逢魔が時の廃病院
「じゃあ俺は近くの本屋で時間潰してるから、終わったら呼んで」
山本兄弟の兄の方が運転席の窓から妹にそう言っているのが聞こえた。
車から降りた僕らの目の前には、いかにもナニカ出そうな雰囲気を醸し出している廃病院があった。三階建てだが、それほど大きくもない病院だ。
病院の周囲はほとんどなにもない。畑や民家がぽつりぽつりとある程度だ。何を考えてこんなところに病院を建てたのだろう。そりゃ潰れるわというような立地だ。
建物の汚れ方や周囲の雑草の伸び具合を見ても管理されていないのは明らかだ。夕闇の空の下にあるそれはどこか哀愁を感じさせた。
「いやー、雰囲気あるなー」
岡本先輩が楽しげに言った。
先程哀愁があるなどと言ったが、それは霊が見えていなければの話である。実際には、もうちらちら霊が見えており、不気味という印象の方が強い。
見えているものは不定形の白モヤだが、病院の周囲を浮遊しているのだから、その内部にはもっと霊がいると思われる。
「というか、何かいるわね。魔力の塊を感じる。それも穏やかじゃない感じ」
僕のそばで浮遊しているトリカが淡々と言った。病院に棲み着く霊なんてまさしく怨念ではなかろうか。
で、それはトリカ的にはどうなの? やばい?
「まさか。私にかかれば0.2秒で消滅できるわよ。周りのことを無視すればね」
つまり、周囲に被害を与えず霊をピンポイントでやっつけることはできないと。いつも火力過剰だよなトリカは。
ともあれ、対処はできそうで安心した。
ただ、僕のような小心者は別のところに心配事がある。
「あのー、そもそも勝手に入っちゃっていいんですか?」
恐る恐る岡本先輩に尋ねると、彼はにやりと笑った。
「バレなきゃいいんだよ」
完全に駄目なやつだ。
僕はスマホを取り出し、そのあたりについて調べた。やっぱり駄目だった。普通に不法侵入罪だった。
罪悪感に苛まれていると、僕の両肩にトリカの手が置かれた。そして背後から耳元で囁かれる。
「もしバレそうになったら私が魔法で逃してあげるから大丈夫よ。アキラが肝試ししてお漏らしするところを見たいし」
肝試しさせようとする理由が不純!
まあ、この廃病院が有名という話も聞いたことがないし、誰か他の人間が来ることもないような気がする。もし来るとしたらヤンキーの類だろう。すでに病院の壁にはスプレーで派手な落書きがされているところもある。窓ガラスも割れている。
「そんじゃ、くじでペアを決めるか!」
そう元気よく言い出したのは広田先輩である。おそらく首謀者であり、なおかつくじの工作もしたであろう人間だから、妙にウキウキしている。
広田先輩はくじが入っていると思われるティッシュ箱を手にして、説明を始めた。
「この中に紙が入っていて、そこにアルファベットが書いてあるから。同じアルファベットの人でペアを組む。わかりやすいだろ? ちなみにペアの人数は、2、2、3になってるから。じゃあ、一年から」
広田先輩は僕の前にティッシュ箱を突き出した。
特に指示もされていないのでそのまま普通に引く。書いてある文字は“C”だった。
その後も次々と先輩方が引いていくが、最後に引いたのは倫さんだった。その前は岡本先輩である。おそらくここに作為があるのだろう。
今後の展開にワクワクしていると、倫さんに声をかけられた。
「陽くんは何だった? アルファベット」
「僕はCでしたね」
「うそ……私Aなんだけど……」
倫さんは絶望したように言い、うなだれた。相当に霊を恐れているようだ。
僕は少し心配してしまう。海では負けん気が強いと豪語していた倫さんだが、いざ現場に来ると怖気づいてしまったのかもしれない。
なにせ僕もビビっている。“何か”いるとトリカから聞かされたこともあるが、こんなに霊がはびこっていそうな場所は訪れたことがないからだ。
