陽に交われば
ワゴン車の中は思いの外静かな空間を形成していた。
先輩方もさすがに遊び疲れたのだろう。岡本先輩に限っていえば、失恋の感傷に加え霊に魔力と体力を吸われた影響でぐったりしていた。どちらの問題も時間が解決してくれるだろう。
僕はというと、あとはもう帰るだけということもあり心底気が抜けていた。油断すると寝てしまいそうなほどだった。
しかし万が一寝てしまって隣に座る倫さんに寄りかかったりしたら岡本先輩に恨まれかねないので、できるだけ起きているように努める。
……岡本先輩がフラれたことは周知の事実となっているのだろうか。倫さんからは「みんなに言わないでね」と言われたので、彼女からその事実が伝わることはないと思うが。
ただ、雰囲気的には公然のものとなっていそうなのだ。岡本先輩がそれとなく「だめだったわ」というようなことを言ったのかなと予想している。
なにはともあれ今日のイベントはクリアした。いや~疲れたなぁ。
「陽くん」
対向車のナンバーを眺めて暇つぶしをしていると、倫さんに声をかけられた。
そちらに顔を向けると、倫さんは何かを差し出してくる。
「これ、ありがとね。返すの忘れてた」
「あ、いえいえ」
手のひらに乗せられた感触でそれが指輪だと判明する。
危ない危ない。トリカが姿を潜めたものだからうっかり失念していた。
いそいそとバッグに指輪をしまいこんでいると、倫さんに聞かれる。
「アクセとしてはつけないの?」
「いやいや、魔除けの指輪を装備ってゲームじゃないんですから」
「いやいや、他の人にはわかんないじゃん、それは」
確かに、と同意して笑う。
もちろん本意は別にある。
「単純に僕が指輪してたら笑われますよ。え? 陰キャなのに指輪? って」
「そんなことないと思うけど。でもまー、まだ早いかー」
「早いです早いです」
「それっていつも持ち歩いているの?」
「そうですね。だいたい」
「そうなんだー」
そしてまた静かになる。
こうして倫さんと会話したり顔を合わせたりするのも今日が最後になるのかなー、と思うとちょっと寂しくなる。僕が勝手に決めたことではあるが。
でも倫さんのため、ひいては僕のためである。会うたびにネガティブなことを想起させるってもうほぼゴキブリと変わらない。そんなふうに思われたくない。
なんだか悲しくなってきたので、目を閉じて思考を無にする。早く駅に着かないかな――。
◇◇◇
「陽くん。駅ついたよ」
誰かに肩を揺すられて目が覚めた。
「はっ! すみません」
状況を思い出した僕は慌てて居住まいを正した。
隣には倫さんがおり、前の座席に座る先輩方は今まさに車から降りているところだった。
それに続いて僕らも車を降りる。運転手の山本兄にお礼を言うのも忘れない。
山本兄妹以外が車を降りると、助手席の窓から山本妹が顔をのぞかせた。
「じゃあ、みんなばいばーい」
先輩方が山本妹に別れの挨拶をする中、僕は会釈をしておいた。山本妹とは一回くらいしか会話しなかったな。
車のテールランプを見届けると、いよいよ解散ということになった。
岡本先輩と広田先輩は上りの電車が到着したので、それに乗って帰っていった。あの二人は今後面倒な関係になるんだろうなと他人事ながら心配してしまう。
渡辺先輩とお団子先輩はこの駅が家の最寄り駅だそうで、徒歩で帰るとのことだった。
「じゃあねー」
「いい村だったな」
そう言って二人も帰っていった。村とは今日の集まりのことを指している。あの人は最後まで人狼してたな。
なんとなく二人の背中を見届けていたのだが、50メートルくらい離れたあたりで妙なものを目にした。渡辺先輩とお団子先輩が手をつないで歩きはじめたのである。夜だし結構離れたからバレないだろうと思ったのかもしれないが、バッチリ街灯に照らされていた。そしてそれを僕と倫さんは見ていた。
「倫さん、あの二人付き合ってるんですか?」
「わっかんないけど、今の見たら付き合ってるよねー。えーまじ? やばー」
