夏休みスタート
「ねえ、アキラ。最近聞こえるこの音はなに?」
学校へ登校するために駅に向かう道中、トリカが眉をひそめて尋ねてきた。
「これはな、日本の夏の代名詞であるセミの鳴き声だ」
「セミ……」
主に聞こえるのはミンミンゼミとアブラゼミの鳴き声だ。これを聞くと本格的に夏が到来したという気分になるし、より暑さを感じる。
雑木林に面する道路を歩いていると、もうこれでもかとセミの合唱を聞かされる。何をそんなに主張しているんだこの生き物は、と文句も言いたくなる。
トリカが鳴き声の聞こえる方に顔を向けて、辟易した。
「とてもうるさいわね……。暗くなってくると別の虫の声も聞こえるわよね?」
「あれもセミの一種でヒグラシって言うんだけど、あっちはまだマシかなぁ。夕方に聞くイメージだから暑さも緩和されてるし」
セミという生き物は暑さを助長させるしうるさいしでインドアの僕には疎ましい存在だが、別に嫌いというほどでもない。セミの声は夏の風情を感じるものである。
涼しげな顔でふわふわ浮遊しているトリカに目をやる。
癖のない長い銀髪を優雅に流し、細かい装飾の施された黒いワンピースを着こなしている姿は、夏真っ盛りの今においては暑そうに見える。しかし、これは魔力によって投影された姿だから汗一つかいていない。芸術作品のように美しくそこに浮遊していた。
トリカは異世界で封印され、その影響によりこちらの世界に飛ばされてしまった少女である。こちらの世界にきたのは昨年の十二月だから、初めて日本の夏を迎えることになる。
何か夏っぽいことを今年はしようかなーと漠然と思いながら、悪態をつく。
「黒とか暑そうな服着やがって」
「ふふ、アキラは白い服を着てるのに暑そうね」
僕のワイシャツはすでに汗で湿っていた。ハンカチで拭ったところで意味をなさない。
ワイシャツの下にTシャツを着ているのだが、こちらはもう完全にびしょびしょだ。不快である。
真っ青なら空を見上げながら思わずぼやいてしまう。
「あー、プールとか入りてーなー」
「プール?」
「ああ、学校にもあるけど、水をためたスペースがあるんだよ。そこで泳いだり浮かんだりして楽しむ」
「ふぅん。海や川ではダメなの?」
「そっちでもいいけど、僕は整備されてるプールがいいかなぁ」
トリカと雑談をしつつ、周囲に目を配る。現在のトリカは他人から認識されないので、傍目には男子高校生が一人で会話している状態である。独り言よりもタチが悪いので、他人に見られたらかなりまずい。
とはいえ地方の朝、さして人気はない。車社会だから歩いている人はほとんどいない。気楽なものである。
「他に夏っぽいことは何をするの?」
トリカが尋ねてきた。
「まあ、水遊び系を除けば、夏祭りに参加するとか、花火を見るorやる、とかかなー」
「花火ね。存在は知ってるけど実際には見たことないわ」
「そっか。じゃあ花火も見に行くか。まー魔法と比べたらそんなに驚くこともないかもしれないけどなー」
「ふふ、楽しみにしてるわ」
そんなふうにトリカと雑談をしながら、学校へと向かった。
◇◇◇
学校に登校してくると、教室はポジティブな喧騒に包まれていた。
そうなるのも無理はない。なぜなら今日は終業式の日だからだ。今日を終えれば夏休みに突入するのである。
最近中間テストをやったと思ったら、あっという間に期末テストも来てタフな日々を過ごしていたが、それらから解放されたのだ。
ちなみにテストの結果はまずまずな感じだった。僕とモロはほぼ同じ程度の結果だったが、トシは大方の予想通り好成績を残していた。各教科の上位の名前が張り出されたのだが、すべての教科にトシの名前が載っていた。「シンプルに凄い」とモロも感服していた。
さて、自分の席にカバンを置き、モロとトシのもとに向かう。
二人は夏休みの予定について話していた。
「いやー、もう夏休みはアニメ見まくるしゲームしまくるわ。エアコンばりばりきいた部屋で」
「ヒッキーだなー。海とか行けよ」
「行く行く。アスカちゃんと夏の海でハッピーエンド迎える予定ある」
