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銀色の少女と僻み男  作者: ぽん
五章 陰と陽、交差する夏休み
38/63

クラクラしちゃうシチェーション

 集合場所の駅に到着すると、駅の入口付近に高校生の集団が見えた。一、二、……五人いるな。まずい、一年なのに最後の方に来てしまったか?

 その五人の中にいるキャップをかぶった女子と目が合う。倫さんだ。

 倫さんは僕に気づくとぱたぱたと駆け寄ってきてくれた。Tシャツにショートパンツの私服姿が新鮮である。かっ、太ももが眩しすぎる! 夏! 最高!

 視線が吸い寄せられそうになるのを必死にこらえて、まず挨拶をした。


「おはようございます」

「おはよー陽くん。ちゃんと来てくれたねー!」


 そんな笑顔の倫さんに僕も笑顔で返す。


「そりゃー来ますよ。約束は守ります」

「そっかそっか。じゃあ、みんなに紹介するから、行こっか」

「はい……」

「あははっ、緊張しちゃう? だいじょーぶだよ、みんな優しいから」


 そう言って倫さんは先輩たちの輪に向かっていく。僕はその後を渋々ついていく。

 今日一番緊張する瞬間かもしれない。ファーストインプレッションは重要だが、ここで好印象を残せるなら人見知りなどやっていない。ここで固まってしまうからこそ人見知りなのだ。あーもう死にたい帰りたい。

 あまりの緊張に吐き気すら覚えていると、トリカの声が脳裏に響く。


“あなたお得意のへんてこな歌を披露したらウケるかも”


 ウケるかな? 一発かましてみようか。

 ってウケるはずがない。間違いなくスベる。


“やってみなきゃわからないでしょうに”


 やる前からわかりきっていることである。

 指輪に潜むトリカとそんなやりとりをしている間に、倫さんが僕のことを紹介してくれていた。


「みんなー、紹介するねー。私が誘った守谷陽くん。一年生だから優しくしてあげてねー」


 倫さんの言葉を受けて僕も自己紹介するのだが、目の焦点はどこにも合わせられず何も認識できない。


「あ、どうも守谷陽です。なんかすみません」


 僕だけ一年という負い目からか、初手から無意味に謝罪を繰り出してしまった。もうこの時点で「あ、こいつ陰キャだな」と思われたに違いない。

 僕の自己紹介に一人の先輩がリアクションしてくれた。


「ははははっ! いきなりなに謝ってんだよ! 一ノ瀬の心の友って聞いてるけど、メガネはかけてないんだな」


 誰がのび太やねん!

 僕が心の中で突っ込んでいると、倫さんが代わりにツッコミを入れてくれていた。


「その言い方だと私がジャイアンみたいじゃん! やめてよねー!」

「あはははっ! わり!」


 そんな軽妙なやりとりの後、倫さんが先輩方を紹介してくれた。しかし、一発で全員覚えるのは無理だったので、先輩方の様子を静観しつつ、名前を覚えていこうと思う。

 ともあれすぐに把握できたことが二つある。まずは男女の数だ。男の先輩が三人、女の先輩が倫さん含めて二人だ。そしてもう一つは、全員陽(よう)の者である、ということだ。もう明らかに僕とは人種が違う。目に宿る光量に差がある。

 改めて肩身の狭さを感じていると、日に焼けた髪の短い先輩が呟いた。


「もう十時だけど、山本兄妹来ないな」


 山本兄妹という言葉からあと二人来ると思われる。ここにいる五人、そして僕と合わせて総勢八人か。


「あ、今来たみたいだよ」


 倫さんの言葉でロータリーに目を向けると、大きいワゴン車が駅の前で止まる。

 そのワゴン車から一人の女子が降りてきて、僕らのもとに走り寄ってきた。


「お待たせー! ごめんね、信号に引っかかりまくって遅れちゃった。とりあえずみんな車乗っていいよ」

「オッケー」


 え? 車で海に行くの? 聞いてないよ?