倫さんも初めて知ったらしい。
僕は一杯食わされた気分だった。あれだけ僕と同陣営を気取っておきながらまさかお団子先輩と二狼だったとは。さすがにそこの二人は追えなかった。なにせ会話をしているところを見ていない。
玉砕一回とカップル一組でプラマイゼロじゃーんと思っていると、倫さんがニヤニヤしながら聞いてきた。
「マドカを渡辺くんに取られて嫉妬しちゃってる?」
倫さんは勘違いをしていらっしゃる。
「僕は世の中すべての同世代カップルに中指立てます」
「あ、やばい感じだ」
イルって感じかな。
駅舎に入って電光掲示板を眺めると、僕らが乗る電車はあと五分ほどで到着するようだった。
「お腹空いたなー」
隣で倫さんがそうつぶやいた。
「そうですねー」
僕も同意する。時刻は二十時を少し過ぎたところを指している。
帰りの道路が意外と混んでいたこともあって、夕食には遅い時間となってしまった。
当初の予定では夜もどこかで食べるという話だったらしいのだが、そういう雰囲気でもないと先輩方が判断してお開きとなった。
個人的には助かった、なんて思っていると、倫さんが大袈裟にため息をついた。
「ねえ陽くん。私が、お腹空いた、って言ってるんだけど?」
腕を組んで呆れた眼差しを向けてくる倫さんに、僕は慌てた。
「そこのコンビニでなんか買ってきます!」
「違う! そういうことじゃない!」
倫さんに腕を捕まれ引き止められた。
「どこか食べ行こ? って言ってるの。おごってあげるし」
「いやいや、それは悪いですよ。お昼がお弁当だったんで、お金はありますよ」
それに先輩とはいえ女子におごられるのも体裁が悪い。
正直帰る気満々のマインドだったので外食はお断りしたかったのだが、まさか倫さんの誘いを断れるわけもなく、僕らは駅近くのファミレスに足を運んだ。
客足のピークを過ぎたファミレスに入り、それぞれ適当に注文して料理が運ばれてくるのを待つ。
「ほんとびっくりしましたね。え、膝枕? って」
「あはははっ! そんなことあったんだー!」
僕は廃病院内で起きたことを話していた。他に話すこともなかったからだ。
おしぼりで手を拭いている対面の倫さんを視界に収めつつ、話を続ける。
「はい。それで僕も出ていくタイミングがなくなっちゃって、ずっとこそこそしてたんですよね」
「あはは、だから一人で戻ってきたんだー。ばーんって登場したらよかったのに」
「いやー、それで驚かせちゃってめっちゃキレられたら嫌だなと」
「なるほどねー。なくはないね、それ」
僕自身、トリカが背後から姿を現したときはキレてしまった。
ただ、今になって思うがあの状況で驚かせない登場ってどうしたらいいんだろう? 事前に僕が行くという情報を伝えるだけでもだいぶ違うと思うが、そのときの僕は連絡手段がなかった。たぶん、どう姿を見せても驚かれたに違いない。
ともあれ、話題はラインの話へ。
「当初は広田先輩と山本先輩のラインが強いと思ってたんですけど、実際は違うみたいで、山本先輩は岡本先輩に矢印が向いてたんですよ」
「ふぅん。あんまりしっくりこないけどー」
「まあ、倫さんはお団子先輩と渡辺先輩の関係にも気づきませんでしたもんね」
「私が鈍感みたいな!?」
鈍感というよりは、おそらくあまり興味がないのだろう。僕も玉砕にしか興味がない。
和気あいあいと雑談をしていると、倫さんの雰囲気が少し変わるのを感じた。
「あのさ、今日は私が誘ったじゃん?」
「はい」
ちょっと嫌な流れだなと思いつつ、話を聞く。
「だからさ、次は陽くんから誘ってほしいなって思うんだよねー」
「なるほど」
いや無理! と思った。
なにせ先輩だし、女子だし。一対一はまず無理だから多人数で遊ぶにしてもそんなに友達がいないし、もしモロトシアキラの中に倫さんをぶち込んだらサークルクラッシュの可能性すらあるし、そもそも男所帯に倫さんを呼び込んで何するの? ピクニック?
