これは僕らの話〜その1
「あれ、これはいつぞやの後輩だっけ。確か、朝日圭くん」
先輩は、道すがら立ち寄った本屋で見かけた雑誌を手にとって言う。
雑誌の表紙に印刷された見知った顔は、見慣れぬ表情で微笑んでいる。
「彼は今、大忙しみたいだね。舞台とモデルに引っ張りだこで、すごく人気になっちゃって。最近連絡取ってるの?」
「連絡も何も、俺とあいつはそんなに仲良くないですし」
「そう?仲良さそうに見えたんだけどね」
「そんなことないですよ」
朝日とは高校卒業以来会っていないし、あれから約2年が経った。今頃あいつがどこで何をしているのかは、俺にも全くわからない。
元々生きる世界が違う人間だ。あの時関わりがあったのが、異常で奇妙な偶然だった。
そんな関係性の人間のことを、先輩はなぜ話題にしたのだろうか。朝日の話を振られても、俺にはこの話題を広げられるようなネタはない。
雑誌を前に、しばらくの沈黙が続く。
先輩は手にとった雑誌を棚に戻すと、うつむいたまま呟いた。
「……少なくとも、彼には本音が言えてたよね。それに昔の君の方が、今よりも生き生きしてた」
「そんなことは、ないと思いますよ」
「そうかな?だって君は、私といてもいつも退屈そう」
「そういう訳じゃ……」
ない、とは言いきれない自分がいた。
先輩とは、どういう風に過ごすのが正解なのか未だによく分からない。
「ふふ、私ね、君のことはよく見てるの。だから全部、分かっちゃうんだよね」
先輩は顔をゆっくりと上げて俺と目を合わせると、優しく微笑みながらはっきりとした声で言った。
「ねえ、昴くん。大事な話をしましょう」
♢♢♢♢♢
つい30分前、あいつがどこで何をしてるか知らない、みたいな話をしたけれど。
そのご本人様、朝日圭が電柱の影でコソコソしている姿を偶然見かけてしまった。有名雑誌の表紙を飾っていたとは思えない不審者じみた様子は、高校時代の様子がおかしいあいつの姿と変わっていなかった。
「……君、何でこんなところにいるの?」
「何でって、見れば分かるだろ。雨音さんの様子を伺ってるんだ」
相変わらず雨音さんのストーカーしてるの?
とかなり引いたが、わざわざ口には出さないことにした。何故なら、そんなこと分かりきっていたからだ。ここは雨音さんの職場の花屋さんの目の前だし。
「お前こそ、何でこんなとこにいんだよ」
朝日はむっとした表情で俺を睨みつける。
それに対して俺は、居心地が悪くなって視線を逸らした。
「俺は……偶然、通りかかっただけだから」
「面倒くさいな、雨音さんに会いに来たんだろ?」
「そういうつもりじゃ……」
「なら、さっさと帰れ。僕の邪魔をするな」
朝日はそう言ってまた、電柱の影から雨音のいる店を眺め始めた。俺は朝日を止めた方がいいのだろうか、それとも放置するべきか。
しばらく悩んでいると、朝日は大きなため息をついて俺を指さした。
「あのな、会いたいなら会いに行けよ。少なくとも雨音さんは、お前のこと気にしてたぞ」
「……え」
「っと、お前と話してる暇はないんだよ。僕は雨音さんの迷惑にならないタイミングを伺っているんだから。よし、今だ。じゃあな」
「あ、ちょっ」
朝日は勢いよく飛び出して、そのまま雨音さんのいる店の中に入っていった。
俺は雨音さんに会いに来た訳じゃない。ただ本当に、ふらふらと歩いていたら無意識にここに辿り着いた。
そのはずなのに。
いや、もう自分を誤魔化すのをやめよう。
……本当は、今まで意識してこの道を通らないようにしていた。それを今日はぼんやりして忘れていた。
彼女に会ったら、きっとまた甘えてしまいそうになる。
俺はそんなずるい自分のことが、やっぱりまだ大嫌いだった。
♢♢♢♢♢
「いらっしゃいませ、あ、圭くんだ。こんにちは」
「こんにちは、雨音さん。今日もお元気そうで何よりです」
「圭くんもお元気そうで何よりです。はいこれ、ご注文のお花になります」
「ありがとうございます、確かに受け取りました」
「圭くん、毎回取りに来るの面倒じゃない?事務所飾るお花だよね?事務所に直接配達もできるよ?」
「いいんです、僕が好きで取りに来てるだけですから。それに、事務所すぐそこですし。何も負担じゃないですよ」
「そう?圭くん最近忙しそうだから、大変じゃないかなと思ったんだけど……あれ?そこにいるのはもしかして」
「ちっ、来たのかよ」
俺は勇気を振り絞って、店の中に入った。
店に入るやいなや懐かしい笑顔に迎えられて、その眩しさに少し泣きそうになる。
「昴くんだ!わあ、元気にしてた?お久しぶり!」
「お久しぶりです……」
「昴くんに会うの、卒業式以来だよね。やっぱり、学校じゃないとなかなか会う機会がないねぇ」
「そうだね。……雨音さん、元気そうで良かった」
「昴くんは、もしかしてちょっと元気ない?」
「いやっ、そんなことは」
……ないと言っても、雨音さんにはバレているだろう。雨音さん、変に察しがいいからなぁ。
でも、心配はかけたくないし、慰めて欲しい訳でもないし、かと言って、元気がないのも事実だし。
答え方に困った俺はしどろもどろに、
「ある……かも……」
と返すことしかできなかった。
雨音さんはうんうんと仕草で相槌を打って、優しく微笑む。
