口は災いのもとである
フードコートにあるドーナツショップで僕は苦境に立たされていた。
黒いワンピースを着た銀髪の少女が陳列棚の前で腕を組んで考え込んでいる。僕はそれを後ろから眺めていた。
「もう少し考えさせてね。迷ってるから」
トリカは色とりどり形様々なドーナツを見比べては首をひねり唸っていた。二個までと僕が制限しなければ十個くらいは取っていたかもしれない。
「アキラ、わたしはあの茶色のね」
ドーナツは茶色率が高い。どれのことだ。
僕の肩にいる黒猫のミカは、オールドファッションをいたく気に入ったようで即決していた。本当に食べても大丈夫なんだろうな。
これのどこが苦境なのかと言うと、トリカとミカの姿は周囲の目には映っていない。今日はゴールデンウィークの最終日ということもあり、家族連れでごった返している。そんな中、僕はただ一人ぽつねんと立っている哀れな少年なのである。周囲の人には、家族の愛を知らずに育ち甘味だけしか感じ取れないやばい人間と思われているかもしれない。
「そんなふうに思う人の方がやばいと思うけど」
トリカはこちらを見ないままそう言った。早く決めてくれ。
なぜ僕らがドーナツ屋にいるのかというと、トリカがテレビのCMを見て「これ食べたい」などとお姫様気取りにのたまったからだ。当然僕は拒否したかったのだが、数日前に行ったラーメン屋でトリカに妙な借りを作ってしまったので、今回それを返すために仕方なく連れて来た次第である。
「妙とは何よ、妙とは」
妙な話なのだ。
先日の吉岡さんの一件でラーメン屋に行くことになったはいいが、そのためにトリカは可視化する必要がある。魔力不足のくせにそこはクリアしたトリカなのだが、やはり一般人の目には銀髪の少女は奇異なものとして映るのだ。ただでさえ浮いている存在がラーメン屋にいるという相乗効果により相当注目されていた。
注目されてもそれ以上のことは起こらないだろう。そう思いながらカウンター席で並んでラーメンを食べていると、驚くべきことにトリカの隣に座っていた男がナンパのようなことを始めたのである。僕は意に介さずスープに浸した海苔でご飯をかっ食らっていたが、トリカは僕を指して妙なことを言い始めたのだ。
「私はこの人の彼女だから、あなたとは遊べないの。ごめんなさいね」
この人とはおそらく僕のことであり、彼女とはトリカのことを指していると思われた。
フェイクにしても面倒臭いことを言うなーと迷惑に思っていたのだが、トリカ曰くその発言後から店内の客が「やるなこいつ」という目で僕を見ていたとのことで、その優越感こそが貸しだと言うのだ。ほんととんでもない話だなと思うのだが、正直なところを言えばほんの少し優越感はあった。
自分に嘘は付けないというか、そもそも心の中を読まれているのでトリカの言い分を完全に突っぱねることができなかったのだ。
「決めたわ。これとこれにする」
トリカが指差した二つのドーナツをトングで取り、ミカの分も合わせてさっさと購入した。
当然テイクアウトなのでフードコートを後にしようとすると、
「あ、お兄さん! こんにちは!」
「こんにちは」
吉岡さんの妹である美咲ちゃんと、その親友である西山千歳ちゃんと遭遇した。
二人は僕の弟の京介と同級生なので中学一年生である。美咲ちゃんはまだまだ子供という感じがするが、西山ちゃんは長い黒髪のせいかやや大人びて見えた。
美咲ちゃんはあれから元気を取り戻したようで、以前の活発なイメージにぴったりな明るい表情をしていた。
「おー、こんにちは。二人で買い物?」
「はい! お兄さんはどうしたんですか?」
「僕は一人でドーナツを買いに来たんだよ」
ありのまま事実を伝えると、二人の顔が一瞬固まった。
「あ、そうなんですね。おいしいですよね、ドーナツ」
美咲ちゃんのフォローに内心涙していると、西山ちゃんがさらにフォローを入れてきた。
「あの、お暇でしたらご一緒してもいいですか? 美咲もいろいろ話したいことがありますし」
話したいこととはおそらく先日のネズミ騒動の件だろう。相変わらず友達思いだ。
「うん、別にいいけど」
なりゆきでフードコートに残る形となった。
二人は速やかに空いているテーブルを見つけて僕に座るように促し、自分たちはアイスクリームを買いに行った。
「やだやだ、あんな女の子に気を遣わせて」
「いやいや、ネズミの件をすっきりさせたいだけでしょ。ぼっち云々というよりは」
トリカの冷やかしに正論を返していると、ミカが僕の膝に乗ってきた。
「ミサキ、元気になってた。よかった」
「そうだね」
安堵した様子のミカをなでてやる。
猫は人間のことを餌を持ってくる便利な存在程度にしか思っていないと聞いたことがあるが、ミカは妖怪に変化した際に知能や精神が発達したのか、人並みの思考回路がある。もちろん猫っぽさが失われたわけではないが、犬派の僕がミカに好印象を抱いているのは妖怪化の影響が大きそうだ。
