右往左往する無能な僕
再び廃病院の中に戻ってきた。
最初はまっすぐ伸びる廊下を進んだので、今回は右手に折れる廊下を進もうと思う。広田先輩と山本妹とすれ違わなかったということは、こちらから進んだ可能性が高い。
相も変わらず白い霊は浮遊しているが、極力意識しないようにして通り過ぎる。
しかしこんなにいかにも霊が出ますといった場所に本当に霊がいるとなんか面白いよな、とトリカに脳裏で呼びかけてしまったが当然返事が来るわけもなく。
「やべえ、ちょっと怖くなってきた。ふふふ」
一人で喋っていることになんか笑ってしまう。おそらくこれは恐怖の裏返し的な笑いなんだろう。
そんなふうに客観的に分析しているのは、まさしく恐怖を紛らわせるためのものである。この思考もそうだ。以下無限ループ。ふふふふ。
「――!!」
またしても一人で笑っているところに、どこかから女の鋭い声が聞こえた。何を言ったのかはわからない。しかし剣呑な声だった。
何かあったに違いない。それが霊に関係ない色恋の崩壊を知らせるものであれば、僕は歓喜に打ち震えるだろう。というかそうであってほしい。
声がしたのはおそらく上の方だが、一応、一階にも注意を払う。
どうやら一階にはいないようだ。扉の閉められている部屋を開けて確認したわけではないが、人の気配がすればわかると思う。
廊下の突き当りに階段があったので、二階に上がる。
一階と同じように廊下の両サイドは何らかの部屋が並んでいる。扉を開けて確認するのは怖いので、周囲に耳を澄ましてゆっくり移動する。
しかし、この階層でもないような気がする。人の気配がない。さらに上の三階にいると思われる。
廊下の突きあたりまでくると、また階段を上がり三階に進む。
「はぁ~……」
先輩方が見つからないことに少し苛立ちを覚える。ここが霊がいないような平和な場所だったら僕もラップしたりしながらお気楽に探せるのだが、霊はもちろんそれ以外に“なにかいる”と事前にトリカから聞かされていることもあって平静でいるのが難しい。
僕は気が小さい人間なのである。無駄に驚いたり怖がったりしたくないのだ。もうほんと怖いのやだ。倫さんも泣くほど怖がっていたし、主催者は反省して――いや待て。
そこまで考えて、ふとクリティカルなことに思い当たる。
やはり僕は、倫さんとは関わらない方がいいということだ。
先程の倫さんの怖がりっぷりは正直に言って驚いた。なにせ泣いていたし震えていた。それを直に見たし肌で感じた。倫さんは本当に霊が怖いんだなと実感を持って理解したのである。
僕も初めて霊を認識したときはとんでもない不安感に苛まれた。まず白いもやがなにかわからなかったし、周りの人間には見えていないので話を共有することもできない。それにひどく無力感を覚えたのである。
その当時の僕と、今の倫さんは似たような状況だが、決定的に違うことがふたつある。ひとつは、倫さんは霊が視えないという点。もうひとつは霊の話を共有できる僕が存在している点だ。
僕の存在により霊について話を共有できることは一見メリットにも思える。しかし倫さんは霊が視えないのだ。日々の生活において、認識できない霊のことなどいちいち意識しないと思うし、どんどん頭の片隅に片隅に追いやっていくと思うのだ。
ところが、僕という霊が認識できる人間と交流していると、いつまでたっても霊という存在が頭にちらつく。ましてや僕なんて霊のことを除けば何の特徴もない人間なのだ。つまり、僕を見れば否応なく霊を連想させる。その結果、余計な不安を呼び込んでしまう。
もちろん、僕はそんなことは望まない。
そうなれば必然的に「霊を恐れる倫さんと、霊を認識できる僕は関わるべきではない」という結論に達するのである。
かなり遅くなったが、今になってようやくこの考えに至った。
いや、その考え自体はあったのだが、実感が伴っていなかった。以前、トリカがわざと倫さんに話しかけて怖がらせたことがあった。そのときは僕が除霊ラップをして倫さんも気を取り直していたが、やっぱり怖かったのだろう。浅はかだった。
今回、倫さんが僕を誘った理由は、単純に霊の存在の有無を教えてほしいのと、何か問題があったらそれを回避してほしいというものだった。そしてリップサービスで僕と遊びたいとも。優しいね。
おそらく、倫さんは霊という存在が普遍的なものかどうかを確認したかった意図もあったのではないかと思う。こんないかにも霊が出そうな廃病院に霊がいなければ、普段の生活においても霊と接近する機会はないだろうと納得することができる。逆に霊が存在していたら、こういう場所には極力近づかないようにしようと予防策を立てることができる。
……霊がいないと断言しておいてよかったな。実際にはいるが、倫さんには不要な情報だ。
さて、階段を上りきって三階に到達した。すでに話し声がかすかに聞こえるのでこの階層にいるのは間違いない。
声のする方へと歩みを進める。
すると、とある一室から男女の会話が聞こえてきた。ドアはすでに開かれている。
「何そんなに怒ってんの? こんなときに」
「いや、怒ってねーって」
雰囲気の悪い会話だ。
室内の様子をそーっと窺う。
「……?」
なんだあれ……。
初めは暗くてよくわからなかったのだが、広田先輩が持っているスマホのライトを頼りに状況を把握することができた。
まず、山本妹が岡本先輩を膝枕していた。危うく「えぇ?」と声を出すところだった。広田先輩はその二人のそばに立っている。
いかんせんスマホの光しかないので表情などはわからないのだが、広田先輩がイライラしている様子はなんとなく伝わってくる。そりゃあ男女のいちゃつきを見せられたらムカつくよな。僕だったら一人で帰ってる。
否、広田先輩はそういう陰キャ思考ではないはず。広田先輩と山本妹は濃厚なラインがあった。そんな山本妹が岡本先輩を膝枕していたら、そりゃ面白くないだろう。
件の山本妹が、自身の膝に乗せている岡本先輩の顔に向けて、優しげに声をかけていた。
「岡本くん、体調よくなってきた?」
それに対し、岡本先輩はなんとも要領を得ない回答。
「んん、あんまり……」
お前もしかしてもう全快なんじゃねーの?
