先輩のお願いは断れない
五月は中旬に入り、そろそろ中間テストが迫る時期となった。僕にとっては高校の勉強の成果が試される最初のテストだ。
中間テストといえば、春待はゴールデンウィーク中に辻村先輩と勉強会をしたのだろうか。春待とはクラスが違う上に教室が遠いこともあり、あまり学校で会わないので、機会を見つけて近況などについて聞いてみたいものだ。
僕の近況はというと、数日前にあった体力テストのせいで身体がボロボロになっていた。具体的には筋肉痛である。
人間少し運動をサボると急速に劣化してしまうものである。僕は中学時代にバスケットボールという過酷なスポーツに打ち込んでいたこともあり、瞬発力と持久力には定評があったのだが、今回のテストにおいては平均よりは上という微妙な結果に終わってしまった。
そのザマをトリカに見られ、「アキラはやっぱり貧弱なのね」と冷笑された。
トリカもテスト内容には幾分か興味を示し、見えないことをいいことにいろいろと勝手に計っていた。その中でも衝撃的だったのは、握力である。トリカが軽く握っただけで計測不能だった。あんなにギュンと針が動くものかと目を疑った。「トリカはやっぱりゴリラだわ」と呟くと、その類まれなる握力でアイアンクローを食らい、普通に泣いた。
ちなみにトリカが一番微妙な記録を出したのは長座体前屈である。これは人並みだった。
さて、そんな僕らは現在、昇降口で立ち尽くしているところである。
放課後の学校に残っているのは部活に励む人たちばかりで、僕のような帰宅部はさっさと帰っているか教室に残っているかの二択である。よって、下駄箱近辺にはほとんど人がいなかった。
「あなたっていつも傘を忘れてるわね」
銀髪少女が呆れた顔で僕を見下ろしていた。
パンツを覗いてやろうとすると、空中で体勢を変えられた。
僕は余裕綽々の態度で言葉を返す。
「雨が降るとわかったうえで家に傘を置いてくる。それがロック。それがヒップホップ」
「後悔してるくせに」
雨雲を眺めて、これからどうするかを考える。
雨に打たれて帰るのは最終手段としたい。スマホをタップし今後の天気について調べると、どうやらこれは止む雨のようなので、しばらく学校で時間を潰すことにした。
とはいえどうしようか。高校生らしく勉強でもしていようか。
なんとなく図書室に入ってみると、思った以上に人が多く、皆真剣に勉強していた。テストが近くなると人が増えるのだろうとは思っていたが、こんなに増えているとは思わなかった。
息が詰まるので図書室はやめておく。
自分のクラスの教室に行くと、カースト上位層の帰宅部の男女が何やら楽しげに過ごしていた。
ここで勉強するのもやぶさかではないが、集中できるかと言えばできないだろう。こんなに楽しげな空間でひとりぽつねんと勉強しているのもなんだかいたたまれない。
しかし、ほかに居場所があるわけでもないので、自分の席に座ってノートを広げた。
数学の問題に取り組んでいると、クラスメイトの会話が聞こえてくる。
「で! あいつダーナウで告白したんだって!」
「まじでー!? それで結果は?」
「結果は……どぅるるるるるる」
「ちょっ、ドラムロールとかいいから!」
「るるるるるるるる……っすぅ、どぅるるるるるるるるるるるる!」
「なげぇ!」
「どぅるるるるるるるるる、ジャカジャン! ……保留!」
「保留かよ!? あははははは! 無駄にタメといて!」
僕が芸人だったら椅子からずっこけているところだ。ダメだ、集中できない。
勉強は諦め、ただぼーっとすることにした。クラスメイトの会話を聞くというのも一興である。
「そこに参加しようとしないあたりが、インキャよね」
トリカは陰キャという言葉を気に入ってしまったらしい。断じて僕は陰キャではない。しいて言うなら韻キャである。うまい。
しばらくスマホを見たり小説を読んだりしていたが、なかなか雨脚が弱まる気配がない。
椅子に座りっぱなしの身体をほぐすために、一度校内を歩くことにした。
他のクラスの教室を通り過ぎる際には、逐一中をチェックする。何かカップルが妙なことをしていないか確認するためだ。