「それより私、ドーナツを食べたいんだけど」
トリカが駄々をこねた子供のようなことを言った。我慢しろ。
それから程なくして二人が戻ってきた。
「お待たせしました」
「ちょっと混んでて……」
「全然待ってないし、僕のことは気にしなくていいから。ゆっくり食べてね」
そもそも僕は年下の女の子相手にどう立ち回ればいいのかわからない。基本的には受けに回るというか、聞き役に徹していれば問題ないと思うが……。
そう考えていると、美咲ちゃんがいちごのアイスクリームを食べて相好を崩していた。
「おいしー。ほら、千歳も食べてみて」
「うん。……ん! おいし。じゃあ、美咲にもバニラ」
「ありがとー」
うわー、女子っぽい。
そんな華々しい現場にそぐわない一匹狼こと僕だが、なんだかこれを眺めているだけで微笑ましい気分になる。
二人がアイスを食べ終えると、美咲ちゃんは真剣な顔になった。
「この前はネズミを追い払ってくれてありがとうございました。あれから物音もしなくなって、眠れるようになりました」
「よかったよかった。眠れないとストレス溜まるもんな」
「はい。あの、どうやって解決したんですか? お母さんもお父さんもお姉ちゃんも、そんな音聞こえないって言ってたのに」
そのネズミが霊的な存在だった、と言うわけにはいかない。
「聞こえなかったのはタイミングの問題だと思うよ。美咲ちゃんも知ってると思うけど、僕と友達数人で、美咲ちゃんちに夜中にお邪魔したんだよ。その時は僕も友達もみんな足音が聞こえたから」
「本当ですか? だって、ネズミが居なくなった日って物凄い足音がしましたよね? それでもうちの親は気付いてないみたいでしたよ」
「それは多分、眠かったからじゃないかな。ご両親は仕事で疲れてたと思うし」
「……そうなんでしょうか」
イマイチ納得していないようだが、これで押し通すしかない。
「解決した方法だけど、友達がネズミに対する忌避剤を持ってきてそれを使ったんだよ。そしたら面白いくらいに効いたみたいでね。その友達の親がそういう対策に詳しくて、侵入経路なんかも塞いだから、今後も安心して大丈夫だよ。まあ、侵入経路は業者さんがほとんど塞いでたんだけど、一箇所だけ見逃してたみたいなんだよね」
「そうなんですか……」
美咲ちゃんがもうちょっと幼ければ、不思議に思いつつも納得したかもしれないが、中学生となるとなかなか微妙なところだ。
しかし、霊的な存在の方が世間的には眉唾だし、僕のでっち上げた言い分の方が現実的である。
僕の膝にいるミカがいつも以上におとなしかった。きっと鳴き声を出さないように注意を払っているのだろう。
「……わかりました。色々とありがとうございました」
「うん。とにかく美咲ちゃんが元気になってよかったよ」
美咲ちゃんはミカのことについては触れなかった。やはり死という現実は重いのだろう。思い起こさせるのも可哀想なので、そこには僕も触れなかった。
そんな感じでネズミ騒動については方が付いた。
さて、これで僕に用もないだろう。二人の邪魔をするのも悪いので、ここいらで退散するのが吉だ。
「んじゃ、僕はそろそろ帰るね」
「あ、わたしたちも帰りますから、一緒に帰りましょ?」
「え、でも僕がいたら邪魔でしょ? 西山ちゃんに悪いし」
言いながら西山ちゃんに視線を送ると、彼女は首を横に振っていた。
「親友を助けてくれた人を邪魔だなんて思いません。それと、千歳と呼んでください」
毅然と言われ、僕は口ごもってしまった。
「こんないたいけな子に気圧されるなんて……」
トリカが呆れていた。僕は誰にでも気圧されるマンだぞ。
ショッピングモールに存在する女子向けのショップで僕は苦境に立たされていた。
ガーリーな服や小物などが並ぶ中、中学生の二人がきゃっきゃっとウィンドウショッピングを楽しむ様は大変微笑ましいのだが、それに同行している僕はまさしく異物である。
美咲ちゃんと千歳ちゃんが、服を自分にあてがって感想を求めてくる。
「お兄さん、これどう思いますか?」
「可愛いと思う。ソーキュート」
「お兄さん、私は?」
「可愛いと思う。トゥーキュート」
同じような感想を述べる機械と成り果てた僕であったが、むしろ思考停止せずにまともに言葉を紡いだ自分を褒めてあげたいくらいだった。
かなり居心地は悪いのだが、そんな態度を取ったら彼女たちは不愉快に思うだろう。だから表情だけは笑顔で固定した。
こんなところを知り合いに見られたらなんと弁明すればいいのだろうか。ありのままを話したとしても、ちゃんと信じてもらえるか不安だ。
おかしい。僕は帰るはずだったのにどうしてこうなった?
