充実した休日
長い石段をまた上り、神社に戻ってきた。もう息も絶え絶えである。明日あたり筋肉痛になっていそうだ。ちなみにミカは歩くのが億劫だからと下で待っている。
太陽はもう完全に沈み、辺りは暗い。家に帰るのが遅くなりそうなので、一応連絡は入れておいた。
とりあえず拝殿の近くまで来ると、依頼主の月子の姿を探す。
「早かったの」
上から声が降ってきたと思ったら、月子が拝殿の屋根の上に座っていた。
僕と目が合うと、着物を着ているとは思えない軽やかな動きで地面に降り立つ。
「小僧の告白はどうじゃった?」
長い山吹色の髪を払った月子は、何か期待するような笑みを浮かべて聞いてきた。
僕は淡々と結果を話す。
「無事、告白は成功しました。その記念にチッスかましてました」
「あの小僧が接吻を!? ほー、それはめでたいのう」
月子は目を丸くした後、穏やかな表情でうんうんと頷いていた。てっちゃんはよほど月子に祈りを捧げたらしい。
僕は疑問に思っていたことを月子に尋ねる。
「どうして展望台で告白することを知ってたの?」
「ふふ、あの小僧は独り言が多くてな」
ひとりでぶつぶつ告白の計画について喋っていたらしい。本人もまさか聞かれているとは思っていないだろう。
ちょっとかわいそうと思っていると、月子はポンと手を合わせた。
「ご苦労じゃったな。では、賽銭五万円分の妖力をトリカに与えよう」
そう言うと、月子はトリカに近寄り、その小さな手のひらをトリカのお腹あたりに当てる。
月子の手のひらに魔力の光が灯り、トリカの身体に光が当たる。その光はやがて全身を覆い、トリカの姿を銀色に浮かび上がらせる。これで吸収できているのだろうか。
手のひらから光が消えると、トリカの身体を包む光も次第に収まった。月子は三歩ほど後ずさり、トリカに聞いた。
「これで多少は満たされたじゃろ。どうじゃ?」
その問いに、トリカが淡々と答える。
「ええ、想定より少なかったけど、足しにはなったわ」
「大食いなんじゃな」
「まあね」
どうやら足しにはなったらしい。一応、これで当初の目的は果たされた。
僕が所在なく二人を眺めていると、月子と目が合う。その顔には含みのある笑みが浮かんでいた。
「もちろん陽への褒美も忘れておらんぞ。ほれ」
月子の突き出した手にはお守りがあった。
それを受け取り、赤色の布に書かれた御守の字をまじまじと眺める。
そこで売られているものと同じものかなと思いながら、お礼を言う。
「ありがとう。ちなみにどんなお守りなのこれ?」
「持ってると良いことがあるお守りじゃ」
「ふーん」
もっと具体的に交通安全とか学業成就みたいなことが知りたかったのだが、そこまで興味があるわけでもないのでそれ以上は追求しなかった。
お守りをポケットにしまいつつ、なんとなく気になっていたことを聞く。
「月子はここで実質神様になってると思うんだけど、それって力のためだけにやってるの?」
トリカと違い、狐の月子は封印されているわけでもない。したがって魔力に窮している事情があるわけでもないだろう。
僕の質問に月子は微笑む。
「ふふ、ただの暇つぶしじゃ」
はぐらかされたのかと思ったが、案外事実なのかもしれない。妖怪はやることがなさそうだし。
「じゃからお主らもたまには顔を見せに来ておくれ。わしはいつでもここにおるからの」
その月子の言葉に、僕はかすかに月子の寂しさのようなものを感じた。僕らが視えるとわかるとすぐに接触してきたし、他者との交流を欲していたのかもしれない。それを思えば今回の依頼もその交流の一環にも思える。
僕は前向きな言葉を月子に返す。
「うん。暇な時に来るよ」
「別に毎日来てもよいのじゃぞ?」
いたずらっぽく言う月子に思わず苦笑が浮かぶ。
「毎日来るにはちょっと遠いんだよなぁ……」
そうこぼしながら、初詣はこの神社にしようかなと頭では思っていた。
すると、月子がそれを見透かしたように注意してきた。
「いつでも来てくれとは言ったが正月はいかんぞ。人が多すぎてお主らに構う暇がない」
「えぇ? 正月でもなきゃ来る理由がないけど」
「陽よ、友と会うのに理由が必要か?」
「え、友……?」
僕が冗談のつもりでそう言うと、月子はうつむきがちに言った。