その思考に宙に浮かぶトリカが嘆息した。
「確認してどうするのよ」
「僕という目撃者が存在することで、向こうはなんとなく気分が悪くなる」
「……」
トリカは呆れて物が言えないようだった。
気分が悪くなるとは言ったが、学校で不埒な行為に及ぶような輩は実のところ見られたいのだ。そうでなければ、学校の教室などというリスクの高すぎる場所は選ぶまい。普通は家とか、校内なら部室だとか、屋上への階段だとか、そういうところがホットスポットだろう。
「家には親がいるからじゃないの?」
異世界人のくせに至極真っ当な意見を述べるトリカである。もちろんそういう事情もあるだろう。
しかし、馬鹿なカップルはパートナーの存在を知らしめたいのだ。よくある事例として、アイドルがSNSなどに上げる画像に彼氏の存在を匂わすものが映っているというものがある。そもそも画像をアップロードしなければそんなことにはならないのに、こういった例は枚挙に暇がない。それはつまり、「私アイドル(あるいはそれに準ずるもの)だけど、実は男がいるんだよ」というアピールがしたくてしたくてしかたないのだ。
ま、昨今のアイドルは粗製乱造も甚だしいので、それに比例して炎上が目についたりするのだろう。
そんなことを考えていると購買部を通り過ぎる。購買部はすでに閉まっているので買い食いはできないが、すぐそばに自動販売機がある。
その自動販売機の前に女の先輩が立っていた。綺麗なセミロングの髪の先輩は、僕と目が合うと笑みを浮かべた。
「あ、守谷くんだぁ」
川崎千穂先輩といえば、以前男を囲ってハーレムを作り、そして蠱毒を思わせるコロシアムを形成した挙句、その勝者に首を絞められ失神した人である。
あれからこの先輩がどうなったかは知らないが、現在男を連れずにいることから改心したと思われる。そうであってほしい。
「久しぶりだね。元気?」
「はい。普通に元気です。先輩は?」
「うん、私も普通」
普通なのか……。僕はてっきり、ビッチというレッテルを貼られて肩身が狭い思いをしているものかと思っていた。そのあたりどう立ち回ったら平穏に過ごせるのか聞きたいところである。
ちらっと下半身に目をやると、相変わらずスカートが平均より短く、そこはかとなくエロい雰囲気を醸し出している。見た目はあまり変わっていないようだ。
僕の視線に気付いた先輩がスカートを抑えた。
「えっち」
川崎先輩は恨みがましい目で僕を見るのだが、なんだかその仕草言動が演技っぽく思えて、テキトーに返事をしてしまう。
「はぁ、すみません」
僕の謝罪に川崎先輩はむっとした表情になる。
「普通もう少し申し訳なさそうにすると思うんだけど?」
「いやいや、だって覗き込んだわけじゃないですし、ちょっと目が下に行っただけですし」
「守谷くんかわいくなぁい」
くすくすと川崎先輩は笑う。ころころと表情が変わる様は、客観的に見ると可愛らしい。
「……先輩は何してるんですか? こんなところで」
「友達を待ってるの。それで喉が渇いたから飲み物買おうと思って」
「へぇ、友達を」
「む。私にも友達くらいいるよ?」
「はい、疑ってませんよ」
「本当かなぁ?」
そう言って先輩は顔を覗き込んでくる。距離が近い。
僕が一歩引いていると、川崎先輩の肩を後ろから誰かが掴んだ。
「後輩いじめてんのー? やめときなって」
「違うの! 守谷くんがかわいくないせいなの!」
後ろを振り返った川崎先輩がそんなふうに釈明していた。はっきりいって僕は可愛い方である。
「それはない」
トリカの冷静な指摘にうろたえることなく、僕は新たに登場した人間に注目する。
ゆるふわに巻いた髪を二つに結っている。制服も軽く着崩しているし、スカートも短め。明らかにカースト上位のそれだ。
有り体に言って僕の好みだった。
「あなたの好みってよくわからないわね」
トリカが不可思議だと言わんばかりにおさげの女子を舐め回すように見ていた。やめなさい。
イケてる先輩が僕の顔をまじまじと眺めた。落ち着かない。
「キミがあの守谷くん? 千穂の好きそうな感じだねー」