倫さんの精神状態を気にしていると、当の本人は先輩方に声をかけていた。
「ねえ、Cの人いるー? 私と交換しよー?」
「ははははっ! おいおいそれじゃくじの意味ないだろ」
豪快に笑ったのは広田先輩である。
全員のくじの中身が開示され、ペアが明らかになる。
Aは工作通り倫さんと岡本先輩、Bは広田先輩と山本妹、Cは渡辺先輩とお団子先輩、そして僕だ。渡辺先輩風に言えば、AとBは見事にラインの濃いペアになっている。
広田先輩がAのペアに声をかけていた。
「よーし、じゃあ適当に中入って探検してくれ。建物が劣化してるかもしれないから、そういうところは避けろよ。ほい、一応懐中電灯」
そう言って岡本先輩に懐中電灯を手渡していた。もうじき夜になるので必要だろう。
岡本先輩は意気揚々と廃病院の方に向かいながら、倫さんに声をかけていた。
「よっしゃ。じゃあ一ノ瀬、行こうぜ」
「うん……」
しかし倫さんの足は動かなかった。
可哀想だな、と思いながら僕は声をかけられなかった。先輩方は霊のことなど認識していない上にこれを恋愛イベントだと思っているので、まさか倫さんが本気で怯えているなどとは露とも考えていないだろう。
倫さんが本気で怖いと切実に訴えれば、肝試しは取りやめになるのではないかと僕は考えていた。でも、倫さんはそうする気配がない。
彼女は気遣いの人であり、負けん気の強い人である。空気の読めない行動は取れないのかもしれない。
その空気に縛られてしまうのは、陽の者特有のものでもあるだろう。陰の者はリスクは負わないしトラブルは避ける。
「インキャにそんな優位性があったなんて……驚きだわ。すごいわね!」
トリカがわざとらしく感嘆していた。これが皮肉であることも当然わかっている。
けたけた笑うトリカに辟易していると、倫さんと目が合った。いつもの倫さんからは想像できない縋るような弱々しい眼差しに、僕は心臓を締め付けられるような感覚を覚えた。
倫さんが肝試しを拒否しなかったときのために考えていた策がひとつある。病院内に穏やかじゃない霊がいるとわかっている以上、その手を打たない理由はない。
……トリカ、頼んでいいかな?
“はあ。仕方ないわね”
僕の思考を読んだトリカは不満そうな顔をしながらも了承してくれた。
そうと決まればすぐに倫さんに駆け寄る。僕の手にはトリカが封印されている指輪がある。
倫さんの恐怖心を解くために努めて明るく声をかけた。
「倫さん、これ貸してあげますよ」
「これって、指輪?」
「魔除けの指輪です。これがあれば何も恐れることはありませんよ。これは除霊ラップと違ってマジです」
僕が自信満々に言うと、倫さんは目を丸くしていた。
「ほんとに? じゃあ、ありがたく借りるね。……ていうか除霊ラップはマジじゃないんだ」
儚げな笑顔を浮かべた倫さんは、右手の中指にその指輪をつけようとしたが、
「あ、ゆるい。持ってればいいんだよね?」
「はい。持っていれば大丈夫です」
倫さんの指にはサイズが合わなかったようだ。僕がつけてぴったりだったもんな。
ちらっと岡本先輩の顔を見たら、何の感情も読ませないポーカーフェイスになっていた。その無表情がかえって怖かった。指輪なんか渡したらそりゃ無表情にもなるよな。
ちょっといたたまれないので僕はそそくさと倫さんに告げる。
「そもそもこの病院、見た感じまったく霊とかいなそうなんで、大丈夫ですよ」
「ほんと? じゃあぜんぜん大丈夫だね」
そう言う倫さんは、少し元気を取り戻したように見えた。
こんな嘘をつくのは僕のポリシーに反するのだが、以前春待が吉岡さんを元気づけていたときのことを参考にした。まあ、春待は嘘をついたわけではないのだが。
ともかくトリカ、頼むぞ。霊に襲われそうになったら二人を守ってあげてくれ。
「ええ。かき氷に焼きそばにラーメンを楽しみにしてるわね」
海の家のラインナップ――!