誘うビジョンがまったく見えない。
そしてハッとなる。唯一の逃げ道を見つけてしまった。
「今思い出したんですけど、実は僕すでに倫さんのことを誘っているんですよ。以前、マッダーナウに食べに行きましたよね。井上先輩と」
「それはノーカン」
「あ、はい」
ピシャリと否定されてしまうと、それ以上は何も言えなかった。
ここで露骨に拒否するのも印象が悪い。否、すでに印象は悪いと思うが、そもそも僕は倫さんと交流するべきではないという結論を出したではないか。
その話をするために、一度咳払いをした。
「あの、その前にですね。倫さんに聞きたいことがあるんですよ」
「え、なに?」
倫さんも少し構えたような顔だ。
「僕の質問に、即答してください。いいですか?」
「……いいよ? なに?」
その質問をするため、僕は息を吸い、倫さんの目を注視する。
「僕を見たとき一番最初に何を連想しますか?」
「ラップ!」
「ラップ!?」
想定していたものと違う回答が来て驚いた。
倫さんの目は特に揺らぐこともなかった。僕は別に心理学をかじっているわけでもないので、特に何かわかることもないのだが。むしろ見つめ合っちゃって僕の方がドキドキしてしまった。
確認のため聞き返す。
「え、ラップですか?」
「うん。ラップ」
「……霊ではなく?」
「んー、それもなくはないけどー、即答したらラップだったね」
そうなんだ……と言葉に詰まる。
「霊」という回答を前提とした会話の展開を考えていたので、早くも頓挫した形だ。
しかし霊と答える可能性もゼロではなかったはずだ。そこを頼りにして展開しよう。
「なくはないんですよね。……倫さんって霊を恐れてるじゃないですか?」
「うん、まあ」
「僕って霊……それとまあラップを除けばなんの特徴もない人間じゃないですか」
「そんなことないけど」
「率直に言いますと、僕、倫さんを怖がらせたくないし、怖がられたくないんですよ」
倫さんの目を真っ直ぐに見て本心を伝える。僕という存在には霊がついてまわる、ということは言わなかったが察してくれるはずだ。
彼女は難しい顔をした。
「……霊は怖いけど、陽くんのことは全然怖くない」
「そう言ってくれるのはありがたいんですけどね」
「それで何がダメなの? 陽くんに霊感があっても別に遊んでよくない?」
もちろん倫さんが良いならそれで良い。でもやっぱり今日のことを思い返すと、とても問題がないようには思えないのだ。
「倫さん、廃病院で泣いてたじゃないですか。震えてましたし」
「それは……そう、だけど」
倫さんの目が下を向く。
「ちなみにあの病院に霊はいませんでした。というか、霊なんてそうそういません」
「じゃあ別に問題なくない?」
「でもたまにいます。僕って結構霊に対してリアクションを取ってしまいがちなんです。そしたら、倫さんは本来感じる必要のない恐怖や不安を覚えることになるかもしれません。僕が近くにいることによって」
「……」
倫さんは黙り込んでしまった。
言いたいことは言ったので、水を一口飲む。
気まずい空気になってしまった。注文したものも来ないし。
周りの席の客を眺めていると、倫さんが口を開いた。
「あのね、ちょっと誤解を解きたいんだけど。あのとき泣いちゃったのは、陽くんが来てくれてほっとしたからなんだよね」
「……?」
その理由はいまいち納得できず、何も反応できなかった。いや霊が怖いんでしょ、と僕は思っていた。
倫さんが説明を続ける。
「霊とかじゃなくて、一人……だったからね? 一人ぼっちになっちゃったのが怖かったの」
「はあ。でも霊は霊で怖いんですよね?」
「人並みにはね。でも陽くんの理屈って坊主憎けりゃ袈裟まで憎いみたいな話でしょ? 私そこまで霊に対してネガティブじゃない」
「……そうなんですか? 泣いて震えてたのに?」
「それは一人だったから。何度も言うけど」
果たして本当にそれが泣いた理由なのだろうか。僕にはわからない。
“そういうことにしておいてあげたら? それであなたに何か不都合があるの?”
眠っているのだと思っていたトリカの声が脳裏に響く。
不都合はない。ないのだが、すんなりと納得できない。
僕が首をかしげている一方で、倫さんは先程の難しい顔から一転して柔らかな表情で話しだした。
「私ねー、こんなこと言ったらあれだけど、“合う”人が少ないんだよねー。だから合う人を見つけると、友達になりたいの。これ陽くんのことね」
「そうなんですか」
「うん。なんかちょっと話したら陽くんは合うなーって思った。ちなみに千穂もそうだし、マドカもそう」
山本妹は違うんかーいと突っ込もうかと思ったが、女子の闇を見たくなくて突っ込まなかった。きっと言わなかっただけに違いない。名前を全部挙げていったらキリがないもんね。井上先輩も言ってないしね。
というか面と向かって“合う”とか言われたら典型的チョロボーイな僕は普通に勘違いしてしまう。いや、陽の者であっても多少気があると思ったりするのではないか?
倫さん、魔性の女である。川崎先輩と気が合うのも納得してしまう。幸いなのはそれを無意識でやっている点か。……無意識ですよね?