「そういう時は美味しいご飯を食べて、ゆっくりお風呂に入って、ちゃんとぐっすり眠ってね。あとは何か癒しになるものとか……あ、お花なんていかがでしょう?」
「雨音さんナイス営業です。お前、何か買って帰れよ。雨音さんの売上に貢献しろ」
「貢献はしたいけど、俺、花なんて買ったことないから何買えばいいか分からないし……それに、枯らしちゃいそうだし……」
「うーん、じゃあお世話が簡単な子がいいかなぁ。あ、このサボテンなんてどう?」
「サボテン……?」
雨音さんはお店の棚から小さなサボテンの鉢植えを手に取ると、それを俺に差し出した。
サボテンのてっぺんには、謎の奇妙なでっぱりが生えている。
「水やりはたまにでいいし、丈夫なの。それにこの子、もうすぐ花が咲くんだよ」
「サボテンが花咲くの、俺見たことない」
「でしょ。じゃあ、この子にしよう!これは、私からのプレゼント。ラッピングしてくるから、ちょっと待っててね!」
「そんな、雨音さん悪いって。俺、普通に買って帰るから!」
「そうですよ、こんな奴にプレゼントなんて必要ないです!こいつは今、ただの客なんですから!あと、僕もサボテン自分用に買って帰るんでメッセージカード付けてください!内容は、『圭くん お仕事がんばってね♡』でお願いします」
「気持ち悪っ」
「ふふっ。では、お買い上げありがとうございます!代わりに2人には、このかわいい鉢をサービスするね。埴輪形なの」
雨音さんは楽しそうにサボテンと鉢を透明な袋で包んでリボンで飾りつける。
俺なんかに渡すものなんて凝る必要は全くなくて、そんな風に綺麗にしなくてもいいのに。けど、華やかなラッピングを施されたサボテンを見ていたら、自然と心が満たされていくような感覚がした。
「昴くん、はいどうぞ!サボテンのお花、咲いたら教えてね」
「……うん。ありがとう」
手渡されたサボテンを両手で受け取ると、鉢植えの埴輪と目が合った。その気の抜けた顔に、思わず笑みがこぼれる。
「圭くんも、『お仕事がんばってね♡』はいどうぞ!」
「ありがとうございます。これで僕、より一層がんばれます」
朝日は、雨音さんから同じようにサボテンを受け取って深々と頭を下げる。
その後頭部には、いつも身だしなみに隙がない朝日にしては珍しく、少しの寝癖がついていた。
「……君はもう、充分頑張ってるんじゃないの?」
「はぁ?何だよ急にお前」
朝日は不機嫌そうに返す。
俺は朝日の仕事のことには詳しくないけれど、それでもその活躍は自然と耳に入ってくる。
「昴くんもそう思うよねぇ。最近圭くん、舞台とかモデルさんのお仕事でよく話題になってて……忙しくて、疲れてないか少し心配」
「……別に僕は、これくらい何ともありません。それに、今が1番大事な時期ですから。雨音さんが応援してくれるなら、僕に限界はありません!」
「そう?なら、いいんだけど……無理はしないでね。気分転換したくなったら、またいつでもおしゃべりしに来てね」
「雨音さん……ありがとうございます。じゃあ、僕はこれで……おい、何ぼーっとしてんだよ」
「いや、何でも……」
「昴くん?」
雨音さんが首を傾げて僕を見る。
俺の視線は、雨音さんの手元から目が離せずにいた。
「あ……えっと、雨音さん、指輪似合ってるなと思って」
「指輪……あっ、これか!……えへへ、ありがとう」
雨音さんは指輪を大事そうに撫でて、照れた様子で笑った。
「七色が、仕事中もつけろってうるさくて。本当は私、落としたりしたら嫌だから、仕事中は外しておきたかったんだけど……この前、なくしてもいいようにって、この予備の指輪くれてね。でも、これもなくしたくないから、いつも心配で……」
「雨音さん、先月籍入れたんだよ。まあ、あいつとは一緒に暮らしてたから当然の流れだな」
「そっか、それで……」
惚気る雨音さんを横目に、朝日がこっそりと耳打ちする。
そっか、雨音さん結婚したのか。知らなかった。
少しの驚きと、友人の幸福を喜ばしく思う気持ちと、それから不思議と込み上げたさみしさを飲み込んで、俺は祝福の言葉を送った。
「雨音さん、結婚おめでとう」
「ありがとう!」
雨音さんの笑顔は、この世の全ての幸福が彼女の元にあるのではないかと思えるほどに眩く輝いていた。
「結婚式、やる時は呼んでくださいよ。僕、どんなに忙しくてもスケジュール空けて絶対行くんで」
「う〜ん、それはまだまだ先になるかなぁ」
♢♢♢♢♢♢
花屋からの帰り道。
朝日は事務所用に注文していた花を置いてくると言って、俺に無理やり自分のサボテンを持たせてどこかへ行ってしまった。
両手に自分と朝日のサボテンを抱えた俺は、近くにあった公園のベンチでぼーっとすることにした。
今日は色々なことがあった。
今はただ何も考えず、無になりたい。
初夏の木漏れ日を浴びながら、俺は静かに目を閉じた。
「悪い、待たせた…………うわ、お前泣いてんの?」
「えっ?」
どれくらい経っただろう。いつの間にか朝日が戻ってきて、面倒くさそうに俺の顔を覗き込んでいた。
俺は朝日に言われて初めて、自分が涙を流していることに気がついた。
「あれ、なんでだろ。ごめん、何でもないから」
「………………」
慌てた拍子にサボテンの棘が手のひらにちくりと刺さる。その痛みと共に、涙は自然と止まっていた。




