これは僕らの話〜その3
「うわっ」
暗い部屋の中でよく見えずに、酒の缶を蹴飛ばしてしまいこぼれた中身が足にかかる。最悪だ。
酔っ払いを放置しておいても良かったが、無理やり酒を勧めた手前、ほんの少しばつが悪くなって僕は仕方なくわざわざこの部屋に戻ってきた。
「おい、水買ってきた。ちゃんと飲め、死ぬぞ」
「………………」
相沢は眠ってはいなかったが、かなり酔いが回っているのだろう。ベッドに横になって虚ろな表情をしている。
「お前、飲み過ぎなんだよ。自分の限度くらい自分で分かっとけ」
ペットボトルの蓋を開けて水を口元に運ぶと、相沢は少し起き上がってボトルを受け取り、水を口にした。
「ん…………」
「ちゃんと飲んだか?ったく、手間かけさせやがって。今度こそ僕は帰るからな、後で戸締りしとけよ」
「……………………」
相沢は無言のまま何かを言いたげに僕を見ている。
「なんだよ、言っとくけどそろそろ電車が……うわっ」
そして、いきなり手を掴まれたかと思えば、僕は勢いよくベッドに倒された。
「………………は?」
理解が追いつかないまま、天井を仰ぎ見る。相沢は僕を見下ろしながら、ゆっくりと倒れ込むように抱きついてきた。
「お前、どけよ。僕は抱き枕じゃない、さっさと離れろ!」
声を荒らげても、抵抗しようと身を捩っても、相沢はびくともしない。こいつ、どんな酔い方してんだよ。ありえねー!
苛立ちと焦りの中、必死にもがく僕の首元に相沢は頭を寄せてくる。肌に感じる吐息の熱さが妙に生々しく、不快極まりない。
「おい、相沢いい加減に――」
言いかけたところで突然、鋭い痛みが首元に走る。
噛まれていた。歯が皮膚に食い込み、血が出るほどに。
「いっ…………ふざけんな、意味わかんねー!おい、やめろ!」
抗議しても解放される気配はない。
それどころか、噛み跡を舐められ、服の中に手を入れられ、どんどん状況は悪くなる一方だ。
「やめろ、冗談じゃない、おい」
怒りよりも、恐怖が上回って体がこわばる。
自分が襲われかけている、と理解した瞬間、全身の血液が逆流するような寒気に襲われた。
「やめろって言ってんだろ!!!!!!」
僕は手を伸ばして届いた先にあった、ベッドサイドに置かれたサボテンの鉢で思い切り相沢を殴った。
相沢はぱたりと力が抜けたように動かなくなる。
「……え…………まさか、死……」
殺人犯になってしまったかと思ったが、相沢は無事なようだ。僕に覆いかぶさったまますやすやと寝息を立てている。
腹立つくらいに、心地よさそうに。
「……ありえねー、最悪だこいつ…………」
♢♢♢♢♢
深夜、静かな部屋の中に着信音が鳴り響く。
数コール待ってようやく出た声は、やけに聞き取りやすいくせにやかましい。
『もしもし、朝日くんですか?珍しいですね、こんな遅い時間に電話なんて。佐々木に何か用ですか?』
「お前、車あったよな。車出せ。終電に乗り遅れた」
『え???なんで僕が????僕は朝日くんの彼氏か何かですか??????』
「違うけど、原因はお前にある。責任持ってお前が迎えに来い。どうせ暇だろ」
『どうせ暇ですけど……それが年上にものを頼む態度ですか!?まったく、最近の若い子は…………で、今はどちらに?』
「相沢のアパート」
『ああ、それは……佐々木、何となく事態を察しました。とりあえず、相沢くんは今のうちに丈夫な紐かなんかで縛っといた方がいいですよ』
「わかった、早く来い」
♢♢♢♢♢
「朝日くん…………無事ですか?」
電話から30分後くらいに部屋を尋ねてきた佐々木は、ドアを半分だけ開け、その隙間から恐る恐るこちらの様子を伺っている。
「無事じゃねーよ」
「そんなまさか……じゃあ、病院と警察に行った方がいいですよ。無理やりですから……あ、もしかして合意?」
「ふざけんな、そこまでやられてねー!襲われかけただけだ!!!!」
「あらあら、それは災難でしたね。相沢くん、酔うと見境ないですから」
佐々木はへらへら笑いながら、安心した様子で部屋の中にずかずかと入ってきた。
「お前、知っててこいつの家に酒置いていったな」
「朝日くんは知らなかったんですね……別に佐々木、悪気があってお酒置いてた訳じゃないですよ」
佐々木は、ミニテーブルの前に正座をして淡々と話す。
「1から説明しますとね、この前雨音さんが結婚したじゃないですか。それで佐々木は、相沢くん可哀想だなー、ちょっとだけ酔わせて弱音でも聞いてあげようかなー、と思ってお酒持って遊びに来たんですよ。そしたら意外にも、相沢くんは雨音さんが結婚したことまだ知らなくて。じゃあ、遠からず呑んで涙を流したい日も来るはずだと思って、何も言わずこのお酒たちをプレゼントして帰った訳です」
机の上には、相沢が飲み干した酒の空き缶がずらりと並ぶ。改めて見ると、プレゼントしすぎだろ、とツッコミたくなる量だ。
「ちなみに、相沢くんを酔わせたら厄介なのは事前に分かっていたので、弱いお酒しか置いてませんでしたよ。だから、一気に全部飲むとかしない限りは大丈夫だと思ったのですが……」
「一気に全部飲みやがった」
「そういうことなんでしょうね。一応彼も普段は理性がありますから、そんな無茶な呑み方はしないでしょうに。余程辛いことでもありました?」
「ま、そんなところだ」
僕が酒を煽ったのは伏せておこう。自業自得だと思われたくないし、僕だってこいつが変な酔い方するのを知っていたなら、酒なんて一滴も飲ませなかった。
やかましい佐々木が来ても、布団ごとロープに巻かれて簀巻きになっても、未だに眠り続けている相沢を横目にため息をつく。
「一人だけ気持ちよさそうに寝やがって。僕は寝不足確定だ」
「可哀想に。もう時間も遅いですし、今から車で帰っても君の家までは遠いので大変ですよ。このまま泊まっていけばいいんじゃないですか?」
「は?嫌だ、こんなけだものと一緒にいられるか」
「熟睡してるし、もう大丈夫ですよ。それに佐々木も眠いんで泊まっていきますし。安心安心」
「……それならまあ、いい。シャワー浴びてくる」
「ごゆっくり〜」
佐々木は手を振ってのんきに僕を見送る。
噛まれた首元がまだズキズキと傷んで、暫く痣が残るであろうことを思うと憂鬱になった。
♢♢♢♢♢
「……で、何やってるんだよ」
「え?何って、見れば分かるじゃないですか」
シャワーから上がると、佐々木は意気揚々と部屋に隠しカメラを仕込んでいた。
こいつの頭のおかしさには、今更大袈裟に驚くこともないし、その気力もない。
「僕思うんですけど、このままだと相沢くんはいつか取り返しのつかない過ちを犯しますよ。少し懲らしめてやらないと」
それはそうかもしれない。今回は僕だから未遂で済んだものの、もしまた同じような状況になれば、次こそは被害者が出るに違いない。
「やるでしょ?ドッキリ」
「………………」
佐々木は悪戯に笑う。
僕は、さて、どんな最悪の目覚めを相沢にお見舞いしてやろうかと眠い頭で思考を張り巡らせた。