と邪推してしまうのは僕の悪い癖。トリカがいたら即たしなめられている場面だ。
さて、そろそろ僕も姿を現したいところなのだが、タイミングを逸した感はある。「よし行くぞ!」というタイミングで彼らが話しだしたりするのだ。
今もそうだ。
「なあ、岡本。どうしていきなり体調悪くなったんだよ」
その広田先輩の問いかけに岡本先輩が答える。
「わかんねー。急に力が抜けたんだよ」
失恋のショックじゃないのか? と思ったあとに、もしかするとこの廃病院に潜む“なにか”のせいかもしれないと思い直す。力が抜けたのは、まさしく力を吸われたからではないか?
予想に過ぎないが、取り憑かれていないだけマシと考える。
僕が部屋の外でそんな思考をしていると、しびれを切らした広田先輩が提案していた。
「とりあえず俺が背負ってやるからここから出ようぜ。みんな待ってると思うし」
「わりぃ。頼めるか?」
「お前みたいなガリ余裕だよ」
「ガリじゃねえ」
そんな言い合いをしながら広田先輩が岡本先輩をおぶっていた。
男同士の友情いいねぇ、なんて思っていると、まもなく三人が部屋から出てくる雰囲気だった。ここで顔を合わせたらまるで盗み聞きをしていたように思われる。もちろんそれは僕の本意ではないが、状況的に事実なのでいかんともしがたい。
考慮したのは0.5秒ほど。僕はすぐさま反対側の部屋に身を隠した。
「広田くん、階段とか大丈夫? こけないでよー?」
「馬鹿。俺を甘く見るな。こいつくらい二人背負っても余裕」
「さすがにそれは無理だろ」
先輩たちの足音と会話が遠ざかっていった。どうやらやり過ごせたらしい。
いや、もともとは合流するつもりだったのに、どうしてこんな肩身の狭い思いをしなくてはならないのだ。全ては膝枕などという妙な行為をしていた山本妹と岡本先輩が悪い。
さて、先輩たちにばれないように僕も病院を出るか。
そう思い部屋を出ようと廊下に目をやると、目の前を女の霊が通り過ぎていった。
「……!」
本当にビックリすると声は出ないし息も止まるし身体も硬直する。
僕は部屋の出入り口の前で数秒立ち尽くす。
通り過ぎた女の霊は、病衣を着ていた。長い黒髪で細身のシルエット。歩いていた感じはなく、浮遊して動いていたように見えた。
普通の人型の霊よりディテールが幾分はっきりしている。おそらく普通の霊よりは力があると思われる。
もしかすると、岡本先輩の力を吸い取ったのもあの霊かもしれない。そして廃病院に潜む“なにか”もあれなのかも。
霊は先輩方と同じ方向に向かっていた。何か危害を加える可能性もある。
とはいえ、僕は何もできない。何もできないが、認識はできる。先輩方は認識もできない。
それらを踏まえた結果、僕はすぐに廊下に身を躍らせた。
10メートルほど先に霊の後ろ姿が視えた。
霊の注意を引くために、ダン!と床を強く踏み込んで音を立ててみた。
すると、霊が動きを止めた。
ゆっくりと霊が振り返る。
顔は髪に覆われて見えない。だらんと垂れ下がった細腕、その右手に何か握られているのが見える。
「……メス?」
メス!?
自分で言った凶器に改めて驚く。あれが実体を持っているメスかどうかは不明だが、武蔵の刀が切れる以上、あのメスも実際に切れると考える方が自然だろう。
先輩方のもとに行かせていたら大変なことになっていた。自分の判断は正解だった。
しかし問題はここからだ。先輩たちが廃病院を出るまでなんとか注意を引きつつ逃げ続けなければならない。
「来たな」
女の霊が僕の方に移動を始めたのを見て、僕は先輩たちが歩いていった方とは反対方向に走りだす。
できることなら先輩たちと遭遇したくない。視えない存在から逃げるなんてヤバイ人間だと思われる。
かといってそんなことを考慮できるほど余裕があるのか。これは微妙なところだ。
ちらっと背後を振り返ると、女の霊はゆっくり近づいてきていた。これなら追いつかれることはないだろう。
そう思いながら視線を前に戻すと、目の前に女の霊がいた。
「んにゃぎ!?」
素っ頓狂な声を上げながら反射的にに横っ飛びする。廊下の壁に身体を強打しながらもなんとか立ち上がる。
瞬間移動なんてズルすぎるだろ!? 心臓が止まったわ!
