集約されるエンヴィー
鳥居をくぐり神域の外に出ると、僕は小さく溜息をついた。
展望台はここからそう遠くないところにあるとはいえ、あまり気乗りしないというのが本音だ。
「ねえ、あの子はなんだったの?」
僕の肩に飛び乗ってきたミカが尋ねてきた。
「狐の月子って自分では言ってたよ」
「狐? ふーん。あんな人っぽい狐がいるんだ」
「もしかしたらミカも人に化けられるのかもな。猫の妖怪といえば化けるイメージあるし」
「そうなのかな」
仮に化けたとしたら、ミカはどんな姿になるのだろう。黒猫だから黒髪だろうな。
スマホで展望台へのルートを確認し、歩を進める。その展望台への道すがら、僕はトリカに尋ねた。
「実際、月子って凄い妖怪なのかね?」
「そうねえ。サムライよりは魔力を持っていそうな雰囲気だったわね」
「へえー武蔵より。じゃあ、凄そう」
そう相槌を打ちながら、ふと疑問に思ったことがある。
「月子は賽銭と祈りから魔力を補給してるって言ってたけどさ、自分がストックできる魔力にも上限はあるんだよな?」
「当たり前じゃない。それこそが生まれ持った才能というものよ」
「じゃあそこは伸ばすことはできないんだ?」
「劇的に伸びる例もないわけじゃないけど、基本的には限界はあるわね。例えばアキラがいくら身体を鍛えても私にくれる魔力はほとんど増えないわ。体力の変換はまた別だけどね」
トリカ曰く、僕がいくら身体を鍛えても魔力の上限は伸びないが、体力を魔力に変換する際においては鍛えた体力が役に立つということらしい。日課の魔力供給では体力の変換まではしないので、僕が鍛えても現状ではあまり意味はない。トリカが体力分の魔力も欲しいと言い出したら、そのときは積極的に体力を付けようかなと思っている。自分のためにもなるし。
「あなたが身体を鍛えたところで変換できる魔力の量はたかが知れてるけど、アキラのその気持ちが嬉しいわ。ありがとうね」
「あ、うん。たかが知れてるってところでもうやる気なくなっちゃったけども」
「うふふ、だって事実だから仕方ないじゃない。でもアキラが鍛えることは賛成よ。動けるに越したことはないものね」
そりゃそうだと同意しながら、ミカも交えて他愛のない話をしつつ目的地を目指した。
海にほど近い場所に背の高い建物があり、その最上階が展望台となっていた。夕暮れ時の赤みを帯びた光が展望台の窓に反射してきらめいていた。
展望台の入館料を二人分払い、エレベーターで最上階へと向かう。
「にゃー、なんか変な感じ」
ミカがそわそわした様子でエレベーター内を歩き回っていた。トリカはガラス窓にへばりついて離れていく地上を眺めていた。
そしてトリカがぽつりとつぶやく。
「移動の魔法陣があれば一瞬なのにね」
魔法が存在しないこちらの世界でそんなことを言われても困る。この世界に魔法陣ができちゃったらヤバすぎる。
エレベーターが最上階に到着し、扉が開く。
休日にもかかわらずあまり人気はない。件の坊主も簡単に見つけられそうだ。
ふとミカを見ると、ガラス張りの窓にそろそろと近付いて景色を眺めていた。ちょっとおっかなびっくりな様子が可愛い。
微笑ましい気持ちで見守っていると、トリカに肩を叩かれた。
「アキラ、あれじゃない?」
「お、マジだ」
トリカの視線を追うと、坊主頭の小柄な少年と黒髪の少女が並んで立って海を眺めていた。明らかに良いムードである。
そんな彼らに嫉妬全開で辟易している僕の横で、トリカが楽しげに言った。
「近付きましょう」
「えぇ? ここからでも結果はわかるでしょ」
「より正確に判断するためには声を聴くべきよ。ほら」
トリカに手を掴まれ、彼らの近くに移動させられる。
トリカは大胆にも彼らの隣を陣取った。隣接というほどではないが、スペースとしては三人分くらいしか空けていない。しかも勝手に僕の腕など組んで、カップルに偽装するあたり抜け目ない。僕は落ち着かない。
そうこうしているうちに彼らの会話が始まった。
「でもあれだなー、ほんとさっきのアイス美味かったな」
「ねー。てっちゃんもう一つ買いに行こうとしたもんね。食いしん坊!」
「食いしん坊ってほどじゃ……ってか外でてっちゃんはやめてくれって」
「あ、ごめんね。ついー」
「そのニヤニヤしてる顔でわかる。絶対わざと言ってんだろ?」
「えへへ、バレた?」
「ったく、こいつは……」
