8.番犬
「おにいちゃんっ!」
「痛ってぇぇっ!」
「え、なに?! 静電気?!」
後ろからかけられた声の主が誰か。ヴィヴィアナは振り向かなくてもわかる。
アレクシスと繋ごうとしていた手を引っ込め、リヒトの元へ駆け出すのと同時にアレクシスが悲鳴を上げた。
見れば、ヴィヴィアナに差し出していた右手を押さえて呻いている。
「クソッ……! もう少しだったのにっ!」
元々口の悪いアレクシスの口が更に悪くなっている。そんなに痛かったのだろうかと、ヴィヴィアナは首を傾げる。
「空気が乾燥しているから静電気だろうね。ヴィヴィは大丈夫だった? おにいちゃんに見せてごらん」
「今日って乾燥してたっけ……? 私は大丈夫よおにいちゃん。それよりアレクシスのほうが――」
「うんうん。いつもどおり小さくて白くて可愛い手だ。そろそろ来る頃だと思って迎えに来たよ。ここからは俺と一緒に行こう」
流れるようにヴィヴィアナの手を握り瞳を細めたリヒトは、愛しくて仕方がないというふうに義妹の額へ唇を落とす。
お返しにヴィヴィアナもリヒトの頬へキスをすると、とんでもない声量の悲鳴が各所から上がった。アレクシスはげんなりとため息を吐いている。
「これが学園の伝説にもなっている、仲良し美兄妹の挨拶のキス……!」
「美しすぎて夢かと思った」
「て言うか天国かもしれない」
「眼福……!」
フィンスター家では当たり前の兄妹間の挨拶のキスが、何故か世間では伝説になっているらしい。
リヒトが美しすぎるせいだろうが、人前で彼にキスをすると、いつもこんなふうに大騒ぎになるのだ。
正直、騒がれ過ぎてヴィヴィアナはいたたまれない。
(でも、私がキスを返さないと、おにいちゃんすごく傷ついた顔をするんだもの……っ)
リヒトにあんな顔をさせるぐらいなら、多少(?)注目されて騒ぎになるくらいなんでもない。ヴィヴィアナは大好きな義兄のために羞恥心を封印すると決めた。
(痛ってえぇぇ……! 手加減しろよリヒト……ッ)
(言いつけを破った駄犬の腕が吹っ飛ばなかっただけ感謝しろ。番犬を変えてもいいんだぞ)
(クソッ、悪かったよ……っ!)
互いに風魔法で周囲の音を操作しながら、リヒトとアレクシスは自分たちだけに聞こえるように会話をする。
アレクシスも強い魔力を持っているが、リヒトには敵わない。リヒトがその気になれば、本当に腕を吹っ飛ばされるだろう。
ヴィヴィアナは知らないことだが、アレクシスはリヒトがどうしても彼女の側にいられない間の護衛役を担っていた。
(俺だってエトワル学園で学べばリヒトを追い越せるんだからな……っ)
でも今はまだ、年齢差もあるためアレクシスよりもリヒトのほうが何倍もうわ手だ。
引き際を見極めたアレクシスは文句を引っ込め、イチャつくフィンスター家兄妹の一歩後ろを歩くことにする。
「おにいちゃんが着てるの『デモンストレーション』用の衣装よね? いつもの制服もカッコいいけど、その衣装もすごく似合っててすごくカッコいい……!」
現在十八歳のリヒトは身長も180cmを超え、最近ではその美貌に大人の色香すら漂うようになっていた。
九頭身近いすらりとした長身が今身につけているのは、戦闘用の魔術師の白いロングコートとブーツだ。
実はエトワル王国には一部の空間が歪み、魔界と繋がって地下迷宮化している場所がある。
その階層は地下のどこまで伸びているか不明で、下に降りるほど凶暴な魔物が出現する。
地下迷宮がエトワル王国に現れたのはもう数百年前のことだそうだが、当時の王は地下迷宮の入り口を封印するのと同時に、いつかこの場所の謎を解明できる人材育成のための学園を創立した。それがエトワル学園だ。
タイ海老に乙女ゲームでは珍しいダンジョン攻略ミッションがあるのはそのためである。
(そして地下迷宮の謎が隠しキャラエンドに繋がっていくんだよね)
隠しキャラの攻略条件は難しくてヴィヴィアナはクリアしたことがないが、ファンの間では人気のルートだったことを覚えている。
「デモンストレーションでは地下迷宮の表層界の魔物と戦うんだよね?」
「そう。競技場と地下迷宮の一階と空間を繋げて、日頃の鍛錬の成果を観客の前で披露するんだよ」
「その代表生徒に選ばれるなんて、おにいちゃんすごい……!」
「ふふ、ヴィヴィにいいところ見せたくて頑張っちゃった」
リヒトが制服ではなく魔術師のコートを着ているのはこのためだ。
戦闘服姿のリヒトは新鮮で、ヴィヴィアナの胸はときめきで爆発しそうだ。
「おにいちゃんなら大丈夫だと思うけど、怪我しないでね……?」
「表層階に出る魔物は凶暴性もレベルも低いから大丈夫だよ」
しかし半刻後。
前代未聞の異常事態が起き、競技場は大混乱に陥った。