「それゲームじゃん。お、陽おはよう」
僕に気付いたトシが手を上げたので、挨拶をする。
「ワッツアップメーン」
「うわー陽もテンション上がってんじゃん」
モロとトシの会話に混ざりながら、僕も夏休みをどう過ごそうか思考する。
基本的にインドア思考だから、モロと似たような感じになるのかなと思っている。一応花火を見に行くという予定はあるが、それを除けば基本は読書や映画鑑賞になりそうだ。
「長期休暇を無駄にするのねぇ」
トリカが天井近くをふわふわ浮遊して、呆れた顔で僕を見下ろしていた。
確かに夏は外に出るべきだろうという一般論はあれど、紫外線をむやみに受けるのもお肌によろしくない。
「そういうのは女の思考だと思うけど」
おっしゃるとおりです。ただ僕が出不精なだけです。
とはいえ、もし僕の触れる映画や書籍が今後の人生に良い影響を及ぼすような名作であったなら、外で紫外線を浴びながら水遊びに興じるよりははるかに有意義ではなかろうか? これは僕のイメージだが、この時期に率先して海に行くような輩ははっきり言ってアッパーなやつしかいない。相容れないのだ。
そんな僕の思考に、トリカは肩をすくめてみせた。海外ドラマの影響を受けたな。
「ま、仕方ないわね。アキラはアレだものね。なんだったかしら……インなんとかって言う、アレだものね。イン……なんだったかしら。ねえ?」
トリカ、それは世界を破滅させる禁忌の言葉だと教えたはずだよな? だから思い出さなくていいし、そもそも僕はその言葉には当てはまらない。
くすくすと笑って反省の色の見えないトリカとの会話を切り上げ、トシに質問する。
「トシは夏休み何かやるの?」
「何も考えてないな。まあ、部活があるし」
「あー、そうかー」
トシは卓球部に所属している。人間関係も良好で練習以外は楽しいとトシはよく言っている。
僕も何か青春の汗を流したいものである。ちなみにすでに労働の汗は流した。
先日、トリカとミカと共に神社に行った際に、いろいろとお金を使って文無しになってしまった。そのお金を補うために、数回単発のバイトをこなし、プラスに戻したのである。
夏休みにバイトするのもありかなーと思っていると、先生がやってきた。
「おーい、体育館に移動しろー」
はーい、と女子たちが返事をして、ぞろぞろと体育館に移動を始める。
「さっさと終わっといいなー」
「ほんとだな。暑いし」
ともあれ、式を終えればいよいよ夏休みだ。俄然、楽しみになってきた。
校長の話が長かった終業式を終え、帰りのホームルームも終わると、教室は浮足立ったように賑やかになった。何か曲でも流したらダンスホールになりそうとさえ思った。
このときばかりはモロもトシもテンションが上がって、陰よりなのにパリピ感を出していた。「ウェーイ!」とか言っていた。
そんな二人を楽しく眺めていると、クラスメイトの女子に声をかけられる。
「守谷くんにお客さんだよ」
「え、僕に?」
このパターンで良い来客だったことがないような気がする。なんだか水を差された気分だ。
僕は若干警戒しながら廊下に目を向ける。
すると、ゆるふわの髪を二つ結びにしたイケてる雰囲気を纏う女の先輩がいた。所在なさげに髪をいじっている様子がなんだかキュートだった。僕と目が合うとニコっと笑顔になって手を振ってきた。
以前、霊絡みの相談を受けた一ノ瀬先輩もとい、倫さんだ。
「おい陽、お前マジでふざけんなよ。俺らを裏切るのか?」
廊下で待つ倫さんを目ざとく見つけたモロが、僕に対し憤慨していた。
すぐさま冷静に弁明する。
「いや、裏切るもクソもない。あの人には幼馴染がいて、もう結婚路線確定している人だぞ」
「あ、そうなん。じゃあ待たせるのもアレだし、早く行った方がいいな」
「おー」
そうして手のひらを返すモロである。そんなモロに呆れた視線を向けるトシが面白かった。
席を立って廊下に出ると、倫さんがぱたぱたと寄ってきた。
僕は少し笑いながら声をかけた。
「もう放課後なんですから、普通に入ってきたらよかったじゃないですか」
「だって、いっぱい人が残ってるんだもん!」