僕は颯爽とエレベーターに向かおうとしたが、トリカのホールドからは逃れられなかった。勢いよく歩きだそうとしたので肩が外れるかと思った。
もうやだよ。こんな会話聞きたくないよ。拷問だ。こんなの絶対告白成功する。いや、もう成功した後なのかもしれない。ある種のピロートークを聞かされているのかもしれない。
彼らの間で不意に沈黙が降りてくるときがあるのだが、その時の表情をちら見すると何やら充実したような雰囲気に満ちており、穏やかな時間が流れているのだ。もうその空気感が見てる僕としてはきつい。いたたまれない。
“私の所見だとまだ告白はしてないと思うのよね”
恋愛のレの字も知らないゴリラに何がわかる。
「ぎにゃ!」
組まれている腕をつねられ思わずうめき声を上げてしまったが、隣のカップルはそんな些事に気を取られることもなく、ラブラブ空間を作り上げていた。かといって露骨にスキンシップするでもない。それが逆になんだか腹立たしい。清く美しい青春を見せられているのだ。
僕らが眺めている港や海とは反対方向で日が沈もうとしている。橙色と藍色が混じり始める頃、坊主のてっちゃんが改まった口調になる。
「なあ、茜。俺らってよく周りからさ」
「うん」
「付き合ってんだろ? とか言われるじゃん」
「そうだね」
「でも実際には付き合ってないじゃん」
「うん」
「俺、毎回そうやって否定するたびに、なんか嫌な気持ちになってたんだよな」
「……うん」
「だからさ、もう否定する必要がないように、俺と、その、付き合ってほしいんだ」
「……やっと言ってくれたね! 遅いんだよばか!」
そうして二人は熱い抱擁を交わしていた。
もし僕に翼があったら目の前のガラスをぶち破って太平洋の彼方に飛び立っているところだ。
非常にあっさりしていながら濃厚なコクも感じる告白現場だったわけですが、なにこれ? こんなつまらない結果あります?
“ハッピーエンドが良いってアキラはよく言ってるじゃない”
フィクションはね? 目の前で同世代の告白が成功するのは何か違う。
いや、当然僕にも常識的道徳心はあるから、今ここに生まれた幸せを祝う気持ちもまったくないわけじゃない。しかし心から祝福できるほど僕は人間ができていない。まず嫉妬がくる。
はぁ、もう見るものは見たのでさっさと退散しよう。そうしよう。
「あら、大胆ね」
そのトリカの呟きでできたてほやほやのカップルに目をやると、あろうことかキスなどかましていた。リップトゥリップの、しかし軽く合わせる程度の淡いキスである。
え? いくら人気がないとはいえ公衆の面前ですよ? もしかして僕に見せつけた? 独り身の僕を嘲笑うために?
「一応私が彼女を演じてるけど……」
そんなトリカの言葉にも反応できないほどに僻みの火が灯っていた。
腹立つ腹立つ腹立つ。コンクリートロード以来のダメージを受けている。ここに至るプロセスが僕の意思に反したものであることもプラスして、今までになくストレスを感じていた。
「まずいわね。霊が寄ってきたわ」
僕の嫉妬の炎に反応して展望台にたまっていた霊が寄ってきた。まずいまずい、鎮めなきゃ。
件のカップルから離れてエレベーターの近くに移動する。
霊のもやもやを認識することで、怒りも収まってきた。あんなものを取り込みたくない。
ふと思ったが、僕が悪霊に取り憑かれることで逆にトリカは霊を吸いやすくなったりするのだろうか。
「それはないわ。私とあなたの間は“線”で繋がっているから、あなたに悪霊が取り憑くとその霊に私の魔力を吸い取られるリスクがある」
「そうなの?」
「ええ。あなたは魔力をまったく認識していないから私に無抵抗に吸われているけど、本来ならアキラも私の魔力を吸うこともできるの」
「そうなの?」
「そうなの」
魔力に関しては双方向に出し入れできるらしい。思考は一方通行なのに。
「線のおかげではあるけど、思考を読むのはまた別の能力だからね」
「そうなの」
ともあれ、僕が霊に取り憑かれるメリットは何一つないことがわかった。今後も気をつけよう。
しかし、怒りが収まっても霊は未だに僕の周囲をふわふわ漂っていた。今にも取り憑いてきそうな雰囲気がある。
それを嫌な顔で眺めていると、トリカがその霊たちに手のひらを向けた。
「軽く散らしましょうか」
そう言うやいなや、展望台の中で風が吹いた。
