遅刻と言い訳
亮太の仕事はエンジニア。
社会人二年目に入った途端、一人前として扱われるようになった。
というより、一人で全部やれという空気に近い。
毎日、終電近くまで働き、休日出勤も珍しくない。
最近では、真之介から遊びに誘われても断ることが増えている。
夜の十一時。
駅から家までの道をとぼとぼ歩きながら、亮太は小さく息を吐く。
今日も、仕事以外のことを何もしなかった。
その時。
スマホが震えた。
春香からだ。
『ねえ、何してるの?』
合コンで知り合ってから、何度かメッセージはしているが、まだ会ってはいない。
亮太は少し迷ってから返信する。
『今、駅から歩いてるとこ』
すぐに返事が来る。
『電話で話さない?』
普段なら少し面倒に思ったかもしれない。
でも、その日は誰かの声を聞きたかった。
『いいよ』
すぐに春香から電話がかかってくる。
「お疲れ。まだ外?」
「うん。帰り道」
「遅いね」
「最近、ずっとこんな感じ」
「大変そう」
その一言だけで、亮太は少し救われた気がする。
春香が話すのは、仕事とは何の関係もない、他愛のないことばかり。
それが妙に嬉しかった。
家に着いても、亮太はしばらく電話を切らない。
「じゃあ、そろそろ寝るね」
「ああ。遅くまでありがとう」
電話が切れる。
ただの電話だった。
それでも、その夜の亮太には十分だ。
仕事だけで終わるはずだった一日に、誰かの声が残った。
◇
それから数日。
春香からの電話は、ほとんど毎日のようにかかってくる。
――もしかして、俺に気があるのか?
亮太はそう思うようになっていた。
春香は、半年前に別れた彼女とはまったく別のタイプだ。
言いたいことをストレートに言う。
明るく、よく笑う。
その分かりやすさが、亮太には楽だった。
ある日、春香が言う。
「今度、会社帰りに会わない?」
待ち合わせは、駅前に十九時。
その日は朝から忙しかった。
亮太は約束に間に合わせるため、午前中からひたすら仕事を片づける。
終わらない分は、先輩に頭を下げた。
「すみません。これ、明日の朝一でやります」
「珍しいな。用事?」
「はい。少し」
「分かった。じゃあ明日頼むぞ」
会社を飛び出し、駅まで走る。
なんとか間に合った。
待ち合わせ場所へ着いたのは、五分前。
すぐさま春香へ『ついたよ』とメッセージを送る。
しかし、一時間経っても春香は来ない。
連絡もなかった。
電話をかけても出ない。
――何かあったのだろうか。
とりあえず、今日は帰ろう。
『一時間待ったけど、いないから帰るね』
『何かあったら連絡して』
そうメッセージを残し、駅の改札へ向かう。
自宅までもう少し。
そこでスマホが鳴った。
春香からだ。
「もしもし。どこにいるの?」
声はいつもと変わらない。
「待ち合わせ来ないから帰ったけど。何かあった?」
「えー。待ってると思ってたのに」
「さすがに一時間待ったから、来ないと思ったよ」
「じゃあ、待ってるね」
「え?」
「今から戻ってきてよ」
「いや、そもそも、どうして遅れたの?」
「亜美と旅行に行く話しててさ。時間あったから、旅行会社に寄ったの」
「旅行会社?」
「そう。でも対応してる人が遅すぎて。本当は間に合うはずだったんだよ」
「連絡くらいできたんじゃない?」
亮太は、できるだけ声を抑えて聞く。
「いや、もう全然そんな暇なくて」
「ちなみに、どこの旅行会社?」
「新日本ツーリストの店舗」
亮太は黙った。
そこは、待ち合わせ場所のすぐ後ろにある店だ。
――なんだ、こいつ。
初めてそう思った。
「じゃあ、今日は帰るよ」
亮太の声が少し冷たくなる。
「え、もしかして怒ってる?」
「怒ってるというか、なんて言うか」
「ごめん。ほんとにごめん。そっちの方まで行くから。許して」
そこまで言われると、亮太も強く出られない。
「……分かった。じゃあ、地元の駅で待ってる」
しばらくして、春香が改札から走ってきた。
「本当にごめん」
息を切らしながら、何度も謝る。
その姿を見ていると、自分の方が大人げなかったような気がしてきた。
「もういいよ。次からは連絡して」
「うん。する」
その日は駅前の店で軽く食事をする。
春香はよく笑った。
さっきまでの苛立ちが、少しずつ薄れていく。
今思えば、あの時に気づくべきだったのだと思う。
春香は謝ることはできる。
けれど、相手がどれだけ時間や手間を使ったのかまでは考えない。
それでも亮太は、自分が短気だったのかもしれないと思っていた。
その日からも、春香からの連絡は続く。
疲れて帰る夜に、春香の声を聞く。
いつの間にか、それが習慣になっていた。
ある夜。
電話の途中で、春香が急に黙る。
「亮太ってさ、私のことどう思ってる?」
「どうって」
「いや、毎日のように話してるからさ」
「確かに。もう友達以上の気持ちかも」
亮太は少し悩んだ。
正直、春香はタイプではない。
それでも、仕事で疲れた夜に声を聞きたい相手にはなっている。
「じゃあ、付き合ってみる?」
告白は亮太からだった。
「……うん。付き合おうか」
春香が少し恥ずかしそうに答える。
半年前の失敗を、もう一度やり直せるかもしれない。
亮太は、そう思っていた。
まさかこれが、“胸糞女”に振り回される日々の始まりになるとは知らずに。




