影が差す午前
春待の部屋を出ると、広大な館内を歩き玄関へと向かう。
人の気配がほとんどなく物音もしないので、シザーマンとか青鬼が出そうな雰囲気だなと恐怖する。これ夜中どうすんだよ……トイレ行けないだろ……。
階段を降り、がらんとしたホールを突っ切っていこうとすると、メイドのエマさんが右手の部屋から出てきた。女子の話し声もかすかに聞こえるし、あそこが食堂なのかもしれない。
エマさんは僕に気付くと声をかけてきた。
「お帰りになるのですか?」
「あ、はい」
「でしたら少々お待ちいただけますか? 守谷様にお渡ししたいものがありますので」
「はぁ、わかりました」
了承すると、エマさんは一礼して先程出てきた部屋に戻っていった。
その間にスリッパから自分の靴に履き替えておく。
数分後、何か小さな紙袋を持ってエマさんが戻ってきた。
「どうぞ。梨奈様たちが作ったお菓子です」
「え? 僕にですか?」
思わず聞き返すと、エマさんは微笑して頷いた。
ここで露骨に懐疑的な顔をしたら印象が悪いので、ひとまず笑顔で対応する。
「……そうですか、ではありがたく頂きます。先輩たちにありがとうとお伝えください」
「かしこまりました」
「それじゃ、お邪魔しました」
「お気をつけてお帰りください」
最後まで見送ってくれたエマさんに恐縮しつつ、洋館を出た。
渡された小袋に目をやる。意外にも辻村先輩たちは僕の分も用意してくれていたようだ。
「どんなお菓子なの?」
トリカが指輪から姿を現した。食べ物のときにはフットワークが軽い少女である。
歩きながら袋の中身を見る。中にはラッピングされたカップケーキが入っていた。
取り出してトリカにも見せてやる。
「カップケーキだ。ほら」
「ふぅん。おいしそう」
「食べていいよ」
「それなら半分に分けましょう。あなたも味を知っておかないと後々困るかもしれないからね」
僕が食べたかどうかなんて先輩たちにとってはどうでもいいと思うが、トリカがそう言うならそうしようか。
カップケーキを半分に割って、トリカに渡す。周囲に人の目はないので、浮いてても大丈夫だろう。
一応トリカより先に一口かじる。
「……うん。うまい」
手作りといった感じのカップケーキだった。素朴な甘さがちょうどいい。
こう言っては失礼極まりないが、わざとまずく作られているのではないかとほんの少しばかり疑っていた。辻村先輩もそこまで鬼ではなかったようだ。
隣に浮かぶトリカも一口食べていた。
「アキラと行った喫茶店のパンケーキの方がおいしかったわね」
「そりゃあ、あれは売り物だからな」
トリカの率直な評価に笑いつつ、僕らは帰路についた。
◇◇◇
春待の洋館に招かれてから一週間ほどが過ぎ、中間テスト当日の朝を迎えた。
教室内は微妙な緊張感と浮足立ったような喧騒があった。勉強したorしてねーよ問題を筆頭に、クラスメイトたちはテストに思いを馳せている様子だ。
テストは一日に二教科ないし三教科ほど行われる。この日程を見たトシは、「じゃあ午後暇じゃん!」と歓喜していた。その台詞を言う奴はデキる奴とデキない奴に二極化されるだろうな、と僕とモロは話していた。おそらくトシは前者だろうが。
そして今回トリカには、テスト中は僕に干渉しないようにお願いしている。カンニングに繋がるような行為は自重すべきだと思ったのと、単純に集中力が削がれそうだからという理由からだ。
もちろんトリカだってカンニングに協力するようなことは拒否するだろうが、自分から宣言するのが大切だと思ったのだ。実際、トリカにそう言ったときには、にんまりと笑って「あなたのそういう潔いところは好き」と褒められた。ちょっと照れた。
朝のホームルームが終わると、皆せかせかと筆記用具の準備など始めた。教室の後ろの方では、時間ギリギリまで記憶しようとノートを皿の目にして見ている人もいる。トシなどは悠然と席に座って構えていた。
時間が訪れると、先生が教室に入ってくる。
問題用紙が前から回ってきて、一部とると後ろに回す。受け取った問題は伏せた状態で待機する。
張り詰めた空気に武者震いする。勉強は結構した。だからイケるはず!