僕の懸念などお構いなしに倫さんは話を続けていた。
「今回ちょっと強引に誘ったのはそういうことなんだよね。肝試しについてきてほしいっていうのは建前。だって、そうでも言わないと来てくれなかったでしょ?」
「……はい」
僕の返事に「ほら」と笑う倫さん。
「霊感って凄い個性だと思うけど、私にとってはそこまで重要なことでもないんだ。もしかしたら陽くんはそこを誤解してるんじゃないかなーって」
倫さんにとって僕のパーソナリティなど霊感以外に存在しないと思っていた。というかそういう前提で倫さんと向き合っていたので、今の話は衝撃的だった。
肝試しについてきてほしいというのは目的ではなく建前……にわかには信じがたい話だ。
僕の呆けた顔が面白かったのか、倫さんは笑いながら言った。
「ふふ、だから霊が怖いからって霊感のある陽くんのことが嫌になるとか、そういう感情はひとっつもないの。わかった?」
「わかり、ました」
そう強く言われてしまうと、僕としてもその言葉を信じるしかない。というか信じたい。
しかしそうなってくると新たな疑問が浮かぶ。
霊感以外の僕ってなに?
僕自身、客観的に見たとき何も思い浮かぶものがない。何をもって倫さんは僕を“合う”と評したのか。謎である。しいて言うならラップだが、倫さんはちょっと話した段階で“合う”と判断している。僕がラップを披露したのは結構話した後だ。
いくら考えてもわからないので聞いてみることにする。
「“合う”って思った具体的な理由とかあります?」
「ないよ? いや、あるのかな? 言葉にできないだけかも。感覚的に合うなって」
「でも初対面のとき絶対こいつとは交わらないなって思いませんでした?」
「あははは、それはそうでしょ。だって接点が千穂しかないんだよ?」
「そうですよね」
なぜ合うと思ったのか、その謎は解けぬまま注文した料理が運ばれてきた。
いまいちすっきりしないなと思っていると、トリカが姿を現した。
“私の個人的な意見だけどね。あなたが勘ぐっているような悪意はこの子にはないと思うわ”
並べられるハンバーグとオムライスをガン見しながらトリカが脳裏に伝えてくる。
女の直感に対して、女の直感を述べられた。トリカを女とカウントすることに一抹の不安はあるが。
悪意がないなら、別に倫さんの行動に納得できなくても問題はないのかな。
僕がこれだけ疑念を持ってしまうのは、こういうことに慣れていないからだ。慣れていないと言うか初めての経験だ。僕のような陰よりの小物を捕まえて何を企んでいる? と被害妄想を膨らませてしまうのが、陰キャの哀れなところである。
逆に言えば、僕のような小物を捕まえて得られるメリットなど何もないことから、本当に倫さんが友達として近づいてきたと解釈することもできる。
……あんまり考えすぎない方がいいのかもしれない。現状の倫さんは、僕に対して異常に優しい先輩だ。今はこの楽しい時間を享受しようじゃないか。
“いいんじゃないかしら、前向きで。ヨウの思考よ”
そうか? やっぱり僕は陽キャだったか。
“うーん”
いっそ騙されるつもりで倫さんとめちゃくちゃ親密になりにいこうか。その過程でおかしなことがわかればそこで引けばいいし、単純に仲良くなれるならそれに越したことはない。当たって砕けるつもりはなく、とりあえず当たってみようというマインドだ。
ここまで来てようやく自分を納得させることができた。あー、よかった。
一人で勝手にスッキリできたので、僕は意気揚々と「いただきまーす!」と挨拶をしてナイフとフォークに手を伸ばす。
すると、倫さんが笑いながら聞いてきた。
「え。なんか急に元気だね?」
「え? 僕いつでも元気じゃないっすかぁ!」
「誰!? あはははっ!」
「やっぱハンバーグって童心に帰らせる力があるんすよね」
「そういうことー? めっちゃ無邪気じゃん」
そんな倫さんはオムライスを食べている。それもいいよね。
倫さんに対するもやもやを消化できたことで忘れかけたが、一応月子という懸案事項もある。これは家に持ち帰ってよくよく月子と話さないといけないだろう。呼べば来るという話だし。
まあ、とりあえずハンバーグを食べよう。腹ペコだし、トリカに食われる。
と思ったが、ハンバーグを口に運ぶ前に倫さんに言っておきたいことがあった。
「あのー、倫さん」
「んー?」
もぐもぐしている倫さんが可愛らしく小首をかしげた。
「お誘いするのはいいんですけど、僕のセンスに絶望しないでくださいね」
水を飲んだ倫さんがにこっと笑って言う。
「ん、だいじょうぶ。多分好きなセンスだと思ってる」
「ラップは好きですか?」
「人並みだね」
多分“合ってない”と思う。




