09話 王城の一夜
9話 王城の一夜
夕暮れの光が王都を淡く染め始める頃、一行を乗せた馬はようやく王城へと帰り着いた。
正門をくぐった瞬間、待機していた近衛騎士たちが一斉に姿勢を正した。
「副団長以下、遠征隊帰還!」
当番の騎士が高らかに報告する。
次の瞬間、整列した騎士たちは一糸乱れぬ所作で胸へ拳を当てる。
それは、任務を果たして帰還した仲間へ敬意を示す、近衛騎士団の礼だった。
「任務、お疲れ様でした!」
ガレスは静かに頷く。
「ああ。任務完了。負傷者なし。」
その言葉に誰もが安堵の表情を浮かべる。
エレノアも馬から降ろしてもらうと、小さく息を吐いた。
長かった神殿での探索。
疲れはある。
それでも、不思議と充実感の方が勝っていた。
◇
近衛騎士団本部。
執務室では、ダリウスが静かに待っていた。
「戻ったか。」
「団長。ただいま帰還いたしました。」
ガレスが一歩前へ進み、黒い石板を両手で差し出す。
ダリウスは慎重に石板を受け取る。
長い年月を経てもなお漆黒の輝きを失わない石。
その表面を埋め尽くす古代文字。
「……これが。」
思わず息を呑む。
ガレスが続けて説明する。
「地下神殿最奥の祭壇に安置されていました。アシュフォード嬢に解読してもらったところによると、王家の記録を守る石板で間違いありません。」
「ご苦労だった。」
ダリウスは石板を用意された黒布の上へ慎重に置くと、立ち上がった。
「これは直ちに陛下へお届けする。」
部屋の空気が引き締まる。
この石板は、王国の歴史を変えるかもしれない。
その重みを誰もが理解していた。
「アシュフォード嬢」
ダリウスは穏やかな眼差しでエレノアを見つめた。
「まずは、心から礼を言わせてほしい。今回の任務は、あなたがいなければ決して成し遂げられなかった。」
エレノアは慌てて首を振る。
「そんな……皆様のお力あってこそです。私こそ皆様に守っていただきました。」
「いいや。」
ダリウスは静かに微笑んだ。
「あなたの力なくして、この任務の成功はあり得なかった。」
そう言うと彼は立ち上がり、エレノアの前までやってくる。
「リーヴェル王国近衛騎士団長ダリウス・クロフォードとして、あなたへ最大限の敬意と感謝を捧げる。」
そう告げると、ダリウスは静かに右拳を胸へ当てた。
その姿に、ガレスをはじめ、その場にいた騎士たちも自然と胸へ拳を当てる。
「クロフォード団長様。皆様……。」
エレノアは思わず目を丸くした。
そして、その胸が温かいもので満たされる。
ダリウスは礼を解くと、穏やかに続けた。
「今回の功績に対する正式な謝礼については、陛下へご報告の後、改めて王家よりお渡しする。決して遠慮なさらず、お受け取りいただきたい。」
「……!」
エレノアの瞳が驚きに揺れる。
謝礼。
その言葉を聞いた瞬間、真っ先に思い浮かんだのは家族の顔だった。
(これで……。)
母の薬代。
妹が憧れていたドレス。
父の研究書も、また買えるかもしれない。
少しでも家族の助けになる。
じんわりと温かなものが込み上げてくる。
「……ありがとうございます。」
その笑顔を見つめていたシリルは、やがて静かに目を伏せた。
◇
ダリウスは改めて一同を見渡す。
「此度の任務、大義であった。」
静かな声だった。
しかし、その一言には深い労いが込められている。
「しばらく遠征任務は入れん。各自、十分に身体を休めろ。」
「はっ!」
騎士たちは一斉に敬礼した。
「アシュフォード嬢。」
ダリウスは優しく声を掛ける。
「本来であれば、すぐにご家族のもとへお返ししたい。」
エレノアは静かに頷いた。
「だが……。」
ダリウスは窓の外へ目を向ける。
すでに空は群青色へ変わり、王都には夜の灯がともり始めていた。
「帰還が予定より遅くなってしまった。」
その理由を知る者は数人だけだった。
歩幅を小さくした一頭の黒馬。
眠る少女が起きるまで、その腕に囲い続けた近衛騎士。
オーウェンは思わず咳払いをする。
「夜道は危険だからな。」
ダリウスは穏やかに続けた。
「今夜も客室へ泊まっていただき、明日の朝お送りしましょう。」
「ありがとうございます。」
エレノアは安心したように微笑んだ。
◇◇◇
身支度を整えて客室へ戻ると、侍女がお茶を用意してくれた。