「はい、始め」
その声とともに、問題用紙のめくられる音が響いた。
◇◇◇
初日のテストを終えた僕らは、駅に向かって歩いていた。
「あーあー、なんであそこ『ア』にしちゃったかなー。最初は『イ』だと思ってたのによぉ」
「わかる。最初に正解選んでたのに、熟考した末に間違えちゃうっていうね」
「ほんとそれよ」
モロと僕がそんなあるあるネタを話していると、トシが涼しい顔で言った。
「あそこは『イ』以外ないだろー。消去法でもなく一発でわかるだろー」
「っせ、死ね。それ以外の問題全部間違えろ」
「いやー、正直90点は固い」
勝者の言葉に僕とモロが凹んでいると、駅舎の入り口付近に同じ高校の生徒が固まっていた。
その中に見知った顔があった。目が合うと、向こうが手を振ってきた。
控えめに会釈で返すと、華やかな笑顔を向けられた。
僕もぎこちなく笑みを浮かべていると、モロががしっと肩を組んできた。
「陽よぉ、最近、女の先輩と絡みすぎじゃね?」
「辻村先輩といい、今のいかにもJKな二つ結びの先輩といい、美人ばっかりで凄いな陽は」
モロがぼやき、トシは感心していた。
僕は慌てて誤解を解く。
「絡みってほどじゃないし、別になにもないからな。知り合いの知り合いみたいな感じだし」
「知り合いの知り合いレベルですら女子と関わりがないんだけど? お?」
「それはモロの運が悪いだけだと思う。モロの明るい性格を考えれば僕より女子と関わりがあってもおかしくない」
「運? これって運の話なのか? うーん、これでも頑張ってるんだけどなぁ。うんこだなー」
なんとかモロの機嫌を取り、駅舎に入る。
電光掲示板を眺めると、モロとトシの乗る電車が間もなく到着するようだった。
「やべ、もう来るじゃん。じゃあな陽」
「じゃあ、陽。また明日な」
というわけで、モロとトシは改札を通って先に行ってしまった。
僕の乗る電車はあと十五分ほどで来るようだ。
暇を持て余した僕は、駅舎のベンチに腰掛けた。何をするでもなくぼーっと目の前の風景を眺める。
まだ午前だし、昼飯を買って帰ろうか。それとも家にあるもので済ませるか。
余計な散財は回避したいし、家にあるもので何か作るとしよう。
「アキラの作るものって基本的にチャーハンかカップ麺しかないわよね」
どっちもお手軽でおいしいから仕方ない。知ってるだろ?
「確かにね」
休日の昼は、家に僕しか居ないときが多い。そういうときにはトリカと一緒にお手軽料理を食べる。
そして訂正するが、僕はスパゲッティも作れる。これは簡単に作れる割にすこぶるお洒落な感じを出せる凄い料理なのだ。もっとおシャンティに言えば、パスタ、いやプァストゥといったところか。
昼間は家に誰もいないだろうから、トリカも食べられる。仕方ないから僕のスペシャルな腕を披露しようじゃないか。
「スペシャルなんて言っても、簡単に作れるんでしょう?」
そうなんだけどね?
そうしてトリカと微笑みを交わしていると、隣に女子高生が座ってきた。僕の視界の端にゆるふわな髪が映り、風に乗ってフローラルな香りがした。
「まーたニコニコしてたね?」
「してました? 無意識でした」
「だとしたらヤバイから気をつけたほうがいいよー」
声を掛けてきたのは一ノ瀬先輩だった。先程は同級生の人たちと話していたようだが、その輪から抜けてきたようである。
その輪をちらっと窺うと、一人の男子がこちらを見ていた。
単純に輪から抜けた一ノ瀬先輩の行方を追って見ていたなら何も憂うことはない。しかし、もし一ノ瀬先輩に恋い焦がれている男子だったとしたら、なんか気まずい。モテそうだしなー、この先輩。
そんな僕の心配など露知らず、先輩は脳天気に話しかけてきた。
「初日のテストどうだった?」
「まあまあって感じですね」
「まあまあー? 一年のテストでまあまあじゃやばくない?」
「マジっすか。じゃあオールオーケーです」
「あははははっ! ここで言い直しても点数は変わんないよ!」
一ノ瀬先輩が弾けた笑顔を見せてくれると僕も嬉しい。辻村先輩なんかとは全く違う。愛嬌に満ちた先輩である。
「先輩はどうでした?」
「私? よゆー。生物なんて十五分くらい余ったし」
「え、凄いですね。お見逸れしました」
「はっはっはー、ひれ伏したまえ」
「ははー」
そんなふうに和気あいあい話していると、不意に女の子の声が聞こえた。
駅舎内には女子もいるが、そういう“人間”が発した声ではない。なにしろ声の発生した場所が一ノ瀬先輩周りだからだ。先輩の近くには僕しかいないが、当然僕は女子ではない。
つまり、霊の声だ。
その声が聞こえたと同時、先輩が言葉を詰まらせた。それまで楽しそうに話していたが、表情も心なしか曇っている。先輩にも霊の声が聞こえている……?