倫さんは不服そうに言い、眉を寄せた。そんな表情も可愛い。
「陽くんのライン知らないから連絡もできないしー」
「そうですね。ちなみに、そのアプリ最近使い始めたんですよ」
「そうなの!? それでよく高校生やってたね? もしかして友達いないのー?」
「舐めないでください。マイメン100人います」
「え、マイメンってなに?」
そんなふうに和やかな会話から始まり、場所を中庭へと移しベンチに腰を落ち着けた。
そして本題に入る。
「で、何の用でしょう? 霊絡みですか?」
「ううん、違くて。陽くん、来週の水曜日ヒマ?」
この聞き方は卑怯である。間違いなく僕は暇だが、来週の水曜日に何をしたいのか不明なので、ひとまず牽制することにした。
「ちょっとわからないですね……。暇じゃない可能性を高めに見てますけど」
「んふふ、ヒマでしょ?」
倫さんは楽しげに笑みを浮かべて言った。僕の予定などお見通しのようである。
「実はね、クラスの友達と海に行くことになったんだけど、陽くんも来てほしいんだよね」
「ちょ、ちょっと待ってください」
倫さんは二年生であり、僕は一年生である。先輩たちのグループに一人下級生が交じるなど、自殺行為といっても過言ではない。
「それってみんな先輩ですよね? どうして僕を誘う必要があるんですか」
「一緒に行きたいからに決まってるじゃん」
倫さんはさも当然といった顔で言った。それは嘘でしょ……。
僕があからさまに疑念を抱いていると、倫さんの声のトーンが変わる。
「……まあ、それに加えてね? 陽くんの力が必要になるかもしれないと思って」
「僕の力? 僕は箸より重いものは持てないほど非力ですけど」
「腕力じゃなくて、霊感の方ね」
「最初に霊絡みを否定してましたよね?」
「それはごめん! でもそっちがメインじゃないから。遊びに行きたい方がメインだから」
いずれにしてもお断りしたい。霊感があったところで僕自身に対抗手段があるわけでもない。
そもそも、霊感を発揮するようなシーンを避けて通りたいのが僕である。
ともあれ、もう少し話を聞く。
「どこか霊が出るような場所に行くんですか?」
「そうみたいなの。私はイヤだって言ったんだけど、夏といったら肝試しって男子が聞かなくてさー」
「なるほど」
「菫のことがあってから霊が存在するって知っちゃったからさー。菫は怖くなかったけど、それ以外はなんか怖くてね」
倫さんは眉を八の字にして言った。可愛い。
困っている倫さんの力になってあげたいと思わなくもないが、上級生の男女混合リア充グループの輪には死んでも参加したくないというのが本音だ。僕が隅っこでぽつんとしている絵が目に浮かぶ。ありありと浮かぶ。
そんな哀れな状態を回避するために妥協案を提案する。
「……倫さんたちと一緒というのはちょっとアレですから、僕がたまたまそこに居合わせるといった体なら、ギリできますけど」
「えっと、それはずーっと別行動してるってこと?」
「そうです。僕も友達誘って適当に遊んでますから」
「それはダメ」
「なぜですか?」
「私が陽くんと遊びたいから。最初からそう言ってるじゃん」
倫さんは先日の菫さんの件に関して、僕に過剰に恩を感じていたりするのだろうか。それで遊びに誘っているのだとしたら心苦しいのでやめてほしい。
“さすがにネガティブ思考すぎるわね。だからインキャって言われるのよ”
指輪に潜むトリカが脳裏にそんなことを伝えてきた。
ネガティブ思考でもなんでもなく、そうでなければ僕を遊びに誘う理由などないだろう。そうでなくとも僕を誘う要因は霊にある。霊が絡まなければ倫さんも僕のことなど思い浮かべすらしなかっただろう。
この思考に対するトリカの返答はなかった。そこは否定しないんかい!
僕が脳裏でツッコミを入れていると、倫さんが強い語調で言う。
「ねえ、一緒に行こーよー。みんな優しいし、一年だからって全然気にしなくて大丈夫だから! てか私がずっと近くにいるし! ね?」
女の先輩にすがる一年って傍目からみたら死ぬほどダサくないですか?