僕は今来た道を引き返し猛然とダッシュする。
しかし瞬間移動なんてできるならどこに逃げても一緒ではないか。
そう頭では理解しつつも足を止めることができない。身に迫る恐怖からとにかく距離を取りたい。
「ヒヒヒヒイイヒヒ」
不気味な笑い声がどこからか聞こえる。常識的に考えれば後方からのはずだが、すぐ耳元で囁かれているような気さえする。僕は頭を振って周囲に目をやるが、女の霊の姿は視えなかった。
「はぁっ、はぁっ、くそっ!」
僕は闇雲に三階を走り回った。
やがて息が切れてきて、足を止めた。
女の霊が僕を小馬鹿にするように天井からすぅっと降りてきた。
そして、メスを持った右手を突き出して、僕めがけて突進してきた。
「っぶねえ! それは死ぬだろうが!!」
がむしゃらに身体をひねってなんとかメスをかわした僕は、恐怖と怒りがないまぜになり気づけば女の霊の背中を蹴り飛ばしていた。
霊だから貫通するのかと思ったが、薄手のカーテンを蹴り飛ばしたような微妙な感触があった。突き飛ばされて前のめりに倒れた女の霊は、まるで操り人形のようにゆらりと立ち上がる。
どこに逃げても一緒ならここで応戦して時間を稼いだ方がいいような気がする。先輩たちはもう廃病院を出ただろうか。
逆に時間を稼ぎすぎると、先輩方が僕を探しに来る可能性もある。程よいタイミングでこの場を後にしなければならない。最悪、世間体をかなぐり捨ててでも廃病院から離れようとは思っているが。
先輩たちがここを後にしてからおそらく五分も経っていない。あと最低でも三分くらいは時間を稼いで、僕も逃げよう。
「ヒヒヒヒヒヒ」
不気味な笑い声を発しながら女の霊が近寄ってくる。
僕はそれを真正面に捉え、何をされても対応できるように構える。
特に右手のメスに注意を払っていると、ふいに霊の姿が消えた。
瞬間移動!
そう思った瞬間に、僕はついさっきまで女の霊がいた前方に飛び込み前転をした。
アクションスターか!? と自分で突っ込みながらすぐさま背後を確認する。いた。
右手を突き出したポーズでいたことから、回避しなかったら刺されていたと思われる。
「フフフ……」
意味深な笑い声を残して霊は床下に沈んでいった。
もしかして先輩たちのもとに向かったのか? それはまずい!
いや、目の前の獲物を無視して先輩たちの方に向かうだろうか。僕を無視できるほどの知能があるのか?
その思考中、背後に気配を感じた。
「うわっ!!」
間一髪で――いや、左腕をかすったらしい。汗ではなく血が流れるのを感じた。
「切れてるじゃん! ふざけんなよおい!」
切れ散らかしながら走って距離を取る。止血したいし、シャツに血がつくのは嫌だし、この状況がきついし、僕はもう泣きたかった。
もう廃病院を出よう。先輩たちもきっともう外にいるだろう。
願望混じりに決意を固めた矢先、何かに躓いてすっ転んだ。否、転ばされたのだ。
受け身を取ろうとして床についた手、その数センチ先の場所から女の霊が顔を出した。驚きのあまり声にならない声が出る。
瞬間移動に加え壁抜けもできるなら逃げられるわけがない。
おそらく遊ばれていたのだろう。僕がここから逃げる気配を感じ取っていよいよ仕留めに来たに違いない。
メスが振り下ろされる気配を感じ、慌てて横に転がる。またしても廊下の壁に激突するが、そんなこと言ってられない。実際に振り下ろされたのかもわからない。
すぐに立ち上がろうとするのだが、女の霊がすぐ傍に立っていた。今までだったら一つの行動をしてから次の行動に移るまで時間があったのだが、もうそんな猶予は用意してくれないようだ。
「はぁ、はぁ。……ふぅー」
体勢も悪いし、もうダメだ。
やっぱり一人で来るのは無謀だった、トリカの言うとおりにすればよかった、肝試しという企画を突っぱねればよかった。あらゆる後悔が一瞬で浮かんでは恐怖で塗りつぶされていく。
右手に握られるメスを前にして、僕は目をぎゅっと瞑って反射的に両腕で顔を守る。
身体ががら空きじゃんと自嘲したくなる防御体勢を取りながら、まもなく迫り来るであろうメスの刃にただただ震えていた。
やめてくれやめてくれ、痛いのは嫌だ、誰でもいいから助けてくれ!
「助けが必要ならもっと早く呼ぶのじゃ。陽よ」
聞き覚えのある少女の声が廃病院に響いた。