霊感がなくとも、その人にとってその霊が近しい存在なら多少認識できることがあると、先日のミカの件で確認されている。
僕はそのあたりを確かめるため、探るような言葉をつぶやく。
「今、女の子の声がしたような……」
すると、一ノ瀬先輩が僕の肩を掴んで、勢い良く訊いてきた。
「守谷くんも聞こえたの!? 今の!」
「あ、はい」
先輩の目は驚きに見開かれ、僕はその鬼気迫る表情に気圧された。
「私以外に聞こえる人いたんだ……そっか、そっか」
先輩は少し安堵しているようだった。そりゃ、霊の声が聞こえる人なんてそういないだろうしな。
「あのね、今の声、私の親友の声だと思うの。このペンギンをプレゼントしてくれた子」
イヤホンジャックに刺さっているペンギンを見せて、先輩はそう言った。
おそらく声を発したのは、このペンギンに憑いている霊だと思われる。
聞きづらいところなのだが、この霊について確かめなくてはならないだろう。
「その親友の方は……」
「うん……。一昨年に交通事故でね。私と一緒に出かけた先で、居眠り運転のトラックにひかれて。私はたまたま助かって、菫だけが……」
そう語る先輩はとても辛そうで、胸が痛かった。
ペンギンに憑いている霊はその菫さんだろう。
「このペンギンは菫との思い出のアクセだから、形見だと思ってずっと付けてるんだけど、最近になって菫の声が聞こえるようになったの」
「最近、ですか」
「そう。ここ二週間くらい。ペンギンが傍にあるときに声が聞こえるから、これに何かあるんだと思う」
先輩はペンギンを見つめてそう言った。
最近になって霊が力をつけたのだろうか。
その僕の疑問にトリカが反応する。
「あるいは、この子が無意識に魔力を込めたのかもね。死んだ子を想うあまり」
一昨年の事故から今に至るまで、常にペンギンが身近にあった。それを見るたびに親友のことを想い、行きどころのない感情を魔力という形でペンギンに込めていたのかもしれない。その結果、菫さんに魔力が渡り、声を発することができる程度に力を付けた。
これが続くとどうなるのだろう。姿が明確になったり悪霊化したりするのだろうか。そもそも悪霊の定義すらわからないが。
「それはその霊次第じゃない? どういう感情を抱いて死んだかで変わると思うわ」
そのあたりは声に反映されているかもしれない。
うなだれている先輩に質問する。
「その声なんですけど、なんて言ってるかわかります? 僕はあんまり聞き取れなかったんですけど」
「倫って呼んでることが多いかな。それ以外は私もあんまり……」
一ノ瀬先輩の名前を呼ぶ理由はなんだろう? 何か伝えたいことがあるのか。気づいて欲しいことがあるのか。
「その声の感じはどうですか? 喜怒哀楽みたいなものは」
「えっと……わかんない。でもプラスの感情じゃないと思う。もしかしたら、私だけ助かったことを恨んでるのかも……」
先輩は暗い表情で言った。
それに対し、僕は希望的観測を述べる。
「それは、違うんじゃないですか。親友なんですし」
「わかんないじゃんそんなこと!」
「す、すみません」
「あ……。ごめんね。守谷くんは悪くないよ。ごめんね」
簡単に死者の気持ちを推し量るようなことを言ってしまった。僕は菫さんのことについて何も知らない。先輩が声を荒げるのも無理はない。
とはいえ、事故は事故であり、先輩に非はないのだ。それで恨まれるのはお門違いである。
そんなふうに第三者の僕は思ってしまうが、先輩は当事者であり、亡くなった相手は親友である。そう簡単に割り切ることはできないだろう。ましてや霊の声を聞かされたとあっては、精神が不安定になるのも仕方ない。
先輩はうつむいてスマホを握りしめていた。先程までの笑顔など見る影もない。表面上は気丈に振る舞いながらも、誰にも相談できずにずっと不安を抱えていたのかもしれない。先日、電車の中でペンギンについて聞かれたときに、もっと話を聞いておけばよかった。
僕はこのとき、柄にもなくこの先輩の助けになりたいと思った。だから自然と言葉が口から出ていた。
「先輩、今日このあと暇ですか?」
「う、うん。暇だけど……」
「じゃあ、どっかご飯食べに行きませんか?」
「守谷くんと? ……ふふ、後輩くんに誘われるなんて初めてだよ」
「僕だって先輩をお誘いするなんて初めてですよ」
「そっか。うん、いいよ。行こっか」
一ノ瀬先輩は力のない笑みを浮かべつつ、了承してくれた。
なんとか先輩の不安を解消してあげたい。双方にとって良い形で。
すると、トリカがずいっと顔を寄せてきた。その顔は不満気だった。
「ねえ、私にパスタを食べさせてくれるんじゃなかったの? ねえ?」
明日作るよ。予定が入らなければ。
「絶対、今日中に解決しなさい。わかったわね?」
はい。