川崎先輩が好きそうな感じとは、すなわち女に縁のない冴えない男だと認定されたも同然である。断固として否定したいのだが、その材料があいにくと僕の手持ちにはなかった。
それにしても“あの守谷くん”とはどういうことだろう。川崎先輩が僕のことをどう話しているのか、ちょっと気になる。
「守谷くん、このチャラチャラしてるのは一ノ瀬倫ね」
「チャラチャラしてないしー。よろしくねー」
川崎先輩からおさげの先輩を紹介されたので、僕も自己紹介をする。
「守谷陽です。よろしくお願いします」
お互いによろしくとは言ったが、同じ部活に入っているわけでもないし、そう関わることもないような気がする。
「守谷くんのことは千穂から聞いてるよー。なんでも有無を言わせず千穂に土下座させたんだって?」
「うっ。いえ、それは流れというか、僕も必死でしたから」
一番気まずいところを知られていた。というか川崎先輩もそのことを話していたとは。
僕の対応を見て、川崎先輩は笑っていた。
「あはは、確かに流れだったよね。私もナチュラルに土下座したし」
「凄いね……」
一ノ瀬先輩は感心した様子だった。
そんな彼女に川崎先輩が話を切るように尋ねた。
「それより! 倫の探し物は見つかったの?」
「ううん、まだー。だから千穂は先に帰ってていいよって言いに来たの」
「何言ってんの! 私も探すよ」
どうやら一ノ瀬先輩は何か失せ物があるらしい。
「何を探してるんですか?」
僕が何の気なしに尋ねると、一ノ瀬先輩が若干うなだれた表情で答えた。
「えっと、イヤホンジャックに差すペンギンのピアス。これくらいの大きさの」
そうして先輩は親指と人差し指で輪を作った。
イヤホンジャックにイヤホン以外のものを差す考えが僕にはないので、そんなアクセサリーが存在すること自体に驚いた。
「学校で失くしたんですか?」
「多分……学校に来るときはあったと思う」
こういった探し物をするときは自分の行動範囲を徹底的に洗うのが最善だと思われる。学校内においては教室を移動したり、体育があるなら体育館に行ったりするだろうから、結構広いかもしれない。
川崎先輩は腕を組んで唸った。
「うーん、私もそれとなく探してたけど見つからなかったんだよね。職員室は?」
「なかった。もしかしたら誰かが持っていっちゃったのかも……」
職員室の前には落とし物を届けるスペースがある。そこにはなかったようだ。
一ノ瀬先輩が川崎先輩に告げる。
「じゃあ私は体育館の方を探してくるから」
「わかった。私は一階を探してるね」
「ありがとう」
礼を言うやいなや一ノ瀬先輩は体育館の方へと向かっていった。
それを見送っていると、川崎先輩が僕に目を向けてくる。
「さて、と。じゃあ守谷くんも手伝ってくれるよね?」
「え」
「さっき私の太もも胸お尻を見たもんね」
「太ももだけです」
「男の子は気付いてないと思ってるみたいだけど、そういう視線ってわかっちゃうものなんだよ?」
「ちょっと待ってください。本当に意識的に見たのは太ももだけです」
「またまたぁ、そんなウソ言ってぇ」
「逆にそういうことにしたいなら今から胸とお尻をガン見させてください。それなら納得します」
「やーん、えっちぃ」
川崎先輩は自分を抱くような素振りをして、咎めるような顔をしながらもその目には楽しげな色が浮かんでいた。
別に手伝いたくないわけではない。時間を持て余していたので協力したいと思っている。しかし「川崎先輩をいやらしい目で見たから捜索に協力する」という体裁は耐え難い。
その思考にトリカが反応した。
「でも太ももをいやらしい目で見たのは事実よね」
それは事実である。
しばらくやいのやいのと川崎先輩としょうもない会話を繰り広げたが、それに飽きると失せ物探しを始めることにした。
「あのー先輩、一階は僕が担当していいですか?」
「どうして?」
「上は上級生のテリトリーだから、ちょっと怖くて……」
「あー、そういうことかぁ。ふふ、わかった。じゃあ下はよろしくね」
川崎先輩はいたずらっぽい笑みを浮かべると、階段の方に歩いていった。
さて、ペンギンのスマホアクセサリーだったか。果たして見つかるだろうか。
