9.守護神
「じゃあねヴィヴィ。またあとでね」
「うん。あの来賓席の一番前の席で見てるからね!」
「ヴィヴィにカッコイイところを見せるために頑張るよ」
そう言ってまたヴィヴィアナの額へキスをして、リヒトは競技場のフィールドに続く控室へ向かう。
彼の広い背中を見送り、ヴィヴィアナとアレクシスは特別来賓席の入り口へ向かった。王太子と公爵令嬢が一般席で観覧するのは警備上の問題があるためだ。
(私には誰かわからないけど、そこらじゅうにアレクシスのSPの人もいるのよね?)
ヴィヴィアナが周囲を見回しても、みな一般客や学園関係者にしか見えない。
「キョロキョロしてないで、行くぞヴィヴィアナ」
「あ、うん!」
VIP専用の控室を通りバルコニー席へ出ると、競技場には既に大勢の人が集まっていた。
ただでさえ人気のあるエトワル学園の学園祭。そしてその学園祭の華である模擬討伐披露にリヒトが出るとあって、学園内外から観客が押し寄せているようだ。
(おにいちゃん、ファンクラブが存在するんだもんね……)
アレクシスの人気にも目を見張るものがあったが、十八歳になり成人したリヒトには、彼を婚姻相手に望むガチ勢のご令嬢が何人もいるらしい。屋敷にも毎日のように釣書が届いていた。
(……なんか、あんま面白くないかも)
幸いリヒトはまだ結婚に興味がなく婚約者も存在しないが、いつか彼が妻を迎えることを想像すると、ヴィヴィアナの胸は胸焼けしそうなほどムカムカした。
彼が自分以外の存在に愛しげにキスをしたり優しく瞳を細める姿など、想像できない。
(て言うか、想像すらしたくない! ……どうか、できるだけ長く、私だけのおにいちゃんでいてくれますように)
ヴィヴィアナだって、義兄妹である自分たちがずっと永遠に一緒にいられるとは思っていない。
だからせめて、リヒトが伴侶を見つけるのはなるべく遠い未来であってほしいと願ってしまうのだ。
(でもこれって自分勝手すぎるワガママかも。うぅっ、けど嫌なものは嫌なんだもの〜っ)
ヴィヴィアナが脳内でグルグルとリヒトのことを考えているうちに、模擬討伐披露の開始時刻になった。
競技場と地下迷宮を空間魔法で繋ぎ、そこから出現した魔物を倒して学園での日頃の成果を観客に見せるのが模擬討伐披露の目的だ。そのため、毎年最上級生から一番優秀な生徒が代表として選ばれる。
十数年前から始まったこの試みは毎年好評で、今ではすっかり学園祭の目玉になっているらしい。
「最優秀生徒に選ばれるなんて、さすがおにいちゃんよね。でも、怪我したりしないといいな……」
「表層階に出る程度の魔物くらい、リヒトなら瞬殺だろ。早く終わりすぎて白けないかのほうが心配なくらいだ。――ほら、来たぞ」
リヒトがフィールドに現れると、競技場全体が揺れるほどの歓声が上がった。中には彼の名前の入った手製の旗やタオルを振っている人もいる。本当にすごい人気だ。
リヒトに特定の恋人ができるのを想像するとモヤモヤしてしまうけれど、大好きな義兄の人気があるのは素直に鼻が高かった。
リヒトが一礼し、いよいよ戦闘が始まる。
彼の目の前の空間に亀裂が入り、空気が歪んでいく。濃い紫と黒色の靄がかかったゲートの中に、魔物の影が現れた。
「おにいちゃん、頑張って……!」
観客が注目する中、ゲートから出てきたのは――――。
「――え?」
「え、あれが今年の魔物なの?」
「去年までと違いすぎない?」
「いつもはもっと小さくて弱そうなやつだよな?」
観客が驚愕してざわめくのも無理はない。
ゲートから出てきた魔物はリヒトよりも5倍は大きく、鋭い牙と爪を持ったドラゴンだった。
あの太い尻尾で薙ぎ倒されたらひとたまりもないだろう。
どう見ても地下迷宮の表層に存在するはずのない、高レベルの魔物だ。
「まさか、ゲートの不具合……?!」
「気をつけろ、アイツは口から火炎を吐く火竜だ。下手したら骨も残らずに焼失するぞ……!」
あんな凶暴で強そうな魔物を相手にしたら、いくらリヒトだって無事ではいられない。
火竜は不機嫌そうに咆哮を上げ、ギラギラとした赤い瞳でリヒトを捉えた。