トリカの起こした魔力の風によって霊は窓を貫通してどこかに飛んでいった。これで一安心である。
一方で、件のカップルが突然の風に驚いた様子でこちらの方を見ていた。この階は窓など開いていないので明らかに不自然な風である。
とはいえ僕も何も言うことはできないので素知らぬ顔で景色など眺めた。
その流れで、港に入っている船をなんとなく見ていると、例のカップルの声が聞こえてくる。おかしい、この距離でこんな鮮明に聞こえるはずが――。
「私の聴覚を魔法でアキラに反映してるわ」
「無駄!」
トリカの仕業だった。
聞きたくもないカップルの会話が聞こえる。
「そういやさ、今日うち親いないんだけど、……来る?」
「え、……うん。あ、でも一回帰ってからでいい? いろいろ準備とかあるし」
「そ、そりゃもちろん。ゆっくり来たらいいけどさ」
その会話でまたしても僻みスイッチが入ってしまった。先程の二倍の怒りである。
ふたりとも顔を赤らめて何やら恥ずかしげな様子だ。プラトニックと思わせてからのこれはかなりのショックがある。もう幻滅した。特に女子の方はそんなこと一ミリも知らなそうな顔して「いろいろ準備とかある」などと意味深にさえずりおる。
僕はひどく劣等感を感じた。同世代でこの差はなに? モロ? トシ? どうしてお前らはここにいないの? 一緒に傷をなめ合おうじゃないか。
辛抱たまらなくなった僕の痛切な思いがこぼれる。
「オーケートリカ、あいつら吹き飛ばして」
「それはできないけど……」
もちろん冗談である。トリカが「こちらの世界に危害を加えない」という約束をちゃんと覚えているかテストしたのだ。
「そんな雰囲気はあまり感じなかったけど」
あーあ、きっと彼らは今後制服デートとか馬鹿面引っさげた自撮りとか学校でxxxとかしちゃうんだろうなぁ。教室でいちゃついては周りから囃し立てられ、「よっ、おしどり夫婦!」とか言われちゃって、でもそんな発言にも余裕の態度で返しちゃったりするんだろうなぁ。腹立つなぁ。
「アキラ、普通の霊が黒くなってきちゃってる」
今なら辻村先輩の言っていたこともわかる。全てを霊に任せて理性が壊れるままに欲望を解放したい。
……いや、それはダメだ。人間には良心と道徳がある。彼らには何の非もなく、ただ僕が一方的に敵視しているだけなのだ。落ち着け落ち着け。
「あら、今度は舌を入れたわ」
そのトリカの声を聞いた瞬間、展望台の最上階は黒い霧に覆われた。
◇◇◇
おかしい。確かに僕は嫉妬に狂った悲しきモンスターではあるが、はっきりいってこんな嫉妬は割とよくあることである。僻むたびに霊を黒く染め上げていたら僕は外出などしなくなる。
霊は人の強い感情によって指向性を得る。そのへんを浮遊している不定形で色のない霊は特にそれが顕著だ。
とはいえ僕の嫉妬心だけで展望台を覆うほどの霊が集まるものだろうか?
「アキラ、これ大丈夫なの?」
俊敏に僕の肩に駆け上がってきたミカが心配そうに聞いてきた。
窓の外に目をやると、黒いもやが覆っていて景色が見辛い状況だ。
「わからないけど、大丈夫なの? トリカ」
伝言ゲームのようにトリカに聞くと、彼女は余裕の態度で言った。
「特に問題はないわね。さっさと下に降りれば私たちは無傷だわ」
「えぇ……。それもどうなの?」
「あなたが原因ならあなたについてくるか、そのまま自然に四散するでしょ」
「そっか」
それなら素直にここを後にしようと周囲を見渡すと、妙なことに気付く。この展望台は海が望める場所とは反対側にカフェがあるのだが、そこにたむろしている高校生らしき男子グループが僕を睨みつけているのだ。なんだ?
「さっきまであなたも同じ顔をしてたわよ」
僕の疑問にトリカが反応した。
確かに先程まで僕は件のカップルに対し憎悪とも呼べる視線を投げつけていた。しかし、それは公衆の面前でA行為をするというモラルに反しまくる彼らに対しては当然の行動であり、何もしていない僕が敵意を向けられるいわれはなにもないのだ。
「でも、私たちもさっきまでこんなことしてたじゃない」
そう言いながらトリカは腕を組んできた。僕の肩にわざとらしく頬を寄せてくる。
その銀髪に目を落としてハッとなる。まさかとは思うが連中、僕らをカップルと勘違いしているのではないか?
僕は叫び出したい気持ちだった。それは断じて否であると。むしろお前らとは志を同じくする高潔な侍なのだと!
