名前で呼び合う仲
一ノ瀬先輩が落ち着きを取り戻すと、僕らは菫さんの家を後にした。
プレゼントは菫さんのお母さんの許可を得て持ち帰ることができた。一ノ瀬先輩は大切そうにかばんにしまっていた。
そして解散の流れになると、一ノ瀬先輩は僕を駅まで送っていくと言い出した。さすがに三十分も掛かるような道を往復させたくないので遠慮したのだが、先輩は駅までの道を先に歩き始めた。強引な手腕である。
ちなみに、井上先輩は驚くべきことに先に帰っていった。一ノ瀬先輩が付いて来ないように言ったようだが、素直に聞き入れるとは思わなかった。
一ノ瀬先輩がこちらを振り返る。
「今日は本当にありがと。いっぱい泣いて、スッキリした」
「それは、よかったです」
ナイーブな話題なので、どうしても淡白な返事になる。
「守谷くんって本当に霊感があるんだね。びっくりだよ」
「いやー、最近の話なんですけどね。すっ転んで頭打ったら見えるようになっちゃいまして」
「え、それほんとの話?」
「本当の話です」
「やばいね。漫画みたい」
「知り合いにも同じこと言われましたよ」
そんなことを話して少し盛り上がった。
先輩の横顔を窺うと、先程まで泣いていたこともあって、目元が赤くなっていた。でも、表情は穏やかで力が抜けていた。
不意に目が合うと、彼女は淡く微笑んだ。
「最初はね? 半信半疑だったんだ。守谷くんの霊感」
「普通はそうですよ。井上先輩は最後まで信じてませんでしたし」
去り際にも「お前のそれは思い込み」と歯牙にもかけない様子だった。
僕がそう言うと、先輩は小さく笑った。
「ふふ、あいつはね。……確信したのは、写真に写った菫の話を聞いた時かな。菫ってああいうクイズみたいなのをよく出してきたの」
「そうだったんですね。写真については本当に井上先輩さまさまでした」
「たまに役に立つんだよねー」
先輩は楽しげに笑った。
僕の言うことに疑問の声を上げず素直に聞いていたのは、そういう根拠があったから。親友のことを心の底から信頼していることが窺えた。
それからしばらく沈黙が続いた。
どうにか先輩を元気づけてあげたいと思うのだが、どう言葉をかけていいかわからない。そもそもそれは井上先輩の役割か。
所在なく道の先を見つめて歩いていると、先輩が口を開いた。
「もう、菫はいなくなっちゃったんだよね」
誰に問いかけるでもなく、先輩は確認するように呟いた。
僕は黙っていたが、先輩に目を向けられる。
「私ね、菫の分も頑張ろーって思うんだ。だから、まずはテスト頑張る!」
先輩は吹っ切るように大きな声で言った。
僕はそうやって前を向く彼女を応援したいと思った。
「先輩なら大丈夫です。まあ、テストの点数は僕より劣ると思いますけど」
「なにー!? 絶対負けないから! ていうか一年のテストと二年のテストはムズさが違うから!」
そんな冗談を言って笑いあった。
重い雰囲気が変わったのを機に、僕らは他愛のない話をした。主に一ノ瀬先輩による井上先輩の愚痴だったが。
一通り井上先輩の悪いところを聞かされた後、一ノ瀬先輩はこんなことを尋ねてきた。
「守谷くんの下の名前って、陽だよね?」
「はい」
「これから名前で呼んでもいい? 友好の証としてさ」
「それは、はい。構わないですけど」
謎の提案に僕は当惑していた。
先輩は続ける。
「よし、それじゃ陽くん。私のことも名前で呼んでね」
「え」
「先輩もダメね。一括りにされてる感じするから」
「いや、それはちょっと恐れ多いですよ」
「一緒にまっだーなうでお昼食べた仲じゃん」
一ノ瀬先輩が強い目で見つめてくる。井上先輩とこのあたり似ているなと思った。
僕は同級生や先輩の女子を名前で呼んだ記憶がない。小学校低学年くらいまで遡ればあるいはといったところだ。
だから僕がしどろもどろになってしまうのも仕方ないことなのである。
「い、いや、そのー……」
「ほらー、早くー!」
「はい! えっと、倫さん」
「にひひ、それでよし」
名前を呼ばれた一ノ瀬先輩改め倫さんは満足気に頷いた。