 狼狽しつつ倫さんに尋ねる。


「電車じゃないんですか?」

「うん。車だよ」

「どうして教えてくれなかったんですか?」

「ごめんね、言い忘れちゃった。けど、そんなに重要なことだった?」

「いえ……」


 倫さんが不思議そうな顔をするので何も言えなかった。

 電車なら先輩方と離れることもできた。しかし車となればこれはもう逃げられない。しかもここに八人の人間がいるが、それすなわちあのワゴン車に乗れる上限の人数だろう。本当に逃げ場がないのだ。

 先輩方がぞろぞろとワゴン車に向かっていく中、僕は絶望していた。どこに座ることになっても死が見えている。

 僕が目をうつろにしていると、不意に誰かに手を掴まれた。顔をあげると、手を掴んだのは倫さんだった。

 そのまま僕を引っ張りつつ、倫さんは先輩方を追い越して一番に車のドアを開ける。

 中にはサングラスを掛けた大学生くらいの男が運転席に座っていた。山本兄妹の兄の方だと思われる。

 倫さんは車に乗り込みながら、その男に声をかける。


「マナちゃんのお兄さん、今日はよろしくおねがいします」

「おー乗った乗った」


 男は人当たりの良い感じで車に乗るように促していた。僕も続いて乗り込み、よろしくおねがいしますと挨拶をした。

 そして倫さんに目を向けると、彼女は一番後ろの席に座って、僕を手招きしていた。


「こっちこっち。ここね」

「はい」


 倫さんの言葉に従い、最後列の左端の座席に腰掛ける。

 そして僕の隣に倫さんが座った。これにより、僕が見知らぬ先輩と隣同士になることは避けられた。

 僕は心から安堵し、倫さんにお礼を言った。


「ありがとうございます……助かりました、本当に」

「あはははっ、だって陽くん怯えすぎなんだもん。霊とかの方がよっぽど怖いと思うんだけどねー」

「どっちも怖いですよ……」


 そんなことを話している間に、先輩方の乗り込みも終わり車のドアは閉められた。

 全員が乗り込んだのを確認すると、運転手が後ろを振り返り出発の音頭を取った。


「そんじゃ、出発するぞー」

「しゃーす!」  


 男の先輩方が元気よく返事をして、車は動き出す。

 地獄への旅が今始まった――!




 車内は夏のゴキゲンなナンバーが流れ、テンションの高い空気が形成されていた。

 その空気の中に一箇所淀みがある。そこだけ相対的に熱が低く、また相対的に色も暗い。みかん箱の中にあったら即捨てたいみかんのようであり、タンヤオを作っているときのヤオチュウ牌のようでもある。

 つまり、僕のことである。車が走り出して二十分ほど経った現在も当然のように馴染めないでいた。

 隣に倫さんが座っているので当面は大丈夫だろうと思っていたのだが、肩が当たるとドキッとするし甘い香りもするので、これはこれで緊張感が増していた。


“アキラには本当に驚かされるわ。ここまでインキャだったなんて”


 指輪の中からトリカがけなしてきた。 

 今回ばかりは何も言い返すことができなかった。自分がここまで喋れないやつだとは思わなかった。これじゃ本当に陰キャじゃん。


“今頃気付いたの?”


 はい。

 しかし僕も反論したい。先輩たちの会話はやはり同じクラスという共通項によるものが多く、それすなわち僕の知らないことである。その会話になぜ僕が参加できようか、いやできない。


“その知らないことを聞けばいいじゃない”


 いちいち説明させるのもアレではないか?


“先輩たちのことを知りたいって媚びれば、向こうも話してくれるんじゃない?”


 トリカの言い方は悪いが、コミュニケーションとはそういうことかもしれない。

 とにかくこの場に馴染むためには、僕も積極的に声を出していかなければならないのだ。

 そんなふうに気持ちを切り替えていると、前の座席に座っている浅黒い肌の先輩がこちらを振り返った。よし、次の話題は積極的に声を出していくぞ!