とはいえ何の面識もない彼らに弁解することなどできるはずもない。
てっきりここにはびこる霊は僕の嫉妬心に引き寄せられたものかと思ったが、原因は僕だけでなく彼らにもあったようだ。
モテない男どもの積年の嫉妬心が霊を黒くさせてしまったのだろう。
僕の腕をとってニヤニヤしているトリカに声を掛ける。
「トリカ、誰かに取り憑く前に周りの霊を吹き飛ばしてくれよ。さっきみたいに」
「ええ? イヤよ」
「なんで?」
「魔力を使いたくないから。あなたに取り憑くようなら守るけど、それ以外はちょっとねぇ。まだ実害もないし」
「未然に防ぐのが偉いってさっき言ってたのに……」
僕の小言にトリカは飄々とした態度で返す。
「こんなことはきっと日常でしょ。それでもこの世界は平和に見えるし、大した問題じゃないのよ」
言われてみればそうか。本来トリカはこちらの世界に存在しない人間だから、こういう問題に介入するのもおかしいのかもしれない。
今のような状況が日常的に起こっていても、それが問題にならないのはなぜだろう。意外と霊が人に取り憑かないのか。取り憑いたところで問題がないからなのか。
「おそらくは後者でしょうね。常にあのカップルが視界に入っていて、そのことしか考えられないって言うなら支障をきたすでしょうけど、そうじゃないでしょ? カップルに対する関心が失われた瞬間に、霊は人の身から追い出されるんだと思うわ」
なるほど。いくら腹立たしいことがあってもそれは一過性の感情だ。人間に備わる理性、あるいは霊に対する防衛機能がちゃんと働いているから、霊による被害が抑えられるのだろう。
とはいえ、さすがにこれほどの規模になると心配である。トリカは平然としているから実際たいしたことはないのかもしれないが、魔力や霊に疎い僕的には結構怖い。
トリカが魔力を使いたくないと言うのであれば、これは僕がなんとかしなければなるまい。見て見ぬふりは僕の精神衛生上よろしくない。
よし。まずは、彼らの嫉妬心を落ち着かせよう。
「トリカ、僕を一本背負いしてくれ」
「え?」
「その後、僕を罵倒してエレベーターに乗って下に降りてくれ。頼むぞ」
「……まあ、いいけど」
承諾したトリカは、組んでいた腕をそのままつかみ、柔道選手さながらに一本背負いをした。
僕はきたる衝撃に備えてブサイクに受け身を取る――!
「ぐえっ!!」
「あなたなんか大嫌い! バカ! クズ! タイツ狂い! もうお別れよ!」
迫真の喧嘩別れを演じたトリカは、エレベーターに乗って下に降りていった。
僕は腰のあたりをさすりながら、エレベーターを呆然と眺める。その様は突然別れを切り出されて途方に暮れる哀れな男そのものだった。
一本背負いの音やらトリカの鋭い声やらで注目を集めたこともあり、僕は死ぬほど恥ずかしかったのだが、その甲斐あってか窓の外の黒い霧は徐々に霧散していった。嫉妬に狂っていた彼らが、僕の破局現場を見て溜飲を下げたのだろう。計画通り!
僕の意図を知らないミカが、すたすたと僕のそばに寄ってきた。
「……アキラ、なにしてるの?」
「お芝居だよ。僕らも下に行くぞ」
「うん」
すっくと立ち上がり、何の気なしに周りを眺めると、件のカップルが「ああはならないようにしよう」というような顔で僕を見ていた。意図せず反面教師となってしまった。
絆を強めたであろう二人を見て僕の嫉妬が再燃しそうである。いや、した。
“ほら、さっさと神社に戻りましょ”
脳裏にトリカの声が響く。どうやら指輪に戻っているようだ。
エレベーターの下に降りるボタンを押し、扉が開くのを待つ。ぶん投げられて以降、もうずっといたたまれないので早く上がってきてくれと思う。
扉が開くと、無人のエレベーターに衣服が落ちていた。しかも見覚えがある。これは先程までトリカが身につけていたものだ。帽子や靴もある。
ボタンを押して扉を閉めると、淡い光とともにトリカが現れる。いつもの黒いワンピース姿だ。
トリカはおもむろに僕に近寄り、背中をさすってくる。
「身体は大丈夫よね?」
「あ、うん。いや、それよりさ」
トリカが着ていたものを全て拾い上げて尋ねる。
「もしかして、これは指輪に収納できないの?」
「ええ。ちょっと手間を掛ければできるけど、今は無理ね」
「マジか。……でも、僕いま袋とか持ってないからさ、また着替えてくれる? トイレとかで」
「ええ、もちろん」
意外と不便な事実が見つかったところで、僕らは展望台を後にした。