こんなときに黒猫のミカがいれば、もしかしたら匂いで追跡できたかもしれない。猫の嗅覚は犬ほどじゃないにしても人間よりは上だ。
しかし、ミカは学校には来ていない。気まぐれに学校までついてくることもあるが、基本的には吉岡さんちの周辺をうろついているか、僕の家にいる。
「さーて、端っこから攻めていきますか」
とりあえずしらみつぶしに廊下を見ることにする。一年生の教室には入らないだろうからそこは探さなくてもいいだろう。廊下と特別教室を特に注意して探そう。
そうして目を皿のようにして探し始めたとき、トリカがつぶやいた。
「相撲をみたいから早く見つけてね」
「僕も見たいからトリカも探してくれよ」
今は夏場所真っ盛りの時期であり、トリカはこれに興味を示していた。曰く、「原始的な競技ねえ」とのこと。もしこの世界でも魔力が認知されていたら、まさしくSUMOUのような奇想天外バトルになっていたのかもしれない。
そんなことを考えている間にも足は止めず、注意散漫にもならない。見落としのないように気をつける。
特別教室周辺は特に念入りに見たが、目的のものは見当たらなかった。
次に職員玄関やら保健室といった方面に向かう。途中昇降口の前を通り、外の様子を確認したが、未だに雨は降り続いていた。本当に止むのだろうか。
女子トイレ以外はほとんどチェックし、一階はあらかた探し終えた。収穫がなかったので、一度購買部まで戻ることにした。
「まだ二人は探してるみたいね」
トリカの言葉通り、購買部前には誰もいなかった。
仕方ないので、僕も体育館の方に向かうことにした。
渡り廊下に人気はないが、体育館の方からは活気溢れる声が聞こえる。まだテスト週間ではないので、部活も通常通り行われているようだ。
さすがに部活中の体育館に入るのは躊躇われたので、入り口周辺を見るに留める。見つからない。
階段を下りて武道場をチェックする。こちらも部活中なので周りを見るだけだが。
そこから小体育館に向かう。これはまた別の建物なので、一度外に出て短い通路を通ることになる。冬になると一瞬寒い思いをする必要がありそうだ。
小体育館では卓球部が活動をしているようだ。当然入るわけにも行かないので、その外周を回る。
手を外に突き出すと、粒の小さい雨が腕に当たる。幾分弱まってきているが、まだまだ傘が必要なレベルだ。
もう濡れずに帰るのは諦めるかーと思い始めたとき、トリカに首根っこを掴まれた。
「ぐえっ」
「見つけたわ。あそこ」
トリカが指差したのは小体育館から2メートルほど離れた地面だった。確かにペンギンのアクセサリーが落ちていた。
そこは土の地面で、僕は上履きを履いているので小体育館の外周部分から降りたくなかったのだが、さすがに取らないわけにはいかない。濡れた地面にそっと降り立ち、できるだけ水たまりを避けてペンギンを回収した。
すぐさま外周部分に戻ってきた。ほんの少し靴下に水が染みた。雨宿りのために学校に留まっていたのに無駄になったと少し不機嫌になるが、失せ物が見つかったのは何よりである。
手の上にある水滴のついたペンギンを見ながら、トリカを褒める。
「いやーナイスだよトリカ。よく見つけたな」
「ええ、なんだか魔力を感じたから」
トリカは大したことないように言った。
「え、魔力?」
「ええ。微弱だけどね」
「物に魔力がこもってることはよくあること?」
「こっちの世界では珍しいわね。でもその程度の魔力では何も出来ないと思うし、影響は少ないと思うけど」
こちらの世界においては、魔力とは往々にして霊のことを指す場合が多い。トリカの見立てでは、こちらの世界の人間は死に際に魔力を発するが、幸福な死を迎えるとただの魔力として自然に霧散し、未練や怒りといった強い感情があるとそれが核となって霊になる、ということらしい。
つまり、このペンギンのアクセサリーにも何か未練がある霊が宿っていると考えられる。一ノ瀬先輩の周りで何かあったのだろうか……。
いろいろと気になることはあるが、早く先輩にこれを届けてあげたい。
今度は先輩たちを探しに、二年生の教室へと向かった。