倫さんと岡本先輩、そしてトリカが廃病院の中に消えていった。それを見届けていると、先輩方に声をかけられる。
「守谷ってめっちゃ一ノ瀬に信頼されてんな。なんで?」
広田先輩が至極もっともな疑問をぶつけてきた。
信頼されているというよりは、僕しか霊のことについては頼れないというのが正解だろう。
それを言ってもしょうがないので適当にはぐらかす。
「いやー、僕が一年だからじゃないですかね? 倫さん、こういうところ本当は怖いんですよ。でも同級生にはそんなところは見せたくなかったんじゃないですか」
「ほーん、なるほどなー」
しかし広田先輩の顔を見るにあまり納得していないようだった。
さらにお団子先輩が突っ込んでくる。
「ていうか指輪渡すってやばくない? 守谷くんと倫もうデキてるじゃん」
「いやいや! あれはなんていうかお守りみたいなもので、あれです、プラシーボ効果ってやつです」
そう早口で弁明するのだが、今度は山本妹がしみじみつぶやいた。
「でも倫も倫でその指輪をそっこーつけようとしたのがなんかすごいよねー。岡本くん、目が怖かったよー」
「え、怒ってたんですか?」
「それはわかんないけど、嫉妬はしてたんじゃない? ガチで倫の事好きだしね。岡本くんは」
ガチで好きなら肝試しなんか提案するなよと思った。倫さんはガチで怖がってるのに。
まあ、だからこそかもしれない。そこで頼りがいのある男を演出すれば、好意を得られる可能性はある。吊り橋効果なんて言葉もある。
当初は先輩方の恋愛模様を野次馬根性全開で愉しむつもりだったが、この廃病院が思いの外不気味なこともあり、少しピリピリしている。落ち着かないのだ。
倫さんたちにはトリカがついているから問題ない。
問題はこちらだ。もし、何らかの霊が廃病院を飛び出して僕らに迫ってきたら為す術がない。僕は逃げることもできるが、そうなると先輩方を見捨てることになる。それはさすがに良心が咎める。
つまり、無力なのだ。だからこういう場所は避けてきた。
僕が溜息をついていると、お団子先輩に顔を覗き込まれる。
「暗い顔してるけど、倫が心配?」
「いえ。そういうわけではないんですけど……」
「あ、違うんだ。倫と岡本くんが付き合ったらどうしようって考えてるのかと思った」
「僕はお団子先輩にどう告白するかしか考えてませんよ。どうすっかな。『デリカシーに欠けるところが好きです!』って言おうかな……」
「ごめんって」
お団子先輩とそんな会話をしていると、それを聞いていたらしい渡辺先輩が首を傾げていた。
「守谷がラインを繋ぎすぎて誰が黒なのかわからん……」
だから黒ってなんだよ。
むしろ誰ともラインがつながっていない渡辺先輩こそが黒いだろ。だから黒ってなんだよ。
……トリカがいないので脳裏で考えたことに対するツッコミがない。寂しい。
僕がそんなことを思っている一方で、先輩方は肝試しをしている二人についてわいわい話していた。
「告白成功すんのかなー。俺ほぼ無理だと思ってるんだけど」
「私も無理だと思うー。ぶっちゃけ守谷くんの方が可能性ありそうだもん」
「それね!」
「けど昼飯の後は岡本と一ノ瀬すげー喋ってたぜ? 二人きりでさ」
「そりゃまーうちらが空気読んで二人きりにしてあげたからねー」
話を聞いているとあまり脈はない感じらしい。しめしめ、帰ってきたときの二人の顔が楽しみである。
……いや! 否だ。下衆な期待をするあまり見落としていた。霊は精神が弱った人間に取り憑く習性があるのだ。
かつて川崎千穂先輩という魔性の女がいたが、あの先輩が男をフるたびにフラれた男は霊に取り憑かれていた。この廃病院は見るからに霊の温床である。そんな場所で精神的ダメージを負えば、岡本先輩が霊に取り憑かれる可能性は著しく高くなる。陽の者といえどそこの耐性は未知数だ。