「てかさー、その一年って一ノ瀬のお気に入りみたいだけど、どういう関係なん?」


 あ、この話題は難しい。

 その問いかけに、倫さんの右隣に座っているお団子ヘアーの先輩も乗ってきた。


「あたしもずっと気になってた! 倫って部活入ってないし、どんな接点があるの?」


 あ……う……。


“ほら、声出しなさいよ”


 霊絡みとか言えなくない?

 その二人の先輩の言葉は倫さんに向けたものなので、僕はひとまず“見(けん)”にまわることにした。そもそも、僕は後輩なのだから出しゃばるべきではない。むしろ沈黙を保つ方が空気を読めていると言える。これぞ日本人が持つ奥ゆかしさというものである。


“これだから……”


 責めないで……。

 僕がみじめな思いをしていると、倫さんが二人の質問に答えていた。


「えっとねー、陽くんは私の落とし物を見つけてくれたんだよねー」


 落とし物とはペンギンのアクセサリーのことだ。

 何も話せずにいた僕は、これ幸いと倫さんに同調する。


「そうなんですよ。たまたま見つけまして」

「たまたまじゃないでしょー? わざわざ探してくれたんだから」


 そう言って倫さんは肩を当ててきた。

 それを見ていたお団子先輩が、しみじみとつぶやく。


「……なんかー、倫がそんなふうに男の子と話してるの初めて見たかも」


 それに対し、倫さんが少し焦ったような反応をしていた。


「はー? なに言ってんの。ふつーでしょ、ふつー」

「んーん、倫のふつーはもっとそっけない感じだよ。男子に対しては」

「いやいやそんなことないしー、フレンドリーだしー」


 なにやら倫さんが困っているようなので、後輩としてフォローする。


「それはですね。僕が馬鹿みたいに緊張してるから、先輩が気を遣ってくれているんですよ」


 そうお団子先輩に伝えていると、倫さんがじろりと見つめてきた。


「先輩?」

「あ、いえ。はい。倫さんが、ですね」


 素で呼び間違えたわけではない。妙な勘ぐりをされて困っている状態だと思ったから、ノイズとなりそうな名前呼びを避けた形なのである。

 案の定、お団子先輩はにやにやと含みのある笑みを浮かべていた。


「なるほどねー。倫さんがねー」


 そんなお団子先輩に対し、倫さんはため息をついた。


「もー、マドカうざ絡みー」

「だって珍しいんだもん。いつも倫って涼しい顔してるからー、ふふふ」


 お団子先輩はマドカという名前だったか。よしよし、こうやって名前を覚えていこう。一度紹介されているから、ここからはスムーズに覚えられるはずだ。


「てかここにいることが珍しいよな。いつもバイトしてるイメージだし」


 前に座っている日に焼けた先輩がそんな事を言った。

 倫さんは苦笑しつつ返す。


「あのね岡本(おかもと)くん、私別に週七でバイトしてるわけじゃないからね?」

「そりゃあな」


 日に焼けた先輩は岡本と言うようだ。絶対運動部だな。間違いない。あれ、でも今日は部活ないのかな。夏休みは毎日部活のイメージだが、そうでもないらしい。


“それを聞いてみなさいよ”


 おっしゃる通りだわ。

 僕は恐る恐る尋ねる。


「岡本先輩は部活とかやってるんですか?」


 僕がいきなり質問したからか、岡本先輩は一瞬キョトンとしたが、すぐに答えてくれた。


「いや? 中学まではサッカー部だったけどな。高校じゃやってない」

「そうなんですか。いえ、焼けてるなぁと思いまして」

「ははは、地黒なんだよ」


 ふぅ、無難な会話をこなせた。もうこれでリア充の仲間入りだ。


“それはない”