「帰り際にちょっと寄りたいってあの子達たちが言ったからよね」
そうなのだ。まさかそれに対し異を唱えるはずもなく、僕もなし崩し的についてきてしまったのだ。あそこで帰っておけば……。
「アキラは押しに弱いんだ」
ミカの率直な感想を否定しようとしたが、改めて考えると僕は押しに弱いのかもしれない。いや、そもそもこんなふうに押されるシチュエーション自体がないし……。
そんなふうに自己分析していると、トリカが何か気になるものを見つけたらしい。
何を熱心に見ているのかと思ったら、ブレスレットやシュシュといったアクセサリーだった。
トリカもこういうものに興味があるのだろうか……?
その思考に反応して、トリカがじろりと僕を見た。
「あなたって本当に私を女として見てないわね」
いや、そんなことはない。
僕が即否定するもトリカは不満気だった。
「いいえ、あなたは私を魔法使いとして見てる。女である前にね」
言われてみると確かにそうかもしれない。
言い訳をするなら、トリカが姿を見せているときはほとんど宙に浮いているし、他の人には見えないし、魔法も使うし、普通の女ではないことを意識する機会の方が多いのだ。
でも、トリカがアクセサリーに興味を持つ姿を見ると「あ、これでも一応女子なんだな」と意識するから、そういうことが増えていけば自然と「魔法使いである前に女」と認識するようになるだろう。
「完璧な女でしょうが」
トリカは僕に頭にチョップを食らわせると、また品物を眺め始めた。
「これ可愛いかも」
リボンをかたどった黒いシュシュを気に入った様子である。トリカは黒い色が好きなのかな。
ちらっとそれの値段を見ると、高いのか安いのかわからない微妙なラインをついていた。
ま、今日はすでにドーナツを買っているから、これ以上出費するつもりはないが。
「わっ、お兄さん、誰かにプレゼントですかー?」
美咲ちゃんがにやにやと僕の顔を覗き込んでいた。
「いやいや! プレゼントする相手がいると思う僕に~?」
そう返すと、美咲ちゃんと千歳ちゃんは気まずそうな笑顔になる。そこまで露骨な顔しなくても……。
「アキラは女の友達がいないもんね」
僕を見上げているミカが悪気もなく核心を突く。無邪気な分、怒れない。
美咲ちゃんが探るような目で聞いてきた。
「じゃあ、好きな人に似合うかなって想像してました?」
「そうそう隣の席のあの子にって馬鹿!」
わかりやすくノリツッコミを披露すると、二人は愛想笑いを浮かべていた。やらなきゃよかった。
「そういえば、うちのお姉ちゃんとはどうなんですか?」
「え!? どう、とは?」
唐突にぶっ込まれたので動揺してしまった。
「いえ、お姉ちゃんが家に連れて来たから仲良しなのかなって」
「えっとね、それは美咲ちゃんが困ってるって聞いたから、ちょっと家の様子を見せてもらおうと思ってね」
「じゃあ仲良しってわけでもないんですか?」
「残念だけどそうなんだよね」
「残念なんですか?」
「あ。いやほら、悪いよりは良いに越したことはないでしょ?」
「あー、そういうことですか」
中学生の美咲ちゃんに翻弄される高校生である。僕の秘めたる初恋が露呈しかねない。
そんなところに、千歳ちゃんが目を光らせて話に参加してきた。
「祐里姉はショートだからシュシュって感じじゃないよね。つまり、お兄さんは髪の長い女の人が気になっていると見た」
「なるほど! 千歳頭いい!」
その発言を受けて、宙に浮かぶトリカが嗜虐的な笑みを浮かべて僕を見下ろした。