一息ついたところで、扉を叩く音が静かな客室に響いた。
「アシュフォード嬢。リアナ・フェルディスです。まだお休みではありませんか?」
三日前、実家を出る際にも聞いた、赤茶髪の女性騎士の明るい声だった。
「大丈夫です。どうぞ。」
返事をすると、扉が静かに開く。
「失礼いたします。」
リアナは部屋へ入ると、どこかほっとしたように表情を和らげた。
「アシュフォード嬢。お帰りなさいませ。」
「フェルディス様。」
エレノアは立ち上がり、小さく頭を下げる。
リアナも慌てて首を振った。
「そんな、お気になさらないでください。」
少し視線を泳がせながら、遠慮がちに続ける。
「地下神殿は危険な場所かもしれないと聞いていましたので……。ご無事に戻られたと伺って、安心いたしました。」
その控えめな言葉に、エレノアは自然と頬を緩めた。
「ありがとうございます。皆さんが守ってくださったおかげで、無事に帰ってくることができました。」
「それを聞いて安心しました。」
リアナは嬉しそうに微笑む。
だが、その後どこか言い出しづらそうに指先を合わせた。
「あの……。」
「はい?」
「もし、お疲れでなければ……なのですが。」
少しだけ恥ずかしそうに笑う。
「地下神殿のお話を、お聞かせいただけませんか?」
エレノアはきょとんと目を瞬かせた。
「お話、ですか?」
「はい。」
リアナは少し照れたように頷く。
「私、小さい頃から古代のお話や遺跡が好きなんです。でも騎士になってからは剣ばかりで、遺跡のお話をする相手がいなくて……。」
その瞳は、どこか幼い子どものように輝いている。
「それに、実際に地下神殿へ入った方のお話を聞ける機会なんて、きっとそうそうありませんから……。」
エレノアは思わず微笑む。
「そうだったのですね。」
「騎士仲間に言うのは気恥かしくて。ご迷惑でなければ、少しだけでも……。」
「もちろんです。」
その一言に、リアナの表情がぱっと明るくなる。
二人は窓辺の椅子へ腰掛けた。
エレノアはゆっくりと言葉を選びながら語り始める。
地下へ続く隠し通路。
壁一面に刻まれていた古代文字。
二千年以上もの時を守り続けてきた神殿。
そして、王が残した試練のこと。
リアナは途中で口を挟むこともなく、熱心に耳を傾けていた。
「……なんて素敵なのでしょう。」
思わず漏れたその声は、感嘆そのものだった。
「本当に、昔の人たちがそこにいたような気持ちになりますね。」
「はい。」
エレノアも静かに頷く。
「私も刻まれた文字を読んでいるうちに、そんな気持ちになりました。」
リアナは少し身を乗り出す。
「古代文字を読めるなんて、やっぱりすごいです。」
エレノアは小さく笑って首を横に振った。
「そんなことはありません。父に教わり始めた頃は、何度も文字を書き間違えて、よくやり直しをさせられていました。」
「そうだったのですか?」
「はい。父は古代史には特に厳しかったんです。」
そう言って少し懐かしそうに笑うエレノアを見て、リアナもつられるように笑みを浮かべた。
「なんだか安心しました。」
「安心、ですか?」
「はい。最初から何でもできた方なのだと思っていましたから。」
「全くそんなことはありませんでしたよ。」
二人は顔を見合わせ、小さく笑う。
気付けば、最初にあった少しの遠慮はいつの間にか消えていた。
客室には、穏やかな笑い声が静かに響いていた。
◇
「すっかり夢中になってしまいました。お疲れのところなのにすみません。」
「とんでもないことです。私もお話できて、とても楽しかったです。」
その言葉にリアナが照れながら席を立つ。
「今日はゆっくりお休みください。明日も私がエレノア様をご実家までお送りいたします。」
「またリアナ様にお世話になってしまいますね。」
「ふふ、お任せください。」
いたずらっぽく微笑んでリアナは戻っていった。
静かな客室。
エレノアは窓の外に広がる王都の灯を眺め、小さく微笑む。
長い三日間だった。
けれど、その中で出会った人たちは皆、優しかった。
そして気付かぬうちに、この王城が少しだけ居心地の良い場所になっていた。
明日には家へ帰る。
そう思うと少しだけ嬉しくて、少しだけ名残惜しい。
そんな不思議な気持ちを胸に、エレノアは静かに窓を閉めた。