 完全にリア充の仲間入りを果たしたところで、ふと気になったことがある。

 隣の倫さんにささやきかける。


「……そういえば井上先輩はいないんですね」

「あ、うん」


 倫さんは無表情でうなずいた。

 井上大地先輩とは、倫さんの幼馴染である。幼馴染というステータスに絶大なアドバンテージを感じている人であり、倫さんにご執心な態度を隠そうともしないツワモノである。


「え、なになに? 井上のこと知ってるの?」


 僕らの会話に反応したお団子先輩が興味津々に聞いてきた。


「はい。倫さんの幼馴染の……」

「そうそう! もうね、あいつは凄いよ?」

「と、言いますと?」

「倫のことになると周りが見えなくなるから。もう半分彼氏? みたいなね」

「はー、なるほどー」


 お団子先輩と岡本先輩がうんうん頷いているのに対し、倫さんが苦虫を噛み潰したような顔をしていた。どうやら先輩たちの間でも井上先輩は有名のようだ。

 僕は話が弾んだのが嬉しくて、倫さんが中心にいるのにも構わず無垢にその話を続ける。


「やっぱり有名なんですね、井上先輩」

「有名だよぉ。だって倫に近付く男がいると、すぐガードに来るんだもん。まだ付き合ってないのに!」

「ほんとおもしれーよな。俺らにしてみればいつ付き合うの? って感じだよ」

「へー、そんな感じなんですねー」


 そんなふうに楽しく会話していると、倫さんが不機嫌そうに口を開いた。


「陽くんもみんなも勘違いしないでね。あいつとはそんなんじゃないから、もう何回も言ってるけど、ただの――」

「「幼馴染だから!」」


 お団子先輩と岡本先輩が声を揃えて同じセリフを言った。

 僕は驚き、率直な感想を漏らす。


「え、凄い。これお決まりのセリフなんですか?」

「そうだよ守谷くん。クラスの人の八割は言えるね」

「八割も! 凄い浸透度ですね」

「それくらい目立つってことなんだよな。一ノ瀬と井上の二人が」


 やはり男女の幼馴染は希少であり、それが美男美女ともなればその行く末を見守りたくなってしまうのかもしれない。ゴシップというよりはある種のストーリーとして。


「でもいないんですね。この場には」


 僕の言葉にお団子先輩が苦笑する。


「だって、倫が『井上が来るなら行かない』って言うんだもん」

「えー、そうだったんですか」


 僕が驚いていると、倫さんが嘆息した。


「あのねー、あいつが来たら大変なのわかる? 私のやることにいちいち文句つけてくるし、海に行くなんて行ったら『ナンパされるから危ない』とか『溺れたらやばいから海水に浸かるな』とかめっちゃ言ってくるんだよ? ナンパされるわけないし溺れるようなとこまで行かないっての」


 辻村先輩タイプだな。好意を持つ相手に対し過保護になる傾向がある。しかし、倫さんは魅力的であり、ここ数ヶ月で何回もナンパを目撃した身としては、井上先輩の懸念も一部理解できる。

 不平不満を述べる倫さんだが、先輩方は言いたい放題である。


「めちゃくちゃ大事にされてるってことじゃーん」

「てか海水に浸かるなって海に行く意味!」

「砂浜で遊べってことじゃない?」

「あーなるほど。いや、砂浜も熱くてやけどするから危ないとか言いそう」

「あはははは! 言いそう! ゴミとか踏んで怪我するから歩くなとか言いそう」

「じゃあ一ノ瀬は荷物番だな!」

「よろしくね! 倫!」

「絶対やだ!」


 倫さんの拗ねたような言い方に、また笑い声が上がる。

 僕は陽(よう)の空気に当てられて、少し楽しい気分になってきた。倫さんが言ったように先輩方はみんな優しいし、僕が過剰に怯えていただけだったのかもしれない。


“ええ、そうよ。今こそあなたのへんてこな歌を披露するチャンスだわ”


 よしきた! ってなるわけねーだろ。


“つまらないわね……” 


 トリカは僕を事故らせたいらしい。




 海に到着すると、先輩方は一斉に砂浜に向かって駆け出した。

 僕は一瞬あっけにとられたが、見失うと困るので慌ててついていく。

 夏の強すぎる日差しに目を細めながら、大海原を望む……よりも先に人の多さが目につく。やはり海水浴シーズンは混む。

 ちなみにここまで連れてきてくれた運転手である山本兄妹のお兄さんの方は、海に興味がないそうで時間になったら迎えに来てくれるとのこと。


“前に来た海とは違うのね”


 うん。あっちよりここの方がメジャーな海水浴場だな。あっちの海は春に行ったときにはほとんど人がいなかったが、今ならさすがに盛況だろう。


“あなた、この海に来たときちょっと嫌そうな顔してたけど、なにかあるの?”