僕に霊感があってもこうして友好的な態度でいてくれるのだから、やっぱり良い人だなと改めて思う。
名前といえば、一つ気になっていたことがある。
「今更ですけど、井上先輩の名前ってなんていうんですか?」
「大地だよ」
「はー、だから大ちゃんなんですねー。先輩も普段はそう呼んでるんですか?」
「は? 呼ばないし。ねー、陽くん何か勘違いしてない?」
それから駅に着くまで幼馴染という関係性について聞きまくった。倫さんは昔のことを話すのを恥ずかしがっていたが、そんな様子が可愛らしくて執拗に聞いてしまった。そのせいで「陽くんってしつこいって言われない?」とうざがられてしまった。すみませんでした。
◇◇◇
一ノ瀬先輩の件を解決して一夜明けた今日、二日目のテストが行われた。
テストを終えた僕はいつもの二人と教室で駄弁っていた。テストの答え合わせを含めた雑談だ。
「今日は結構イケたと思うわ。自信あり」
「僕も自信あり。勉強したところが出た」
僕とモロが手応えを感じている一方で、トシは溜息をついていた。
それを見てモロが煽る。
「お? トシさんよぉ、やっぱ勉強しないとダメだったんじゃないすかぁ?」
「そうだな。ちゃんと勉強しとけば満点取れた。くそっ、あの一問だけミスったなぁ」
僕らとは次元が違う悩みを抱えていたようで、僕とモロは顔を見合わせてしまった。
モロは席から立ち上がり、鞄を肩に引っ掛けた。
「ちっ、こうなったら帰って勉強するしかねー」
「悪あがきはよしてこのまま駄弁ろう。そうしよう」
「うるせー! お前より良い点数取ったらぁ! じゃあな!」
トシの言うことに聞く耳持たず、モロは先に帰ってしまった。
それを見送ったトシが溜息をついた。
「あーあ、この楽勝テストも明日で終わりかぁ。そしたらまた部活だよ。はあ」
「部活イヤなの?」
「なんつーかなー、楽しくないけど楽しい、みたいな?」
「はは、なんとなくわかる」
そんなふうにトシと話していると、教室に見知った顔が現れた。
ゆるふわの髪を二つ結びにしている倫さんだ。僕と目が合うと、ぱっと笑顔になる。
「いたいたー。陽くん、ちょっといい?」
教室の入口からそう聞かれ、僕はトシに目をやる。すると、彼はにやりと笑った。
「モロがいなくてよかったな。行ってこいよ」
「あ、ああ。でも、すぐ終わると思うし待っててよ」
「待てない。俺は先に帰るから」
「ひどい!」
「ははははっ、おら、待たせてないで早く行け」
トシに背中を叩かれる。僕は腰を上げてリュックを背負った。
「じゃあ、また明日」
「ああ」
別れの挨拶をかわして倫さんのもとに向かう。
廊下で待っていた彼女は、僕が来ると手を合わせた。
「いきなりごめんね? 友達は大丈夫?」
「はい。大丈夫です」
「そっか。じゃ、一緒に帰ろ!」
「え? 用があったんじゃないですか?」
「これが用だよ? いくぞー」
「はあ」
そう促され、下駄箱に向かう。まさかトシより先に帰ることになるとは。
それぞれ靴を履き替えると、昇降口を出て駅に向かう。
隣を歩く倫さんは、初めて会った時と同じようにイケてる先輩の雰囲気を纏っていた。
その横顔に尋ねる。
「どうしたんです? 今日は」
「別に? ま、千穂が用事あるって言うからさ。一人で帰るのも寂しいしー」
「井上先輩がいるじゃないですか」
「だーかーらー、私とあいつは別になんでもないの。しーつーこーい」
そうして肩を小突かれた。
僕の中ではこんなことを言っている幼馴染こそ結ばれるものだと思っているので、そっけない反応をされるとかえって親密だなと思う。
というか川崎先輩以外にも友達はいるだろう。
そう突っ込もうと思っていると、倫さんが話題を切り替えた。
「今日のテストはどうだったの? 余裕の40点?」
「舐めないでください。余裕の70点です」
「びみょー!」
「先輩はどうなんですか?」
「ん? 先輩ってだれ?」
僕が先輩呼びをすると、倫さんは結構指摘してくる。その時の目が射抜くように鋭くて、ちょっと怖い。昨日もちょくちょく呼び間違えてそのたびにじっと見つめられて怖かった。
「いえ、倫さん。テストどうでした?」
