殿下のご意向が、尊重されるべきだと判断いたしました。私はお父様に報告をいたしませんでしたが、王太子妃は王太子殿下に報告しております。許可はいただいたそうですわ」
あまりにも迷いのない返事に、私は再度、額を押さえた。
「王太子妃は生まれた時から王族です。毒への対処も、危険を承知で行動する覚悟も、私たちよりはるかにお持ちでしょう。ならば、私は王太子妃殿下、そして同じく王族である王太子殿下の判断を尊重し、そのうえで必要な備えをするべきだと考えました」
「お前は……」
やけに『王族』という言葉を繰り返し強調する娘に、これ以上何と言えばいいのか分からない。
「ですが、命に別条がないとはいえ、王子殿下にあれほどの苦しみを与えようとしたことは、決して許されることではありませんわ」
「……当然だ」
そこだけは、私も即座に同意した。
毒を盛るなど、王子を害する行為にほかならない。たとえ命を奪うつもりがなかったとしても、王子を苦しませ、食事を口にすることすら恐れさせるような真似をしたことに変わりはない。
ましてや、王子は次代の王太子であり、国王だ。その身に危害を加えようとした者を、見逃すわけにはいかなかった。
「すでに、すべての証拠は、見つけております。毒の入手経路も、関わった者も、背後で指示を出した者もすべてですわ」
「……さすがだな」
思わず、感嘆の声が漏れた。渡された報告書を見ても抜かりはない。
顔を上げると、娘は微笑んでいた。けれど、その表情を見て、私は背筋に冷たいものが走る。この顔は、娘が本気で怒っているときの顔だ。
普段の娘は、怒りで声を荒らげることもない。だからこそ、こうして穏やかに微笑んでいるときのほうが、よほど恐ろしい。
すでにすべての証拠を集めているということは、王太子妃が毒を口にするより前から、娘はこの事件の全容を追っていたということだろう。
「これだけの騒ぎだ。王太子妃殿下から、すでに説明がなされているとは思うが、私はこれから国王陛下のもとへ報告に行ってくる」
そう言って、私は机の上に置いていた報告書を手に取った。立ち上がったところで、娘が「あ」と声を上げた。
「そういえば、お父様。王太子妃殿下は、次は厨房で働きたいとおっしゃっていましたわ」
「……厨房?」
思わず、手にした報告書を下ろした。
「今回のことで、いろいろと思うところがおありになったようですの。食事がどのように作られているのか、ご自身で把握しておきたいと」
「……なるほど」
なるほど、と言っていいのかは分からない。令嬢でも、厨房に入ることを許す家は少ないぞ。ましてや、王太子妃殿下である。
厨房は火を使う。刃物もある。熱湯も、重い鍋も、割れやすい食器もある。貴族令嬢が気軽に立ち入るような場所ではない。
王太子妃殿下は、今回の事件で毒の混入経路を知りたいと思ったのだろう。厨房で誰が何を扱い、どのような手順で料理が作られ、誰が食事に関わっているのか。
それを自分の目で確認したいということか。
「刃物も火もある。今度は、報告を随時してもらうことになるが」
私は娘に念を押すように言った。
「ええ。それで構いませんわ。きちんとご報告いたしますのでご安心くださいませ」
「……本当に?」
「ええ、お父様が、王太子妃殿下の意向を、尊重できる宰相だと判断いたしましたので」
「……」
黙り込む私を見て、娘は楽しそうに目を細めた。




