10.食べてみれば分かるでしょう?
「こちらが王子殿下のお食事です」
食事を運んできた世話係の口元がわずかに上がった。初めて見る顔ではある。けれど、エリスの手の者であることはすぐに分かった。あの令嬢が王子宮へ入り込むために、複数の人間が手を貸していたことはすでに分かっている。その中の一人が、今日こうして私の前に現れたというわけだ。
こんな稚拙な態度で、私が気づかないとでも思っているのかしら。
――食事、ね。何を企んでいるかと思えば、想定していた中で一番安易な方法だわ。
「こちらは、毒見を済ませているのよね?」
「はい。私が」
世話係は当然のように答えた。私はスプーンを手に取り、王子の口元へ運ぶふりをした。
「あら? 食べないわ」
「食べさせるのがお仕事ではありませんか? さあ、早くしてください」
世話係の声に、わずかな苛立ちが滲んだ。
「時間がかかりそうだから、あなたはもう出てもいいわよ」
「……はい?」
「今まで食事を持ってきた方は、皆そうしていたもの。食事を置いたら、部屋を出ていたわ」
世話係は一瞬、言葉に詰まった。
「いえ、私は毒見をした者として、最後まで見届けなくてはなりません」
「どうして?」
「もし何かあった場合、私の責任になりますから」
「そう」
本当なら、アリシアを呼んで食事を調べてもらおうと思っていたのだけれど、彼女がここに残るというのなら、それは難しい。ならば、別の方法を試すまでだ。
「さあ、王子殿下。とってもおいしいお食事ですよ」
私はにっこりと微笑みながら、スプーンを自分の口元へ運んだ。
「食べないと、私が代わりに食べてしまいますよ」
そのまま、ぱくりと口に入れる。
「なっ……!」
世話係の顔色が変わった。無味無臭……でも舌の表面がほんの少しだけ冷たく感じる。これは、北方の山岳地帯にしか生息しない野草、シュラク草……減毒処理をすれば鎮痛剤にもなるが、煮出しただけだと喉の奥や気道が痺れて収縮する。
「王子様のお食事ですよ! 今すぐ吐き出してください!」
慌てた声が部屋に響く。私はゆっくりと咀嚼しながら、首を傾げた。
「もう飲み込んでしまったわ」
「な……!」
「それに、ここは王子様のお部屋ですもの。食事を吐き出すなんて、そんな不敬なことはできないでしょう?」
「いいから、早く吐き出しなさい!」
先ほどまでの余裕はどこへやら。世話係は今にも私の口に手を突っ込んできそうな勢いで迫ってくる。私はそんな彼女を見つめたまま、もう一度スプーンを手に取った。
「うっかり食べるふりをするつもりで、本当に食べてしまったもの。もったいないから、残りも私がいただきますわ。申し訳ないけれど、新しい食事を用意していただけるかしら?」
「そういう問題では――」
私は聞こえなかったことにして、もう一口食べた。
「……」
世話係の顔が引きつる。さらにもう一口。世話係の目が泳いだ。私はその様子を観察しながら、淡々と食事を口に運んでいく。
もちろん、何が入っているのかは分からない。だからこそ、ここで相手がどんな反応をするのかを見ておきたかった。食事の半分ほどを食べたところで、ついに世話係が耐えきれなくなった。
「食べるのをやめ……ねえ、あなた、本当に何ともないの? 何で?」
「何のことです? 何か問題でも?」
私は何食わぬ顔で尋ねた。世話係の視線が落ち着きなく揺れる。
「いえ……その……」
私は穏やかに微笑んだ。
「『何ともないの?』『何で?』とは、どういう意味でしょう?」
世話係の顔が強張った。私はあえて首を傾げる。
「まさか、あなた……」
「な、何ですか! まさかって何ですか!」
今度は、彼女の方が慌てて声を上げた。その反応を見て、私は確信を深める。
「わ、私はもう行きますね。新しい食事を持ってこないと」
世話係は逃げるように踵を返すが、逃がさない。
「待ちなさい。あなたも一口食べてみなさい」
「え……?」
「毒見をしたのでしょう? それなら、もう一度食べられるはずよね?」
彼女の肩がびくりと跳ねる。
「いえ、私は……っ! 私を疑っているのですか? まさか、私が王子殿下のお食事に何かを盛ったとでもおっしゃるのですか!」
世話係は声を荒らげた。
「そんなことは言っていないわ。私が何ともないのですもの。あなたが食べたところで、何も起こらない、そうでしょう? でも、一応、確認しておきたいのよ」
「……」