「っ! おにいちゃん、逃げて――っ!」
思わず叫ぶと、ヴィヴィアナの声に反応した火竜が来賓席のほうへ顔を向ける。
(あ、まずい。しくじったかも)
火竜が再び咆哮を上げ、狙いをヴィヴィアナへ変更するのがわかった。
アレクシスが防御魔法を展開しようとするが、動揺のせいかなかなか発動できない。
大きく開けられた、火竜の口。
そのぽっかりと空いた黒い深淵から、地獄の業火が吐き出される。
「っ――――!」
熱波で目を開けていられない。
頬がチリチリと熱い。
ヴィヴィアナが死を覚悟したそのとき。
「大丈夫だよ、ヴィヴィ。何があってもおにいちゃんが守るって、約束しただろう?」
リヒトの声と清浄な空気がヴィヴィアナを包み、視界が白い閃光で染まる。
それは本当に一瞬のことで。
何が起きたのかをヴィヴィアナが理解したのは、全てが終わったあとだった。
あれほど恐ろしく強大に見えた火竜は、リヒトが具現化した光の剣で貫かれ、絶命していた。
大勢の人がいるはずの競技場がシンッ……とした静寂に包まれ、数秒の間のあと、歓声が爆発する。
「すっげええええぇぇ!」
「リヒト様、強すぎる!」
「む、無詠唱で複数属性の魔法を展開した……?!」
「防御魔法と攻撃魔法を同時に発動するって可能なの?!」
「しかもあんなに瞬時に!」
「あのデカい火竜を瞬殺するなんて、さすがリヒト様だぜ……!」
観客のざわめきと興奮がおさまらないなか、リヒトが拡声魔法で事の顛末を説明するため口を開いた。
『皆さんお騒がせしました。今のは学園長と俺が用意したサプライズ演出です。そういうわけでエトワル学園は安全なので、是非このあとも学園祭をお楽しみください』
胸の前に片手を当てた、舞台役者のようなリヒトの礼。
キザにも見えかねない仕草がとても様になっている。
(おにいちゃん、カッコよすぎる……!)
ヴィヴィアナが夢中で拍手をしていると、リヒトが更に言葉を続けた。
『――それと。俺の可愛い妹に求婚するような無謀な勇気がある輩は、俺を倒してからにしてください。全力で潰し……相手になります。以上です』
不穏なワードとは裏腹に、挨拶を終えたリヒトは極上の笑顔だ。
その神々しさに、女性たちの黄色い悲鳴と男性たちの野太い歓声が会場じゅうから上がり、ヴィヴィアナの隣にいるアレクシスは何故かげんなりとため息を吐いた。
「はぁ、本当に牽制に抜かりがない……。行くぞヴィヴィアナ。リヒトが手招きしてる」
「うん! おにいちゃんが本当にカッコよかったって早く直接伝えなくちゃ!」
「あっこら、走るな転んだらどうする!」
パタパタと走って来賓席を出るヴィヴィアナと、彼女を追いかけるアレクシス。
二人の姿が消えたバルコニーを見上げ、黒衣の男が呟く。
「深層階の魔物すら瞬殺とは。やはり手強いですね……」
影のような男の独白を気に留める観客は誰もいなかった。
*
「――おにいちゃん。今日の火竜って、本当にサプライズだったの?」
「いや、あれは観客を落ち着かせるための表向きの説明だよ。どうしてあんな不具合が起きたか調査中」
「そっか……。おにいちゃん、私を助けてくれて本当にありがとうね」
「どうしたの改まって」
「おにいちゃんがいてくれて本当に良かったなぁって思ったら、言いたくなったの」
「ふふ、言っただろう? 俺は何があってもヴィヴィを守るって。おいで」
優しい瞳と声で呼ばれ、ヴィヴィアナはリヒトのベッドに潜り込む。
雷の日に初めて同じベッドで眠って以来、ヴィヴィアナとリヒトは一緒に眠るのが習慣になっていた。
(あぁ、やっぱりおにいちゃんの心臓の音、落ち着く……)
世界で一番安全なリヒトの腕の中で眠りに落ちる瞬間が、ヴィヴィアナはとても好きだ。
「安心しておやすみ。俺の可愛いヴィヴィ」
昼間に感じた胸のムカムカも、強大な魔物と対峙したときの恐怖も。リヒトが額にキスをしてくれれば、跡形もなく消えていく。
(夢の中でも、おにいちゃんに会えますように……)
瞼を閉じたヴィヴィアナは、すぐに幸せな夢を見始めた。
*
そして月日は流れ、ついにヴィヴィアナがエトワル学園に入学する日がやってきた。




