ストレート
電車に乗っている間は特に会話もなく静かだった。
僕は吊革につかまりながら、流れる風景をぼんやりと眺める。
「ねえ。初恋の女の子なのに、どうして今まで無視してたの?」
トリカがそんなことを聞いてきた。無視だなんて人聞きが悪すぎる。そんなことするか。
ただ、恋心が薄れたのには当然理由がある。
きっかけは中学生の頃。放課後の教室でサッカー部のイケメンと吉岡さんが話しているところを見かけたのだ。どんな会話かは知らないが、二人はすこぶる楽しそうで、「ああ、やっぱ高嶺の花だったな」とあっさり僕が諦めたのである。
「それだけで? 諦めが早すぎるわね……」
中学生にもなれば、自分の立ち位置だとか、力量というものがわかってくる。僕はこれといった特技もない凡庸な男だし、バスケ部でもベンチだった。吉岡さんはそれほど目立つタイプではなかったが、見る人が見ればとても魅力に溢れた女の子である。それに気付いている人間は少なかったが、サッカー部ナンバーワンのイケメンがそれに気付いたとあれば、僕は諦めるしかない。
というか、そのイケメンと戦うだけの勇気がなかった。告白する度胸もない。ないない尽くしで絶望したことばかり覚えている。
トリカは吉岡さんの両肩に手を置いた。もちろん、吉岡さんは気付かない。
「ふぅん。それで? この娘はその彼と恋仲になったの?」
それは知らない。前にも言ったように同じクラスにならなかったし、できるだけ視界に入れないようにしていたから。もしかしたら、そのイケメンとは本当にただ会話をしていただけで、特別な関係ではなかったのかもしれない。でも僕は楽しげな二人を見ただけで諦観の境地に至ってしまったのである。
僕は罵倒される準備をしていたが、トリカは何も言わなかった。呆れ果てて言葉も出ないらしい。
「私をなんだと思ってるわけ? 情けないとは思うけど罵倒なんかしないわよ」
情けないとは思っていたようだ。
「そういう男女の機微は私が体験してないから、下手なことは言いたくない」
……これだけ女王様気質の女だ。無駄に美人で魔法の実力も折り紙つきとくれば、男が敬遠してしまうのも無理はない。
トリカは吉岡さんの前に回り込んで、しげしげとその顔を眺めていた。
「どう考えても私のほうが上なのに、アキラはこっちの方がいいのね」
何の疑いもなく自分が上だと断言するトリカの自信過剰っぷりを少し羨ましく思った。
電車が高校の最寄り駅に着いた。高校生やサラリーマンが降りていく流れに僕らも乗る。
吉岡さんがホームに降り立つと、一人の女子がやってきた。
「祐里ー! おはよ!」
「おはよう、若葉ちゃん」
吉岡さんの友達のようだ。確か、清水若葉という名前だったか。同じクラスということもあるが、目立つ女子なので僕でも覚えていた。
「ヨシオカの名前はユリって言うのね。アキラってそういうの全然教えてくれないわよね」
ごめん。僕の思考が読めるわけだから、なんとなく情報として伝わっているものだと思っていた。
「あなたね、心の中ですら“吉岡さん”としか呼ばないでしょうが」
そういえばそうだった。
トリカが読んでいる思考は、結構表面的というか、今まさに思っていることを拾っているようだ。それでも筒抜けではあるが。
「あれ? 祐里ってば男の子と一緒に来たの?」
「変なふうに言わないでください! 偶然会ったんです!」
めっちゃ否定されてる……。そのとおりだけど……。
あーあ、そこそこのコストを支払ってモロとトシを同時召喚したい。それで死ぬほど慰めてほしい。
「女々しいわね……」
反論する力もなく意気消沈した僕は、吉岡さんたちとは離れてさっさと一人で学校に行こうと思っていた。
しかし、ここでそそくさとこの場を離れたら、「え、挨拶もしないの? 感じわる!」と思われかねない。一応、声を掛けておこう。
「それじゃ、僕はここで失礼して……」
「ん? 一緒に行けばいいじゃん!」
元気よく清水さんに返され僕は呆気にとられたが、吉岡さんもそれに同意していた。
「そうですよ。ここまで一緒に来たんですから。わざわざ別れて行く必要ありません」
「そうそう、よしいこー」
そう言って歩き出した二人である。
その後を僕もてくてくとついていくのだが、特に会話に混ざるわけでもないので、実質別行動である。まあ、話すネタなんて何もないのでこの方がいい。
「そういえばさー、祐里はゴールデンウィークどうするの?」
「うーん、予定はないですね。父が日帰りでどこか行きたいねとは言ってましたけど」
「へぇ~。いいね。お土産期待してる!」
「あはは、気が早いですよ」
そんな女子高生の会話を耳に入れつつ、吉岡さんの家にお邪魔する方法を模索する。まず口実が必要だよな……。いや、家の近くに張り込んでいるだけでも、異常を発見できるかもしれない。しかしそれは不審者認定されかねないよな……。
「堂々と正面から行けばいいじゃない。遊びに来たよーって」