 なにかある可能性がある。このあたりは時たま水難事故が発生しているのだ。それが霊による可能性を考えると、訪れるのは気が引けるというものである。もちろん霊など関係ないことも大いに考えられる。


“なるほどね。それなら安心しなさい。用心棒としてそういうものからはちゃんと守ってあげるから”


 大船に乗ったつもりでいます。海だけに!


“……?”


 いやわかるだろ! と心の中で突っ込みつつ、トリカのスカしにちょっと笑ってしまった。

 さて、砂浜には多くのパラソルが立てられているが、ぎゅうぎゅう詰めというほどでもない。

 先輩方はすでにスペースを見つけて、そこにパラソルとビーチテントを設営していた。早すぎる。


「あちー! 早く海入りてー」


 荷物をまとめた男の先輩たちは、服をいそいそと脱ぎだしていた。すでに水着を着てきたようである。

 海に向かって駆け出した先輩方を見送り、僕はビーチテントに入って足を砂の上に投げ出した。日差しで熱せられた砂がちょっと気持ちいい。

 当然、僕は水着を持ってきていないので、服を脱ぐことはない。


「あれ? 陽くんどうしたの? 疲れちゃった?」


 テントを覗き込んだ倫さんが、そんなふうに気遣ってくれた。


「そうですね。軽く車酔いしちゃいました」

「だいじょうぶ? 何か飲み物買ってこよっか?」

「あ、全然大丈夫です。少し休んだら治るんで、お気になさらず」

「ん、そっか。じゃあ私達も着替えてくるね」

「了解です。僕はここで荷物見てますね」

「ありがとー」


 そうして女の先輩方は更衣室の方へと歩いていった。

 ふー、ようやく人心地ついた。これで荷物番をしていれば心穏やかに過ごせるだろう。

 そういえば、肝試しを提案したのは誰なんだろう。まったく余計な提案をしてくれたものだ。それがなければ僕がここに呼ばれることもなかったのに。


「もっと素直にこの状況を楽しみなさいよ」


 指輪からトリカが姿を現す。夏の海にそぐわない黒いワンピース姿は、見ているこちらを暑くさせる。

 状況を楽しめとは言うが、どうせ海に来るなら見知った人間だけで遊びに来たいものである。

 それに、海に入らないのはトリカのためでもある。万が一指輪を海に紛失したら、もう取り戻せないかもしれないからだ。


「……その気遣いは嬉しいけどね。ここに指輪を置いておけばいいと思うけど」


 盗難のリスクもあるし、霊に襲われたらどうする。


「そこは目を瞑って」


 正直、目を瞑ろうと思えば瞑れるのだ。盗難されそうになったらさすがにトリカも無抵抗ということもないだろうし、うまくやると思うのだ。海で霊に襲われることもそうあることでもないだろう。そんなことが日常的に起こっていたらもっと事件として大々的に報道されているはずだ。

 それらを考慮すると、指輪をここに置いて海に入ることにさほどリスクはないが、なぜか心理的に抵抗がある。

 そんな僕の思考にトリカがくすくすと笑った。


「そんなに私と一緒に居たいって言うならこれ以上は言わないわ。一緒にお話しでもしてましょう?」


 そういうことじゃない。と反射的に思ったが、案外そういうことなのかもしれない。一緒に居たいわけではないが、絶対失くしたくないとは思っているのだ。

 さて、賑やかなビーチとは裏腹に僕はひとりだ。何をしていようか。


「海水浴って普通は何するの?」


 そりゃあ、海に入って波に揉まれたり、ビーチバレーをしてみたり、砂の城をつくったり、そんなところじゃないか?