「アキラが私を好きなのは当然よね。うふふふふ」
嫌いとは言わないが、そういう好きじゃないと思う。
結局、その後もウィンドウショッピングは続き、気づけば午後六時を過ぎていた。
「やばっ、暗くなってきちゃった」
「そろそろ帰らないとね」
美咲ちゃんと千歳ちゃんがそう話したのをきっかけに、僕らはショッピングモールを後にした。
駅に向かうためバスに乗る。
美咲ちゃんと千歳ちゃんが並んで座り、僕はその後ろの席に座った。
ミカが窓枠に前足をかけて外を眺めている。その姿が妙に可愛らしくて、顔がにやけてしまう。
窓際に寄ってミカに囁く。
「なんか見つけた?」
「別に。ただ、こうして乗り物に乗るのは初めてだなって」
「ふーん」
こうして、とは遊びのためにってことかな? 普通、猫が車の類に乗る機会は病院に行くときくらいだろうし。
ミカと一緒に外を眺めていると、前の座席の二人が顔を覗かせた。
「あのぉ、さっきから気になってたんですけど」
その美咲ちゃんの切り出し方にドキッとしてしまう。トリカやミカは周囲には見えていない。傍目から見て妙な行動はしないように気をつけているが、無意識の内にそれが出てしまっていたのかもしれない。もしくは今の囁きが聞こえたか。
「お兄さんの後ろの席の人たちって、お兄さんの友達ですか?」
「え?」
そう言って後ろの席を振り返ると、驚くべきことに僕の友達のモロとトシが座っていた。
なぜバスに乗ったとき、いやバス待ちのときに気づかなかったのか。それは彼らが二人してキャップを深く被っていたからだ。今は僕が不意に振り返ったため顔を隠せず、気まずい表情を晒していた。
「お、おう、陽」
「久しぶりだな」
モロとトシは、僕を視界に入れながら美咲ちゃんたちをちらちらと窺っていた。
僕はすかさず弁明を始めた。
「おい誤解すんなよ。彼女らは僕の知り合いの妹とその友達ってだけで、たまたま外で会っただけだからな。そもそも何も誤解する要素もないけど。まあ、確かにゴールデンウィーク最終日に一人でショッピングモールに赴くのは頭おかしいと思うかもしれないけど、そこはやむにやまれぬ事情があっただけで、決してこの子達に会いたいがために出向いたわけじゃないからな。おいわかってるよな? な? てかさ、なんでモロとトシは一緒にいるわけ? どうして僕を誘わなかったわけ? まずそこがおかしい。お前らが僕を誘っておけばこんな気まずいシーンは生まれなかったわけ。お分かり? つまり僕らは何も悪くないし、しいて言うならモロとトシが悪い。ドゥーユーアンダースタン?」
「いや必死すぎだろ」
モロの一言にトシどころか美咲ちゃんと千歳ちゃんも頷いていた。
「誘おうかと思ったけど、急な話だから悪いかと思ってよ。トシと遊びに行くのを決めたの今日だし……」
「それに誤解っつーか、別になんとも思ってないから安心しろって」
モロとトシは極めて冷静だった。本当に僕だけ頭おかしい人になっていた。
彼らが顔を隠していたのは、僕が言ったように誘わなかったことが気まずかったからだそうで、美咲ちゃんたちは関係なかったようだ。まあ、邪魔しちゃ悪いとも思っていたようだが。
バスの中で苦境に立たされるかと思ったが、やはり持つべきものは友である。話がわかる。
「でも、ミサキとチトセの評価は明らかに下がったわね。完全に白い目を向けられたわよ」
口は災いのもと――これが真実であることを改めて認識し、ゴールデンウィーク最終日は幕を下ろした。




