思わぬ出会い
月曜日の朝はいつだってアンニュイだ。
通勤通学の電車内はみんな目を伏せ沈黙を保っている。ガタンゴトンという電車の走る音しか聞こえない。
僕も同様につり革に捕まりながらただ流れていく風景を眺めていた。
不意に腕をつつかれた。ドキッとしてそちらに目をやると、見知った顔がそこにある。
「おは」
そう小声でささやきかけてきたのはダウナーなギャルで一つ年上の先輩、一ノ瀬倫さんだった。今日もゆる巻きの髪をローツインテールにしており大変華やかで可愛らしい。顔は眠そうだが。
「おはようございます」
とにもかくにも小声で挨拶を返して、また沈黙へ。しかし隣に倫さんがいるだけでなぜか世界が明るく見えた。さっきまでと同じようにただ風景を眺めているだけなのに、肩が触れたらどうしようとか、この後何を話そうとか、そんなことばかり考えてしまう。倫さんの影響力が恐ろしい。
「ふぅん」
いきなりトリカが眼前に現れ、ジト目で僕を睨む。
いやいや、言いたいことはわかりますよ。もちろんトリカとお喋りしてるときも僕の気持ちは明るくなってる。ただ、それってもう日常だからね。失ったときに甚大なダメージを負う、みたいなステージに到達してるよね。
「ふぅん?」
トリカはまんざらでもなさそうな顔をしたあと姿を潜めた。まあ本心ではある。
高校の最寄り駅に電車が到着し、ぞろぞろと高校生が降りていく。その流れに僕と倫さんも乗る。
改札を抜けて駅舎を出たところで僕らは会話を始めた。
「電車で会うのめずらしくない?」
「めずらしいですね。倫さんって星5なのかも」
「えー? 私ってそんなにレア? てか陽くんが私を引こうとしてないよね」
「んなわけないじゃないですか。平日朝の無料一回ガチャを全力で引きに行ってますよ」
「それじゃ無理。根回しが足りない。運営に『この時間に引くから!』って言っておかないと」
「ふふふ、運営にね」
そんなしょうもない会話が楽しかった。倫さんもソシャゲとかやるのかな。
それはともかく、僕と倫さんが朝に会わない理由は明白だ。
「いつもはこれより一本早いのに乗ってるんですよ。だから会わないんですね」
「あーそうなんだー。……え、なんで?」
「遅刻しないようにです。これでも間に合いますけど、余裕を持ちたいので」
今日はたまたま遅れてしまったのだ。遅れてしまってもリカバリーできるのが良いところ。
「真面目だねー。朝はギリギリまで寝てたいわ……」
とろんとした目で倫さんはぼやいた。
倫さんはバイトを多くこなしていて、それでいて成績も良いらしいから自由な時間が少ないのかもしれない。
「あんまり寝れてないんですか?」
「んーん、別にそんなことないよー。朝が弱いだけー」
「それならよかったです」
朝が強い人ってどういう人間なんだろうなーと思いつつ、照りつける太陽に目を細める。
倫さんが手でひさしを作りながらため息をついた。
「暑すぎー。もう九月だってのに……」
「倫さんがミミズみたいに干からびちゃう」
「なんでミミズに例えるのー。早く私たちも日陰いこー」
駅舎を出た高校生たちは皆一様に雑木林に隣接している道に向かっていた。わかりやすく日陰である。
日陰に入ると多少暑さは和らいだ。日光の強さに驚かされる。
「てか映画以来だね、会うの」
倫さんがそう切り出した。
夏休み中に僕は倫さんと映画を見に行ったのだ。客観的に面白いことは何もなかったのだが、僕目線ではめちゃくちゃ緊張した重大なイベントだった。僕らの動向を観察していたトリカと月子はあまりの淡白さに呆れていたとのこと。
「そうですね。あの日を境に僕らの関係がね……」
「何も変わってなくて笑っちゃうよね」
「え? 映画以前と映画以後って区別されるほどの一大イベントでしたよね?」
「楽しかったけどそこまで言う?」
そう言って倫さんはころころと笑った。
僕は少しホッとしていた。倫さんが楽しかったと言ってくれたからだ。僕自身は、あまりにも淡白な外出ゆえに面白みに欠けた男だと思われて関係が悪化したかなとちょっと思っていた。もちろん彼女のリップサービスである可能性もある。
とはいえ過ぎたことはどうしようもないので、この思考はここで切る。
そうだ、せっかく倫さんと出会えたのだから情報収集しよう。
「あのー話変わるんですけど、倫さんってモテるじゃないですか」
「モテない」
「過去にしつこく言い寄ってくる男っていました? ストーカーレベルで」
今日は西山ちゃんの悩みを解決するべく行動を起こす日である。もし人間のストーカーだった場合に何かヒントになることが倫さんから聞けるかもしれない。
倫さんは少し上を見上げ過去を回想しているような顔になった。やっぱりモテてるじゃん。
「ひとりいたかなー」
「それはどう対処したんですか?」
「正面から言ったよ。ついてこないで! 嫌なの!って」
「あ、すごくどストレート」
倫さんにそんなこと言われたら泣いちゃうだろうな。
「そうしたらついてこなくなりました?」
「うん。でもこれ小学生の時の話ね」
小学生と中学生の差はでかいのか小さいのか。
そして本人が直接拒絶の意を伝えるのがやはりいいのか。昨日、ネットで軽くストーカーについて調べてみたが、第三者がストーカーに「ついてくるのやめろ!」と言うと、その第三者という障害を取り除けばまた会える、という思考になったりするようで、あんまり良い結果にはならないらしい。
「そのときは井上大地大先輩は介入しなかったんですか?」
「してないよ。……いや待って? もしかして私の見えないところでやってた?」
「あの先輩ならありえそうな話ですね」
「うーん。ないと思うけどなー」
倫さんは苦笑しながら言った。
そして急に真顔になる。
「で、なんでそんなこと聞くの?」
こわっ。と声に出しそうになるのをこらえて、平静を装って答える。
「えっと、僕の知り合いが『誰かに見られている気がする』って悩んでて、今日はそれの状況を確認しに行くんですよね」
「へぇ。それって女の子?」
「はい。中学一年生です」
ふぅん……と倫さんは感情の読めない顔で相槌を打った。女子中学生の悩み事に首を突っ込む変態と思われたか……?