「今わしは少し傷ついたぞ」
「うそうそ! ちゃんと顔見せに行くよ」
意外とナイーブな狐を可愛いと思いながら、正月には大車輪な様子に驚きもした。賽銭をくれる人には律儀に魔力を与えているようだ。
それから神社の参拝客事情や、先程の小僧の話などについて雑談していると、あっという間に三十分ほど経ってしまっていた。なにかトリカの魔力回復に役立つことがないか探っていた部分もあったが、単純に月子との会話が楽しかったというのもある。
さて、時間も時間なのでもう帰ろう。
「それじゃあ、僕らはそろそろ帰ります」
「ん、名残惜しいが仕方ない。ふたりとも気をつけて帰るんじゃぞ」
「うん。それじゃ」
僕らが挨拶を交わしている一方で、トリカは暇そうに空など眺めていた。愛想のないやつだ。
月子が控えめに手を振るのを見て、僕らは神社を後にした。
石段をゆっくり降りつつ、周りに人がいないのを確認してからトリカに声を掛ける。
「一応、ここは魔力回復の場として見て良いのかな?」
その問いかけにトリカはふっと笑みを浮かべた。
「一応はね。でも、金額と見合っているかと言われれば多分否だと思う」
「そうなの?」
「ええ。私の世界で五万円分魔力を集めようと思ったら、きっともっと多いはずだわ」
月子の魔力のレートが悪いということらしい。とはいえ相場などわかるはずもない。
そしてトリカはやや真剣味を帯びた声で言う。
「ツキコにお金を渡すくらいなら、そのお金でアキラと遊ぶ方が何倍も得ね」
「えぇ? そうなのかなぁ」
「そうなのよ。現に今日もそうだもの。新しい服を着て、アキラに可愛いって言ってもらえて、私はとても楽しめたし満たされたわ」
トリカは今日のことを思い返すかのように目線を上げた。
釣られて僕も空に目をやる。雲の少ない夜空に星が瞬いていた。あまり夜に出歩くことがないので、新鮮だなとちょっと思う。
トリカは足を止めて僕の方を見る。
「本当にありがとう。アキラに指輪を拾ってもらえてよかったって、心から思うわ」
「やめろーい。いいんだよそういうのは」
気恥ずかしくなった僕はトリカを追い越してさっさと石段を降り始める。なにを言ってるんだこいつは。
石段を降りきると、鳥居のそばに黒い塊が佇んでいるのが見えた。ミカだ。
「ミカおまたせー。帰ろっか」
「うん。……なんか顔赤い?」
「ああ、階段がきつかったからね」
そんなふうにミカをかわして、僕らは駅へと歩いた。
◇◇◇
帰りの電車は閑散としており、広々とした車内に物寂しさを感じた。
「どこにでも座れるのに端の方に座るのね」
僕が端の座席に座ったのをトリカが呆れた顔で見下ろしていた。ちなみにミカは向かいの席でのびのびとしている。
「端の方が寄りかかれるし楽なんだよ」
「ふぅん」
そう相槌を打ったトリカが僕の隣に座る。どこにでも座れるのにここに座るんかい。
その思考にトリカが反応する。
「私にもたれてもいいわよ?」
「お気遣いありがとう」
感謝を伝えつつ、トリカとは反対側に体重を預ける。
そして、今日のことについて思いを馳せた。
今回のパワースポット訪問は、正直なところを言えば収穫はないだろうと思っていた。確かに神聖な場所ではあるが、それが魔力の集まる場所とはならないだろうと思っていたのだ。
しかしその予想は裏切られ、魔力が比較的濃い場所であることがわかった。さらには月子という狐の妖怪とも邂逅し、賽銭と祈りから魔力を得るという驚きの方法も知った。
大収穫である。案外、魔力は普遍的なものなのかもしれない。
「そうね。お金にも魔力があるなら、妙なところから魔力を得られたりするかも」
トリカが楽しげに言った。魔力が必要なわりに当人は楽観的である。
「魔力が含まれてそうなモノ……なんだろね?」
僕がつぶやくと、トリカが笑った。
「ふふ、私にわかるわけないでしょう?」
「トリカの世界にはないの? めちゃくちゃ魔力が含まれてるモノは」
「もちろんあるわ。前にも言ったけど、世に知れ渡る代表的なものは精霊の秘薬と魔女の雫ね。この材料となるものに魔力が詰まってて、うまく調合することで大量の魔力を得ることができるの。ちなみに材料はとある生き物の臓器だったり、植物だったり、精霊の身体の一部だったりね」