 トリカは砂に目を落として首を傾げた。


「ふぅん。砂で城が作れるの?」


 作れる人は作れるんじゃないかな? 僕はせいぜい山を作ってトンネルを開通させるくらいだな。


「それ楽しいの?」

「正直楽しい」


 すぐそばには誰もいないので、独り言をしてても大丈夫と思い声に出して会話をする。

 トリカは海とは別の方向を指して尋ねてくる。


「あそこの小屋は何を売ってるの?」

「小屋って。あれは海の家っつって、食べ物とか売ってる。高いイメージだから行ったことないんだけど」


 お土産屋などもそうだが、こういうところの物は高い。


「そうなのね。かき氷?というものに興味があるわ」

「外で食うかき氷は美味いな。ただ氷にシロップかけただけなのに」

「ふぅん」

「うちに手動のかき氷機があるから、シロップさえ買ってくれば作れるよ」

「それなら、アキラお手製のかき氷を楽しみにしてるわ」


 そう言ってにこっと微笑むトリカである。可愛いやつ。

 以前トリカと海に来たときも思ったが、やっぱり夏の海でトリカが白いワンピースを着たら似合いすぎるだろうなと思った。麦わら帽子もかぶせたい。

 そんなことを思考していると、トリカが小さく笑った。


「アキラって本当に私のこと好きね。いつも私に似合う服のこと考えてる」

「いつもは考えてないだろ。こういう典型的なシチュエーションのときだけだよ」

「うふふ、照れちゃって」

「事実を言ってるだけなんすよねぇ」


 トリカと他愛もない話をしていると、女の先輩方がこの拠点に戻ってきた。

 倫さん、マドカ先輩、そして山本兄妹の妹の方である。白い肌を晒す水着姿が眩しい……と思ったら水着の上からなにかを羽織っていた。昨今は日焼け防止のためにTシャツやらラッシュガードやらを着ている人が多い。彼女らも例に漏れず紫外線から肌を守っているようだ。

 ちょっと残念に思いながら、どうせ肌を出してくれていたところで凝視できるわけでもないので、むしろ目のやりどころに困らなくてよかったなと思い直した。


「この反応こそが禁じられたあの言葉“インキャ”のそれよね……」


 トリカの煽りにひとつも反論できぬまま遠い目をしていると、倫さんが声をかけてきた。


「陽くん、みんなの荷物見ててくれてありがとー」

「いえいえ」

「車酔いよくなった?」

「あ、はい。もう大丈夫です」

「そっかそっか。よかったー」


 僕は足元の砂をすくい上げては落とす謎の行為に専念する。二秒砂時計である。

 倫さん以外の二人が海に向かったのに対し、倫さんは未だ拠点にいる。早く先輩たちの方に行ってくれないかなとそわそわしてしまう。

 そんな事を考えていると、倫さんがまた声をかけてきた。


「……ねえ、陽くん。どうかな? 私の水着」


 いやあなた何か羽織ってますやんか、と思ったらいつの間にかその上着を脱いでいた。白いビキニを身につけた倫さんの姿が網膜に焼き付く。

 ここで言葉を詰まらせたらトリカが言うところのインキャになってしまう。ここはさらっと爽やかに褒めるべきだろう。


「はい。とてもお似合いです」

「えー? 一瞬しか見てないじゃん!」

「いやいや、その一瞬が無限に引き伸ばされたような感覚を覚えましたよ。それくらい魅力的です」

「何その言い訳ー! ……ねえ、ちゃんと見て?」


 その真剣な声色にドキッとし、顔をあげる。

 やはり最初は胸元に目が行ってしまったが、それ以上に倫さんの恥じらっている表情に胸を打たれた。ダサく言えば胸キュンである。自分から「見て」と言ったのにもかかわらずこの表情! 反則である。そしてこれは余談だが、倫さんは胸がでかい。

 倫さんはもじもじとして感想を待っている状態だったので、素直に思ったことを言う。


「いやー……倫さん、これはナンパされますよ」

「されないってー! もうほんと陽くんって口が上手いよねー」

「まあ、ラッパーですし」

「あははははっ! さすがだね!」

「でもさっき言ったことはフェイクじゃないですよ。リアルです」

「ラッパーぽいこと言ってる!」


 そんなふうにおどけて緊張しかけた空気を取り払うと、倫さんは弾けた笑顔を見せてくれた。もう本当に可愛い。優しいし可愛いって無敵か?