「それをなんで陽くんが?」
「んー、まあ成り行きですかね。僕暇ですし」
「そっかー。優しいね」
「いや全然ですよ。まだ何もやってないですし」
実際、解決できるのかも不明だ。
倫さんは真剣な顔で訊いてきた。
「状況を確認するって言ってたけど、どうするつもりなの?」
「その子が下校するところを僕が後方からついていこうかなと思ってます」
近くにいたら状況が変化してしまうかもしれない。できるだけ離れて見守りたい。
僕の回答に倫さんは少し悩まし気な顔をして、口を開いた。
「それさー、私もいこっか?」
「え、それはどういう……」
「わかんないけど、そういうのって女子もいた方がいいと思う」
確かに女子がいた方が良さそうな気はする。相談者が女子ということもある。
「でもいいんですか? バイトとかは」
「バイトはねー、夏休みに減らしたんだー。だから九月から結構暇」
「あ、そうなんですか」
バイトを減らした分できた自由時間に付き合わせるのは気が引けてくるが、倫さんの意思は固そう。
ここで固辞するのも逆に失礼なので、一度甘えることにした。
「じゃあ一応その子に連絡して、同行する人が一人増える旨を伝えます」
「うん」
「それで承諾を得られたら、ぜひご助力いただければと……」
「うん! じゃあ放課後は校門で待ち合わせね」
「はい。ありがとうございます」
そんなわけで今日は倫さんの協力を得られることとなった。
◇◇◇
放課後。
今日は月曜日ということもあり部活動が休みになっている。
それゆえに放課後になった直後の時間は、多くの人が下駄箱に流れていた。普段部活に精を出している人たちが多いからか、いつもより喧騒が大きく感じた。
そして思ったのだが、大体の中学校も月曜日は部活動がないはずだ。その割りには西山ちゃんの下校時刻は遅めの午後五時とメッセージで送られてきていた。もしかすると、僕の都合を考えて遅めに設定してくれたのかもしれない。
「それか自習したいとかもあるのかな……」
そう独り言をつぶやきつつ、僕は下駄箱で靴を履き替えた。
朝に倫さんが同行することについて西山ちゃんに連絡したが、返事がきたのは放課後になってからと思しき時間だった。おそらく学校では気軽にスマホを使えないのだろう。ちなみに倫さんについては承諾された。
倫さんを待たせるわけにも行かないので早めに校門に来た。どうやら僕の方が早く着いたらしい。校門周辺の目立たないところに立って倫さんを待つ。
暇つぶしにスマホを見ていると、誰かに肩を叩かれた。
「久しぶり」
横に目をやると辻村梨奈先輩が立っていた。今日もサイドテールが麗しい。
かつては会えば険悪な雰囲気になっていた僕と辻村先輩だが、今は穏やかな関係になっている。
まずは元気に挨拶をしよう。
「お久しぶりです! どうしました?」
「別になにもないけど見かけたから挨拶しました。誰か待ってるの?」
何もないのに声をかけてくれたことに僕は内心感動していた。そんな態度を出したらウザいだろうから、同じ表情を維持した。
「はい。一ノ瀬先輩を待ってます」
「一ノ瀬先輩? 一ノ瀬倫さん?」
「そうです。知ってるんですか?」
「同じクラスだから知ってる。え、どういう関係?」
辻村先輩は訝しげな顔をした。僕と倫さんの接点がまるで想像できないのだろう。
「端的に言うと、霊の問題を解決して友達になった関係です」
「あー、皙・美野里パターンね」
春待の囲いの名前を挙げて納得する辻村先輩だった。そう言われてみればなるほど、いずれは僕も春待のようにハーレムを形成できる素質がある……?
