第三話 年を経れば鯉も獣も変化する 其の参
商人通りには昼の陽射しが穏やかに降り注いでいた。
荷車の車輪が石畳を転がる音、店先から聞こえる威勢のよい呼び声、風に揺れる幟。狭霧村はいつものように賑わっているように見える。しかし、その賑わいの裏には、夜になるたび商人が襲われるという不穏な噂が静かに広がっていた。
姫紬は目の前に立つ、不思議な妖怪を見つめていた。
白い絣の着物を身にまとい、顔には目も鼻も口も存在しない。それでいて不思議と感情が伝わってくる。
「白坊主さん、聞いたことがあります。山から現れて人を驚かす妖怪」
すると白坊主は嬉しそうに肩を揺らした。
「うん、そうだよ。よく知ってるね」
「はい! 時計台大図書館で勉強してますもの……あ、私は川姫の姫紬ですわ」
姫紬は着物の袖を軽く持ち上げ、丁寧に頭を下げる。
「へぇ~、川姫。こんなに友好的なのは初めてだね」
その言葉に姫紬は少し困ったように微笑んだ。
「まぁ、私は川姫の中でも異端ですから……」
川姫は本来、人間を警戒する者が多い。
川を荒らせば怒り、礼を欠けば水底へ引き込むことさえある。もちろん全員がそうではないが、人と積極的に関わる川姫は珍しい。
だからこそ姫紬は幼い頃から「変わった川姫」と言われ続けてきた。
しかし白坊主は首を横に振る。
「そんなことないよ」
「え?」
「人間だっていろんな人がいるから、あやかしだっていろんなあやかしがいたって不思議じゃないよ」
その言葉は、とても自然だった。
まるで当たり前のことを話すような優しい声。
姫紬は一瞬だけ目を丸くし、それからふわりと笑みを浮かべた。
「ありがとうございます……」
胸の中にあった小さな引っ掛かりが、水に溶けるように消えていく。
人間にも優しい人、怖い人、嘘をつく人、勇気のある人がいる。
それなら、あやかしも同じ。
そう考えれば、自分が少し変わっていることも悪いことではないのかもしれない。
「そうだ、君はここでなにしてたの?」
白坊主が尋ねる。
姫紬はすぐに表情を引き締めた。
「はい、異変を調べてました。商人さんが襲われる噂を調べに」
「あぁ~、僕も聞いたことあるよ」
白坊主は腕を組み、少し思い出すように空を見上げた。
「襲われた人もいるし、荷物を置いて逃げ出した商人もいたらしいよ~。それに実際、逃げて慌ててた人いたし~」
「やはり本当だったのですね……」
「現場に向かった人やあやかしたちもいたみたいだけど、荷物が散乱してて、荷物だけなかったらしいよ」
「荷物だけ……」
姫紬は小さく呟いた。
食べ物だけを奪う獣なら理解できる。
だが布や道具、薬草まで持ち去るというのは妙だ。
しかも商人そのものが姿を消した例まである。
「……あ、あと」
白坊主は思い出したように人差し指を立てた。
「馬も消えてたらしいよ」
姫紬の瞳が大きく開かれた。
「やっぱり……」
彼女は地面に残されていた不自然な轍を思い出す。
荷車だけが途中で途切れていた理由。
馬まで消えていたなら辻褄が合う。
何者かが荷物だけではなく、生き物ごと連れ去っている。
それもかなりの力で。
白坊主はそんな姫紬を見ながら続けた。
「それでね~、僕、思ったことがあるんだ~」
「なんですか?」
「たぶんだけど、外からやってきたあやかしじゃないかな~」
「え?」
姫紬は思わず聞き返した。
狭霧村周辺には昔から住むあやかしがほとんどである。
もちろん旅をする者もいるが、それでも村を脅かすような存在なら誰かが気付くはずだ。
「だって、最近、ここいらじゃ見ない影を見たもの」
「えぇ!? ど、どこでですか!?」
姫紬は思わず一歩前へ出た。
白坊主はくるりと後ろを向き、村の外れにそびえる山を指差す。
「あの後ろの山、『妖脈山』で見たよ」
姫紬も山を見上げる。
妖脈山。
狭霧村の背後に広がる巨大な山で、古くから霊気が集まる場所として知られている。
豊かな森が山肌を覆い、昼でも薄暗い場所が多い。
山には数多くのあやかしが暮らしており、人間が勝手に深く入ることはほとんどない。
また、霊脈――妖力の流れが集まる土地でもあり、強いあやかしほどその恩恵を受けるとされていた。
山を吹き抜ける風が、ざわりと木々を揺らす。
遠くから鳥の鳴き声が聞こえたかと思えば、すぐに静寂へ溶けていった。
「ここで……」
姫紬は山を見つめる。
もし白坊主の言う通りなら、異変の手掛かりがそこにあるかもしれない。
もちろん危険はある。
けれど、ここで立ち止まっていても何も始まらない。
村のみんなは不安を抱えながら暮らしている。
商人たちは安心して旅ができず、人間もあやかしも夜を恐れている。
それを放ってはおけなかった。
姫紬は静かに拳を握る。
「私、入ってみます」
白坊主は驚く様子もなく、ゆっくりとうなずいた。
「別に行くのはいいけど、気を付けてね」
「はい!」
「山の機嫌は変わりやすいから」
その一言には、不思議な重みがあった。
妖脈山はただの山ではない。
霊気が流れ、生きているかのように姿を変える山。
晴れていた空が急に霧に包まれることもあれば、一本道だったはずの獣道が突然消えることもある。
あやかしたちの間では、「山に嫌われれば二度と帰れない」とさえ語られていた。
姫紬は山をもう一度見上げ、小さく息を吸う。
「必ず真相を見つけますわ」
決意を胸に、川姫の少女は妖脈山へと続く道へ向かって歩き始めた。
木々の隙間から吹き下ろす風はどこか冷たく、まるで誰かが山の奥から静かに見つめているかのようだった。
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次回もお楽しみに