「おかしいわね。明らかに私の方が可愛いし優しいし強いのに」


 トリカはその強さが敬遠される理由だと思うよ、と陰キャがアドバイスしておく。

 さて、倫さんにはそろそろ先輩たちと合流してもらおう。おそらく荷物番をしている僕に気を遣ってこうして話しかけてくれているのだろうし、こんなところに足止めしてしまうのは僕の本意ではない。


「あ、倫さん、向こうで先輩たちが呼んでますよ」

「ほんと? んー、じゃあちょっと行ってくるね。すぐ戻ってくるから」

「いえいえ、こっちは気にせず楽しんでください」


 倫さんは少し困ったような笑みを浮かべた後、上着を羽織って海の方に歩いていった。

 僕は足を伸ばし、腕を空に掲げて身体を伸ばした。


「んーっ! 自由だぁ!」

「喜ぶタイミングが悲しいわね」


 遠目に先輩たちがはしゃいでいる様子が見える。海水をかけあったり、波に転がされたり、わかめをまとったりして大変楽しそうである。

 そんな彼らを眺めるのもいいが、せっかく海に来たのだからホットなショーティーでも見て目の保養に努めよう。

 不埒な思考にトリカが嫌な顔をするかなと思っていると、想定しない反応をされた。


「あなたって私に水着を着てほしいとは思わないのね」


 不満げにトリカは言った。


「あんま思わないね。綺麗すぎるとそうなりがちよね」

「どうしてなの?」

「わからん。でも言われてみるとトリカの水着も見たいような気もしなくもないね」

「断言しなさいよ。ばか」


 トリカはそう吐き捨て、ぷいっと顔を背けて拗ねた。芝居がかった仕草に僕は思わず笑ってしまう。

 自ら進んで一人で荷物番をしているわけだが、こうしてトリカが話し相手になってくれるから苦にならないんだなとしみじみ思った。

 思ってしまったのである。

 当然のようにトリカがカウンターを仕掛けてきた。


「うふふふ! 私にはたいしてときめかないくせに、そばに居てほしいとは思ってるなんて、本当に私のことが好きなのね」

「いやいや、あのね、もうほんと勘弁して」


 素の思考に対する攻撃は卑怯である。


「あら? 攻撃だなんて人聞きが悪いわね。ただあなたの好意を確認したに過ぎないわ。ふふ」

「笑ってんじゃん」


 僕のツッコミにトリカは高笑いした。

 軽くため息をつき、ふと喉が渇いていることに気付く。

 しかし荷物番をしている手前、ここを空けるわけにもいかない。さて、どうしたものか。

 まあ、我慢すればいいかと思っていると、トリカが呆れ顔で言った。


「私が見ててあげるわよ」

「いや、トリカが見ててもしょうがなくない? 見てるだけでしょ?」


 トリカはこちらの世界に危害を加えないと約束している。したがって盗みに入った人間をどうにかできるわけでもない。


「今だけ可視化しておくわよ。ほら、そこどきなさい」


 可視化するなら話は別だ。

 テントから出ると、トリカが入れ替わりで入り、その身体を光らせた。可視化したようである。


「はい、いってらっしゃい」

「うん」


 僕はボディバッグから財布を取って、ダッシュで飲み物を買いに行く。

 可視化してくれたのはありがたいが、先輩たちにしてみれば「誰?」となる。先輩たちがあの拠点に戻る前に一刻も早く飲み物を買わねば!

 海水浴場特有の割高な自販機を見つけて炭酸の王コーラ……ではなくスポーツドリンクを買い、またダッシュしてテントに戻ってきた。この間、体感では一分くらいだったと思う。

 しかし、そのわずかな時間にもかかわらず、誰かが拠点に来ていた。まずい、面倒なことになる……!