「はいはい私はね、今日のテストもよゆーだったよ」
「凄いですね。あんまそんなふうに見えないのに……」
「おいおい失礼だなこいつー」
そんなふうに和気あいあい話していると、そろそろ駅が見えてくる。
駅前のロータリーに差し掛かったところで倫さんがこんな提案をしてきた。
「よかったら勉強見てあげよっか? 一年の内容くらい今でもわかると思うし」
「マジっすか。数Aが結構不安なんですよね」
「確率とか超よゆーだよ。じゃあ一緒にお昼食べて、そのあと図書館でも行く?」
「いいで――」
僕がそれを了承しようと瞬間、魔力の光を伴ってトリカが現れた。その顔はわかりやすく不機嫌なものだった。
そういえば、忘れていた。今日はトリカとスパゲッティを食べる約束をしていたのだった。
もちろん僕としてもそちらを優先するつもりはあったので、倫さんの誘いを断ろうと思ったのだが、それより先にトリカが倫さんにふわふわ寄っていった。
そして囁く。
「悪いけど、今日のアキラは私と用があるの」
トリカがそう言うと、倫さんはびくっと身体を硬直させた。
倫さんに聞こえるように言ったらしい。なんじゃこいつ……。
「あ、陽くん、い、今の、聞こえた?」
倫さんは怯えた表情で問いかけてきた。せっかく昨日のことから切り替えられていたのに、トリカもひどいことをする。
僕は倫さんを安心させるように言った。
「聞こえました。そこに女の霊がいるんですけど、全然害はないんで大丈夫です」
「ほ、ほんと?」
「はい。でも今日は僕帰りますね。せっかく誘ってくれたのにすみません」
「う、うん。それはいいけど……」
倫さんは不審な顔をしていた。
僕はその顔を見て思った。この関係、終わったなと。
あーあ、せっかく良好な先輩後輩の関係ができたと思ったのになあ! こいつと一緒にいると霊に絡まれるなんて思われたら間違いなく疎遠になるよなあ。
「アキラが私との約束を忘れるのが悪い」
トリカは悪びれもせずに言った。
「それにもし霊に絡まれてあなたに嫌気が差すなら、関わるだけ無駄よ。これはそういう試金石でもあるの」
取ってつけたようなことを……。でも一理あるかもしれない。常に怯えさせるくらいなら関わらない方がいい。
倫さんは腕をさすって落ち着かない様子だった。そりゃいきなり謎の女の声がしたらびびるわな。
「倫さん、実は僕、除霊もできるんですよ。ちょっと見ててください」
僕がそう言うと、倫さんはこくこくと頷いた。今は安心させてあげたい。
「除霊ができるなんて初耳だわ」
トリカが半笑いで言った。まあ見とけや。
僕はその辺の虚空を蹴り上げる。
「どらぁ! 悪霊退散! 悪霊退散! オレやってる除霊師このisland
大胆不敵ラップでここ開闢、する気はないけどオレNas礼賛。
マイサンしなびるFxxx愉快犯。倫さん、漏らしてんならcallクラシアン。
pass the mic! 般若心経ならいらん。臨・兵・闘、中略、烈・在・前!」
八小節のお経を唱え終えると、僕は倫さんに向き直った。
「はい、除霊完了しました。もう大丈夫です」
「除霊っていうかラップじゃん! ていうか九字略してたよね!? あと私漏らしてないから!」
怒涛のツッコミを受けて、僕は笑った。
「それくらい元気なら霊は寄ってきません。もう安心です。ほら、行きましょ。電車来ますし」
僕が先に歩きだすと、倫さんもすぐについてきた。そして一緒に駅舎に入る。
電光掲示板を眺めていると、倫さんがぼそっと言った。
「……陽くん、さっきの、効果があるとは思わないけど」
「はい」
「ありがとね。面白くて、全然怖くなくなった」
「面白い……? 怖くなくなったならよかったです」
「でもちょっと下品だったよね。漏らしてないし」
「すみません」
僕が謝ると、倫さんは微笑を浮かべていた。
なんとか先輩後輩の関係は続きそうで安心した。トリカの試験も合格だろ。
「ま、多目に見てあげるわ」
今更だが、トリカはなに目線なんだ……?
倫さんが拒絶しないでくれたことにほっとする一方で、僕は心底思った。この恋、終わったなと。