身体の一部ってなんだよ……。頼むから爪とか髪とかであってくれ……。
ちょっと動揺しつつ尋ねる。
「やっぱりその材料はレアなの?」
「そうね。ありふれているものではないわ。その分、込められている魔力の量がすごいの」
「なるほどなぁ」
こちらの世界でありふれていないもの……いわゆる世界三大珍味などの食品に魔力がたくさん含まれていたりしないだろうか。しないだろうな。
僕が内心苦笑していると、トリカに聞かれた。
「三大珍味ってなぁに?」
「えっと、キャビアとフォアグラと、あとなんだっけ。……あ、トリュフだ」
「どういうものなの?」
「えっとねぇ――」
それから世界三大珍味について説明したりして、移動の時間を過ごした。フォアグラの説明のときには珍しくトリカが眉をひそめていた。それが普段の呆れ顔とは違うものだったこともあり、僕はなぜか罪悪感を感じてしまった。そうしたらトリカに「あなたは別に悪くないのに。可愛いわね」などとからかわれた。それ以後、僕は家の最寄り駅まで寝た。
家の玄関の前まで来ると、僕はトリカに向き直る。
「今、実体化してるんだよな? 解いてくれる?」
「ええ」
トリカの身体が一度光り、それが収まると存在感がやや薄れた。同時に着ていた服が落ちた。もちろん、それでトリカが裸になるわけではなく、普段の黒いワンピースを身に纏っている。
「ふふ、期待したの?」
「しとらんわい」
トリカの衣服と帽子を拾い上げて、ドアノブに手をかけたところで僕は固まった。
この服、どうすればいいんだ?
帽子は僕が持っていてもいいが、その他は明らかに女物である。僕の家には母以外の女はいないので、例えば洗濯に出そうものなら一瞬で気づかれる。
まあ、とりあえず僕の部屋に持っていって、家族が外出している間に洗濯すればいいか。
目下のところは、誰にも気づかれずに僕の部屋に服を持っていくことが急務である。
玄関の扉をそっと開け、帰宅のあいさつをせずに自室に向かう。リビングの横を早足で抜けようと思ったのだが、そのリビングから母が現れた。慌てて後ろ手に服を隠す。
「おかえり。結構遅かったけど何してたの?」
「あ、うん、海の近くに有名な神社あるじゃん。あそこ行ってた」
「ふーん。なにしに行ったの?」
「学校の宿題でさ。地元の神社のことについてレポートしろってのがあって、いろいろ調べてた」
「ふーん。それで? 収穫はあったの?」
「うん。結構あった」
そう僕が言った瞬間、母が僕の腕を掴み、強引に手を前に出させた。
手に持っているトリカの服があらわになる。
母がそれを見て、険しい顔になる。
「女物の服が収穫って、どういうこと?」
「これは収穫じゃない。言ってみれば副産物だから」
「何をどうしたらこれが副産物になるの? 言ってみ?」
「それはめちゃくちゃ説明が難しいんだけど、えっとねぇ……」
「はぁぁ、とうとう息子が犯罪者に……」
母が深い深いため息をついてとんでもないことを言った。
僕は慌てて弁明する。
「盗んだりとかじゃないから! これ買ったものだから!」
「息子に女装癖が……」
「だからそれも違うって! あーもう! これは彼女の! 彼女の服をわけあって預かったの!」
「そんなことあるわけないでしょ!? なんであんたに彼女がいるの!」
「一番まっとうな理由を即否定された!?」
「ああ、息子が嘘つきに……」
「そんなことあるわけないでしょ……? 実の息子に言うこと……?」
そんな僕と母のやりとりを、トリカとミカが楽しげに見ていた。ミカはともかくトリカには笑ってんじゃねーと言いたかった。
収穫の多い日だと思ったが、最後にこんな落とし穴があるとは。ふとポケットにあるお守りに手を這わせたが、触れたところで母の誤解が解けるわけもなく、なんの効果もなかった。
僕だけ損してるじゃねーか、と心の中で突っ込むのだが、トリカやミカがいなければ過ごすことのなかった休日だったなとも思うのだ。そう、僕は今日、確実に楽しかったのだ。
「陽、聞いてるの? 犯罪か女装癖か、どっちなの? お母さんどっちでも怒るから言ってみ?」
「どっちでもなぁぁい!!」
それから僕は効果のないお守りを握りしめつつ、母の誤解を解くことに終始した。