“どうかしらね……”
なぜそこで僕もトリカも“ある”と断言できないのか、以前からここに大いなる謎が存在している。これを解明するには膨大な時間と労力が必要だからあえてここでは言及しないが。
“それは単純にトウジの方が性格が良”
あえてここでは言及しないが! 謎が謎を呼ぶ複雑怪奇な現象だよね。
僕が脳内会議を良きところで打ち切っていると、辻村先輩が話し出す。
「私が言うのもなんだけど、一ノ瀬さんって難しい性格してそうなのに凄いね。友達になっちゃうなんて」
「本当に私が言うのもなんだけどって感じですね」
「だからそう言ってるでしょ。笑うな」
「すみません。面白くて」
僕が笑っているのを辻村先輩はむっとした顔で見ていたが、その後「まったくもう」と言って呆れたように笑ってくれた。
話を戻す。
「一ノ瀬先輩って難しい性格してそうですか?」
「私の印象ではね。良く言えばクール、悪く言えば気だるげって感じでちょっと近寄りがたい感じはあるよ。見た目もちょっと派手だしね」
それはわかるかもしれない。僕も接点がなかったら自ら近寄ることはしなかっただろう。
「そう言われると見てみたくなりますねー。クラスにいるときの一ノ瀬先輩」
「ちなみに守谷くん目線だとどんな感じなの?」
「普通に優しくてノリが良い先輩ですよ」
ありのまま思ったことを言うと、辻村先輩は意外そうな顔をした。
「へ~。ちょっと想像できない」
「春待と一緒にいるときの辻村先輩よりは想像できる気がしますけどね」
「そんなに違う? 藤次といるときの私って」
どうやら自覚がないらしいので残酷な真実を教えることにする。
「あのですね、まず目がハートになってます」
「目がハートに!?」
「あと腰くねくねしてます」
「それは絶対うそ!! やばいでしょそんな女!」
「いやだから、やばいんですよ」
「え、嘘でしょ……私、公衆の面前で目をハートにしながら腰くねくねさせてたの……?」
辻村先輩は手を口に当てて青ざめた顔をしていた。
そんな顔をしばらく眺めたかったのだが、二秒と持たずに吹き出してしまった。
「あっはっはっはっ! 冗談です冗談! ちょっと笑顔が増えてるくらいです」
「マジで信じそうになったでしょ!? バカ!! 嘘つき!!」
「すみませんすみません! あははははっ!」
意外と素直な性格をしている辻村先輩はからかいがいがあって面白かった。春待と一緒にいるときはこんな感じなんだろうな。
恨みがましく睨んでくる辻村先輩をなだめていると、背後からダウナーな声が聞こえてきた。
「陽くんごめんねー、待たせちゃった。……お取り込み中?」
話題に上がっていた倫さんだ。そういえば待ち合わせをしているんだった。
彼女の登場により、辻村先輩がわかりやすく硬直して気まずい感じになってしまった。辻村先輩はクラスでは空気みたいな存在だと自分で語っていたので、おそらく倫さんとも交流はないのだろう。
ともあれ一旦倫さんと会話をしよう。
「ああ倫さん、全然待ってないですよ。えっとー……」
何と言ったものか考えていると、辻村先輩が動いた。
「じゃあ守谷くん私はここで失礼するねじゃあね」
「あ、はい」
辻村先輩は一息に言い切り、そそくさとその場を後にしていった。うまくフォローできなかった。
その後ろ姿を見届けた倫さんが、目を丸くして僕に問いかけてくる。
「……辻村さんと仲良いの?」
「友達の友達って感じですかね」
僕がそう答えると、倫さんは「ふーん」と言った。
「辻村さんがあんなふうに喋ってるところ、あの男の子以外で初めて見たかも」
「ああ、それが春待っていう友達です。わかりやすく惚れてますよね彼に」
「うん。てかさー、バカって言われて陽くんめっちゃ喜んでたよね?」
「人をドMみたいに言わないでください。ちょっとだけですよ」
「ちょっと喜んでるじゃん!」
ツッコまれて嬉しかったのは事実である。
「それより駅行きましょうか」
「あ、うん」
辻村先輩については話しづらい事が多いので、早めに話を流した。あんまり倫さんには霊周りの話はしたくない。
それにしてもこうして女子と肩を並べて歩くことがあるとは驚きである。朝もそうだったけど、かなり分不相応なことをしているなという自覚がある。
だからこそ平常心でいなければなるまい。ここで慌てふためいていたらそれこそ哀れなる陰キャである。虚勢を張るのだ。
“アキラにしては良い心がけね。虚勢も通せば様になるわ”
トリカの楽しげな言葉が脳裏に届く。通せばね。