その提案はあまりにもフランク過ぎるというか、実行に移せたところで中に入れるかは疑問である。
僕の思考にトリカは大きな溜息をついた。
「結局あなたが決断できないのは、あの娘に悪い印象を残したくないって思ってるからよね。元々向こうに好意なんてないんだから、当たって砕けてもいいんじゃない?」
そう言われると、確かにそうなのだ。もとより築き上げたものなどないし、これから築く予定もない。イケメンと話していたというだけで簡単に諦めてしまった恋なのだ。そんな恋を今から再燃させようというのもおこがましい話である。
「そこまでは言ってないけどね……」
ともあれ、腹は決まった。まずは、お家にお邪魔しよう。
腹は決まったものの、やっぱり緊張するものは緊張するのである。家に入りたいなどとそう簡単に切り出せるものではない。
機会をうかがい続け、現在昼休み。目の前にはモロとトシというマイメンがいるが、まさかこの二人に女の子の家にお邪魔することについて相談などできるはずもない。
やっぱり直球で行くしかないよな、と考えていると、校内放送が流れ始めた。
いつもなら聞き流している放送だが、今日の内容は図書室の本を延滞している人は速やかに返却しろというもので、それを聞いた僕はドキッとした。確か借りた本の返却日が今日だった気がする。
幸い、本は僕の手元にある。忘れないうちに図書室へと向かうことにした。モロとトシに一言伝えて、教室を出る。
本を持って図書室に入ると、今度は別の意味でドキッとした。朝にも見かけたおかっぱ頭がそこにあったからだ。
吉岡さんは僕と目が合うと、少し頭を下げた。反射的に僕も目線を下げる程度に頭を下げた。
「いい機会じゃない。声をかけたら?」
トリカがふわりと現れ、そう勧めてくる。そのつもりだけど、ちょっと心の準備が……!
心を落ち着かせるため、一旦本を返却しに行く。
図書委員に本を渡した後は、ゆっくり深呼吸。ターゲットを視界に捉え、周りを窺う。知り合いの姿はなし。
吉岡さんは本棚を前に立ち、本を眺めている。完全に好機だ。
よし、行こう!
「あの、吉岡さん」
「はい。なんですか?」
「……本を借りにきたの?」
「いいえ。返しに来たところです。今はなんとなく本棚を眺めていたんです」
「なるほど」
まず当たり障りのない会話を展開することに成功した。いきなり本題を切り出すようではせっかちな男と思われる。最初はジャブでよいのだ。
「それだけで終わることのないようにね」
トリカに釘を刺されつつ、会話を続ける。
「朝に話したことなんだけどさ、僕も気になるから、一回お家にお邪魔してもいいかな?」
ジャブ一発打ったあとに即ストレートを放つとかどんだけせっかちなんだ僕は。
後悔先に立たずとはよく言うが、今の発言に至っては言いながら後悔していた。後悔が言葉を追い越していった。
「うふふふ! そこはあなたの良いところでもあるわ」
トリカはけらけらと笑っていた。
吉岡さんはちょっと引いたような顔をしていて、いたたまれない気持ちになる。
「え、と、あの、ちょっと、考えさせてください」
「あ、うん。無理なら無理でいいから、ほんと。ごめんね、いきなりね。引いたよね。でも、僕も似たような経験あるからさ、力になれるかもしんないって思って。ほんとそれだけなんだよな。うん」
僕が必死に弁明のようなものを繰り広げると、トリカも引いていた。
「あなたね、快諾されなかったからってまくし立てるのはやめなさいよ。それはちょっと見てられないわ」
だって口から言葉が出てきちゃうんだもの。
そんな言い訳をしつつ、僕が引きつった笑みを浮かべていると、吉岡さんが聞いてきた。
「似たような経験、ですか?」
「そう。コーラがなくなったり、テレビが勝手についたり、電気がついてない部屋で白い光があったりね」
これらは全てトリカの所業である。
僕の経験談を聞いた吉岡さんは、目を丸くしていた。
「えっ! それって解決したんですか?」
「いや、まあ。別に深刻な被害でもないし」
「……守谷さんは心が強いんですね。そんなことがあっても平然としてるなんて」
「僕のメンタルはクソ雑魚だけども」
原因がわかっているから怖くないのだ。
美咲ちゃんの場合は逆で、原因がわからないから相当にストレスを受けているはず。しかも誰にも理解してもらえていないのだ。彼女の気持ちを考えると、心が痛む。
「もしかしたら、美咲ちゃんが聞こえるミカの声や足音の原因がわかるかもしれない。だから、一度見ておきたいんだ」
僕の真摯な思いが通じたのか、吉岡さんは少し考えた後、首を縦に振った。
「わかりました。では、今日の放課後、私の家に来てください」
なんとか約束を取り付けることに成功し、ほっとする。高校生活が始まって一番緊張した瞬間かもしれない。
そんな僕を尻目に、トリカはサディスティックな笑みを浮かべていた。
「さて、アキラ一人の力でこの問題を解決できるのかしら?」
え?