“ダサいわね”
ね。
「いやー、ねー? やっぱりちょっときついですよ。他の先輩たちは一年が来るだなんて知らないわけですよね?」
「みんな知ってるよ? 私が一年生の子を誘いたいって言ったから」
「え、もう言ってるんですか?」
「うん。だからね、一緒に行こ?」
ただでさえ人の誘いを断るのが心苦しいのに、倫さんの強い誘いを断るのはさらに心苦しい。
だがしかし、僕は自他ともに認める人見知りであり、トリカによれば陰キャである。そんな人間が陽の者たちとうまくコミュニケーションを取れるだろうか。
これは火を見るより明らかだが、無理である。
絶対に断ろう。
「……先輩たちは、みんな本当に優しいんですよね?」
「うん! めっちゃ優しいから大丈夫!」
「じゃあ、はい。……行きます」
「やったー! それでこそ陽くんだよー!」
僕の口から出た言葉は、なぜか承諾のそれだった。いったい何が起きたのかわからなかった。
“あなたの心の中にインキャを卒業したい意思があったんじゃない?”
はっきり言ってそれは否である。僕は自分を陰キャだと思っていない。
おそらく、倫さんの誘いを何度も断るのが心苦しかったからだろう。倫さんの本気の表情を見たら、ほだされるのも仕方ない。
「あーよかったぁ。これでもう肝試しも安心だー」
「あの、言っときますけど、僕は別に霊に対して何もできませんからね。期待ハズレで申し訳ないですけど」
「いやいや、陽くんにはあれがあるじゃん。お経ラップ」
「あれはただのラップです」
そんなこんなで妙な予定ができてしまった。
そして倫さんの連絡先もゲットしてしまった。
◇◇◇
水曜日当日。僕は戦々恐々としていた。
夏休みに突入し、世の学生は浮かれポンチとなっているだろう。僕もその一人であるが、今日に限っては油断できない。
先輩たちと海に行く、しかも味方は一人という超過酷なミッションがあるからだ。
万全を期して臨むべき戦場だが、しかし悔しいことにそうできない理由があった。
その理由とは、倫さんが今日の具体的なスケジュールを何も教えてくれなかったというものだ。
聞けたことは、午前十時駅集合だけである。本当にひどい話である。
他に倫さんは「海に行くことは決まってるから水着は持ってきてね」と言っていたが、僕はあえて水着は持っていかない。必要ないからだ。海で一人ではしゃぐなど馬鹿の極みである。
「どうして一人ってことになってるのかしら。リンとはしゃげばいいじゃない」
トリカの指摘はもっともだが、他の先輩がいる手前、そう倫さんとばかりコミュニケーションを取っていたら妙な目で見られるだろう。海に着いた際には、断固として荷物番の職につき、ただひたすらに先輩たちの荷物を守るNPCと化すつもりでいる。
「つまらなそう」
もとより楽しむつもりはない。いかに無難にこのイベントを消化できるか、僕が考えていることはこの一点のみである。
「私が実体化してあげてもいいわよ? 最近ユリから夏服をもらったし」
以前トリカの服を相談して以来、吉岡さんは何かとトリカのことについて気にかけてくれる。つい先日も「私には似合いそうもないですが、トリカさんならきっと似合います」といって自身があまり着ないという白いワンピースを譲ってくれた。僕はむしろ吉岡さんがこれを着ているところを見たいと思った。フェミニンで最高だと思う。
万が一のことを考えて、トリカの服を持参するのは良いかもしれない。ただ、当然リスクもある。その服を他の人に見られたら言い訳が難しすぎるという点だ。いつかの母のように女装趣味などと思われたらたまったものではない。
……まあ、今回はそんなリスクは負わず、トリカに実体化してもらうことのないように立ち回ろう。そもそもトリカが実体化したところで何か解決できることもない気がする。
あ、でも、トリカが海で遊びたいというならその限りではない。
「ふふ、私のことは気にしなくていいわ。それに、アキラならまた私を海に連れて行ってくれるでしょう?」
機会があれば、もちろん。
さて、そろそろ家を出ようか。
今日は間違いなく辛酸をなめる日となるだろう。




