3.スミレのマカロン、薔薇のムース
「それじゃあ早速、父と母に俺たちは先に帰るって報告しに行こうか」
「はい……!」
「うん、いいお返事。さ、お手をどうぞお姫様。君がまた転んだら大変だから、俺の手をとって?」
「ゔっ、はい……」
差し出されたリヒトの手の体温は低かったけれど、優しくヴィヴィアナの手を握り返してくれた。
「――と言うわけで、楽しく二人で敷地の中を見てまわってたんだけど、俺の不注意でヴィヴィが転んじゃったんだ。だから俺とヴィヴィは父さんたちより先に帰るから」
リヒトは上手く悪ガキたちの所業を伏せつつ、前に子供たちが遊びで掘った穴がたまたま残っており、そこに嵌りそうになった自分をヴィヴィアナが助けてくれたと説明する。
(さすがリヒト、頭の回転が早いわ。……何故かずっと私の手を繋いだままなのは気になるけど!)
どうか、落とし穴を放置していたと院の管理体制が責められたり、悪ガキたちのことがバレたりしませんように。
ヴィヴィアナはハラハラしながら大人たちの様子を窺うが、リヒトの説明を聞いた公爵夫妻……特に夫人の反応は予想外のものだった。
「なんてこと……! リヒトがこんなに表情豊かに話すなんて……! そんなに二人でお散歩したのが楽しかったのね……?!」
夫人の声は喜びで震え、リヒトと同じ紫色の瞳は涙で潤んでいる。
どうやら夫人の目にはリヒトがとても楽しそうに見えているらしい。
(え、この状態のリヒトって表情豊かなの?!)
ヴィヴィアナの目にはどう見ても彼はスンッ……としているように見える。
しかし公爵夫妻にとってはそうでなかったようで、フィンスター公爵も夫人の言葉にうんうんと頷いている。
「ヴィヴィアナさん、いいえ、わたくしもヴィヴィと呼んでいいかしら。あなたを我が家に迎え入れると決めて本当によかったわ。あなたならきっとリヒトとよい兄妹になれる。怪我の具合いはもう大丈夫?」
「あっ、はい! すっかりリヒト様が治してくれ――」
「ヴィヴィ。おにいちゃん、だろう?」
「……おにいちゃんが治してくれたので、もう全然痛くないです」
リヒトに食い気味に呼び方を訂正され、夫人相手にもリヒトのことをおにいちゃんと呼ぶと、更に夫人のテンションがヒートアップした。
「んまぁぁ! なんてこと、なんてことっ! 仲よし兄妹ってなんて尊いのかしら! ヴィヴィ、わたくしのことも是非お母様と呼んでちょうだいっ!」
「えっと、はい、お母様」
「じゃあ私のことはお父様と」
「はい、お父様……」
ヴィヴィアナが言われるままに公爵夫妻を呼ぶと、二人は胸を押さえながら唇を噛みしめ「娘に呼ばれるお父様お母様は、息子から呼ばれるのとはまた別の栄養素がある」「尊い」「尊すぎて滅」などとブツブツ呟いている。
(フィンスター公爵家の方たちって、けっこう愉快な感じなのね……?)
義両親ともけっこう気が合うかもしれない。
ヴィヴィアナはなんとなく、これからの公爵家での生活が上手くいくような気がした。
*
「――はぁ。まさか義妹がこんなにも可愛くてこんなにも癒やされる存在だったなんて、知らなかったなぁ」
フィンスター家の屋敷でヴィヴィアナが暮らし始めてから七日。
ヴィヴィアナを自分の膝の上に乗せたリヒトが、彼女の後頭部に頬を寄せながらしみじみと呟く。
「ん? もぞもぞして、どうしたのヴィヴィ。あぁ、このスミレのマカロンが食べたいんだね。ほら、あーん」
「ん、美味しい。……じゃなくて、おにいちゃんっ。ずっと私を抱えているからそろそろ重いでしょう? 私は一人で座るから、もう膝から下ろして大丈夫よ」
毎日の習慣となった、兄妹の午後のお茶会。
執事と侍女がちゃんと二人ぶんの椅子を用意してくれているのにも関わらず、リヒトはヴィヴィアナを自分の膝に座らせている。
彼はヴィヴィアナの口に菓子を運んでは、自分が食べさせたものを頬張る姿が可愛くて仕方ないと、瞳を優しく細めるのだ。
けれどもう、リヒトは半刻近くヴィヴィアナを膝の上に載せている。
そろそろ彼の膝が痺れてしまうのではないかと、ヴィヴィアナは気になって落ち着かなかった。
「だから、昨日も一昨日もその前も言ったじゃないか。ヴィヴィが重いならこの世の大抵のものは重くて世界が沈んじゃうよ。むしろヴィヴィは軽すぎて、もっと食べさせないと心配なくらいだ。ほら、今度は薔薇のムースをお食べ。あーん」
「ん、美味しい。って、そうじゃなくて!」
リヒトが下ろしてくれないのなら自分で下りるまでだ。
ヴィヴィアナはジタバタともがくが、ガッチリとホールドしてくるリヒトの腕のせいで動けない。七歳と十二歳。子供時代の五歳差は大きすぎた。
無力な子猫のように抵抗するヴィヴィアナの様子を、執事と侍女たちが微笑ましそうに見守っている。
彼らはテキパキと仕事をこなしながらも、時折「うちのお坊ちゃまとお嬢様の戯れが可愛すぎてしんどい」「守りたいこの時間」「美兄妹の仲睦まじい様子を間近で見られる上に、お給金までいただけるんですか……?!」などと呟いていた。
フィンスター家はリヒトと義両親だけでなく、使用人達もなかなか愉快な面々のようだ。
(このままおにいちゃんたちに甘やかされたら、私どんどん堕落してしまいそう……っ)
毎日のお茶会ではリヒトが全部のお菓子をヴィヴィアナの口に運んでくれるし、義両親は連日のようにヴィヴィアナのための服や日用品を買ってくる。
特に義母は「実は娘とお揃いのドレスを着るのが夢だったの!」とキラキラした瞳で語り、急遽ヴィヴィアナのための衣装部屋をもう一室用意させるほどだった。
(家族円満なのは嬉しいけど、さすが公爵家は財力もパワーも桁違いで、圧倒されぱっなしだわ……っ)
ヴィヴィアナも子爵家の生まれではあるが、上位貴族の生活はこんなにも華やかなのかと日々驚きの連続だった。
(なんか、孤児院と公爵家の生活のおかげで、大抵のことには対応できる自信ついてきたかも)
自分が転生者だと思い出す経験もしたし、だいぶ鍛えられた気がする。
しかしこの直後、そんなヴィヴィアナを更に驚かせる出来事が起きた。
「――まさかリヒトがこれほどデレデレになるとは驚いたな。そんな顔、初めて見たぞ」
聞きなれない、澄んだ少年の声。
しかも、公爵令息のリヒトを呼び捨てにするなんて。
(え、誰?)
リヒトの膝の上に乗せられたまま声のほうを見たヴィヴィアナは、予想外過ぎる登場人物の姿に悲鳴を上げそうになった。
(タイ海老の王太子だーーーー?!)