「あら、早かったわね。アキラ」

「ねえ、陽くん。この人はどちらさま?」


 その場に居たのは倫さんだった。倫さんならまだよかったかもしれない。

 僕は努めて冷静に、テント内に座っているトリカを紹介する。


「ああ倫さん、この人はトリカと言って、僕の家の近所に引っ越してきたんですよ。今たまたま会いまして、僕が飲み物を買いに行ってる間、荷物を見ててもらったんです」

「はじめまして、アキラの友人のトリカよ」


 トリカはとても楽しげに自己紹介していた。こいつ僕があたふたしているのを面白がってやがる。

 倫さんは納得したような顔で挨拶していた。


「そうなんだ。はじめまして、一ノ瀬倫です。トリカさんはどこの出身なんですか?」

「ノイレムという町から来たの」


 トリカの出身地は僕も初耳だ。ノイレムってどこー?

 国名を回避したことにより倫さんは訝しげな顔をしていたが、言及まではしなかった。助かった。

 僕はこれ以上ごちゃごちゃするのが嫌だったので、テントの中に手を差し伸べてトリカを外に出そうとする。


「トリカ、向こうで友達が待ってるんだろ? 時間取らせちゃってごめんね?」


 暗に早く姿を潜めてくれと伝えたつもりだが、トリカはニヤリと笑った。


「時間は気にしなくていいわ。せっかくアキラと会えたんだもの。もっとたくさんお話ししましょ? どうせひとりぼっちだったんでしょう?」

「いやー……」


 味方から背中を刺された気分である。「どうせひとりぼっち」って倫さんが目の前にいるやろがい! 確かに一人で荷物番してるけど!

 トリカは、差し伸べていた僕の手を取りテントの中に引き寄せようとした。こいつ可視化どころか実体化もしてやがる。

 もちろん僕としてはトリカと公然と会話をする気などないので、そのトリカのアクションを拒否したかったのだが、類まれなる怪力で強引にテントの中に連れ込まれた。

 そして勢い余ってトリカと衝突する。


「あん、アキラどこ触ってるの。えっち」

「いやそっちが無理に引っ張るから!」


 トリカの胸のあたりに顔から突っ込む形となったが、トリカに抱きとめられたのと謎のクッション性があり痛みはなかった。それよりも倫さんがいる手前慌てて身を離す。

 気まずい思いで倫さんを振り返ると、彼女は微笑を浮かべていた。


「二人は仲が良いんだー。いいねー」

「ええ。アキラは日本に不慣れな私を優しくエスコートしてくれたの。とっても素敵な人」


 無意味に歯の浮くような台詞を繰り出すトリカである。こいつもうほんとやだ。

 僕はすぐさま濁しにかかる。


「いやー、外国の人ってリップサービスが上手いんですよね。倫さん、マジで大したことしてないです」

「ふーん」


 そもそも僕はなぜ必死になっているのだろう。倫さんの好感度を下げたくないから? それは思い上がりも甚だしい話である。僕が何をしようが、倫さんにとっては他人事、対岸の火事なのである。

 ではなぜ僕は必死になるのか。それは僕とトリカの関係が親密なものであると認識されたくないからだ。

 親密であればその関係性などについて突っ込まれる可能性が高まる。トリカの存在について説明するとき、僕は嘘八百を延べなくてはならない。これが苦痛なのだ。できることなら嘘をつきたくないというのが人道というものである。本当のことを言わないことと、嘘をつくことは、似て非なるものなのだ。


「ほら、トリカ。友達のとこまで送ってやるから行こう」

「もう、照れ屋さんなんだから」


 そう言ってトリカはようやく腰を上げた。


「じゃあ倫さん、少しの間荷物見ていてくれますか? すぐに戻りますんで」

「ううん、全然気にしないでだいじょーぶだよ。いってらっしゃーい」


 若干、声色に無機質な感じを受けたが、おそらく気のせいだろう。

 僕は指輪の入ったボディバッグを肩に掛け、トリカと共に海の家の方へと歩きだした。

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