逃げ道を塞ぐように、私はスプーンを差し出した。世話係の顔から血の気が引いていく。それでも、ここで拒めば余計に怪しまれると思ったのだろう。
「……分かりました」
彼女は震える手でスプーンを受け取った。そして、ほんの少しだけ食事をすくう。口元へ運ぶ手が、かすかに震えていた。世話係は、食事を口に入れた。そして――。
「……っ」
次の瞬間、彼女の手が自分の喉元へ伸びた。
「どうしたの?」
声をかけると、世話係は答えようとした。けれど、声にならない。
「……っ、ひゅ……」
呼吸が乱れた。苦しげに喉を鳴らし、必死に空気を吸おうとしている。顔色がみるみる変わっていく。唇から血の気が失われ、皮膚も土気色になっていった。
食べた直後に起こった、急激な呼吸困難。やはり……。私は大きく息を吸い込んだ。
「きゃあああああっ!」
王宮中に響き渡るような悲鳴を上げる。直後、廊下から足音が響いた。扉が開かれ、エリスが飛び込んでくる。
「王子! 大丈夫!! ……え? なんで?」
彼女は困惑の表情を浮かべている。それだけで十分な証拠だけれど。部屋の中では、世話係が床に膝をつき、苦しそうに胸元を押さえている。その後ろから、世話係長や護衛たちも駆け込んできた。
「医師を呼んで!」
誰かが叫び、部屋の中が一気に慌ただしくなる。私は王子を抱き上げたまま、世話係の様子を見つめていた。やがて、エリスが困惑した顔のままこちらを見る。
「これは……どういうことですの?」
「王子様の食事を口にし、このような状態になったのです。すぐに調査をしてください」
私は淡々と告げた。
「ま、待ちなさい!」
エリスが声を上げた。
「なぜ、その世話係がこの部屋で食事を口にするのですか?」
私は黙って彼女を見た。
「毒見なら、すでに他の者が見ている前で済ませているはずでしょう? それなのに、わざわざこの部屋で一口食べた。そして、その直後に世話係が倒れた」
エリスは、周囲に聞かせるように声を張り上げる。彼女の目が、鋭く私へ向けられた。
「つまり、あなたが無理やりその世話係に食べさせた。こっそり毒でも盛って害を及ぼそうとした。そういうことではありませんの?」
なるほど。作戦を変更したらしい。状況は違っても、私を犯人に仕立て上げるつもりらしい。
「なぜ、私が?」
私は首を傾げた。
「そ、そんなこと、私には分かりませんわ!」
エリスは早口になった。
「ええと、そうですわ! あなたは『世話係が王子に毒を盛ったことを知って、それを身をもって防ごうとした』という筋書きを作って、褒美でも貰おうとしたのだわ」
そこまで言って、エリスは自分の言葉に勢いを得たようだった。
「きっとそうよ。つまり、調べれば、世話係が王子に毒を盛ろうとした証拠が出てくるように手配しているはず。巻き込まれた彼女は被害者だわ。悪いのはあなたよ!」
随分と無理のある話だ。私は小さく息を吐いた。
「私は、食事を口にした世話係が、このような状態になったと申し上げただけです」
私は王子を抱く腕に力を込めた。
「食事そのものに毒が入っていたとは、一言も言っていませんわ」
「……え?」
「確かに食事になにか盛られた可能性はありますが、遅行性の毒をどこか別の場所で盛られた、そのような可能性もありますでしょう? もし、彼女一人だけを狙ったものではないとしたら被害は広範囲となる。だからこそ、調べるように言ったのです」
そして、先ほどの器へ視線を向けた。
「それに、私はこの食事を食べています」
「食べた……?」
私はスプーンを取り、残っていた食事をもう一口すくった。エリスの顔が強張る。私はそのまま口に入れ、ゆっくりと飲み込んだ。
「ほら、私は何ともありませんわ」
「そ、そんな……嘘よ」
エリスの視線が、私と食事の間を行き来する。そして突然、彼女は私の手からスプーンを奪い取った。
「エリス様?」
止める間もなかった。彼女は残っていた食事をすくい、そのまま口へ運んだ。エリスの顔から、さっと血の気が引いた。
「……え?」
次の瞬間、彼女は喉元を押さえた。
「……っ、あ……」
息を吸おうとしている。けれど、うまく吸えない。周囲から悲鳴が上がる。エリスは目を見開いたまま、ふらりと身体を揺らした。そして、その場に崩れ落ちた。
「だ、誰か、医師を!」
再び、叫び声が響く。私は王子を抱きしめながら、倒れたエリスを見下ろした。
何がしたいのかしら……。高位貴族の令嬢ともあろうものが浅はかなことを……。