トリカはそこもちゃんとケアしてくれるだろうか。ケアしてくれるにしても、もし岡本先輩がフラれたショックでどこかへ走り出してしまったりしたら、トリカの封印の結界範囲を超えてケアできなくなる。
考えれば考える程不安になってくる。できれば穏便に肝試しを終えてほしいと願うばかりである。
二人が廃病院に入って数十分ほど経った頃。日は落ち、あたりは暗くなった。
先輩方はとりとめのない話をしていたが、思い出したように廃病院に目を向けた。
「もう告ったかねー」
「どうだろね。もし成功してたらすぐ帰ってこないんじゃない?」
「山本ってすけべだな」
「はぁぁ!? なんでそうなるの!? その発想に至るオマエの方がすけべだわ!」
「がははははっ! 必死だな!」
「一発殴る! 顔を差し出せ!」
広田先輩と山本妹の濃厚なラインに「つまんね」というような顔を渡辺先輩としていると、ふいに僕のスマホが震えた。
取り出して画面を見てみると、倫さんからの着信だった。
「はい、もしもし」
電話に出ると、スマホから切迫した声が届いた。
『もしもし、陽くん? あの、私、どうしよう……』
ただ事ならぬ状況を感じさせる声に、僕は少し動揺した。
スマホを握り直し、倫さんの声に集中する。
「どうしたんですか? 何かありました?」
『ううん、何もないんだけどね。でもね、あの、本当に怖くなっちゃって。別に何か見えたわけでもないんだけど、なんかいるような気がして、ごめんね。怖くて動けなくて……』
早口でたどたどしく話す様子から相当に怯えていることがうかがえた。いつものイケてる先輩の雰囲気が皆無だ。
「わかりました、すぐ行きます。どのあたりにいるんですか?」
『えっと、二階なんだけど……入り口からまっすぐ進んで、一番奥に階段があるの。そこを上がったところ』
「了解です。今から向かいますね。それでは」
『待って! 切らないで! ほんとに怖いの……!』
倫さんの切羽詰まった声を聞いて電話を切る手が止まる。
確かに別に切る必要もない。これはアプリによる通話だから電話代がかかるということもない。
しかしひとつ問題があるのだ。
「あの、倫さん。繋ぎっぱにしたいのはやまやまなんですけど、バッテリーが切れそうなんですよね。今、残り2パーくらいなんですよ。あ、もう1パーだった」
『ええ!? なんでバッテリーないのー!?』
「すみません。荷物番のときに暇すぎて使いすぎちゃいました」
『もーっ! 陽くんってそういう――』
切れた。僕のスマホのバッテリーが。
真っ暗画面のスマホをポケットにしまいこんでいると、お団子先輩たちが寄ってきた。
「今の倫から? 何かあったの?」
「なんか怖くなっちゃったらしいので、迎えに行こうかと」
「えー? 岡本くんは?」
そう聞かれて僕も疑問に思う。あの人は何をしているんだ?
「そういえば何も聞いてませんね。一緒にいないのかもしれません」
そんな感想を述べると、広田先輩がにやりと笑った。
「さては失敗したな。そのショックで一ノ瀬を放置したと」
「なにそれー。クズじゃーん」
広田先輩と山本妹は言いたい放題である。
「岡本が潜伏……? いや、ライン切りか」
渡辺先輩が冷静な顔で人狼していた。ライン切りがあったとしたら倫さんからだろう、ってそれはどうでもいい。
最後にお団子先輩が僕に言ってきた。
「じゃあ、守谷くん早く行ってあげて。守谷くんにしか連絡してないってことは、そういうことだと思うから」
「わかりました。行ってきます」
倫さんは同級生に弱いところは見せたくないのだ。
お団子先輩の言葉にうなずき、僕は廃病院の中に駆け込んだ。




